Lhagna/τ - 魔族の少女 Ⅳ
アルルゼール魔煌国、それは大陸の東の険しい岩山地帯を切り拓いて作られた、魔王アルルゼール=パステリアが統治する小国である。面積も人口も周辺諸国と大差はないが、歴史は長く、その始まりは帝国と同じく《失われた千年》に埋もれてしまっているという。
魔界生まれの魔王が統治していることから特別視されがちだが、法的な位置づけはただの一国家にすぎない。
国民の人種は多種多様で、傾向としては獣人族が多いそうだ。法によって讚穹教を禁じている唯一の国なので、国民は教会に反感を抱いている者や無宗教の者が多数を占める。
ちなみに「国民」の人種に魔族は含まれていない。魔族とは魔王アルルゼールと配下の四天王や幹部たち、そして彼らが魔法で生み出す魔獣のことを指し、彼らは魔王軍の構成員ではあるが国民ではないらしい。
「ま、最近はそのへん曖昧なのだ。魔獣はともかく、魔族と魔族の間にできた子供の中には軍に入りたがらない奴も増えてきたから、百年くらい前に職業選択制度の見直しが入って……って、こんな話聞いて何が面白いのだ?」
「いや、興味深いぞ。続けてくれたまえ」
転移陣を抜けた先、城下町へと続く登山道を歩きながら、トスカナとペフィロはフィリアに魔煌国のことを聞いていた。以前戦いに来たときは国を見て回る余裕など当然なく、帝城や教会の図書館の資料にあるのは「魔族が蔓延る悪の国」的な記述ばかり。停戦しこれから友好関係を結ぼうとしている国のことをちゃんと知らなければならない、と思っていたのだ。
「なんだか、思ったよりちゃんと歴史のある『国』なんですね……」
「当たり前なのだ! ぽっと異世界から沸いて出た魔王がいきなり領地やら城やら持ってるわけがないのだ。我らのことを何だと思ってたのだ?」
「ご、ごめんなさい。わたし達が戦ってたの、魔族の方々だけだったので……あんまり普通の人達が暮らしてるイメージがなかったんです」
「ああ、それは……魔族以外は戦闘員には採用してないからなのだ。魔法の質が違うと連携が難しくなるのだ」
魔族が他の種族と大きく異なるのは、魔王が魔界から持ち込んだという独自の魔法を巧みに行使できるという点だ。その圧倒的な強さゆえに、魔王軍は勇者パーティに打倒されるまで一度も戦争で敗北したことはなかったという。
「そういえば、軍隊が強い割に小さくないですか? 国土」
「む? それの何が不思議なのだ?」
「だって、戦えば勝てるじゃないですか。東の端で戦争が起きたって、帝国は何もしませんし……あっ、侵略しろって言ってるわけじゃないですからね!? 平和が一番ですっ!」
フィリアは見た目は子供でも政治やら軍事やらの知識はやたら豊富で、トスカナ達の疑問にはすらすらと答えてくれた。
「よく分からんのだ。わざわざ無駄に領土を広げて、何が嬉しいのだ?」
「ふぇ!? えと……領土が増えるのって嬉しくないんですか?」
「魅力的な資源や環境があるかどうか、なのだ。資源はもちろん国民の気質や教養も含むのだ。でも魔煌国にはもう鉱山も穀倉地帯も海もあって、環境マナも天候も上々なのだ。国民の教育水準で魔煌国を上回るのは、大陸中探しても帝国くらいなのだ」
「な……なるほど」
「一応、南の共和国の森林資源はちょっと魅力的なのだが……難しいところなのだ。あまり広げると兵站線の確保や人的コストの問題も出てくるのだ。今くらいの広さなら、四方から攻め込まれても同時に戦えるし、国の隅々まで政治の目が行き届くのだ。幸い共和国には鉱山資源はないのだ、対等な条件で貿易できるうちは……ん、どうしたのだ?」
「い、いえ……えと、適当なこと言ってごめんなさい……」
彼女の視点の高さ、知識量は完全にトスカナを凌駕していた。ペフィロですら感心したように頷いていたので相当なものである。もしかすると魔王軍幹部か何かの娘なのかもしれない。
