看板娘の一日 Ⅱ ※
朝食を終えると、《モンキーズ》の面々は旅立ってしまった。
出会って三日のナツキですら少し寂しかったのだから、ラズはさぞ寂しいに違いないと思っていたら、全くそんなことはなさそうだった。期間に差はあれど、遠征は日常茶飯事らしい。
さて、宿泊客がいなくなってしまったわけだが、看板娘ナツキの仕事はこれからが本番である。
というのも、『子猫の陽だまり亭』は、12時と18時を回ると途端に人で溢れかえるからだ。仕事の昼休みや終業後にわざわざ最上層まで上って食事に来る常連客が、大量に現れる時刻。
「ナツキちゃーん、注文ー」
「はーい!」
「ナツキちゃんこっちもー!」
「はいはーい、ちょっと待って……」
「ナツキちゃん今日もかわいいよ!」
「ナツキちゃんビールおかわり!」
「ナツキたんこっち向いてぇ!」
「ナツキきゅーん、笑って笑って!」
「ナツキちゃん頭、頭撫でさせて!」
「ナーたんハァハァ……」
「うるっさーい! 順番! 注文以外は黙って! ボクで興奮してる変態は帰れー!」
ラグナの酒場を思い出す騒がしさとセクハラっぷりだ。勇者パーティ行きつけの酒場の看板娘は、その全てを軽く受け流しつつテキパキと注文を取っていた。あれは非常に高度な技術だったのだと、今なら身に染みてわかる。異世界接客業、なんと過酷な仕事か。
最初の日は、接客なんだし全てちゃんと対応しなきゃと思ってしまいてんてこ舞いだった。今は、ようやくバカをまとめて受け流すことに慣れてきたところだ。
しかし、どう考えても、幼女一人に任せていい仕事量ではないと思う。休日は他にも従業員を雇っているらしいが、平日でこれなら休日はどうなってしまうのか。
カランカラン、と玄関扉の上部に括り付けられたベルが鳴る。新しいお客さんだ。
「いらっしゃーい! 満席だから、その子と遊んで待ってて!」
「ほう、これが噂の」
「にぅー!」
にー子が腕を伸ばして抱っこを要求すると、店に入ってきた初老の男性は穏やかに笑い、にー子を抱き上げて待ち椅子に腰を下ろした。顔が綻んでいる。
「はっは、娘が生まれたばかりの頃を思い出しますなあ」
にー子の仕事は、順番待ちのお客さんに構ってもらうことだ。これまでは「満席ならいいや」と帰ってしまいがちだった人々が、席が空くのを待ってくれるようになったと、ラズは喜んでいた。
もちろん、公序良俗に反することやにー子が嫌がることは厳禁だ。そう貼り紙もしてあるし、変なことをされないようにナツキも見張っているし、常連客も皆にー子の味方である。
一つ問題があるとすれば、
「お客さん、席空いたよー!」
「む、いや、まだしばらくこのままで結構」
「にぁー……?」
「ああ、ごめんね、まだ行かないから……」
「注文しないなら帰れー! にー子も引き止めないの!」
回転率は、落ちた。
☆ ☆ ☆
「疲れたぁ……」
昼のラッシュが終わり、ナツキはカウンター席に突っ伏していた。
「参ったね、平日の昼だってのに、あんたのおかげで大繁盛だよ。平日も人を雇おうかね」
コト、とラズがリンゴジュースをカウンターに置いてくれる。お礼を言って受け取り口をつけると、その甘さが身体に染み渡った。冷蔵庫がないせいで常温なのが惜しいところだ。
ジュースを飲みながら、ラズの言葉を咀嚼する。どうやら、これまで平日はこんなに混むことはなかったようだ。看板娘ナツキの集客効果が凄まじいと? それはどちらかと言えばにー子のおかげだろうと思う。
「ボク何かしたかなぁ……変なお客さんは結構怒っちゃってるんだけど……」
「怒り方が優しいよ、あんたは。根が優しい証拠だね」
「帰れとか言ってるのに……?」
「あたしなら首根っこ掴んで外に放り捨てて二度と来るなって言うね」
「えぇ……」
その光景は容易に想像できるものだったが、ラズの位置にナツキを置いて考えると違和感しかない。幼女がむさ苦しいおっさんの首根っこ掴んで放り投げられるわけないだろ。何言ってんだ。
「でもみんな、悪気があるわけじゃ」
「ああいうのはね、あんたが成長して色気が出始めたらすーぐ胸とケツ触ってくるバカ共だよ。でもって、それが悪いだなんてちっとも思っちゃいないのさ。今のうちに蹴り出す練習もしておきな」
