Lhagna/π - 黄昏の封光晶 Ⅱ
「貴様それを、ど、どこで手に入れっ……」
「やはり。魔王、きみはこれについて詳しく知っているようだ」
ペフィロの指先でつままれ、キラキラと複雑な屈折光を振りまく小さな三角柱。ペフィロが腕を動かすたび、アルルゼールの視線がそれを追って動く。
「《黄昏の封光晶》、イヴァンから預かってきた本物だ。ぼく達は今日、きみと取引をしに来たのだよ――」「《エル・サンクトゥム》っ!」
ペフィロに対し何かを答える前に、アルルゼールは大慌てで魔法を発動した。それはこの《黄昏の封光晶》をイヴァンが勇者パーティに託した際に唱えたのと同じ、最上位の結界魔法だ。
「ぅ……っ」「トスカナ!?」
急激な環境マナ量の低下にあてられ、トスカナがふらりとよろめくのをペフィロは慌てて支えた。故郷でずっとマナと共に暮らしてきたトスカナの身体にはマナの変化を感じ取る器官のようなものがあるようで、急激な変化は立ちくらみのような症状を引き起こしてしまうのだ。
しかし、トスカナとて今や自分で周囲の環境マナを吸い尽くしてとんでもない魔法を連発できる大魔道士だ。イヴァンがゴルグの研究室を同じ結界で覆ったときだって少し眉をひそめただけで耐えていた。そのトスカナが倒れそうになってしまうほどの規模――おそらく魔王が張った結界は、魔王城全体を覆っている。
「魔王、いきなり何を――」
「何を考えてるのだ!? 大馬鹿なのだ! 結界も張らずにそんなものを人前に出して……奴らに見つかったらどうするのだ!? やっと終わった戦争を再開する気なのだ!? ナツキと我の努力が水の泡なのだ!!」
「っ……ふむ……?」「……ご、ごめんなさい……?」
責めるつもりがこれまでになく焦燥に満ちた声で糾弾し返され、ペフィロはトスカナと顔を見合わせる。イヴァンもそうだったが、貴重なものとはいえいささか過剰ではないだろうか。
不思議がる二人の様子を見て、アルルゼールはわなわなと震えだした。
「貴様ら、まさか……分かってないのだ? ナツキ……はともかく、ヴィスタリア王からも何も聞いていないのだ?」
「……すまないが、ぼく達はこれについてあまり詳しくない。教会に見つかってはならない、と但し書きがあることは知っているがね」
「『奴ら』って、教会の人達のことですよね? 魔煌国にも教会があるんですか……?」
二人の返答を受けたアルルゼールは唖然とし、深々と溜息をついた。
「……我が国に讃穹教会があったら大問題なのだ。でも奴らはΨ波――因果律の針を辿れるから場所なんて関係ないのだ」
「因果律……ふむ?」
「何も知らない奴に気軽に教えていいようなことじゃないのだが……まあいいのだ、それを持ってきた時点で貴様らはもう引き返せないのだ」
アルルゼールの口調が真剣さを帯びる。《黄昏の封光晶》に注がれる視線は、何かを渇望しているようでもあり、どこか苦々しさを感じるものでもあった。
「この結界は外界との因果を断ち切るためのものなのだ。この中で起きたことは外に影響を与えないし、外で起きたことは中に影響を与えない……いわば小さな世界の創造なのだ」
「なるほど? ……しかしぼく達の記憶は結界を超えてしまっているぞ」
「ですよね、だからこうして魔煌国まで来てるわけですし……」
因果を断ち切ると言うからには、結界の出入りで記憶が抹消されなければ不完全だ。二人の言葉にアルルゼールも頷きを返した。
「確かに、大きく見れば因果は連続しているのだ。でも奴らにとって重要なのは、なんだったか、ビーフン……? なめらかプリンがどうとか……うう、この身体で難しい話を思い出そうとすると思考がぼやけていくのだ……」
「ふむ、概ね理解した」
「今の説明で何を理解したんですかっ!?」
トスカナは混乱しているが、ペフィロには予想がついた。ビーフンではない、微分可能性の話だ。因果律の微分などという概念をどう定式化して計算するのかはさっぱり分からないが――
「教会はとんでもない科学力を持っている、ということだよ。それこそ――神の領域に足を踏み入れるほどの科学だ」
「か、神様ですか!?」
「うむ、やはりぼく達の方針は間違っていなかったようだ。《失われた千年》と《黄昏の封光晶》の謎を解き明かせば、おのずとナツキへの道は見えてくるだろう」
「じゃあ……やっぱり」
ペフィロとトスカナの視線が、《黄昏の封光晶》を経由してアルルゼールに向かう。
「な、何なのだ?」
「魔王。あらためて、取引をしようじゃないか」
手のひらに《黄昏の封光晶》を載せ、アルルゼールに差し出して見せる。その煌めきに合わせてアルルゼールの目が揺れた。
「ぼく達が差し出すのはこの《黄昏の封光晶》と――」
