はじめてのおつかい Ⅱ
裏社会を統べる《終焉の闇騎士同盟》のイケメン、コードネーム:ラムダに連れられ、ナツキは目的地へと急いだ。ラムダはさすが現地民とでも言うべきか、全く迷うことなくすいすいと立体迷宮を進んでいく。
「上三西に渡るんはなー、上三東の橋ちゃうねん。上二と上三がこう、バッテン! な感じで繋がっとるんや。そのメモにはそれが書いとらん。自分、上二に迷い込んだ思たんやろ?」
「そう! すごい、よく分かったね?」
「この辺じゃ一番けったいな橋や。みんな一度は迷うねん」
「はぁ……この街、何でこんなごちゃごちゃなの?」
「謎や。ワイが生まれた時からもうごっちゃごちゃや」
道行く人にはどうやら年の離れた兄妹だと思われているらしく、微笑ましいものを見るような視線を浴びた。同じ金髪だから余計そう見えるのかもしれない。ナツキは自分は幼女だと開き直って悠々とラムダの腕に収まっていたが、ラムダは少し居心地悪そうにしていた。
「ボクたち兄妹に見えるのかな」
「みたいやな……」
「お兄ちゃん、照れてる?」
「やめーや。自分、妹って呼ばれたいんか」
「……いいけど、普通妹のことは妹って呼ばないよね」
「やかましいわ、妹」
弄りがいのある男だった。こいつ、話している相手が実は20歳男性だと分かったらどんな反応をするんだろうか。……ああ、なるほど。ネカマがネトゲで男を騙して愉悦に浸る理由が少し分かった気がする。
「……ボク自分で歩くよ、ラムダ」
「そか?」
少し申し訳なくなってきたので、下ろしてもらった。
その後、ラムダの言葉通り何故か傾いている大きな橋を渡り、一つ奥のストリートに入り、しばらく歩いたところに、目的の建材屋はあった。
「あった、あれだよ! お兄ちゃんありがとう!」
「お兄ちゃん禁止や。……ん? なんやあの店。自分、何買いに来たん?」
「お店の玄関のドアが壊れちゃってさ、注文に来たんだよ」
「店の……ドア」
「うん。じゃ、ほんとにありがとう! 助かったよ!」
ラムダに心からの礼を告げて、ナツキは建材屋に向かった。
店に入りながらちらりと振り返ると、ラムダはまだそこにいて、何かを考えているようだった。
ドアの発注とは言っても、ラズから渡された注文メモを渡すだけの簡単なお仕事だ。ラズによると後払いでいいらしく、金も持ってきていなかった。
店主は絵に描いたようないかつい頑固老人で、最初こそ「あぁん? 後払いだぁ?」と不満げだったが、さすがにおつかいに来ただけの幼女には強く出られないらしく、注文を受けてくれた。ついでに愛想を振りまいていたら、最後に「……飴ちゃん食うか?」なんて言われて笑ってしまった。2つもくれた。
最近孫が遊びに来なくて寂しいとかなんとか長話を始めそうだったので、急いで離脱する。昼のラッシュに間に合わなくなってしまう。
ハチミツっぽい味の飴を舌先で転がしながら店を出ると、ラムダはまださっきと同じ場所にいた。
「ラムダ!」
「おう、終わったんかいな」
「まだいたんだね、ちょうど良かった。はい、これ。あげる」
「ん?」
二つ貰った飴の残りを、ラムダの手に乗せる。
「なんや、飴ちゃんかいな」
「そこのおじいちゃんがくれたんだよ。案内してくれたお礼に、ひとつあげるね」
「……そか。おおきにな」
ラムダは少し目を細めて、飴を口に放り込んだ。
「もしかして、待っててくれた? 道は覚えたから一人で帰れるよ?」
「ん? ちゃうちゃう。ぼーっとしとっただけや。……でもせやな、送ってこか? 近道、教えたるで」
「ほんと?」
それは正直嬉しい。早くこの街の地図を頭に叩き込まないといけないと思っていたところだ。
「ええで。おうちはどこや?」
「んと、Cブロックの……」
ヤクザに住所を教えていいものかと一瞬言い淀むが、何なら同じ組のバカ2人が既に来ているのだ。今更だろうと、覚えたての住所を伝える。
「『子猫の陽だまり亭』ってお店だよ」
「……そか」
「? ラムダ?」
「ん、なんでもあらへん。ほな行こか」
ラムダの顔が少し悲しげに伏せられた気がしたが、すぐ元の笑顔に戻った。
途中、露店でフルーツジュースを売っているのに少し気を取られていたら、ラムダが勝手に2つ注文して片方をくれた。なんと、透明なプラスチックのコップに、ストローだ。うーん、科学技術の偏り、再び。
物欲しそうに見てたやないか、と笑うラムダに対し、この世界にどんな果物があるのか気になって見ていただけだ、と正直に答えるわけにもいかず、微妙な心境でナツキはストローに口をつけた。
ベリー系かなと思って赤いジュースを選んだのに、マスカットみたいな味がした。
「あ、でも、おいしい」
「でもってなんやねん」
「なんでもないよ」
異世界の食品ガチャは、予想はともかくおいしければ当たりだ。ラグナは亜人やら獣人やら、味覚が根本的に異なる種族が入り乱れていたため、知らない食材に手を出す前には情報収集が必須だった。この世界では今のところ、人間とラクリマしか見かけていない。そのあたりの苦労がなさそうなのは大いに助かる。
「ねえラムダ、何でジュース、買ってくれたの? 気まぐれ?」
「うん? 飴ちゃんのお礼やで。遠慮せんで飲み」
「えっ、飴は道案内のお礼だよ?」
そうナツキが不思議がると、ラムダは首を横に振った。
「ちゃうで、ナツキ。お礼、恩っちゅーのはな、ずーっと返し合うもんや。それが人の縁になんねん。ほんでずっと繋げてく縁の道、それが人道や」
「……おー」
恥ずかしげもなくなかなか深いことを言うな、とラムダの顔をまじまじと見てしまった。こいつ、本当にヤクザか? いや、任侠とか言ってたし、むしろヤクザだからなのか?
