幼女、観光する Ⅰ
それは出港二日前の朝のことだった。
「え、休み?」
「おうッ! お前ら働きすぎだぜッ!」
さて今日も労働労働、立つ鳥跡を濁さず、と支度をしていたナツキ達の部屋におやっさんが押しかけてきた。あと五分早く来ていたら着替え中だったリリムのメスが飛んでいたところだが、それはともかく、彼が持ってきたのは休暇だった。曰く、ナツキ達の働きっぷりがあまりにも良すぎて他の労働者達の仕事が枯渇しつつあるらしい。
「裏船頭に渡す金はもう充分だぜッ、……ってか例の包丁代だけで想定の20倍黒字だぜ。この一週間、裏街なんか入ったこともねえはずの表街の老舗連中がぞろぞろ来やがった……」
「ふふん! ハロのおかげ!」
見事なドヤ顔で無い胸を張るハロだったが、しかしすぐ心配そうに眉を下げた。
「でもおやかたさん、ハロたち、まだお魚さん見つけてないよ……?」
「そうなのです! お水が詰まったままだと、ここに暮らしてる人達が大変なのです……」
水路の水量異常の問題はまだ解決していない。休んでいる場合ではないのではないか、とアイシャも追随するが、おやっさんは「それについては気にすんな」と一蹴した。水路も引き入れ口もシロなのであれば、余所者であるナツキ達が調べて分かるような問題ではないということらしい。
闇の深そうな話にはなるべく首を突っ込まない、というのは最初に皆で合意していたことだ。深追いはやめておこうと頷き合う。
「つーわけで休みだぜッ! 明日の夜に『部屋』に入ってもらうが、それまで好きにしなッ!」
部屋、というのは密航のためのコンテナを指す隠語だ。大型貨物類は出港前日の深夜に詰め込まれるので、その直前にわざと空にしてあるコンテナに忍び込むのである。
「了解……でも休みって言われても、引きこもってにー子と遊ぶくらいしかやることがないよ」
「にぁ!?」
目を輝かせて顔を上げるにー子。それはそれで幸せな時間になりそうだが、これから二日間ずっとこの何も無い部屋でにー子と全員で遊び続けるというのも芸がない。どうしようか、と顔を見合わせる一行に対し、おやっさんは「まぁそうなるだろうな」と頷き、
「だがしかしッ! 俺様は気が利く漢ッ!」
「うわっ、いきなり何――」
突然叫んだかと思うと、懐から取り出した様々なものを石机に並べ始めた。
――変な石が一つ、コルクつきの空の試験管が三本、《水龍軒・特別優待券》が二枚、《裏街商売許可証》が一枚。
「全部やる。好きに使えッ!」
「あ、ありがとう……いや待って、半分くらい意味不明なものが混ざってる! 何この石と試験管!?」
石は水銀のような滑らかな光沢を帯びており、ぼんやりと淡黄色に明滅している。人工物、というか聖片だろうということは分かるが用途が不明だ。試験管に至ってはまさに小学校の理科室にもあるただの試験管である。
「それは水質調査用の試験管だなッ」
「何でそんなものをボク達に」
「観光ついでに採ってきてくれ。表に出るならついでになッ」
「結局仕事なんじゃん! 別にいいけどもう足りてるんならお金取るよ……ん? 表?」
ここネーヴェリーデで表、裏と言えば表街と裏街のことである。しかし今のナツキ達は《塔》や警察に追われる身であり、事件から一週間も経過した今、捜索の手がここまで伸びてきていても不思議ではない。表街に出るのは極力避けるべきだ。
「ここと、ここと、ここだぜ。ついでに《水龍軒》はここだ。よろしくなッ」
そんなナツキの内心など知ったことかとおやっさんが続けて渡してきたのは、四箇所に印のついた地図――もとい、ネーヴェリーデの観光パンフレットである。当然、表街の。
「え、おやっさん、ちょっと」
「あーそうだな、ついでにスタンプラリーも」
「ちょっと! 待って!」
カラフルでファンシーな絵柄のスタンプラリーシートを渡そうとするおやっさんの手を全力で押し返す。
