動き出す陰謀
その日、私は数人の同僚と共にペルニコフ閣下の近衛をしていた。
閣下の船がジーラ大陸はネーヴェリーデに入港してから三日、商品の競りや得意先との取引も恙無く済み、あとはこちらで仕入れた品を我らがプルタネルフ自治区へ持ち帰るだけ。そのタイミングで閣下は「散歩」に行かれることを宣言された。
いつものことなので、我々近衛達も心得ている。それがただの散歩ではなく、公的には存在しないことになっている「商品」を仕入れにいく「狩り」であることを。
「閣下……やはり私は御身が心配であります」
船内から甲板へ向かう途中、一人の小柄な近衛が閣下にそう提言した。無言でギロリと睨まれながらも、彼は屈せずに発言を続けた。
「ここは《塔》の本拠地に程近い街……普段ならばいざ知らず、このような情勢下で閣下自ら『狩り』に興じられるというのは、いささか危険だと思うであります」
「愚問。その危険を排除することこそ、貴様らの務めだろう」
「承知しているであります。しかし、通りがかりの聖騎士などに出てこられては、いかに我々と言えど……人は神域の化け物に抗えないのであります。恐れながら、時間を稼ぐことすら……できるかどうか」
「…………」
私にも彼にも、近衛に選ばれた者としての覚悟がある。彼とて普段ならば黙々と職務に励んだことだろう。
しかし今回ばかりは、彼が弱気になってしまうのも無理のないことだった。何せついこの間、《塔》は史上初の大規模テロによる攻撃を受けたのだ。噂によれば実行犯はかの聖騎士長エルヴィートと互角に戦えるほどの手練で、今も逃走中だという。《塔》が本気でその犯人を捕まえる気なら、聖騎士がその辺りをうろついていてもおかしくはないのだ。
「……フン、何を言うかと思えば」
しかし私は知っている。その程度のことで閣下がその歩みをお止めになることはないと。
「狩りとは本来、命の駆け引きだ。安全な場所から引鉄を引くだけでは何の面白みもない。そう思わんかね」
「それは……」
「貴様の恐怖は正しいが、私はその恐怖をこそ求めている。死の恐怖の中にこそ、真の歓びはあるのだ」
閣下は淡々と語られる。その言葉は客観的には狂人のそれだが――だとすれば、閣下の考えに心酔してここにいる私も狂人なのだろう。
「ゆえにビジネスではなく遊興として『狩り』をするのだ。貴様らとて、私の護衛などという大義名分の下、己が遊興のために同行するのだろう?」
ニヤリ、閣下の口元に笑みが浮かぶ。
この御方の前で、己が欲望を隠すことなどできない。そして閣下はまさに、その欲望をこそ我々に求めているのだ。
「……その通りであります、閣下」
先程の提言をした近衛の口にも黒い笑みが浮かぶ。恐らく背後にいるもう二人の近衛も、そして私も、同じ顔をしているのだろう。
「ならばその欲を以て炎とせよ。恐怖に惑わされず、己が遊興を貫け」
「ははっ!」
「《蝙蝠》の話を聞く限り、此度の『狩り』は長丁場になる……命がいくつあろうと足りぬと思え。魂を、欲を、己が全てを――高く燃え上がらせるのだ」
フフ、と閣下は愉快そうにお笑いになった。
これまで我々と共に数々の「狩り」に興じてきた閣下があえてそのような忠告をするということは、今回は本当に普段のものとは異なる危険なものになるだろう。そしてきっと、その全く見えない生死の未来図に思いを馳せ、閣下は愉しんでいらっしゃるのだろう。
「閣下……今宵ノ狩りハ、いか二?」
別の近衛が閣下に問いかけた。
金属製のおぞましい意匠のマスクで顔を覆う彼は、いわゆる戦闘狂である。ただ強者と命の駆け引きをすることのみを悦びとしている彼が近衛としてついてきているのは、閣下の「狩り」の標的によっては普段経験できないほど熾烈な戦闘が巻き起こるからだ。
「此度の標的は5。うち3は努力目標とする」
「努力目標とハ……閣下二してハ、控えめな表現ダ」
