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最後の朝

 目覚まし時計が一日の始まりを告げる。

 窓から差し込んだ光が、薄く開けた瞼の隙間へと飛び込んでくる。


「んー……」


 いつも通りの《子猫の陽だまり亭》の朝。そう思いかけ、これからはいつも通りではなくなってしまう朝であることに気づく。そもそも今日この朝ですら日常とは言い難いのに。


「にぅー……」

「にー子、おはよ」


 同じ布団の中、起きたくないという気持ちを全身で表現して丸まっているにー子の頭を撫でる。さらさらと柔らかい黄緑色の髪が揺れた。

 ぎゅ、と小さな手がナツキの服の裾を握る。まだ布団の外には出たくないものの、置いていかれるのは嫌らしい。


「なつきー……にぅ、にーこはー……でも……だめにゃの……わかぅ?」

「んー、分かる分かる」

「にー……、なつき……だいすきー……むにゃぅ……」

「うん、ボクも大好きだよ、にー子……」


 寝ぼけ中のにー子とぼんやりした会話をしながら、思う。二度寝してしまえば、この幸せを一生閉じ込めておけるのではないかと。アイシャとにー子、そこにハロも加えて、《子猫の陽だまり亭》での慌ただしく騒がしく、それでいて穏やかで暖かい日常が続くのではないかと。


「はは……秋葉やハロのこと言えたもんじゃないな、こりゃ」


 自分で自分に苦笑する。現実逃避したって何の解決にもならないことくらい、分かっているはずだ。

 にー子はナツキの独り言には反応せず、再びすぅすぅと寝息を立て始めた。丸いほっぺたをぷにぷにとつつくと、猫耳がへにゃりと垂れ、軽くいやいやと頭を振られる。そのまま指を避けるように頭をこちらに寄せてきたかと思うと、はむっ、とナツキの寝巻きの胸元を口にくわえた。


「んにむ……」

「こらにー子、もぐもぐしないのー。パジャマは食べられないよ」

「んぅーぅ……」

「ボタン取れちゃうでしょー、もう」


 ぽんぽん背中を叩きながら言うと、にー子は少し不満げな声を上げながら顔をぐりぐりと押し付けてきた。柔らかい布に触れていると落ち着くのだろうか。

 温かい体温。守りたかったもの、守れたもの。その僥倖の代価は……決して安くはない。


「ほらにー子、そろそろ起きないと」


 仮眠のつもりだったのに、目覚まし時計に起こされるまでぐっすり寝てしまった。怪我はにー子が治してくれたはずだが、心の疲れが残っていたのかもしれない。

 同じベッドで寝ていたはずのアイシャや、殺人的な寝相でにー子を絞め殺しかねないと隣のベッドに寝かせられたハロの姿は見えない。先に起きて下りたのだろう。疲れているだろうからと気を遣ってくれたのかもしれない。

 ……と思っていたら、トタトタトタ、と廊下を走る軽めの足音が響いてきて、


「たいへん! ナツキお姉ちゃん、たいへんだよ!」


 勢いよく開いたドアの向こうから、たれ犬耳をばさばさ動かしてぴょんぴょこ跳びながら、ハロが現れた。


「おはよ、ハロ。何か問題発生?」


 いつ《塔》の連中が押し寄せてきてもおかしくない状況だ。のんびりしていた思考を切り替えて《気配》術を広めに巡らせるが、敵意は感じ取れなかった。


「おはよう! あのね、アイシャお姉ちゃんがたいへんなの!」

「え、アイシャが? すぐ行くよ!」


 その身に天使の魂を宿していると分かった今、アイシャは何が起きてもおかしくない特異点だ。寝巻きをはむはむし続けるにー子をそっと引き剥がし、ベッドから飛び出した。


「こっち!」


 ハロに先導された先は階下ではなく、二階の端にある倉庫だった。掃除用具やら保存食やら、雑多なものが詰め込まれているそこには――なるほど確かに、大変な状態のアイシャがいた。


「……アイシャ!?」

「はぁ、はぁ……ナツキ、さん……うぅ、苦しいです……」


 そのアイシャはアイシャだった。謎の天使ではない。猫耳も尻尾もついていたし、ハロ達が見たという深紅の半円が頭上に浮いているわけでもなかった。

 しかしアイシャは床に仰向けに倒れていて、とても苦しそうに……大きく膨らんだおなかをさすっていた。


「一体何があったの!?」

「アイシャお姉ちゃん、天使様をよびだすって……」


 ハロの答えを聞き、概ね状況を理解する。昨日アイシャに聞いた話によれば、例の天使はアイシャが余分に摂取したエネルギーを糧に会話したり力を振るったりしているらしい。ゆえに、天使に早く会いたければ大食いすればいいと、そう考えたのだろう。


