水の都と猿と酒 Ⅷ
外では人前で服を脱いではいけない、知らない人について行ってはならない、何かあったら大声で助けを求めること……といった最低限のルールをハロとアイシャに叩き込んだ後、ナツキ達も「仕事」を行う準備を始めた。
稼働は明日からだが、お尋ね者であるナツキ達には人前に出る前にまずすべきことがある――そう、変装だ。基本的にはフィルツホルンの闇市でもよく使われていたフーデッドローブで隠すことになるが、いざそれを脱ぐことになったときにいつもの「血溜まりワンピース」を着ていてはすぐにバレてしまう。
そんなわけで、《塔》に容姿が割れているナツキとアイシャ、リリムはおやっさんの「組織」が所有している変装道具を借りることになった。にー子はずっと引きこもっている前提である。
「どう、似合って……はないか。変なとこないかな?」
にー子とハロを《モンキーズ》に預けてやって来たアジトの一角、おやっさん曰く「魂の間」。そこには多種多様な魂の鎧、もとい衣装が並んでいた。フルフェイスマスクとボクサーパンツとマイクロビキニしかなかったらどうしようかと思ったが、幸いレパートリーは豊富だ。
「変じゃないのです……けど、なんだか不思議なのです」
「そう? いい感じのボロボロ具合じゃない?」
ナツキはスラムの貧乏な子供が着ているような穴だらけのワンピース……もとい、ぶかぶかよれよれのツギハギシャツを被っている。ワンピースに見えるのは、体が小さいせいでシャツの裾が膝まで届いているからだ。
どう考えても外から来た指名手配犯には見えない、完璧な変装――だと思ったのだが、アイシャとリリムにはダメ出しを食らった。
「確かに、スラムの子供の人間さん達はみんなそんな格好だったのです。その服はばっちりなのです。でもナツキさんは……髪の毛も肌も、綺麗すぎるのです」
「うんうん。お忍びで下町に来たお姫様って感じあるよねぇ。健康的すぎて」
「えぇ……そんなに?」
そんなことを言われたって、髪や肌の質は生まれつきのぷにすべさらふわ幼女ボディとラズの栄養満点ご飯の賜物なのでどうしようもない。
「うーん……じゃあ砂でも擦り付けて汚しとこっか」
「ナツキちゃんのほっぺを汚泥で穢すなんて、他の誰が許してもあたしが許さないから」
食い気味の制止が入った。突然の真顔である。
「大げさだよ! 全くもう……まーいっか、とりあえずパッと見で正体がバレなきゃいいわけだし、このまま行くよ」
言いながら、ぶかぶかシャツの上からさらにフーデッドローブを纏い、長い金髪を中に隠す。耳やしっぽを隠していたアイシャやハロの気分が少し分かりそうだ。
「リリムさんは……さすが、手馴れてるね」
「んぇ、そう?」
白衣を脱いでポニーテールを解き、ワインレッドの縁なし眼鏡を装着したリリムは、それだけで完全に別人に見えた。いつものほほんと穏やかな目元が、今は心なしかキリッとしている気がする。
「あたしは見た目が普通の人間の大人だからねぇ、ちょっと雰囲気変えるだけで結構バレないもんよー。……てかそれよりも、さ」
リリムの視線がスッと横にスライドし、
「アイシャちゃん、ほんとにそれでいいの?」
「うん……ボクもそれは考え直したほうがいいんじゃないかなって」
「ふぇ?」
問われ首を傾げるアイシャの格好は、なかなかに――見ていて不安になるものだった。
それはドール用の戦闘服だとおやっさんは言っていた。スピード型の個体向けの、防御力を犠牲に機動性を極限まで上げたデザインのものだと。
胸部を小さな革鎧で申し訳程度に防護している、それが防具としての機能の全てだ。心臓より下に胴体を覆うパーツはなく、次に布地が現れるのはいくつもポーチがついたショートパンツの上端である。
要は、上は鳩尾から下は骨盤のあたりまで、細いおなかが丸出しなのだ。
