転生勇者、転生する Ⅱ
惑星ラグナ最大の人間族国家、ヴィスタリア帝国。その首都エルヴィスには、帝城の敷地に隣接、というよりめり込む形で、ラグナにおける学問の最高峰、ヴィスタリア帝立学院がその門を構えている。
ヴィスタリアが興隆し、今なお栄え続けているのは、その学問への惜しみない投資あってのことだ。帝立学院では、下は四歳から上は制限なく、帝国の民であれば誰でもその門をくぐり学びを得ることができる。
入学試験などがない分進級の壁は高いが、順調に進級している間は学費も発生しない――そんなシステムのおかげか、帝国の子供たちの識字率や基礎計算能力の高さは他国の比ではない。日本で言うところの義務教育のようなものだ。
勇者としての旅を終えたナツキは、学院の師匠の下で『練気術』の研究をする傍ら、初学者向けの基礎講義も請け負っていた。地球で言うところの、大学の助教くらいのポジションだ。
「……と言うわけで、練気術を扱うためには、まず『根源の窓』を開く必要があるわけだ。ここまで、なにか質問はあるか?」
「はい、勇者様!」
「……リシュリー、お前な」
学問の場において、身分を語るは無粋。学のみで己を誇るべし――そんな方針のもと、学院内では王族・貴族・平民が全て同等に扱われ、権力を振りかざすのは重大な校則違反になっている。
逆に、他人を学に関係のない地位で評価し持ち上げるのも、学院では失礼にあたる。度が過ぎる場合、学友の驕りを招く行為として、これも校則違反だ。
謙って偉い人と接することも、偉い人として扱われることも苦手なナツキとしては、身分を気にする必要のない学院はとても良い職場だった。
が、やはり救世の勇者ともなると、校則も悲鳴を上げ始める。特にまだ幼い子供たちの中には、学問の探求など二の次で、有名人に会うことが学院に通う主目的になってしまっている者も多い。
勇者様呼ばわれは日常茶飯事だし、講義中でなければナツキもうるさくは言わないが――今は講義中で、しかも相手が相手だった。
「『勇者様』はやめるようにと申し上げましたよね、リシュリー第一王女殿下? 校則をお忘れで?」
ナツキがわざと敬語で窘めた相手は、帝国第一王女リシュリー=エルクス=ヴィスタリア――すなわち、帝国の次期女王となる、恐らく今この学院において最も地位の高い生徒であった。校則がその地位をも建前上は無効化しているとはいえ、国民の規範となるべき立場にあることに変わりはない。違反があればちゃんと窘めるようにと、教員会議でも言われているのだ。
「う……ですが、あなた様はわたくしのあこがれの、その……うんめーの人、でございますのよ? こーそくなんて、こーそくなんて……愛の前には、むいみでしゅわっ!」
幼いリシュリー王女はぷんすこ怒りながら席を立ち、教壇に立つナツキをビシッと指さして愛を語った。周囲の席から、微笑ましいものを見る眼差しと共に、控えめな笑い声が漏れ聞こえてくる。が、本人は決めの部分で噛んだことすら気づいていないようで、見事なドヤ顔であった。
「お気持ちは嬉しいですがね、殿下はまだ、6歳でしょう?」
「あら。としのさなんざかんけーねー、どんどんあたっくしてやることやんなきゃにげられちまうぜ! ――と、お父様がもうしておりましたわ」
「あんのクソ野郎」
「うふふ」
国王、これから国を背負って立つ王女に何を吹き込んでやがる。
ヴィスタリア帝国は、歴史的には男性優位の国だ。しかしここ百年ほどで男女の身分差はなくなり、王位も性別を問わず第一子が優先継承権を得るようになった。
ちなみに、これは教会の制度に倣った形だったりする。教会の発言力が国を変えるほどに膨れ上がっているということでもあり、喜ばしいことばかりではなかったりするのだが……それはさておく。
