裏街ワーカーズ Ⅰ
それからあっという間に一週間が過ぎた。
一日の生活は、まずにー子は基本的に留守番で、他の誰か一人が遊び相手兼護衛をする権利、通称「にー子休み」を順番に手に入れる。そして残りの三人が宿代代わりのお仕事をこなしていく、という形に落ち着いた。
もっともハロは戦えないので、ハロが休みの日は《モンキーズ》の誰かが(主にレイニーが立候補して)護衛を手伝ってくれることになっている。まあ、ハロ以外が休みの日も彼らは暇を見つけてはにー子に会いに来るのだが。
受注できるタスクの内容は多岐にわたる。何をどれだけこなそうと結局タダ働きなのだが、おやっさん曰く、働けば働くほど密航船での待遇が良くなるらしい。密航に待遇も何もあるかと思わなくもないが、少しでも長い船旅が快適になるのなら真面目に働くに越したことはない。ナツキは戦闘、リリムは医療の分野で主に能力を発揮して大きめの仕事を少しずつこなしていった。
ハロは「熟練の鍛冶師募集、期間一週間」と書かれた求人に飛びついた。初日、ハロがうっかり魔剣を打ち出してしまわないか心配になって職場を覗いてみたのだが――彼女が作っていたのは武器ではなかったし、周囲に集まっているのは戦闘職の人間ですらなかった。
「うーん、こんな感じかなぁ……?」
そこは洞窟内の広めの空間に設えられた鍛冶場だ。換気用のエアダクトがゴウンゴウンと大きな音を響かせ、冷気を放つ聖片らしき物体がそこかしこに置かれているが、それでも洞窟内の他の場所と比べると格段に気温が高い。
その一角にハロは自分の城を築いていた。低い身長を補う踏み台の周囲、短い腕が届く範囲に所狭しと数々の道具を並べ、それを取っ替え引っ替え一本の作品を打ち上げていく。
「はい、できたよ!」
「……ふむ。試させてもらってもいいか?」
「うん、いいよ。そこのおやさいはためし切りに使っていいんだって!」
ハロの正面に立つ男に手渡されたのは、遠目に見ても高級感漂う漆黒の包丁。隣に設えられた簡素な石のテーブルにはまな板と野菜が置かれており、男は真剣な表情でレンコンのような野菜に刃を入れた。
ストン、と軽く小気味よい音が響き、男の目が大きく見開かれる。周囲で見ていた同業者――料理人達が一様に息を飲む。
「……っ、これは……!」
「ど、どうかな? ハロね、ほうちょうを作るのははじめてだから……使いにくかったりしない?」
その言葉に場がどよめく。
「は……初めて? これがか?」
「嘘でしょ……今の大根じゃないわよ、ガンコハスの根よ……?」
「貸せ、若いの。ワシが見ちゃる……ぬぅッ!? これはァッ!?」
熟練の料理人と見られる白ひげの男は、包丁を持ちその刃を一目見るなり鬼気迫る表情となり、ガンコハスの根なる野菜を一心不乱に切り始めた。それは一分もせず数十枚の薄く綺麗な飾り切りとなっていく。
「わぁ、すごい! お花みたい!」
無邪気にぴょんぴょこ飛び跳ねるハロとは裏腹に、包丁を握っている男は冷や汗をダラダラ流していたし、見物している他の料理人達はあんぐりと口を開けて固まっていた。
「ガンコハスネの……飾り切りだと!? 爺さん、アンタ一体ナニモンだ? 俺の腕じゃ、火を通さなきゃ刃を入れることすら……」
「違う……違う! こんな、ワシはこんな技術……持ってなどおらぬッ……! 何十年修行を積もうと、一度足りとも成功したことは無かったッ……」
「爺さん……じゃあ、まさか」
「そうだ……包丁だ。ワシは……自らの腕に頼りすぎていたのだ。達人は道具を選ばぬと師に教えられ育った……だが!」
つぅ、と一筋、男の頬を涙が流れる。それを見て自分が何かしてしまったのかとおろおろしだすハロの前にゆらりと歩み寄り、膝立ちになって真剣な眼差しを向け、
「お嬢ちゃん。君はワシの店で雇おう」
「え、えぇっ!?」
「なっ……! 爺さん、そりゃ横暴ってもんだぜ!」
「横暴なものか。このような才能、裏街に眠らせておいて良い筈があるまい! 達人の腕、達人の道具、二つ揃って初めて極意となるッ!」
「それには同意するぜ。だがここにはアンタ以外にも、来月のグルメフェスでトップを目指してる料理人がわんさか居るんだぜ」