「……あー……」
それはまあ、分かる。ラグナの酒場で散々見てきた。そして、本当にお触りを敢行したバカは例外なく膝蹴りを股間に食らって撃沈していた。いずれはあれくらいできるようになるべきなのだろうか。……元オトコとしてはちょっと、気が引けるなあ。
と言うか、一応3ヶ月契約のはずなのだが。いつまでここで働かせるつもりなんだか。
「ちょっとラズさん、かわいい新人さんに何吹き込んでるんですか」
ナツキの隣の席に、常連らしい男が座った。
「かわいいから余計に問題なのさ。注文は何だい、冷やかしならとっとと帰んな」
昼以降はずっと営業しているので、ラッシュが終わってもパラパラと人は来る。この男以外にも、何人かの客はのんびりと本を読んだりしていた。
「あーじゃあナツキちゃんだっけ、ポポ串と……ビール、ノンアルで一杯」
「えっあっ、はい、ポポ――」
「目の前にあたしがいるだろこのおバカ!」
「あたっ」
ストン、とラズのチョップが男の脳天に入った。
「ポポ串とノンアルビールだね。大人しく待ってな」
ナツキは休んでな、と言い残してラズは厨房へと戻って行った。
言葉通り、ナツキは再び机に突っ伏した。
「はは、大変だねぇ。あとでポポ串一本あげるよ」
「ありがとー……」
常連の男は意外にも誠実で、ナツキにちょっかいを出すこともなく、店の内装を眺めてぼんやりとしていた。
かっち、こっち、振り子時計の音がやけに大きく聞こえる。こんな時間も、悪くない――
カランカランカラン!
静寂を打ち破るように、玄関扉が勢いよく開いた。新しいお客さんか。よっこいせとナツキは椅子から降りる。
「お客さーん、ドアは静かに……うわぁ」
ナツキの視線の先、ドアから中に入ってきたのは、見るからに怪しい風体の二人組だった。サングラスにニット帽、変なロゴの入ったお揃いの黒いジャンパーコート。でかくて偉そうなのと、その腰巾着っぽいの。不審者だ。
「兄貴、ここッスよ、噂の店」
「へェ、木造たァ珍しい。火ィつけたくなるな」
「あひゃひゃひゃ! さすが兄貴!」
物騒なことを言う客だ。
ナツキが対応しに行こうとすると、後ろから羽交い締めにされた。
「ちょっ……」
「ダメだ、ナツキちゃん!」
隣に座っていた常連の男だ。誠実な男だと思ったのにこのタイミングで襲ってくるのかよ、と一瞬呆れたが、どうやら違う。近づいちゃダメだ、と小声で繰り返している。
見れば、他の客もなるべく目線を合わせないようにしていた。そっと寝たフリを始める者までいる。
ナツキを引き止めている男は、震える声で彼らの正体を告げた。
「あいつら……《終焉の闇騎士同盟》だ」
「……は?」
何て? 終焉の闇?
「《終焉の闇騎士同盟》だよ、この街の裏社会を牛耳ってるって噂の闇の組織……関わらない方がいい、君みたいな子供なんか、幹部が動けば簡単に『消され』ちゃうよ」
「Oh……う……うん……」
どうやら聞き間違いではなく、本気で言っているらしかった。
何だ、この痛々しさは。聞いているこっちが恥ずかしいぞ。単語の端々に†短剣符†が透けて見えるようだ。
何でもいいからさっさと帰るか注文を出せ、と思っていたら、
「にぁー?」
「あっ、にー子……」
にー子が何も考えずに《終焉の闇騎士同盟》の男達に近づいていってしまった。
「うひょっ、兄貴、コレっすよ、噂になってたやつ!」
「あぁ、コレが……」
兄貴と呼ばれた方の男が、にー子の頭を鷲掴みにして、持ち上げた。
にわかに店内がざわめくが、誰も動こうとはしない。
「にっ……!?」
「コレが、自由にオモチャにしていいってラクリマか」
その言葉を聞いた瞬間にはもう、ナツキは動いていた。
「ちょ、ナツキちゃん!?」
するりと常連の男の拘束を解き、気の力を足に溜め、瞬時に加速。ふざけた名前の組織の男の前に立つ。
「その汚い手を放せよ」
「あァ? ……何だこのガキ、いつの間に……」
「に、にー……っ」
にー子が涙目でナツキを見る。頭だけ掴まれて吊られているのだ、痛くないわけがない。
