フィンのこれまで Ⅱ
ネーヴェリーデ上空にたどり着いたフィンは、まずナツキとリリムの情報を確認すべく、手配書を貼り出しているであろうハンターズギルドを探した。天使の血と天使の雫については表沙汰にはできないらしく、手配書は出回っていないそうだ。
もちろん特徴はすでにエルヴィートから聞いている。ナツキは金髪の幼女、リリムは桃色がかった金髪の10代後半の女、天使の雫は黒髪のフェリス種で成長度8、天使の血は緑髪のフェリス種で成長度5程度。
本来ならば《塔》のデータベースに詳細な容姿が載っているのだが、システムの管理人である原初の涙によるとしばらくシステムメンテナンスでデータを参照できないらしく、仕方がないので警察が発行している手配書を確認するよう、エルヴィートから指示を受けている。
「しっかし何でオレなんだ……潜入調査みたいなのは苦手だって、おっさんも知ってるはずなんだけどなぁ」
フィンは根っからの戦闘系ギフティアである。だと言うのに、充電中にいきなり呼び出されたかと思えば聖窩の臨時発電所にされ、今度は雷の異能すら何の関係もない指名手配犯の捜索任務ときた。部隊の連中は「リーダーだけ任務たくさん任されてずるい」などとほざいていたが、ぜひとも代わって欲しいくらいである。
「ま……やるっきゃねーか」
胸のペンダントをぎゅっと握りしめ、フィンは覚悟を決める。指令が下された以上、自分に選択権はないのだから。
城の近くの四角い池で水浴びをしていた人間に聞き込みをし、城だと思っていた建物がこの街一番のハンターズギルドの本部だという情報を得たフィンは、その正門前の広場にある公開掲示板の前へ降り立った。
「うおっ何だこのガキ……ラクリマ?」
「《塔》G3大隊所属、大隊長のフィン=テル=パセルだ! 公務中だ、わりーけどちょっと割り込ませてくれな」
フィンが名乗りを上げると、掲示板の前にいた人々は慌てて道を空けた。
《塔》の公務だと言っておけば大抵の人間は邪魔をしてこない、というのはギフティア部隊で広く知られた処世術である。普段一般人の前に出ないフィンはこれまで半信半疑だったが、実際に海が割れるように道ができたのを見て理解した。これは便利だ。
「んーと……お、これか」
細かく探すまでもなく、ナツキとリリムの手配書は掲示板の中央にでかでかと貼りだされていた。写真はなく似顔絵が掲載されており、凶悪犯に相応しい下卑た表情が描かれていた。罪状は聖窩への侵入と器物損壊、内部情報の窃盗ということになっている。
「はは、まー間違っちゃいねーか」
似顔絵を覚え、周囲に関連情報がないか他の掲示物も順番に見ていく。――とその時、
「おい」
「?」
低い声で呼びかけられ、フィンは振り返った。
奇抜な格好の男女が五人、こちらを見ていた。一人エルヴィートのように偉そうな長身の男が後ろに控え、残り四人がフィンを取り囲むようにじりじりと近づいてくる。
騎士風の鎧を纏った男。小柄なメガネ男。幽霊のような長髪女。おぞましい仮面を被った大男。四人は無言のままゆっくりと包囲を固め、やがて動きを止めた。
「な、何だよ」
「フィン=テル=パセルでありますな? ご同行いただきましょう」
「は? あんたら誰だよ……」
「なんと嘆かわしい! 自らの主たるお方の顔すら忘れてしまったのでありますか!?」
メガネ男が突然顔を覆ってわざとらしく叫ぶ。意味が分からない。
「よく分かんねーけど、オレの今の主人はエルヴィートのおっさんだぜ。あんたらじゃ――!?」
……キュィィィィィイイイイ――……
突然耳障りな音が聞こえ、フィンは思わず口を噤んだ。
最後に聞いたのはもう10年近く前だろう、しかし聞き覚えのある音。忘れられないトラウマの音。
「なんっ……!? 何で首輪が……っ」
「当然でありましょう! ラクリマが主たる人間に逆らうなど言・語・道・断!」
音の発信源は、ラクリマの証として首に嵌められた聖片の首輪。厳重命令に逆らおうとしたラクリマを強制的に気絶させるための高圧電流を発生させる、その前準備のエネルギーチャージも兼ねた警告音だ。