「言葉通りだ。此奴の言うとおり、人は神域の化け物に抗えぬ。生存の可能性が一片もなければ、恐怖は絶望となる。それは私の渇きを癒す遊興の形ではない」
「まさカ……それほどノ品ガ?」
「さてな、《蝙蝠》が話を盛った可能性は否めんが。少なくとも一筋縄ではいかぬだろうな」
「フフ……フ、楽しみダ」
閣下は多くを語ってはくださらないが、不満はない。我々にも未知という名の遊興を分け与えてくださっているのだ。
「まずは平易なものから片付ける。2のうちの片方、これは貴様らの好きにするがいい」
そう仰った閣下は、一枚の紙切れを我々に手渡された。そこに印刷されていた写真と、その説明文を読み――
……閣下、恐れながら、これは3の方のいずれかではありませぬか。
そう問い質したい気持ちを必死に抑える。閣下は我々に渡される前に紙を一瞥していらっしゃった、間違いなどではないのだ。ならば、代わりに確認すべきことは他にあった。
「閣下、本当にこれを……我々の好きにしていいと仰るのですか」
「デュフ、フ……それは何たる、何たる……幸福でありますか」
「これハ……狩り甲斐ノある獲物ダ」
「ウヒ……ウヒヒヒヒ……ねぇ、ねぇ……ぶっ壊しちゃってもいいわけぇ?」
私を含む近衛全員が、信じられないという表情で閣下のご様子を伺った。
幽霊のような長髪を揺らし、ニタリと酷薄な笑みを浮かべながら物騒なことを聞いた四人目の近衛は、もとは猟奇殺人鬼だった女だ。子供を攫っては拷問じみた方法でじっくりと殺す、それが彼女の求める幸福の形である。
当然社会がそれを許すはずもなく、自治区を挙げての捜査の末に捕まり、処刑されることになった。そこを閣下に拾われ、以降は閣下のもとで「そういう」仕事に精を出している。
彼女の欲は本来「狩り」では満たせないものだ。しかし閣下は彼女の人攫いとしての感覚を高く買っており、その能力を借りる代わりに「褒美」を与えている。
もっとも今回のように、「褒美」は「狩り」の途中でついでに収穫してしまうことが多いのだが――今提示されたそれは、本当に彼女が消費してしまっていいものなのだろうか。
訝しむ我々に対し、閣下は薄く微笑まれた。
「二言はない、最後まで使い切ればいい。だがより興を求めるのならば……そうだな、2のうちのもう片割れを手に入れるまでは、一切の傷を付けてはならぬとしようか。こちらはもう《蝙蝠》と話がついているゆえ、狩りとは言えんがな」
そう仰りながらちらりと見せてくださったもう一枚の紙を見て、我々はその制限が興足り得る理由を悟った。
「ほほう……これはこれは……いいショーが観られそうです」
私は舌なめずりをする。様々な「プラン」が脳内を駆け巡っていく。
「それは今は《鐘》の子飼いだ。読めば分かるだろうが、非戦闘用個体とはいえ《イーター》の準備は怠るな」
「「ははっ」」
「さて……我が同類達よ、己が炎は熾しきれたか?」
その言葉に、我々の興奮は最高潮に達する。無意識のうちに全員がその場に跪き、閣下に頭を垂れていた。
「「御意に、ペルニコフ閣下」」
思わず私が手から離してしまった一枚目の紙切れが、遅れてパサリと甲板に落ちる。
G-P3-F003
識別名:Fin-3-PASEL
所属:G3大隊 大隊長
異能:エレクトロキネシス
状態:B8/Y20/R1
そんな無機質なプロフィールの横には、満面の笑顔でダブルピースを向けるパセル種のラクリマの姿が大きく印刷されていた。
「今日の昼過ぎ、それはハンターズギルド《竜宮城》の正門前広場に現れることになっている」
上空、今まさに甲板に向けて降りてくる船舶乗降用クレーンリフトの、そのさらに向こう。閣下は何もないはずの空の先を見据えて宣言された。
「さあ……遊興を始めようか」
☆ ☆ ☆
「やあ同胞、調子はどう?」
「《蝙蝠》……えぇ、アナタ今までどこをほっつき歩いていたのですかぁ?」