「聞こえなかったのかよ。手を放せって言ったんだよ、クズが。その腕折られてえのか? 脳みそスカスカか? 冗談は組織名だけにしとけ? ペッ」
ジャンパーコートに唾を吐きかけてやると、男が額に青筋を立てた。
「このガキ……ッ」
挑発には乗せられたようだが、にー子は放さない。……まさかこいつら、元々にー子が目的なのか。
「テメェ、ガキだからって何しても許されると思ってんじゃねェぞ――」
兄貴と呼ばれた方が凄んでくる――のを横目に、ガッ、と後ろから伸ばされた腕を掴む。
「……えっ?」
こっそりナツキの背後に回り込んでいたつもりらしい、子分格の男の右手首が、ナツキの小さな手のひらに収まった。
まさか掴まれるとは思っていなかったのだろう子分男の間抜けな声を聞きながら、ナツキは兄貴男を睨んだ。
「それはこっちの台詞だな」
手のひらに気を通し、子分男の手首を握りつぶしていく。
「ぎぃゃあぁああぁあアあぁあッ、腕、おいらの腕がぁッ!」
「なっ、テメェ――」
子分の方は特ににー子には何もしていない。骨に罅が入る程度にして解放してやる。このクズを店に連れてきたのがお前の罪だ。
「――ガキだからって何しても許されると思ってんじゃねぇぞ」
ナツキが睨みを利かせながらそっくり同じ言葉を返すと、兄貴男が一瞬怯んだ。
その瞬間にトッ、と地面を蹴って飛び上がり、空中でにー子をかっ攫いつつ――
「は――?」
全身に気を通して姿勢を強制制御し、回転エネルギーと追加強化を足に乗せ、
「客じゃないなら、帰れ! 二度と来るな!」
飛び膝蹴りを顔面に叩き込み、
――ドバキィィン! カランカランカラーン……
玄関ドアごと男を外へ吹き飛ばし、着地。涙目でぽかんとしているにー子を定位置の椅子に座らせ、
「あえ……えへぇっ……あ、兄貴……?」
「……何だ、まだいたのか」
まだ店内で呆けていた子分男の頭に指をくい込ませて片手で持ち上げ、
「あが、い、いだ、やめ……」
「忘れもんだ、金魚のフンはちゃんと持って帰れ」
ポイッと、店の外に投げ捨てた。
掃除完了だ。
「にぁー……」
「にー子! 大丈夫か!?」
ぽかん、としたままのにー子に駆け寄り、男に掴まれていた頭を確認する。
髪の毛がくしゃくしゃになってしまっているが、血は出ていない。ほっと胸をなでおろし、にー子を抱きしめた。
「ごめんな、怖かったよな。痛かったよな……」
「にぅ……に……なぁぅ……なぁー……」
ナツキに頭を撫でられてようやく、自分が何をされたのかを思い出したのか、にー子はぽろぽろ泣き出してしまった。
もうここで待機客の相手をさせるのはやめよう。次に怪しい客が来たら、組織名が恥ずかしいとか考えてないですぐに追い払いに行こう。そう決意を新たにし、ふと振り返ると――
「……あっ」
全ての客が、ナツキを見てぽかんと口を開けていた。
しまった、やらかした。
幼女は飛び膝蹴りで大人の男をドアごと吹き飛ばしたりはしないということを、すっかり忘れていた。
というか、口調も元に戻っていた気がする。まずい。
「え、えっと、ボク――」
なんとかごまかそうとして口を開いたその時、
「うおおおおおおおっ! さすがナツキちゃん!」
「『血溜まり亭』の看板娘に変わりはねえってか!」
「二代目もすげえ! ダインのやつ、何て野郎だ!」
「クソッ、大負けじゃねーか! おらよ、持ってけ馬鹿野郎!」
「だから言っただろ、絶対何かしら秘密があるってよ!」
盛大な拍手と共に、店内の客が皆一気に快哉を叫んだ。
「にぁうー!?」
「……はえ?」
いきなりの大音量にびっくりして耳を倒すにー子と、訳が分からず変な声を出すナツキ。
盛り上がる店内に少し混じっている罵声の主は、賭けに負けたらしい。何に賭けてたんだ。ナツキが賭けの対象だった? 何故?
「何だい、何の騒ぎだい!?」
そのお祭り騒ぎは、厨房からラズが慌てて出てくるまで続いた。
挿絵はTwitterとPixivにも上げてますです。
看板娘と化したナツキちゃん。
https://twitter.com/dimpanacot/status/1280048369193246720
https://www.pixiv.net/artworks/82795339