「気持ちは分かるし、方針は間違ってないと思うけど……こんな、動けなくなるまで無理しちゃだめだよ、アイシャ……」

「あぅぅ……こんなはずじゃ……」


 アイシャの耳がしゅんと垂れる。


「いつもなら、もう消化されてるはずなのです……おかしいのです」

「あのねアイシャお姉ちゃん、いっぱい食べるとね、しょーかもいっぱいしなきゃなんだよ?」

「そんなことないのです! 食べ終わってしばらく待てば、まとめてなくなるはずなのです……」

「えぇー?」


 これまで何度も驚かされてきた一瞬の消化。ラクリマ特有の不思議な性質なのだと思っていたが、ハロの反応を見るにどうやらそうでもないらしい。


「うぅ……ごめんなさいなのです、ほんとは分かってるです。今までずっとすぐ消化してくれてたのも天使さんで、今は力を使い果たしてしまったから、消化することもできないのです……」

「なるほどね……」


 昨日の戦いで、最後アイシャは天使のエネルギー切れで落下死しそうになった、というのは聞いていた。それは誇張でも何でもなく、アイシャの内にある天使は本当に最後の最後まで力を絞り出してくれたのだろう。

 

「事情は分かったけど、何で倉庫なんかで? 食料庫は下だよ? ……いや、食料庫でならいい訳でもないけど」

「燃料はこっちにしまってあるですから」

「燃料? ……あー、あれか」


 ドール用一型燃料。飴玉のように小さいが、食べると腹の中で弾けて大量の栄養剤が胃を満たすというやつだ。ドール連れのオペレーターが宿泊しに来た時のために常備しているとラズが言っていた。


「それにラズさんには、昨日たくさんグラタンとシチューを作ってもらったです。天使さんが出てきてくれるまで食べたら、今度はお店の食べ物が無くなっちゃうかもしれないと思ったです……」

「お店の食料庫空にするほど食べるつもりだったの!?」

「食べるのと消化するのを繰り返せば、ずっと食べ続けられる……はずだったです」


 アイシャは不満げに自分のおなかをぐいぐい押したが、それで消化が進むわけもなく、苦しげに表情が歪んだだけだった。



☆  ☆  ☆



 ピュピラ島を大混乱に陥らせた作戦の首謀者たる面々のほとんどが今、《子猫の陽だまり亭》に集まっている。ナツキ、アイシャ、にー子、ハロ、リリム、リモネちゃん、ネイ、そしてこれまでに出会った全ての天の階(イオニア)達だ。ラムダやヴィスコ、情報屋の二人はいないが、ナツキを中心とする味方陣営の最大戦力は揃っていると言って差し支えないだろう。ガラス玉になっているメルクが仲間かどうかはさておく。

 戦力を一点集中させるのは一網打尽にされてしまうリスクもあるが、地の利がある場所でここまでの法外な力が揃っていれば話は別だ。エルヴィートが攻めてきてもスーニャが撃退できるし、ギフティア部隊がやって来てもリモネちゃんには逆らえない。

 問題は《塔》の天使だが、ピュピラ島からはスーニャの次元断層経由で人目に触れずに逃げおおせたので、発信機でも付けられていない限りは多少の時間的猶予はある。リモネちゃん曰く、天使とて千里眼を持っているわけではないらしい。

 というわけで、《子猫の陽だまり亭》で一晩の小休止を取ることにしたのである。


「でも、ずっとここにいるわけにはいかない」


 一階ホールに集まった面々を見渡しながら、ナツキは告げる。


「アイシャによれば、天使同士の交渉があって、この星全域での『かくれんぼ』で決着をつけることになった……らしいんだけど」

「あたし達も聞いてたよー。意味はよく分からなかったけどねぇ」


 リリムが軽く肩をすくめ、周囲の面々もそれに頷く。天使達の交渉の詳細な部分は《念話》術のようなテレパシーで行われ、その結果をアイシャに伝える前にこちら側の天使は電池切れになってしまったらしい。


「んーと、かくれんぼってことは……もういいよーって言うまでは待ってくれるのかなぁ?」

「だといいっすねぇ。それでも、なるべく早く行動するに越したことはないっす」


 ハロの推測ほど甘い対応ではないだろうと思う一方、わざわざ「かくれんぼ」なんて表現をしたことには何かしらの意味があるだろうとも思う。そしてこちら側からその条件を切り出した以上は、何かしらの勝算があると考えたいところだ。


「それに《塔》はともかく、ピュピラ島であれだけやらかしたら警察が何かしら動くっすよ。かくれんぼの約束なんか知ったこっちゃないっす」


 ネイが補足を入れてくれる。なるべく被害を出さないように、特に無関係な現地人から死人や怪我人を出すことは絶対に避けろと《同盟》の面々には厳命してあったが、これだけの騒ぎを起こした以上テロリスト扱いになるのは当然だ。