「ま、待つのだ! 我はそれが欲しいなんて一言も言ってないのだ」
「ふむ? しかし道中きみから聞いたこの国についての話と、ここまでのきみの反応から推論すると、きみはこれを欲しているはずだが」
「……。なぜそう思ったのだ?」
こちらの腹を探ろうとしているようだが、こちらにあれこれを隠す意思はない。アルルゼールの問いに対し、ペフィロは正直に思考の過程を語り始めた。
「まず、魔煌国ははるか昔から反教会の立場を貫いている。教会に見つかってはならぬと記された遺物に関わっているのはおかしなことじゃあない」
魔煌国の成り立ちは《失われた千年》に埋もれている。当時から存在していて教会に明確に敵対している国は魔煌国だけだ。
「ときに、先の戦争で先に攻撃したのは帝国だときみは主張していたが」
「なのだ。我は本当のことしか言ってないのだ!」
「うむ、それは信じよう。しかし解せないのは、一体どんな理由があって帝国はそんな暴挙に出たのだろうか、という点だ」
帝国と魔煌国は大陸の北端と南端に位置しており、侵略戦争を始めるモチベーションは低い。何かしら存在しなければおかしいのだ、《失われた千年》が明けてから400年間何事もなく続いていた平和をわざわざ捨ててまで、戦力的に圧倒的格上の相手に攻撃を仕掛けるに足る理由が。
「それも、先のきみの発言で全て繋がった。戦争の火種になったのはこの《黄昏の封光晶》で、攻撃をしかけたのは帝国王室でも騎士団でもなく教会の聖歌隊だ」
聖歌隊とは、その名の通り賛美歌を歌うことを仕事にしている集団――を表の顔として持つ、教会が有する私兵団のことだ。教皇の杖を媒介に大勢の魔力回路を同調させて一つの巨大な魔法を放つ、儀式魔法を得意としている。彼らならば、一撃で数千人が死んだというアルルゼールの言葉にも沿う。
「……我の発言なのだ?」
「結界を張らずにこれを見せたときに言ったじゃないか、戦争を再開させるつもりなのか、と。きみが《黄昏の封光晶》を手に入れるのは教会にとって気に食わないことらしい。なら答えはひとつだ」
他にも、ここ数十年の間大陸の情勢が落ち着いているとか、教会の大きな人事異動が起きていないとか、過去の聖歌隊メンバーとの会話とか、こまごました推論材料は無数にある。しかしペフィロのAIが持ち出した記録データを全て説明していたら日が暮れてしまうし――冷や汗を流しっぱなしのアルルゼールを見るに、もう十分だろう。
手のひらを持ち上げ、ペフィロは結論を示す。
「魔王、きみは何らかの目的でこの《黄昏の封光晶》を回収しようとした。もしくは……別の《黄昏の封光晶》を手に入れてしまった、か。いずれにせよ、それが教会の上層部を刺激してしまった」
アルルゼールはしばらく沈黙していたが、やがて肩を落として白旗を上げた。
「はぁ……全部貴様らの言うとおりなのだ。あの砲撃が飛んでくる前日……我はこれを取りに行ったのだ」
アルルゼールは虚空に開けた穴に手を突っ込み、何かを取り出した。それは複雑な屈折光を振りまく小さなガラスの塊――
「二つ目の《黄昏の封光晶》……!」
「四つあるうちの一つ、東の沖の海底神殿に封印されていたものなのだ。貴様らが持ってきたそれとは違って、どの国の所有物にもなってないはずのものだったのだ。必要になったから取りに行った、それだけだったのだ」
溜息をひとつ、
「翌朝、我は民の悲鳴で目を覚ましたのだ」
「っ……!」
「城から見下ろした街が、真っ赤に燃えていたのだ。普通の方法じゃ消えない魔法の炎だったのだ。たくさんの無辜の民達が、火だるまになって、呻き苦しみながら……灰になっていったのだ」
「そんな……それを帝国が、教会がやったんですか!?」
トスカナの顔色が変わる。彼女の前世での死因は焼死だというから、自分のことのように苦しみを理解できてしまうのだろう。
「魔法の名は浄罪の聖火……この星で使えるのは教皇率いる聖歌隊だけの、強いδ逆相を重ねた熱系儀式魔法なのだ」
「……そう、ですか」
自分が悪いわけでもないのにしゅんと項垂れる。共感性が高いのは彼女の美徳だが、擦り切れてしまわないか時々心配になる、とナツキがこぼしていたのを思い出す。
「まあ、戦争の発端については今は置いておきたまえ。とにかくぼく達はきみと取引をしたくて、はるばる魔煌国くんだりまでやってきたのだよ。話を聞いてくれるかね?」
あれこれ混ぜっ返されて前置きが長くなってしまったが、ようやく本題だ。
ペフィロの確認にアルルゼールは玉座の上で居住まいを正し、王の威厳のこもった目でこちらを見下ろしてきたが――やはり足はぷらぷらと浮いたままで、王様ごっこをしている幼女にしか見えなかった。