「なんだ?」
「あのね、聞いてると思うけどボク達あんまり表に出られない状況で」
「おう、知ってるぜッ! そういや昨日酒場で聞いた噂だけどよ、リリムにナツキ、お前らの指名手配も始まってるらしいぜッ」
「そうなの!? じゃあなおさら――」
「だからほら、奮発してやったじゃねえか」
そう言っておやっさんが指し示す先にあるのは、淡黄色に光る謎の石だ。一体何の関係があるのかと聞き返そうとするナツキの肩を、リリムの手が叩いて止めた。
「リリムさん?」
「親方さん、これ……本物?」
「ああ、本物の変化石だぜッ。つっても力はもうほんの少ししか残ってねえけどな。まあ写真が出回ってる訳でもねえんだ、髪の色だけ変えられりゃ充分だろ? さすがにまだ五回くらいは使えるはずだぜッ」
髪の色を変える。そう聞いて真っ先に思い浮かべたのはこの石を染料として髪を染める様子だった。しかし恐らく違う。この石は聖片であり、「もうほんの少ししか残ってねえ」力とやらで髪の色を「変える」のだ。
人差し指を石に触れさせ、内部を探る。気巧回路ではない、マナベースの魔法回路が組み込まれている。ナツキにはそれを読み解けないが、内部に閉じ込められているのが土のマナであることは分かった。
「ふーむ……」
土のマナは、便宜上「土」と名付けられているだけで本物の土と密接に関係しているわけではない。ラグナでも派閥によって地力だの岩素だのと様々な呼ばれ方をしていた。
では土のマナが何を司るマナなのかというと、ざっくり「物質全般」である。もっと物理科学的な説明をするのであれば、「原子」だ。とりわけ電子以外の部分に干渉する力を持つ。電流を司る雷のマナとは対照的・相補的な関係にあり、物質の加熱と冷却を司る火や氷のマナと同時運用することも多い――ラグナでエクセルとトスカナが話してくれた解説をなんとなく思い出す。
髪の色素とて物質であり、その光の吸収特性が色を決める。きっとこの「変化石」なる魔道具には、土のマナで色素の物性に働きかける魔法が込められているのだろう。しかしラグナでも聞いたことの無い高度な魔法だ。「銀でいいか?」「うん……」やはりこれも聖片なのだろうが、セイラなる開発者は一体どこでそんな知識を身につけ――
「……え?」
今何か重大な選択を無意識のうちにしてしまったような、
「おう、できたぜ」
ハッと顔を上げると、目の前でおやっさんが満足気に立っていた。その手には変化石を持っており、今まさに明るく光っていたのだろう淡黄色の輝きが弱くなっていく。
「に、なっ……ににぁー!?」
にー子がこれまで見たこともないような愕然とした表情でこちらを指差し、天変地異を目撃したかのごとく叫んだ。
一方、他の面々は目を輝かせる。
「わぁ、こっちのナツキさんも綺麗で素敵なのです」
「すごーい! さらさらきらきらだ! 雪のようせいさんみたい!」
その視線が向かうのは顔ではない、ナツキの髪だ。ひと房手に取って目の前まで持ち上げてみると、相変わらず柔らかくきめ細かい錦糸のような髪が指先からするりと零れていき――その白銀の煌めきを宙に振りまいた。
「なぅー……にーこのおひさま……なぁーぅー……」
「あはは、ニーコちゃんは金色が好きだったもんねぇ」
「心配すんな、明日か明後日くらいにゃ元に戻るぜッ!」
期間限定・銀髪美少女ナツキちゃん、誕生の瞬間であった。
表街へは、ナツキとハロが出ることになった。
せっかくなら全員でという思いもあったが、指名手配されている状況で、髪色を変えたとは言え全員を引き連れて表を出歩くのはリスクが高すぎる。それに表街で使えるという《水龍軒・特別優待券》は二枚しか無く、一枚につき一人という制限つきだった。というわけで、何かあったときにもっとも戦えるナツキと、《塔》の面々にまだ存在を知られていない(はずの)ハロが行くのがいいだろうという結論になったのである。