カン、カン、と靴音を反響させながら、《蝙蝠》と呼ばれた男は錆びた金属の階段を降りていく。
「ひどいなあ、俺も仕事だよ。自治区の連中とちょっとね」
「ほう……? なにか儲け話でも?」
「仕込みの類さ、彼らにも作戦の駒になってもらおうと思って。……そうそう、儲け話といえば、君らの『ビジネス』の方はどうなんだい?」
二人の男の会話はごうごうと流れる水音に溶けて消えていく。この空間に彼ら以外の人間はおらず、誰一人としてその密談を聞き取れる者はいなかった。
「えぇ、えぇ、順調ですよ。アナタに投資した分はとっくに回収済み、ずいぶんと儲けさせていただきましたよぉ! アナタ、《鐘》の底力を甘く見ましたねぇ?」
「はは、まさか。俺も君達に投資してるんだよ、《祭司》殿。……フィルターの調子はどうだい?」
「えぇ、まだまだ使えますよ……何せまるで分かっていないですからねぇ!」
《祭司》と呼ばれた男は下卑た笑みを浮かべ、至極愉快そうに答えた。それに対し《蝙蝠》は素直に驚いた様子で、
「へえ? まあもともとそういう個体を選んだってのはあるけど、その運用能力はさすが《祭祀場の鐘》、あの違法アングラドールプロバイダーを闇市の外で数十年もたせただけはある……と言うべきところかな」
それは《蝙蝠》にとっては賞賛だったようだが、《祭司》からはスッと笑みが消えた。顔を伏せてわなわなと震えだす。
「ふふ、ふ……今やそれは褒め言葉ではないんですよぉ! あんのクソ狐に、乳臭い小娘に事業ごと潰され! あまつさえ投獄され! えぇ、アナタの口利きですぐ釈放はされましたがねぇ、評価はだだ下がり、危うく幹部から下ろされるところでしたよぉ!?」
「おっと、はいはい、だから復讐なんだろう? 分かってるよ。悪いけど俺にも立場ってもんがあるからね、君のお上のご機嫌取りまでは手が回らないよ」
爆発した《祭司》をどうどうと宥める《蝙蝠》の顔には、如実に「めんどくせえな」という感情が滲み出ていたが、過去の屈辱を睨み続けている《祭司》は気づかなかったようだった。
「気持ちは理解するけど……あんまりやり過ぎると、狐が来る前に虎が罠を踏み壊しちゃうかもよ?」
「……えぇ、引き時は弁えていますよ。今回の件が終わればこの街からは撤退します。そろそろ虎がこちらの尻尾をつかみ始めてますからねぇ……」
「流石にその辺りは冷静だね。でも、使い終わったフィルターはきちんと返してもらうよ」
「えぇ、そういう契約でしたからねぇ。ふむ……再契約は可能ですかねぇ? 今の契約の倍出しますよぉ?」
「はは、そう言うと思ったよ。でも生憎、先約が入ってしまっていてね。人気商品なのさ」
「でしょうねぇ。えぇ、最初から買い切りで契約しておけば良かったと後悔していますよ。……さて、本題に入りましょうか」
肩を竦めて話題を打ち切り、《祭司》は黒い笑みを浮かべた。それに応じて《蝙蝠》も口の端を上げる。
「こちらはちょうど今、釣り餌を用意しているところです。今晩には釣り糸を垂らしますから……えぇ、明日には始めて構いませんよぉ」
「釣り堀に魚を追いやって、釣られた魚を生け簀に投げ込むのは僕の役目、と。生け簀は用意したかい?」
「えぇ、もちろん。……自治区を使うと言っていましたが、信頼できるんでしょうねぇ?」
「ああ、自治区の中でも彼らは特に欲に正直だからね。目の前に餌をチラつかせれば我を忘れて飛びついてくる」
「欲に正直……ああ、ペルニコフの一派ですか。適任ですねぇ。……と、それはそれとして」
《祭司》はふと黒い笑みを浮かべ、《蝙蝠》に視線を送った。
「……本命のほうもよろしく頼みましたよ、《蝙蝠》。所属も素性も一切不明なアナタの、あるいはアナタの上司の『ナツキを殺す』という目的に曇りがないことだけは、ワタシも信用しているんですからねぇ……!」
「はは、抜かりはないよ。でも……なるべく君のところで仕留めてくれると、仕事が減って助かるかな」