慌てるフィンを見て、小柄なメガネ男の隣に立っていた騎士風の男がわざとらしく溜息をついた。
「はあ、どうやら本当に忘れてしまったようだな! おい、まずはペルニコフ様を主と認めるんだ。さもなくば、気絶してしまうぞ?」
「はぁ!? んなことできるわけねーだろ!? 何なんだよさっきからその猿芝居はよ! 誰だよペルニコフってあ痛ぅっ……!」
バチン、という音と共に首筋を鋭い痛みが襲い、意識が飛びかける。雷の異能を持つ体質ゆえ感電にはそこそこ強いが、この首輪はフィン用の特別製、電圧も電流も他のラクリマの首輪の比ではない。意識を保てたのはまぐれだ。
「ああ、ほうら、言わんこっちゃない!」
「運良く気絶は免れたようでありますな。が、このままでは時間の問題でありましょう! 閣下、どうするでありますか?」
彼らの発言はその全てがわざとらしく、まるで決められた台本に沿って演技をする舞台役者達の練習に放り込まれたかのようだ。
「……仕方がない、一旦厳重命令を更新する。『我々に抵抗するな、逃げようとするな』」
だがしかし、「閣下」と呼ばれた一番偉そうな男がそう発言した瞬間、《塔》が管理しているはずの首輪は耳障りな音を出すのを止めた。
「嘘だろ……だって厳重命令は、制御権を持ってなきゃ……」
「当然、持っている。我は貴様の主なのだからな」
「そんなわけ……っ、あ? おい、何すんだよ!」
ずい、と前に出てきた小柄なメガネ男が、フィンのノースリーブシャツの裾に手をかけ、捲り上げた。
「デュフフ……身体検査であります」
「やめっ、何だよ! ひぁ、そんなとこつまむなっ、このやろッ――」
「『抵抗するな』」
キュィィィィイイイイ……
腹や胸を妙な手つきで撫で回すメガネ男の腕を掴んで押しのけようとした瞬間、首輪がまた鳴り始めた。
この男たちのすることを邪魔しようとすれば、首輪に意識を刈り取られる。それが分かってしまった。フィンが持つ雷の異能であれば、恐らく首輪のエネルギーチャージより早く男たちを無力化できるが――
(クソッ……まだ無理だ)
公務執行妨害に対する緊急対処で人間に対して異能を使うことは許可されている。しかし神獣との戦闘中以外で「緊急」と見なされるのは、放置すれば自分が星に還ってしまったり後遺症が残ってしまうような状況だけだ。それ以外は《塔》に通報しつつその場から離脱することが求められる。
離脱能力に関して言えば、空を飛べるフィンはかなり秀でている。しかしそれも「逃げようとするな」という厳重命令で防がれてしまった。なぜ主でもないはずの男が厳重命令を扱えるのかは不明だが、事実として首輪は起動し、電流を発生させた。
この状況での正解は――
「…………分かった、何でもいいから早くしてくれ」
「おほっ、素直で結構なことでありますな」
抵抗をやめ、男たちの気が済むのを待つ。後遺症が残りそうなことをしてくれば反撃できるが、恐らくそのラインは越えてこないだろう。隙を見て通信機で《塔》に通報し、救助を待つしかないか。
「はぁ、はぁ……イイ……イイでありますねぇ……!」
荒い息と汗ばんだ手が肌の上を這っていく。どうやらこのメガネ男はフィンの体に触れることで興奮しているようだ。人間が異性の裸体に興奮するというのは知識として知っているが、それは生殖のための機能のはずだ。ラクリマであり、人間基準では未成熟な子供の姿であるフィンの体に触れたところで意味は無いのではないか。
そんな冷静な疑問が浮かぶ一方で、先程からざわざわと鳥肌が止まらない。ただただ、気持ち悪い。理由は全くもって不明だが、何か本能のようなものが、この醜悪な男から一刻も早く逃げなければと訴えている。
(クッソ……何なんだ。やめやめ、冷静に、現状把握と対応策……)
これでも運用年数12年の大隊長、緊急事態の対処など何度となくこなしてきたのだ。雑念を捨てて冷静になれ。そう自分に言い聞かせ、謎の気持ち悪さを全力で無視しながら、フィンは凪いだ心で周囲を見回す。