昨年、魔王軍の撃退を記念し、新たな時代の夜明けということで少し早めの王位継承が行われたのだが――新国王、つまり元第一王子であるイヴァン=アルクス=ヴィスタリアは、なかなかの性格をしていた。
何故ナツキがそんなことを言えるのかと言えば、魔王軍との戦いでよく轡を並べていたからである。戦いのセンスにおいては他の追随を許さない武人で、良きライバルでもあったが、人間として好ましいかと言えばむしろ嫌いだった。
端的に言えば、好色が過ぎるのである。何度歓楽街に誘い込まれたことかと、ナツキは一年前を思い返す。
「いいかリシュリー、イヴの言うことはな、耳に入ったらそのまま反対の耳から出すくらいで丁度いいんだ」
「勇者様はそんなこともできるのですか!?」
「比喩だ、比喩。例え話。はぁ……で、質問は何だよ」
口調を普段通りに戻し、本題を促す。これ以上国王をクソ野郎だのなんのと言っていると解雇されかねない。
リシュリーも一転、居住まいを正して真面目な顔になった。ミーハーな面もあるが、成績は優秀で探究意欲も高い、模範的な生徒なのだ。基本的には。
「あ、ええと……根源の窓、と先生はおっしゃったけど、『根源』っていったいなんなのでしょう?」
「いい質問だ。それはな、俺も知らん」
「先生にも分からないことがあるのですか!?」
リシュリーが信じられない、と口を手で覆う。
根源の窓は、魂に重なるようにして存在する、別次元との接続口だ。そこから謎の異次元エネルギーこと「気」を引き出して練り上げ、既存の物理法則に干渉する魔法体系を、総じて「練気術」と呼ぶ。ラグナでは、星のマナを用いない特殊な魔法体系として知られている。
根源とは何なのか、魂との関連性はあるのか。そもそも魂とは何なのか――それはラグナの魔法科学でも未解決の難問であり、ナツキの師匠が何十年も研究を続けている対象でもある。
「そりゃあるし、むしろ分からないことだらけだ。そういう、まだ誰も知らない謎を解き明かしていくのが、俺たち研究者の仕事ってわけだな」
「研究者の、おしごと……」
「ああ。いつかきっと、リシュリーの疑問にも答えられるようになる。俺がしてみせる。だからそれまで待っててくれよ」
そう言ってナツキが笑うと、リシュリーが一瞬ビクッと震え、胸にそっと手を当てた。
「……今、おむねがきゅんってしましたわ」
「へいへい。で、まあ、証明されてないだけで仮説はいくつかある。お前らにはまだ難しいから簡単にふわっと言うとだな……ん、どうしたキルエ?」
しらっ、とした目でナツキを見て手を挙げる別の女子生徒に気づき、促すと、
「そーゆーとこだと思います、先生」
それっきり黙ってしまった生徒に、ナツキは首を傾げた。
☆ ☆ ☆
「……ってことがあったんだが、どういう意味だと思う?」
昼休み、ナツキは学院の中庭に置かれた丸テーブルで昼食を取っていた。今日は汗ばむくらいの陽気だが、中央に刺さったパラソルが日陰を作ってくれている。
椅子は4つあり、埋まっているのは3つ。ナツキと、対面に座った少女、右隣に座った青年。左隣もそのうち埋まるだろう。いつものメンバー――世界を救った勇者パーティだ。昼休みはいつも、思い思いに昼食を持ち寄って集まることにしている。
「……えと。そういうところだと思います、せんぱい」
「……うーん、そういうところだね」
ナツキが今朝の一幕を話すと、二人からはしらっとした視線と似たような言葉が返ってきた。
「な、なんだよ」
「いえ、いいんです。せんぱいは今のままでいてください」
そう言ってぷいっと顔を背けた少女は、トスカナ=Q=ユーフォリエ。今年で13になる、パーティ最年少の魔術師だ。回復や強化、妨害に特化した支援魔法のエキスパートであり、彼女がいなければ瓦解していた戦線はあまりにも多い。文字通り、パーティの生命線だった。
