Lhagna/τ - 魔族の少女 Ⅱ
「ゆ……ゆゆゆゆ勇者!? 何でこんなところにいるのだー!?」
トスカナが反射的に一歩退くと同時に、魔族の子供は泡を食って尻もちをついた。どうやら子供にもこちらの顔は見えていなかったようだ。
しかし子供はすぐさま飛び起き、トスカナをキッと睨みつけた。
「停戦したとは言え我らと貴様らは宿敵同士! のこのこと殺されに来るとはいい度胸なのだ! ここで会ったが百年目、今日こそお前らの息の根を止めうきゃぁぁあああ!?」
背後から子供の脇の下を掴んだペフィロが、背中に青い光の翼を生やして浮き上がっていく。威勢のいいことを言っていた子供は途端に慌てだした。
大きく開いた口の中、可愛らしい八重歯が二本見えた――サキュバスやドラキュラ、あるいは魔王と同じ悪魔タイプの魔族の特徴だ。子供でもちゃんと大きいんだな、とトスカナは呑気な感想を抱く。
「ふむ、きみは知らないかもしれないがね、停戦協定とは戦いをやめる取り決めのことなのだよ。つまるところ、ぼく達ときみ達の殺したり殺されたりの関係はもう終わったというわけさ」
「ぎにゃあぁぁあ! 離せ、離すのだ! そんなこと我だって分かってるのだ、でも納得はいかないのだー!」
「ふむ……ぼく達に恨みがあるということは、戦災孤児かね。民間に被害は出さないように戦っていたつもりだったが……」
「違うのだ! というか貴様ら……」
子供はペフィロに抱き上げられたまま、首だけを動かしてトスカナとペフィロの顔を交互に確認し、不思議そうに目を丸くした。
「……まさか、気づいていないのだ?」
「む?」「ほえ?」
「……気づいていないならいいのだ」
大したことじゃない、と言うように手をひらひらと振り、
「それで、何の用でこんな所まで来たのだ? 侵略じゃないのだろ?」
「あ、はい。わたし達、アルルゼールさんと……王様と大事なお話がしたくてきたんです」
「ほう。我が代わりに聞いてやるのだ!」
「すまないが、きみに話したところで意味が無い……というか、どこの誰とも知れない子供に話していいような内容ではないのだよ」
ペフィロがにべなく断ると、魔族の子供は途端に目を釣りあげて怒りだした。
「なにおう! 我はこれでも貴様らより長く生きているのだ! 子供じゃないのだー!」
「怒るのはそこかね。……ふむ、しかし、確かにトスカナよりは年上かもしれないがね、ぼくはこれでもこの星の暦で700年は生きているぞ」
「何で張り合ってるんですか、ペフィロちゃん……」
「なっ……な、ならば我は2000年は生きてるのだ!」
明らかに嘘であろう台詞を自信満々に放つ魔族の子供を見て、トスカナは顔を綻ばせる。何歳だろうがその言動は可愛らしく、微笑ましい。野太い声で傲岸不遜に高笑いしていた魔王とは大違いだ。今すぐ抱きしめて――いや、自重しなければ。
(それにしても……やっぱり、わたし達と全然変わらない)
魔王軍との戦争が始まる前、教会や騎士団は魔族についても教えてくれた。魔王が生み出した「要注意敵性生物」として、いかにそれが残虐で救いようのない悪であるか、いかに戦い排除すべきか、そういう知識を叩き込まれた。
最初に凶暴な獣のような魔族と戦ったとき、勇者パーティは皆、魔族とは確かにそういうものなのだと思い込んだ。しかし魔煌国に近づくにつれ、魔族には様々な種類があり人と同等の知性を持つ者も多く、一概に悪とは言いきれないのではないか、という感覚が強くなっていった。
特にナツキは、知性を持つ魔族との戦いでは不殺を貫くようになった。生まれた場所が違うだけ、彼らとて本当は争いは望んでいないのではないか。そんなことを言いながら戦い、時には瀕死の魔族を介抱して助けることもあった。
そして、停戦協定だ。教会から与えられた使命である「魔王ならびに魔族の殲滅」を投げ捨て、ナツキは勝手に魔王アルルゼールと和平を結んだ……らしい。
らしい、と言うのは、トスカナは実はその様子を見ていないのだ。停戦を持ちかける、というのは事前の相談としてあったが、それはそれとして普通に魔王とは大激戦になり、ナツキ以外の全員はその中で意識を失ってしまったのである。