じゃあまた明日、と軽く手を振って《蝙蝠》が空間を出ていき、ごうごうと流れる水音だけが残った。
《祭司》は一人、長い螺旋階段を登っていく。
螺旋の中央を貫いて落ちていく太い水の柱からは、時折白いうなぎのような魚が飛び出してくる。慣れた手付きでそれを払い落としながら、彼は螺旋の先、空間の中心へと向かう。
それは形容するならば、無数のパイプによって空中に繋ぎ止められた金属の繭玉、といったところだろう。その奇怪な構造体の中に入っていった彼を出迎えたのは、同居人の少女だ。
「あらご主人くん、おかえりなさい」
「おや……帰っていましたか」
「ええ、ちょうど今帰ってきたところよ、ただいま。……うふふ」
少女はふわりと優しい笑みを浮かべる。《祭司》はにこやかに作り笑顔を向け、優しげな声をかけた。
「えぇ、ご苦労様でした。随分とご機嫌ですねぇ」
「そうかしら? そう見えるなら……最近はご主人くんがいつもネーヴェリーデにいるからかもしれないわね。毎日こうやって挨拶ができるのはとっても嬉しいことだわ」
「おや、まだアナタを置いていったことを根に持たれていますねぇ。えぇ、ワタクシは様々な事業を手がけていますから、ずっとこの街にいるわけにはいかないのですよ」
「もう、そうじゃないわ、皮肉に取らないでちょうだい。ご主人くんが頑張っているのは私が一番知っているもの。誇らしく思うことはあっても、文句なんてないわ」
少女の受け答えは本心からのものだ。彼女にとって《祭司》は、各地に事業を展開する有能な多角経営者であり、尊敬に値する存在――そう思われるように《祭司》自身が演技し、誘導している。
「そういえば、助手ちゃんはどうしてるのかしら? 最近姿を見かけないのだけれど」
「あぁ、彼女は――」
少女が言っているのは、《祭司》がフィルツホルンのレンタドール社でアイシャ=エク=フェリスに関するあれこれを進めている間、ネーヴェリーデでの仕事を任せていた「元」部下のことだ。甘いやり方でいくつも痕跡を残してしまい、《水魚の婚礼》に不審の目を向けられる原因となった彼女は今――
「――休暇ですよ。今頃は、海を漂っているのでしょうねぇ」
「あら、バカンスね! 疲れていたみたいだし、ゆっくり羽を伸ばせるといいわね」
少女のその願いは叶えられるだろう、と《祭司》は頷く。彼女は今、海を漂う肉片となって、未来永劫続く人生の休暇を取っているのだから。
「さて、アナタの集客のほうは……問題なさそうですねぇ」
《祭司》の視線が少女の背後へ向かう。そこに置かれたソファには、彼女の「お客さん」が一人座らされていた。それを指して少女は得意げに微笑む。
「ええ、見てちょうだい、ちゃんとあなたに言われたとおりのお客さんを見つけてきたわ。偉いかしら?」
「偉いですよぉ! 何かご褒美をあげないといけませんねぇ……」
「うふふ、ありがとう。でも知ってるでしょう、私の望みは一つだけ……他にご褒美なんていらないわ」
「えぇ、えぇ。実はその件について朗報がありますよ」
「朗報? 本当に?」
少女が目を輝かせる。
「えぇ、あなたの探し人が今、ここネーヴェリーデに来ているようです」
「そうなの!? ねえご主人くん、私、今から探しに行ってもいいかしら!」
「残念ですが、あなたを表街に出すわけにはいきません。……ご安心なさい、契約通り、ワタクシが連れてきて差し上げますよ。えぇ、明日か明後日には相見えることでしょう」
「うぅ……待ち遠しいけれど、仕方ないわね。10年以上待たされたんだもの、数日くらい誤差だわ」
「えぇ、聞き分けが良くて助かります。今はあなたの仕事に集中を。さぁ、早くその方も『癒やして』差し上げてください……」
促された少女は笑顔でひとつ頷き、「お客さん」の隣に腰掛ける。
少女にそっと抱きしめられ、意識のない「お客さん」の少しピンクがかった金髪がふわりと揺れた。