「そうよ、老舗だからって調子に乗られちゃ困るわね。フフ、裏街に凄腕の鍛冶師が現れた――なんて眉唾情報に乗ってきた甲斐があったわ。その子はウチが貰うから。月200万でどうかしら、お嬢ちゃん……いいえ、ハロ様。ぜひ我が社と専属契約を――」
「えっ、えっ!?」
「クソッ……資金力じゃ大手にゃ敵わねぇか……!」
ハロのヘッドハンティングが始まった。鍛冶師視点のグルメ漫画でも始まりそうな展開だが、ハロを連れていかれるわけにはいかない。そろそろ介入しようと足を向けたところで、ハロは首を横に振った。
「えへへ……ごめんね。ハロはほうちょうじゃなくて剣を作りたいし……それにもう、ハロにはご主人さまがいるんだ」
「なっ……なら300万、いいえ、言い値を出すわ! あなたの才能があれば業界をひっくり返せる! うちの傘下には武具メーカーもあるの、普段はそちらで――」
「んーん、ちがうよ」
再び首を振り、ハロは笑う。
「ハロはね、今のご主人さまがだいすきだから、ずっといっしょにいたいんだ!」
「っ……!」
その純新無垢な笑顔に、遠くから見守っていたナツキを含めその場にいた全員が息を飲んだ。数瞬の後、言い値を出すと息巻いていた女性は「私は……醜いッ!」と膝から崩れ落ちる。最初にハロを雇おうと言った男はやや残念そうに、しかし納得顔で頷いた。
「それにね、ハロ、お外のお店じゃはたらけないよ?」
「む? なぜかね。その腕ならどこでも通用――」
「だってお外のお店だと、フードはとらなきゃいけないでしょ?」
「それはまあ、な。……何だ嬢ちゃん、顔に傷でも……ッ!?」
男は途中で絶句した。ハロがフーデッドローブの首元を少し広げて見せたのだ。そこにあるのは、人ならざる者、人に隷属する者である証――銀色の首輪。
もともとの首輪はにー子奪還作戦の時に外してしまったので、今嵌めているのは怪しまれないようにとハロに作ってもらったレプリカだ。なんなら簡単な気巧回路も刻印してもらっていて、ナツキの気を充填してあったりする。防犯ブザーになったり、光らせて非常灯にしたり、ナツキとハロの遊び心が満載のいろいろできるちょっと便利なアクセサリー……なのだが、見た目は本物とほとんど同じ。一般人にはその違いは分からない。
「ハロはね、ラクリマだから」
「っ、な……るほど、そうか……」
目に見えて狼狽えだす料理人達。
当然、この街でのラクリマの扱いや人々の認識は、ハロを一人で仕事に出す前におやっさんにリサーチ済だ。
表街での認識は概ねフィルツホルンと同じで、彼らは感染ラクリマについてはほとんど何も知らない。ひとつ違うのは、表街・裏街共に「公的な奴隷」としてのラクリマが溢れているということだ。
衣装替えのときに例に出た漁や解体業などに加え、船の荷降ろしや積み込み、物資の運搬、造船や整備、それに観光業。ネーヴェリーデには肉体労働力需要が山のようにあり、人間の労働力供給だけでは追いつかない。そこで、主に接客が不要な部分に多くの非感染ラクリマが工業ロボットのように投入されているというわけだ。
安価な感染ラクリマは裏街で同じように働かされている。フィルツホルンの闇市に比べると多少「感染」の認知度は高く、感染ラクリマと言うだけで得体の知れない気持ち悪いモノ扱いされることはない。単に安物の奴隷、壊れた機械として扱われるだけだそうだ。
仕事中、アイシャやハロは一時的におやっさんの組織、裏街の誰もが知るという最大派閥《水魚の婚礼》の「所有物」とみなされる。ラクリマであるとバレてしまっても、この闇市において組織の下で働いている限り攫われたり殺されたりする心配はない、とのことだった。
……とはいえ、バレないに越したことはないのだが。
「ハロ……」
事態の行く末を注視する。ハロは何も考えていない子供のように見えて、実際何も考えていないことが多い。つまり何も考えていないのだが、周囲を惹き付ける太陽のような愛されお子様パワーで運良く数々の苦難を乗り切ってきた。……果たしてそれがここでも通じるか。
今集まっている料理人達は、服装からして表街の人間が多い。ただ、ネーヴェリーデでは表裏問わず奴隷として扱われるラクリマは珍しいものではないはずだ。