別に無理して表に出る必要はないのだが、せっかくのおやっさんの好意を無駄にはしたくなかったし、それに――指名手配されているのであれば、一つ確認しにいきたい場所もあった。
「なぅー! にーこもいきたい!」
「ニーコちゃん、お外は危険がいっぱいなのです。わたしと一緒に遊んで待ってるですよ」
「にぅー……」
むくー、とにー子が頬を膨らませる。かわいそうだが、にー子とアイシャは天使の血と天使の雫、今もっとも外に出してはいけない存在なのだ。おやっさんの指名手配情報に二人の名前はなかったが、二人の容姿は当然《塔》に割れているのだから、非公式に捜査が進んでいると考えるのが妥当だろう。
アイシャはそれを自覚しているからか、自分も外に行きたいという素振りは見せない。しかし内心では彼女も表街を見てみたいと思っていることだろう。
諸々の面倒が片付いたら、いつか皆で単なる観光として訪れたいところだが――果たしていつになることやら。
「じゃ、あたしは金稼ぎでもしようかねぇ。密航代で結構使っちゃったし」
リリムが手に取りピラピラと振るのは、石机の上に最後に残った《裏街商売許可証》だ。これを持たずに裏街で商売するのはご法度で、逆に言えばこれさえ持っていれば何を売り買いしようが(裏街の法では)咎められないらしい。
「でもリリムさん、何を売る気? ボク達売れるようなものなんて何も……はっ! まさか……だ、ダメだよ、リリムさん!?」
「はぇ? ダメって……何が?」
「いやその、ほら……自分の体は大事にして欲しいっていうか」
まさか春を売り歩きに行くつもりじゃないだろうな、という問い。幼女ズがすぐ近くにいるのでぼかしながら発したその言葉に、リリムはしばらくきょとんとした後、「あー……そういう知識はあるんだったねぇ」と何とも言えない表情になり――ナツキの両頬を摘んだ。
「ナツキちゃんはあたしを何だと思ってるのかなー」
「んひゃ、ひはいひはい! ごめんにゃひゃい!」
にっこり笑顔でぐいぐい頬を引っ張られる。この様子なら心配はなさそうだ。しかしそれなら一体何を――と思案顔になるナツキに対し、リリムは頬から離した指で部屋の隅を指した。
「売り物はあるよ、ほら」
そこにあるのは、元々部屋に置いてあった簡素な石棺型の収納だ。何かしまってたっけ、と蓋を開けると――大量の剣が顔を出した。
「え、うわっ!? 何この剣!? こんなにたくさん……」
「ふふん!」
再び得意げに胸を張るハロ。
「あのね、お客さんがいない間ひまだったから、作ってたの!」
「なるほど……え、これ、材料は?」
「おやかたさんがくれたよ? すきなだけ使っていいって!」
それは多分、包丁を作るのに好きなだけ使っていいだけであって、暇つぶしの剣作りに使っていいわけではないと思うのだが――まあいいか。想定の20倍黒字らしいし。
「あと気になるのは……ハロ、これ魔剣混ざってないよね?」
「え、ちゃんとぜんぶ『えんちゃんと』したよ?」
「したの!? しかもわざと!? リリムさんこれ……」
「ん、大丈夫。むしろあたしがハロちゃんにお願いしたんだ」
「えぇ!? 何で……」
魔剣を売り捌けば、フィルツホルンの闇市と同じように《塔》に目をつけられかねない。魔剣の騒動に関してはリリムにも共有してあるので、それくらいは彼女も理解しているはずだ。
「心配しないでナツキちゃん。前回のあれは『天使様の力が宿った剣』って売り文句がまずかったんだ。だから今回は魔剣じゃなくて、人やラクリマを傷つけない安全装置つきの剣ってことにして売るつもり」
「うーん……《塔》に目は付けられないとしても、それ、買う人いる? 子供のおもちゃにするには物騒だし……」
「ふふん、まー任せといて、完売させてくるから」
リリムは自信満々にそう宣言して、部屋を出ていった。