水の都と猿と酒 Ⅵ
その後、ラッカ以外の《モンキーズ》の面々は彼らの「依頼」をこなしに出かけていった。ナツキ達一行はラッカにアジトの奥へと案内され、他の部屋とは異なる垂れ幕のかかった入口の前で止められた。
「おやっさんの部屋だ」
「どんな人なの、おやっさん?」
「気さくな人だぜ? 姉貴やレイニーは苦手っつってるけどな、俺はいい奴だと思う。……あー、顔合わせのインパクトは強いかもな。情熱的な人なんだよ」
「ふーん? ……闇の組織なのに、いい奴なの?」
在りし日のラムダみたいな感じだろうか。
「後ろ暗いこともやってんだと思うぜ? でもその割に根が優しいっつーか、今俺らがやってる依頼も……あーいや、何でもねーや。とにかく心配すんな」
ちょっと待ってろ、と言ってラッカは垂れ幕の向こうへと消えた。揺れる垂れ幕に描かれているのは、昨日もアジト入口の壁に描かれているのを見つけた謎の駐車禁止マークだ。
「やっぱり……見覚えあるんだよねぇ……」
「ここを使ってる人達のマークなのです?」
「そんな感じの使われ方だよね。《水魚の婚礼》……だっけ。ダインも大きな組織って言ってたし、リリムさんはフィルツホルンの闇市とかで見たんじゃない?」
「うーん……なんかそういう見覚えじゃなくて、もっと思い出深い感じの……」
「おーい、入ってきていいぞ!」
垂れ幕の向こうからラッカの声が聞こえ、会話が中断される。ナツキを先頭に垂れ幕を潜ってやや進むと、ドドド……と水音のする広い空間に出た。
壁の上方から水が滝のように流れ落ちていて、地面の外周は勢いのある水路になっている。水路に囲まれた正方形の地面は一段高くなっており、さながら決闘のために用意された水上演武台だ。
「よく来たなッ!」
その舞台の中央やや後方、まるで挑戦者を待ち受けるかのように腕を組んで仁王立ちしている男がいる。身にまとっているのは漆黒のパンツと煌びやかなベルト、そして――
「ナツキお姉ちゃん、見て! へんな人がいるよ!」
「にぁ! みみある! なかま? らくぃま?」
「違うですよ、ニーコちゃん。あれはへんなマスクの人間さんなのです」
その頭には、昔どこかで見たことがあるような虎顔のフルフェイスマスクを被っていた。
筋骨隆々の肉体を惜しげも無く晒しながら、男は部屋を満たす水音をかき消すような大声で叫ぶ。
「そこのガキがナツキだなッ! いいぜッ、かかってきなッ!」
「ええっ!? いや、ボク戦いに来たわけじゃないんだけど!」
「聞こえねぇなッ! 言いたいことがあんならリングに上がれッ! 漢なら肉体で語り合えッ!」
「男じゃな……、……男じゃないんだけど!」
「知るかッ! 俺様に挑むやつは女だろうが子供だろうが全て漢ッ!」
「意味不明! ってか聞こえてるじゃん!!」
何なんだこいつは。
「あれがおやっさんだぜ」
「うわ、ラッカさん! どこにいたのさ」
「ずっとあそこにいたぜ」
ラッカが指差した先には、演武台の周囲の水路に浮かぶボートと、その上に置かれたベンチがあった。なるほど観客席か。
「ちょっとラッカさん、顔合わせのインパクトが強いとかそういうレベルじゃないんだけど?」
「ん、そうか? 楽しい人だよな!」
「どうしたッ! 怖気付いたか、ナツキッ! 己の心に住まう猛獣を今ここでッ、解き放って見せろ――ッ!!」
「うるっさ――い! 分かったよもう、戦えばいいんでしょ、戦えば!」
あまりの暑苦しさに耐えきれなくなり、考えるのをやめて演武台への階段を登っていく。全く、これだから剣だの肉体だので語り合うタイプは面倒なのだ――
「待てッ!」
「うわ、何!?」