多くの人間がすぐ近くにいるのに、誰一人としてこの男たちを止めようとしない。嫌悪の籠った視線をメガネ男に向けてはいるが、騎士風の男が睨みつけると一斉に視線を逸らし、その場から離れていく。
(戦わねー人間って……こんなんなのか。エルヴィートのおっさんの方がまだマシだな)
フィンの普段の仕事場は戦場だ。ヘルアイユやアヴローラ、つまりホロウベクタの迎撃網の外側に出ることも多い。そういう戦場の最前線で出会う人間は皆、人間とラクリマの立場の違いは前提としつつも、共に戦う仲間として接してくれた。戦い護る能力こそが正義であり、信頼の証だった。
しかしここでは、ラクリマは単なる人形。公衆の面前で人形を撫で回す変質者がいて、それを気持ち悪いと思う人はいても、人形を助けようと思う人はいないのだ。
ましてギフティアは、異能という危険な能力を持つ、《塔》の名のもとに自律行動を許可されているだけの、模造人格で包まれた殺戮兵器。誰も近づいてこないのも当然だ。
「フーッ……フーッ……ギフティアの柔肌……デュフ……」
「おい、身体検査はもういいんじゃないか? 後でいくらでもできるだろう」
「む……分かっていないでありますな、公衆の面前であるからこそ……」
「閣下がお待ちだ」
「あ……ああ、そうでありますな。しかし身体検査の結果、あるものが見つかったのであります」
「あるもの?」
フィンの股下から手を抜き、メガネの男は再びシャツの中に手を突っ込んだ。また胸を弄り回されるのかと思いきや、彼が掴んだのは――
「あっ……やめろ、それは!」
「この者、奴隷の分際でこのような装飾品を身につけているであります!」
勢いよく引かれ、首の後ろでブチッ、と紐が切れる。メガネの男が高く掲げたそれは、フィンがずっと身につけていたペンダント。
この世に二つしかない、自分の体や命より大切な、絆の証――
「返せよッッ!!」
冷静な状況判断など瞬時に捨て去り、激情のままに手を伸ばす。キュイイイイ、と首輪がかつてないスピードでエネルギーチャージを始める。騎士風の男に後ろから羽交い締めにされ、ペンダントに手が届かない。メガネの男がニチャアと笑い、わざとらしく緩慢な動作でペンダントを振りかぶり、
「ゴミはゴミ箱に、ポーイ、であります」
「ぁ……」
世界がスローモーションになって見えた。
目の前で、大切なペンダントが、大きな放物線を描いて飛んでいく。
向かう先に地面は無い。石橋の縁の向こう側には、広く深く口を開ける、真っ黒な海しかない。
「っぁああああッ、やっあ、がァあああぁッ――!!!!」
どれだけ泣き叫んでも、誰も助けてくれはしない。
そう悟ったはずなのに、現実を受け入れることを魂が拒否している。異能を使うか。無理だ、条件が合わない。それでも、それでも、キュィィィィイイイイッ――……ああ、もう間に合わな
「《気迫》ッ!」
――血色の稲妻が閃き、銀色の風が吹いた。
「……え?」
一瞬の出来事だった。
まず首輪の音が止み、次いで騎士風の男の拘束が緩んだ。
銀色の風が吹き抜けると、通り道にいたメガネの男が数メートル吹き飛び、おぞましい面の大男と幽霊のような女、偉そうな男も地面に叩きつけられた。
風はそのまま石橋の縁を越え、今まさに視界から消えようとしているペンダントを追いかけて、落ちていった。
「ま……待っ、ちょ……!」
拘束を振り解き、とっくに気絶していた騎士風の男を地面に捨て、慌てて石橋の縁へと駆け寄る。見下ろした先、さらさらとした銀色の風がペンダントを空中で手繰り寄せ、ふわりと包む――それを確認する前にフィンも飛び降りていた。
やがて下層の空中水路に水飛沫が二つ上がり、フィンが水面に顔を出すと、
「ぷはっ! ……あ、キミも落ちてきたんだ」
同じように顔を出した銀色の風――否、銀色にきらめく髪の少女が、こちらに気づいて腕を伸ばし、
「はいこれ、大事なものなんでしょ? 壊れてないといいけど……」
その優しい笑顔に触れて、フィンは悟った。
この救う価値もないような腐りきった世界にも、まだ光はあると。
それはまさに今目の前で、少女の姿で燦然と輝いているのだと。