「な、なんやねん」
「ふふ。つまり、ボクとラムダは友達ってわけだね」
幼女語に翻訳すれば、そういうことだよね。くらいのノリで投げた言葉だったのに、しかしラムダは、ぎょっと目を見開いた。
「とっ……なんや自分、急に恥ずかしいこと言いよって!」
「ラムダには言われたくないかな!?」
お前、どう見ても友達多そうじゃないか。
こう見えて女の子には耐性がないとか? まさかな。あんなイケメンムーブしておいてそれはないだろう。
他にはどこかに引っかかることもなく、橋を渡る。今度は下り坂だ。上第三層から、上第二層へ。
……この橋をかけた奴は、何も疑問に思わなかったのだろうか。
ちょうど橋の真ん中あたりで空を仰ぐと、オレンジ色の亀裂が見えた。街全体と比べて口が細いとはいえ、幅数十メートルはある地割れだ。雲が風に乗って動いているのが見える。
それが何故かとても綺麗に思えて、思わず立ち止まってしまった。
「空やな」
ナツキに合わせてラムダも立ち止まり、上を見た。
「自分、街の外出たことあるんか?」
「逆だよ。ボク、外から来たんだ」
「ほんまかいな。どこ生まれや?」
「覚えてないよ。記憶喪失で、捨て子で、三日前に砂漠で拾われたの」
「はっはっは。自分、ウソつくのヘタクソやな」
「嘘みたいだよね」
「……ウソやろ?」
まあ、半分くらい嘘なのだが。
「あはは、まあ、ほんとに捨て子なのかどうかは、わかんないけどね」
店の宿泊客に聞かれる度に同じ説明を繰り返してきて、周りもそれを肯定してくるせいで、若干本当にそれが正しいような気がしてくる。人間の脳は、結構簡単に記憶を書き換えてしまえるものだ。
さすがに、地球やラグナで生きた記憶が消えてしまうことは、ないだろうけれど。
「記憶喪失て……マジなんかいな」
「ん。だから今のボクにとって……この世界で初めての友達は、ラムダだよ」
「っ……」
ちょっと恥ずかしい台詞を投げて笑ってやると、ラムダは言葉に詰まってしまった。また恥ずかしいこと言いよって、とか言われるかと思ったが、それもなかった。薄幸幼女スマイルに魅了されてしまったんだろうか。
この世界で初めての友達、別に嘘ではない。にー子は友達というよりはペットや妹って感じだし、ダインは命の恩人だけど友達じゃない。断じて違う。アイシャも知り合いレベルだ。
もっとも、じゃあラムダは友達なのかと言われると、近所の兄ちゃんって感じだけど。いいんじゃないかな、友達でも。本当の精神年齢は近いはずだし。
「ごめん、立ち止まっちゃって。行こう、ラムダ。近道教えてよ」
「……なんや、もうちょいのんびりしてこうや」
ラムダも空を見上げて感傷モードに入ってしまったのか、そんなことを言い始める。
「うーん、でもボク、お昼にはお店に戻らないといけないから」
「……そら心配あらへんで。どうせ間に合わへん」
……え?
どういう意味だろう。もしかして、最初に迷いすぎたせいでもう昼を過ぎている?
時刻を確認しようとするが、外ではどうやって正午を回ったかどうか判断すればいいのだろう。
「ねえラムダ、今の時間って……」
「時間なら、そろそろや」
違和感。
「……ラムダ?」
おかしい。
直前まで普通だったラムダの声が、雰囲気が、冷たくなっている。
一歩、ラムダから距離を取る。
足に気を通そうとして、
「っえ……!?」
すとん、と膝が地面に落ちた。
おかしい。体に力が入らない。
眠気が、すごい。まだ昼なのに。
顔を伏せたラムダが、ナツキの目の前まで歩いてきて、
「自分がジュース飲んでから、今でちょうど、10分や」
そう、教えてくれた。
ああ、そうか。
一服盛られたってわけか。
「ラム……ダ……何で……」
「恩に返すもんは、恩。当たり前や」
苦しくは、ない。恐らく、睡眠薬だ。
――どうして。友達なんじゃないのかよ。
「せやけどな、ナツキ」
平衡感覚がなくなり、膝から上が、橋の傾斜に従い、前に傾く。
視界が、ぼやける。
ああ。そういえば。
友達だのなんのと言っていたのは、自分だけだ。
「仇に返すもんは、仇なんや」
ブラックアウトした世界で、冷たい声だけがやけにクリアに聞こえ。
「……かんにんな」
体が何かに、優しく受け止められた。