「動きやすくていい感じなのです」
「そりゃ動きやすいだろうけどさ」
「? ニーコちゃんを取り戻しにいったとき、リリムさんも同じような感じだったのですよ?」
「うん、戦闘服としてはいい感じだねぇ。でもアイシャちゃん、今選ぶのは変装用の普段着だよー」
「……よく分からないのです。わたしはこれがいいのです! ……だめなのです?」
凹凸の少ない幼女ボディゆえ、リリムの戦闘服のように扇情的な印象は受けない。しかし目立ってはならないこの状況で、水着同然の露出度で街中を歩くのはいかがなものか。
アイシャが何やら強い意思をもって選んだもののようなので、尊重してあげたいところではある。しかし現況を鑑みてやはり再考を――とナツキが口を開きかけたとき、
「おっ、いいじゃねーかッ! まさに港のラクリマって感じだぜッ!」
様子を見に来たおやっさんからそんな感想をもらった。
「港のラクリマ?」
「おうッ、漁に出てる奴らとか、海獣の解体屋とか……裏街だと水道警備の連中とかな。もう戦いには使えねえ中古の防具を再利用するってわけだ」
なるほど、ここは水の街で、働かされているラクリマ達の仕事は水に関係するものが多いのだ。濡れた服を洗い乾かす手間を惜しんで、元から水着同然の装いをさせているということか。
「あー……確かに前来たときに見たよ、スピード型の武装で待機してる子達」
リリムが納得顔で頷く。
「オペレーターがみんな全然戦えそうに見えないし、やけにボロっちい装備使わせてるのが気になったからね……覚えてるよ。あれってそういうことだったんだ……」
「そう言えばリリムさん、来たことあるんだっけ」
「ん、オペレーターやってた頃に何度かね。……確かにここなら、今の格好でもそこまで不自然じゃないのかも」
「なるほど……アイシャ、まさかそこまで考えてその選択を……?」
「ふぇ、あ、えっと、……その通りなのです!」
多分何も考えずに動きやすさ第一で選んだのだろう、無駄に力強い肯定とは裏腹にアイシャの目は泳いでいた。
その様子を見ていたおやっさんが、ふと感心したように息を吐いた。
「……とんでもねえな」
「おやっさん?」
「オペレーターの意見にすんなり反抗して自己主張、おまけに嘘までつくかよ。重感染個体たぁ言えドールだろ、首輪が機能停止してるってのは聞いてるが……本当に調整済みか?」
「それは……本来こっちが正常なんだよ。人間もラクリマも、魂は同じなんだから」
《モンキーズ》の面々から、おやっさん達の「組織」は感染ラクリマを雑に扱うことはないと聞いている。これまでのおやっさんのアイシャ達に対する反応はその情報を裏付けていたし、今の言葉も素直な感嘆によるものだ。
しかし、おやっさんの表情はどこか複雑な様子だった。
「そう単純な話でもねえんだがな……そういやお前ら、カロノミクノに行くんだったな」
「え、うん、そうだよ。《塔》から独立してるっていう……」
「『人間もラクリマも魂は同じ、だから平等に扱うべきだ』ってのは……カロノミクノの基本原則の一つだ。あの街に人種差別はねえ」
「ほんと!?」
それが真実なら素晴らしい街じゃないか、と身を乗り出すナツキに、おやっさんはしゃがんで顔を寄せてきた。
そのまま、他の誰にも聞こえないような小声でそっと囁く。
「俺様はあそこから、逃げてきたんだ」
「……え?」
「お前らなら行ってみりゃ分かる。あれはただの楽園じゃねえってことだけ、覚えといてくれ」
「待って、それってどういう――」
「大丈夫だ、《塔》から逃げるってんならカロノミクノで大正解だぜ。お前らならすぐ市民になれるし、幸せに暮らせる」
悲しそうに笑い、
「知らねえほうが幸せなことに、首を突っ込まねえ限りはな」
ナツキが追及しても、おやっさんはそれ以上のことは口にしなかった。