追っ手と川流れ
揺れる水面に、真っ赤な夕日がキラキラと光を散らす。
石造のブロックが複雑に組まれてできた、数メートルの幅の石橋。柱から柱へ空中数十メートルの高さを結ぶそれは、人が歩くための橋ではない。水の通り道だ。
「んで、オレはそのナツキって大悪党をとっ捕まえにここまで飛んできたってワケよ!」
「そ、そうなんだ。……どんな人なの、そのナツキって人は」
「お、気になるか? だよなー! 何でもな、まだお前くらいちっこい子供だってんだよ。気をつけろよ、案外その辺にいるかもしんねーからな」
透明度の高い大量の淡水が橋を満たしている。そのゆっくり片方向へ向かう水流に乗って、ぷかぷか仰向けで流されている少女が二人いた。どちらも水着ではなく、街中を歩いているところで突然水に突き落とされたかのような格好である。
「ボクくらいって、キミだってサイズ的には同じようなもんでしょ」
「おっ、いい度胸じゃねーか! 聞いて驚け、オレはこれでも20歳なんだぜ! ははっ、ギフティアなめんな!」
「え、タメなんだ……」
「あ?」
「や、何でもない」
片方はラクリマだった。銀色の首輪をつけ、焦げ茶と黄色の入り交じったショートヘアの後ろには小さな羽が並んでいる。水に漬かってしまっているが背には大きな翼も見て取れた。
もう片方は人間の幼女だった。腰くらいまである綺麗な銀髪が水流に沿って揺れている。
「じゃあフィンお姉ちゃんだね」
「お、おっ……おね……や、やめろい! そんな、恥ずいだろ……っ!」
「わーっ、分かった、分かったからバチバチさせるのやめて!」
フィンと呼ばれたラクリマが目を逸らして照れると、頭の羽がヒヨヒヨと小刻みに揺れながら逆立ち、放電を始めた。海水ではないとは言えここは水中だ。仮に彼女の雷の異能が全力で発動でもしたら大変なことになる――ということを知っている人間の少女は慌てて呼び方を訂正した。
「じゃあ、フィンで」
「おう! じゃオレもお前のことはココナって呼ぶぜ。さっきはありがとな、ココナ!」
にかっ、と快活に笑うフィンに、ココナと呼ばれた少女は「当たり前のことをしただけだよ」と首を振った。
「にしてもお前、人間のくせにオレが怖くねーんだな」
「怖い? あー、感電しちゃうかもってこと? それとも《塔》の人だから?」
「ちげーよほら、オレはラクリマでギフティアで……疑似人格なんか乗せられた殺戮兵器ってやつで、その……」
「あー……そっか、ギフティア部隊でも悩みは同じなんだね」
「同じ?」
悲しそうに呟いたココナに、フィンは訝しげな目を向ける。それに対しココナは、ほら、と上を指差した。
今二人がいる石橋とは別の石橋が、交差するように頭上を横切っている。今まさに下を通り過ぎようとしているその縁に、ひょっこりと顔を突き出してこちらを見下ろす少女が一人いた。心配そうに眉を下げ、大慌てできょろきょろと何かを探している。
「おーいハロ、ここだよー!」
「あっ! いた、ナツ……ココナお姉ちゃん! だいじょうぶー!?」
ココナが手を振ると、ハロと呼ばれた少女はぶんぶん手を振り返した。
ぶかぶかの外套の中にはオーバーオール、頭の上には垂れ耳のような形の突起がついた変な形の帽子。小さな二つ結びがぴょこびょこと揺れる。その髪色は白と空色のメッシュだ。首元には白いスカーフを巻いている。
「大丈夫! あの柱で合流しよっか! ゆっくりでいいよー」
「わかったー!」
水が流れていく先、一際太く立派な石柱を指差してココナが叫び、ハロは頷いてとてとてと走り出した。ココナが指定した柱には頭上の橋からでも数本別の石柱を経由すれば辿り着ける。
「何だ、妹か?」
「んーん、友達。感染個体のラクリマだよ」
「は? おい、マジか」
信じられない、と言うようにフィンは走っていくハロを再び見上げ、目を凝らす。風にはためくぶかぶかの外套の内側、これまたぶかぶかなオーバーオールの横の隙間から脇腹と一緒にちらりと見えたのは、忙しなく揺れるふさふさの尻尾だ。
「あの尻尾……ヴァルプ……いや、ペロワだな」
「うん、正解……って、今の一瞬でよく見えたね」
「へへっ、オレ達パセル種は目がいいから……ってそうじゃねーよ、ラクリマが友達!?」
「あはは、他にも何人かいるよ。フィンみたいに悩んでた子もいるけどさ、ラクリマの魂が偽物なんかじゃないってことくらい、ボクはとっくに知ってるよ」
ココナのその答えにフィンは言葉を失い、やがて目を潤ませ始めた。
「ココナ、お前……っ」
「わ、泣かないでよ」
「泣いてねー! クソッ、こんな良い人間、まだいたのかよ……ナツキとかいうパツキン大悪党とは大違いだぜ!」
「き、金髪は関係ないんじゃないかな……」
もちろん、ココナと呼ばれている少女はそのパツキン大悪党ことナツキであるし、ハロはナツキの専属鍛冶師のハロである。
二人は今、何故かネーヴェリーデの表街にいた。
そして、《塔》の追っ手たる雷のギフティア、フィン=テル=パセルと共に、着の身着のままで川下りをしていた。
一体なぜ、こんなことになったのだろうか。
この後処理しなければならない面倒事、向き合わなければならない原因不明の異常事態から目を逸らすように、ナツキは思い出す。全ては数時間前、朝っぱらに突然やってきたおやっさんの一言から始まったのだ。