ペフィロの防御反射結界と自動迎撃ユニット、トスカナの継続ヒーリングと速度強化、ゴルグの全力の《活気》術、エクセルが幽剣イオニスタに施した尽きぬ光熱の刻印。その全てを携え、ナツキは魔王アルルゼールとの一騎打ちに見事勝利し、交渉のテーブルにつかせることに成功したという。
「貴様ー! 我を愚弄するか! 我はな、これでもその、結構偉いのだ! 敬うのだー!」
「ふむ。しかしぼく達は一国の王ともタメ口で語り合う仲だぞ」
「わっ、我だって……そうなのだ!」
ナツキと魔王も、今のペフィロと魔族の少女のように大舌戦を繰り広げたのだろうか。それとも一騎打ちですでに決着はついていて、お互い納得の上で停戦に踏み切ったのだろうか。
ナツキがいなくなってしまった今、全ては闇の中だ。と言うのも、彼は何故か停戦協定を結んだときのことは全く話そうとしなかったのだ。なぜ、と問えば「男と男の約束だから」などと意味不明な答えが返ってくる。かと言って同じ男であるはずのエクセルノースやゴルグにも明かしていないらしい。
トスカナ達は気づいたときにはもう帝国の宮廷病院まで運ばれていて、魔王側に聞く機会もこれまでなかった。今回ペフィロの同行者に立候補したのは、それを魔王本人に聞いてみたかったからというのも少しあるのだ。一体ナツキがどんな手で魔王を説き伏せたのか――
(……ううん、それもちょっと違うな)
別に、停戦を実現した過程に興味があるわけではない。自分は単に、ナツキが遺していった秘密を、自分の知らないナツキの足跡を、追いかけに来ただけだ。
「――で、そこのトスカナなんか、帝国の王を『邪魔です』の一言で黙らせたこともあるのだよ。帝国では誰も彼女には逆らえないということさ……」
「えぇ……なのだ」
「ちょっとペフィロちゃん!? なに適当なこと吹き込んでるんですかぁ!?」
物思いにふけっている間に変な方向に進み始めていた舌戦(?)に割り込む。何の話をしているのか。
「もう! 停戦したんですから、魔煌国の人達とも仲良くしていかないと。怖い人みたいなイメージを植え付けちゃだめです! 私たちは優しい心で平和を導く勇者なんですから!」
「トスカナ……貴様、何かあるとすぐ魔法で関節を極めてくるというのは本当なのだ……?」
「んぶふっ!? けほっ、……っ」
突然の外野からの攻撃に思わず咳き込む。
「……えっと、……。……あの、すぐ、というわけじゃなくてですね、その」
いやまあ確かに、ちょっかいを出してくる男子連中に反撃するのに使い勝手が良かったのは確かだし、手軽で傷つけることもないので最近割と多用していたことは否めない。が、それは決して自分が暴力的であるということでは――
黙り込んでしまったトスカナを見て、魔族の少女はススス、と後ずさりペフィロの後ろに隠れた。
「まま待ってください! 誤解です! ……そ、そうだ、あなたのお名前はなんて言うんですか? わたし、あなたともお友達になりたいです!」
強引に話題を変えにいく。魔族の少女はしばらくジト目でこちらを見ていたが、やがて「やれやれ」とでも言うように呆れ顔で溜息をつき、
「我は……うむ、フィリア、と名乗っておくのだ!」
「フィリアちゃん……可愛いお名前ですね。わたしはトスカナ、トスカナ=Q=ユーフォリエです。よろしくお願いします!」
「……うむ、可愛いのだ。本当に……」
「フィリアちゃん?」
「なんでもないのだ。……助けてくれた礼に、城下町まで連れていってやるのだ。感謝してついてくるのだ!」
フィリアと名乗った少女はふと寂しそうな表情を見せた気がしたが、すぐ元通りになり、八重歯を見せて強気に笑った。そのままくるりとペフィロとトスカナに背を向け、谷に向かって歩きだす。……極寒地獄の谷に。
「あっ、え、あぅぁ……ちょっ……」
「どうしたのだ、早く来るのだー!」
「…………えっと」
「覚悟を決めたまえよ、トスカナ」
ぽん、とトスカナの背を軽く叩き、ペフィロはフィリアの後を追って歩きだしてしまった。
こうなってはもう心の準備がどうのとは言っていられない。トスカナはあるひとつの決意を胸に、重い足を一歩踏み出した。
――魔王に会ったら、絶対に凍牙の谷に橋を架けさせるんだ!