「何だそのふざけた服はッ! リングに上がるんなら魂の鎧を身にまとえッ!」
「パンツ一丁虎頭が何言ってんの!? 魂の鎧って何!?」
そこで横からスッと差し出される袋。
「ナツキちゃん、これ」
「ラッカさん!? これって……」
「魂の鎧。子供用サイズな」
「なんであるの!?」
袋を開ける。出てきたものその1、イノシシ顔のフルフェイスマスク。出てきたものその2、……マイクロビキニ、黒。
「ラッカさんのえっち!」
「ぶごふぅっ!?」
渾身のビンタを頬に受けたラッカが水路に落ちていく。
「さあナツキッ! 魂の鎧を身にまといッ、リングに上がれッ!」
「や、やだ! ……マスクだけでいい?」
「何ッ……、全裸マスクだとッ!?」
「んなわけあるかー! 今着てる服はそのままに決まってるでしょ!」
イノシシマスクを頭に被り、目の部分の穴の位置を調整する。ふと気づく、イノシシだと思っていたがこれはポポムーなのかもしれない。どっちでもいいけど。
「フッ……面白いッ! 半魂で俺様に歯向かうとは命知らずッ! だがその漢気、気に入ったッ! 俺様こそ《水魚の婚礼》が頭領、魂の名はドラゲリア・ライラハート・ティガルクスッ! さぁかかってこあふぅん……」
「ボクはナツキ。隙だらけだよ、ドラゲリアさん――って、あれ?」
ぺらぺらと口上を垂れている間に歩み寄り、小手調べにと鳩尾に入れた掌底一発。それだけで男はふらふらとよろめき、足を踏み外して水路へと落ちていった。想定外の弱さである。
ナツキが数十秒前に被ったマスクを脱ぎ捨て、男の巨体が大きな水しぶきを立てると同時に、カンカンカンカーン! とどこかで聞いたことのある気がするゴングが鳴り、
「ナツキさん、上、上なのですーっ!」
「へっ? 上って――」
アイシャの叫びを聞き、特に殺気も気配も感じないけど、と上を見上げた目の前に迫る、大量の水。いや、この匂いは――
「は――ごぽがぽぽっ……!?」
――ドバシャアン!
天井に開いた穴から演武台全域目掛けて降ってきた大量の酒が、避ける間もなくナツキの全身をアルコール塗れにし、
『コングラッチュレイションッ!! ウィナー、《挑戦者》ナツキィィイッ! フゥ――――ッッ!』
どこからか流れた暑苦しい放送(さっきの男の声)が、水音をかき消すほどの爆音で鳴り響いた。
☆ ☆ ☆
「だから魂の鎧着たほうがいいって言ったのに……」
「そーゆうもんらいじゃらいの! わかりゅ!? そーゆくよすってらに!? ださい!」
「はい……いや、ダサくはないッ……」
「ださい!!」
「はい……」
「らいたいなんらの!? ボクはたたかいにきたんじゃらいってゆってぅのに! じぇんじぇんはらしきーてくれにゃいし! あちゅくるしーし! らっかはえっちらし!」
「はい……すみません……」
「いや俺……おやっさんから袋渡されただけで、中身知らなかったんだけど……」
「なんれらかみかくにんしらかったの!? らっかきらい! へんたい! もうおにーちゃんってよんれあげらい!」
「うぐっ、そんな……」
「おへんじは!?」
「はい……すみません……うぅ、なあリリム姉、これどうすれば」
「100パーセントあんた達が悪いから、酔いが覚めるまで怒られてなー」
「マジかよ……」
「はわぅ、ナツキさんが壊れちゃったです……わたしが上向いてなんて言っちゃったせいなのです……」
「り、りりむ、りりむ! なつき、へん……!」
「ナツキお姉ちゃん、だいじょうぶ……?」
「あーうん、大丈夫。すぐ水は飲ませたし、中毒症状は出てないから時間が経てば治るよー。……でも子供にお酒ぶっかけたこいつは許さないけど」