髪はふわふわ茶色のセミロングヘアのワンサイドアップ。花を模した髪飾りで留めたそれが、頭を動かした勢いでふわふわと揺れた。
ナツキと同じく転生者だが、出身は地球ではない。その証拠に、彼女の耳は地球人よりかなり長い。いわゆるエルフ耳だ。
「あのねえナツキ、キミはもう少し乙女心を学ぶべきだよ」
「乙女心って……エクセルお前、何を勘違いしてんのか知らんけど、リシュリー王女は6歳だぞ」
「おっと、これはいけないな。レディの年齢を軽々しく口に出すものではないよ」
「6歳だぞ!?」
やれやれ、と肩をすくめるキザな白髪長身のイケメンは、エクセルノース。ナツキと同い年なので、今年で20のはずだ。姓名の明確な区切りはなく、無理して分けるならエクサ・ユノスになるらしいが、愛称はエクセル。表計算ができそうだと言ったら変な顔をされた。当たり前である。
トスカナとは対照的に、攻撃魔法のエキスパートである。精密さの要求される光収束魔法、平たくいえば高出力レーザービームを使いこなし、数々の戦場で敵を薙ぎ払ってきた男。
やはり転生者だが、ナツキともトスカナとも違う世界から来たという。故郷はあまり好きではないようで、詳しいことは未だに聞けないままだ。
むすー、とそっぽを向いていたトスカナだったが、二人の会話に思うところがあったのか、「あのー」と手を挙げた。
「せんぱい、わたしもついこの間知ったんですけど……この世界の貴族社会だと、6歳ってそろそろ結婚の話が出る時期みたいですよ?」
「は……結婚!? え、マジで言ってる?」
「はい、えと、クラスに同い年の貴族の子がいるんですけど……7年間お付き合いした相手とようやく来月式を挙げるのよ、って……いいなぁ、結婚式。わたしもいつか……」
ほわあ、とトスカナの表情が崩れる。空想の世界に旅立ってしまったらしい。
「政略結婚ってやつかな。貴族社会も大変そうだよね」
エクセルの補足が入り、なるほどと頷く。恋心なんか無視した政略結婚なら、普通の話なのかもしれない。となると、勇者なる巨大な地位を押し付けられたナツキ達にも、真面目に政略結婚の話が持ちかけられることが有り得るというわけだ。……6歳の子供との。
仮にリシュリー王女から真面目に求婚された場合――とりあえず十年待て、が正解だろうか。というかその場合、あの色ボケ国王が縁談を持ちかけてくるのだろうか。……頭が痛い。
「ま、心配しなくても、僕らが王家や貴族の政略結婚に巻き込まれることはないんじゃないかな?」
まるでナツキの心を読んだかのように、エクセルが助け舟を出した。
「そうか? 自分で言うのもなんだが……俺らってもはや国王レベルじゃないか? 地位も名声も」
「それはね。でも彼らは地位や名声とは別に、子孫を残す必要があるだろう?」
「ん? そりゃまあ……あー。なるほど」
ナツキとエクセルが納得して頷き合うも、トスカナは目をぱちくりさせていた。
「えと、どういう意味ですか……? 子供、作ればいいじゃないですか。その、せ……、……。え、え……えっちなこと、して……。……あの。なんでもないです」
ぷしゅぅ、と顔を真っ赤して俯いてしまった。
対等な立場で話しているとは言え、トスカナはまだ13歳、多感なお年頃である。話の流れで何も考えずに思ったことを口走ろうとして、自爆したようだ。
「や、そういう話じゃなくて……いや、まあそういう話か?」
「うーん。そもそもカナの場合、基礎知識から教える必要があるかもしれないね」
「よーし、手取り足取り教えてやるか」
「ふぇっ!? な、ななっ、何を教えるんですかぁっ……!?」
ずざざざざ、と自分の身体と杖を抱きしめながら椅子ごと器用に1メートル後ずさるトスカナ。
これは面白くなってきたぞ、とナツキが呟くと、エクセルは困ったように笑った。