「フィリアちゃんってとっても物知りなんですね。帝国の偉い人と話してるみたいでした」
「当然なのだ、我はこう見えて結構偉いのだ! っと、とっ」
平たい胸を張ってふんぞり返るフィリア。ふんぞり返りすぎてバランスを崩してよろめき、背後にいたペフィロに「危ないぞ」と支えられた。かわいい。
実は幹部の娘どころか幹部そのものなのではないか。少なくとも魔王軍の関係者なのは確かに思えるが――ならばなぜ、魔王軍の指揮下にある魔鳥トラケラに捕まって死にかけていたのだろうか。
ぼんやりフィリアの正体について考えを巡らせながら、彼女の話を噛み砕き――ふと、違和感に気づく。
「あれ……でも、魔煌国は帝国を侵略に来たじゃないですか」
「はあ?」
「それでわたし達が召喚されて……ですよね、ペフィロちゃん?」
「うん、ぼく達は帝国を魔王軍から守り、世界に平和を取り戻すために戦ったということになっている……がしかしフィリアの顔を見るに、そう単純な話でもないようだ」
「……本気で言ってるのだ? 先に攻撃してきたのは帝国なのだ! 最初のアレで一体何千人、罪もない者達が死んだと思ってるのだ!?」
その語気強めの返答にトスカナとペフィロは足を止め、たっぷり3秒ほど沈黙した。何を言われたのか咄嗟に理解できなかったのだ。
「……え?」
「……詳しく聞かせてくれたまえ」
勇者パーティは、魔王による世界征服を阻止し、世界に平和を取り戻すために転生召喚された。少なくともハーネという天使はそう言っていた。
蓋を開けてみれば世界というよりは主に帝国・讃穹教会と魔煌国の間の戦争だったが、少なくとも攻め込んできたのは魔王軍だというのが国民の総意だった。きっと魔王軍は大陸最強である帝国をまず潰してから、悠々と他の国々にも攻め入る魂胆なのだと思っていた。
諸々の前提を覆す発言に動揺する二人にフィリアが見せたのは、怒りを通り越して出てきたような呆れ顔だった。
「貴様ら……まさか、ナツキから何も聞いてないのだ? 一年間も?」
「えっ……は、はい、何も……」
「うぅむ、身内にすらとは……呆れるほど律儀な奴なのだ。この様子じゃ帝国の民衆は皆我らのことをただの侵略者だと思ってそうなのだ」
はぁー、と大きな溜息をついて首を振るフィリア。彼女の言うとおり、帝国ではいまだに魔煌国はいつまた侵略してくるか分からない危険な国扱いである。
ナツキはこのことを知っていたというのか。意図的にトスカナ達に隠していたのだとすれば、それが例の「男と男の約束」だったのだろうか。
「というか、ナツキはなんで来てないのだ? 奴は一番話が分かる男だった……と魔王様が言っていたのだ」
その質問に、先程とは全く別の意味で言葉を失う。
まだ魔煌国にナツキの訃報は届いていないのだ。停戦協定を結んだとはいえ、まだようやく戦後処理が終わり、限定的な国交が始まろうとしている段階である。ナツキに関する情報は伏せられているのかもしれない。
どう答えたものかと顔を見合わせるトスカナとペフィロを見て、フィリアは「まあいいのだ」と嘆息しながら坂道を数歩進み、目の高さがトスカナの身長を超えたあたりで振り返った。
「貴様らさっき、魔王様と話をしにきたと言ったのだ」
「は、はい! 大事な話が――」
「何も知らない貴様らにその資格はないのだ! 今日は帰ってナツキにちゃんと全てを聞いてくるのだ。『フィリアと名乗る子供に聞いてこいと言われた』と言えば、奴は隠さずに話してくれるはずなのだ!」
「っ……!」
彼女の言い分は、もっともなことかもしれない。
ペフィロによれば、今から自分たちは魔王にいろいろと虫のいい要求をしにいくのだ。ついこの間まで魔煌国と帝国がしていた戦争について深刻な誤解を抱えたまま突撃するのは、確かに失礼だろう。
なぜそんな大事なことを、ナツキはトスカナ達が魔煌国へ出発する前に明かしてくれなかったのだろうか?