「ひっ、ま、待ってくれッ、魂の決闘の勝者に贈るシャンパンシャワーはウチの伝統でッ」
「んー、ちょっと黙ろうか。急性アルコール中毒って知ってるかな? みっちり教えてあげるからこっちに……」
「りりむおねーちゃん、らめ! いまボクがおこってゆの! むー!」
「んあっ……酔いどれナツキちゃんかわいい……じゃない、だめだめ、何考えてんのあたし!」
「でもこのナツキさん、いつもより子供っぽくてかわいくて……なんか……抱きしめたくなるです」
「えー、ハロはいつものお姉ちゃんの方がいい……」
「にーこも……にーこ、なつきなおす!」
「えっ、あ、ニーコちゃん、待っ――」
「ふあふあしゃん!」
☆ ☆ ☆
「……ん?」
気がつくと、足元に男が二人正座していた。
片方はラッカ、もう片方は――筋骨隆々虎マスク男。こいつは誰だったか、ああそうだ、「おやっさん」だ。戦いに勝って、天井から降ってきたアルコール臭のする液体を飲んでしまい、喉が焼ける感覚のあと、くらりと視界が歪んで――その後の記憶がない。
「えっと……」
自分の体を見下ろすと、プール用バスタオルのようなタオルが巻かれている。アルコール漬けになってしまったワンピースはリリムあたりが脱がせてくれたのか。すーすーするのでこの下は恐らく全裸だが、魂の鎧とかいうマイクロビキニを着せられるよりはマシか――
「なつき!」
「わっ、にー子?」
ぎゅっと飛びついてきたにー子を抱き返して、ふと視界の端に黄緑色のマナの残滓を捉える。……なるほど、アルコール中毒でぶっ倒れたのをにー子が治してくれたのか。
「にー子が助けてくれたんだね、ありがと」
「にぁ!」
「それで、その……二人は何してるの?」
ずーん、と効果音が聞こえそうな様子でラッカと「おやっさん」が正座している。虎マスクをつけたままなので素顔は分からないが、何やら相当凹んでいるようだ。
「いや、そのッ……これは……」
「記憶が飛ぶパターンか……」
「え? 記憶?」
「いやなんでも……その……ごめんな、ナツキちゃん……」
「すまなかったッ……」
「え!? なに、二人とも、リリムさんに怒られたの……?」
医者のリリムのことだ、子供に酒を飲ませるなんて、と激怒したのだろう。酒はラグナで二十歳を迎えたときに経験済みだが、今のこの幼女ボディには害が大きいのは確かだ。
だがまあ多分幼女があの演武台に上がることは想定外だろうし、勝者への祝福としては相当に贅沢な類のものだ。悪気はないのだろう。
「二人ともそんなに気にしないでいいよ。ボクはほら、にー子のおかけでピンピンしてるから大丈夫! ちゃんと話を聞いてくれればそれでいいからさ、正座なんてしないで、ね?」
これからこの「おやっさん」にはかなり図々しい交渉をふっかけることになるのだ。寛容な心で、友好的に臨まなくては。暑苦しいとか諸々のネーミングがダサいとか、思っても絶対に口には出さないようにしよう。
そう思って笑顔でフォローを入れたのだが、二人には追加ダメージが入った様子だった。何故だ。
「おやっさん……これが普段のナツキちゃんなんだ、めっちゃ優しくていい子なんだ……。だからよ、相談に乗ってやってくれねーか……」
「そうみてえだな……胸の内じゃ怒りが収まってねえだろうにッ……俺様はこんな子になんてことをッ……」
「あ、あれ? そんなことないよ、ボク全然気にしてないよ……?」
何故か二人は全然顔を上げてくれず、しばらくの間猛省し続けていた。その姿勢は大変結構であるが、一体リリムは何をしてここまで彼らを凹ませたのだろうか。これでは話し合いが上手く回らないのでは、とリリムを見ると、呆れたような表情を返された。一体何だと言うのだ。