だと言うのに彼らはあからさまに動揺した。それは恐らく――ここまで人間の子供と同じように明るく振る舞うラクリマを、彼らは見たことがなかったからだろう。
「ラクリマ……な、なあ、お前んとこ、厨房に一体いなかったか?」
「あ、ああ……いるし、包丁の研ぎもやらせてるが……こうはならないぞ」
「個体差があるってこと……? まさか感染してないとダメ……? ねえ、表で使える感染ラクリマって流通してたっけ?」
「今のが全部……偽物の感情……?」
ハロの鍛冶の能力がラクリマであることに由来しているのでは、と勘違いしたざわめきが起こり、ハロは困ったように笑う。
ラクリマなら人間の命令には逆らえないだろう、と強制的に雇おうとする者がいるかもしれない。そう思い、すぐに飛び出して撃退できるようにナツキは気を練り始めたが――それは杞憂に終わった。
「静まれぃ! この考え無しの若造共めが!」
声を張り上げたのは最初にハロをスカウトした男だ。
「ラクリマだの人間だの、些末なことよ! ここにあるは卓越した技の結晶、そしてそれを成した達人! それが全てだ!」
そう宣言し、男は再びハロと視線を合わせる。ぽかんと口を開けるハロに、男は優しい口調で、しかし真剣に何かを見定めるような目で、
「お嬢ちゃん、ワシにも包丁を一本お願いできるかの。刺身を作るでな、片刃のものを、細く長く鋭く、重心はもう少し持ち手に寄せて頼む」
「うん、わかった! サシミ……が何かはよく分からないけど、やわらかいものをつぶさないように、一回引くだけできれいに切りたいってことだよね? 固いものは切れなくなっちゃうけど、だいじょうぶ?」
「む!? う、うむ……その通りだ」
「おっけー、ハロにまかせて!」
注文した男のみならず、そのやり取りを聞いていた全ての料理人達は呆気に取られていた。与えられた刃物の特徴からどういった用途に適しているかを瞬時に把握するなど、命令をそのまま遂行するだけのラクリマではまず考えられないし、人間だって専門知識がなければ無理だ。ハロの鍛冶の腕はハロが努力して身につけたものだということは、もはや誰の目にも明らかだった。
それからハロは一時間もかからぬ早業で注文通りの刺身包丁を一本打ち上げた。遠目に見ても分かる、その動きは本来人に許される限界を超えていた。
ただの熱された鉄の板だったものが、コカカカカカカカン! と小気味よい槌の音が数秒聞こえたかと思うと、もう刃のついた包丁の形になっている。そういうレベルの神業が絶えることなく繰り返されていった。
そう、ナツキの剣だって本来はおよそ数時間で作り上げられるような代物ではないはずなのだ。一体どうやって――と《気配》術を飛ばしてみて、すぐに簡単な話だと気づく。彼女は無意識に気の力で全身を強化・制御しているのだ。
しかし現象を理解するのが簡単でも、ハロと同じことを実践するのはあまりにも難しいということも同時に分かってしまった。
彼女の身体制御は真に鍛冶に特化しているのだ。鉄の温度を見る目、角度と位置の調節、鉄を叩く強さ、そういった細かい調整をコンマ秒単位のタイミング管理と共に制御し続ける、ハロが立っているのはそういう「練気鍛冶」とでも言うべき新領域だ。そこにはただ練気術が使えるだけでは到底及ぶべくもない、努力と経験による熟練の技があった。
「……やっぱ師匠にハロは会わせちゃダメだな」
もしゴルグが今のハロを見たら、ハロは確実に研究室に幽閉されて丸一日鉄を打ち続けることになってしまう。
呟くナツキの視線の先、ハロが打ち上げた二本目の包丁はまたも料理人達を唸らせる。これまで見世物のように周囲に群がっていた彼らは互いに頷き合い、ハロの作業台の前に一列に並んだ。
――そこから先は見ていない。彼らのハロを見る目が「鍛冶スキルの高い珍しい感染ラクリマ」から「相棒を任せられる尊敬すべき職人」に一変した以上、ハロを悲しませるような事態は彼ら自身が許さないだろう。そう判断し、ナツキはその場を去った。
余談だが、その日嬉しそうに帰ってきたハロによれば、包丁は一本20万リューズで売れたそうだ。一本1万リューズくらいで駆け出し料理人達にちょっといい調理道具を、程度の仕事を想定していたらしいおやっさんは冷や汗をかいていたが。