――当然だ。ナツキはもう、いないのだから。
もし彼が生きていたら、「ついに秘密の扉を開くときが来たな……」とか何とか言って、出立前に話してくれたのだろう。なんでこんなギリギリに言うんですか、とトスカナが怒り、何せ男と男の約束だったからな、とナツキが悪びれもせず肩を竦め、ちょっとムカつくので軽く関節を極めてやると、痛い痛い、悪かった悪かった、とギャーギャー騒ぐ。それを見て皆が笑い、ナツキもトスカナも笑い――
「……ぁ」
そんな幸せな日常を脳裏に描いてしまい、心のダムから涙が溢れだす。
研究塔の階段下でリシュリーと共に散々泣いて、もう枯れ果てたと思ったのに。
「ぬ!? な、なぜ泣くのだ!?」
「ご、ごめんなさい、わたし……」
「そ……そんなに引き返すのが嫌なのだ? はっ、まさかナツキと喧嘩でもしてるのだ?」
「ちが……ぅぅっ……」
ナツキと喧嘩。そんなこと、しようと思っても、もうできない。
「フィリア、少し静かにしたまえ」
膝から泣き崩れてしまったトスカナを庇うように、ペフィロがフィリアの前に立つ。
「きみに悪気はないのだろうがね……今のトスカナには、きみの言葉は凶器にすらなり得る」
「な……なぜなのだ?」
「……諸々の確証を得るまで、魔王以外には話したくなかったのだがね」
致し方ない、と小さく溜息をつき、ペフィロは語った。ナツキが死んだこと、その死因に不可解な点があり、調べていること。関連して魔王に聞きたいことが出来たため、今こうして魔煌国までやってきたこと。
フィリアは途中から口をあんぐり開けて固まっていた。途中からというか、ナツキが死んだと言ったその瞬間から。
「し……死んだのだ?」
「うむ」
「魔王様の魔法を食らってもかすり傷一つ追わなかった奴なのだぞ……? ……はっ、まさか貴様ら、嘘をばらまいて我らを油断させに来たのだ!? そうはいかな――」
「トスカナの顔を見てもう一度言ってみたまえよ」
ペフィロの声はいつになく冷えていた。いつの間にこんなに感情を表に出すようになったのだろう。
ああ――そうだ。これまでずっと、こうやってトスカナを庇ってあれこれ言い返してくれていたのはナツキだった。ペフィロはその穴を少しでも埋めようとしてくれているのかもしれない。
ペフィロの言葉通りフィリアはトスカナの目の前まで降りてきて、顔をじっと見つめてきた。
「……。ナツキは、貴様にとって大切な者なのだな?」
「はい。わたしの……一番好きな人、ですから」
そう答えたとき、自分は笑っていたと思う。悲しくて仕方がないのに、涙と共に彼が好きだという想いまで溢れてきて、自然と笑顔になっていた。
それを見たフィリアは虚をつかれたように固まり、スッと目を伏せた。
「ごめんなのだ。無神経なことを言ったのだ」
「あ、いえ……大丈夫です、疑うのは当然だと思いますし……わたし達こそ、魔煌国のこと何も知らずに戦ってたんだなって……ごめんなさい」
ぺこり、トスカナも頭を下げる。
それから数秒お互い無言のまま、如何ともし難い気まずい空気が流れたが、先にそれを振り払ったのはフィリアだった。
「……よし! お互い悪かったのだ! もう帰れなんて言わないのだ、公平に勝負して決めるのだ!」
「へっ!? 勝負ですか!? 決めるって何を!?」
「もし貴様らが我に勝てたら、我が魔王様に取り次いでやるのだ!」
「ほほう、それは助かる」
正直なところ、魔王城まで辿り着いても城門で追い払われるのが関の山だと思っていたし、最終的には夜中に見張りを眠らせながら忍び込む算段まで立てていたので、フィリアの申し出は非常に有難いものだった。しかし――
「えと、わたし達これでも勇者なので……たぶんフィリアちゃん、勝てないですよ?」
「なにおう!? やってみなきゃ分からんのだ!」
「あはは……じゃあもし、わたし達が負けたら……?」
「ふふん、貴様らは一生……はかわいそうだから、一週間我の召使いとして働くのだ。我はぐーたら食っちゃ寝の宿屋暮らしというのがしてみたいのだ! 勇者に屈辱を味わわせて、我は愉悦愉悦するのだ! わっはっは……、と、とっ……!」
フィリアは高笑いを始めたかと思うと、やはりふんぞり返りすぎてバランスを崩し、今度は支えてくれなかったペフィロに見下ろされながらすとんと尻もちをついた。
「ふむ、そうかね。ならば愉悦愉悦できるようせいぜい頑張るといい。両手両足がちぎれた程度ならトスカナが治してくれるから安心したまえ。では――」
「わ、待つのだ待つのだ! 何で戦闘フォームになってるのだー!?」
早速戦闘を始めるべく体のあちこちから青い光を放ち始めたペフィロを、フィリアが慌てて止める。
「ぼくは本来防御特化型なのだよ。いつもの体は防御力こそあれ、力はほとんど人間の幼子と同じだからね、こうして攻撃ユニットを解放しないとジリ貧に――」
「違うのだー! 力比べで今の我が貴様らに勝てるわけがないのだ! 頭おかしいのだ!? 情けも容赦も知らぬ悪魔の所業なのだ! 我は公平に勝負して決めると言ったのになのだ!!」
地団駄を踏んでぎゃんぎゃん怒りだすフィリア。トスカナとペフィロは顔を見合わせる。
「えと……ペフィロちゃん、弱いものいじめはよくないと思いますよ?」
「まったく……じゃあ何勝負ならいいというのかね」
背に展開し始めていた青い翼を元に戻しつつ呆れ顔でペフィロが問うと、フィリアはほっと安堵の息をつき、ビッと坂道の先を指さした。
「ついてくるのだ! 魔煌国で勝負といえばアレなのだ!」
そう言ってウキウキな様子で歩きだすその様子は、およそこれから勇者と勝負をする魔族のそれではなかった。