 そしてネイは警察官であり、テロリストを追って捕まえる立場の人間である。


「えっと……ネイさんは見逃してくれる、んだよね?」

「ウチはウチの正義を貫くだけっす!」

「ネイさんの正義?」


 何か信念があるのかと問いかけると、面と向かって聞かれるのは二度目っすね、と少し照れたように笑いながら、しかしはっきりと答えてくれた。


「子供が笑っていられる世界を守ること、それだけっす」

「っ……!」


 息を飲む。その「子供」にラクリマ達も含まれていることは、優しい視線がハロの方を向いていることからも明らかだった。

 しかしそれがこの世界において最も実践の難しい正義だということは、ネイ自身も分かっているはずだ。その信念に基づいた行動は《塔》の定めた規則を破ることになりかねないということも。それでもその道を進むために、ネイはナツキ達の味方につくことを選んだと……そういうことなのか。

 ネイに対して尊敬の念を抱き始めたところで、向けられる視線に耐えかねたように彼女は目を逸らした。


「ま、実のところは、こっち陣営につく以外に生き残る選択肢がなかっただけなんすけど……」

「当然ですねー。聖窩(ヴォイド)に侵入しておいて元の生活に戻れるわけがないです」

「あはは……まあそうだよね」


 リモネちゃんが補足した通り、このまま何事も無かったかのようにピュピラ島に戻って元通りの日々を過ごすには、ネイは色々と知りすぎてしまっている。《塔》や聖窩(ヴォイド)のことはもちろん、《同盟》や情報屋界隈の奥深くまでずぶずぶに浸ってしまった今、身の安全を考えるとこのままこちら側にいる他に道は無いのだ。


「でも、ネイさんにとっての正義に嘘はないよね? ネイさんの考え方、ボクはとっても好きだよ!」

「そ、そっすか……はは、素直に嬉しいっすね」


 この場には彼女の正義を否定する者はいない。満場一致の頷きを受けて、ネイは照れたように笑った。


「それでリモネちゃん、ネイさん、《塔》や警察が本気でボク達を探し始めても隠れ続けられる場所に心当たりはある?」


 話を戻しがてら、恐らくこの場で最も《塔》や民間警察の能力を熟知しているであろう二人に振る。リモネちゃんはしばらく考え、首を横に振った。


「ずっと位置を悟られずに生きていける、という場所はないでしょうねー。まだ《塔》にはセイラがいますから……」

「セイラ?」


 聞き覚えのある名前に反応するが、まあよくある名前だ。ペフィロの転生前の知り合いがこんな場所にいるはずもない、と思考のノイズを追い出す。


「あたしの同僚の、もう一人の原初の涙(ニルエーラ)ですよ。セイラ=ニル=マキナ、言わば《塔》の制御中枢ですかね」

「制御中枢……」

「ええ、遊撃隊長みたいなあたしとは違って、いなくなるとマジで《塔》が崩壊して人類滅亡まっしぐらな感じのポジションですよ」


 そこまで言って、リモネちゃんは寂しげに、あるいは申し訳なさそうに顔を伏せた。


「リモネちゃん……?」

「いえ……セイラもきっと、あたしやキルネみたいに洗脳されてるんだろうな、と思いまして」


 そのセイラという人物は、にー子を助けるべく天使に直談判をしに行こうとするリモネちゃんを止めようとしたらしい。それに反発して「閉じ込め」たことで、結果的に今回の作戦を邪魔されずに済んだのだとリモネちゃんは語った。


「ま、今回の事件の成否だとか一人だけ置いていかれただとか、洗脳されてようがいまいがセイラはその辺気にしないんで、大丈夫でしょう」

「え、そんなあっさりでいいの?」

「いいんですよ。彼女の関心は一つだけ、聖下の計画が成功するかどうか、その結果自分の目的が達成できるかどうかです。計画の進行を延期せざるを得ない状況になった今、ナツキさんのことは敵だと思ってる可能性大ですよ」


 敵。相手にとって自分が敵なら逆も然り、と断言してしまうのは尚早だと思うが、会ったこともない人物についてあれこれ考えても仕方がない。それ以上の追求はやめ、先を促す。


「それで、セイラさんがいるとボク達の居場所がバレちゃうって言うのは……?」

「あーはい、実はですね、ある分類の聖片(サクラメント)は全部セイラと繋がってるんですよ。昇降機、船、車、鉄道、自転車、セキュリティゲート……」

「っ……移動手段!」

「はい、正解です。それに加えてラクリマの首輪と、武器類、監視カメラ……あとは《塔》のスペクトラムネットワークに接続する機能があるもの全部。この世界のどこに逃げるにしても、全てを避けて通るのは無理でしょう」

「警察も、容疑者探しは《塔》に依頼して手伝ってもらうっす。天使様にその気がなくても、そのセイラさんが動いたら終わりっすね……」

「うーん……厳しいな」


 絶望的な返答に歯噛みする。異世界に飛ばされて現代技術を駆使した情報戦で敵を圧倒、なんて話はよく聞くが、今はその真逆の状況だ。異世界に飛ばされて未来技術を駆使した情報戦で圧倒されている。

 惑星ノア全体を監視している人工衛星のようなものがないのなら、街を避けて山奥にでも隠れれば……とも思うが、ノアにおいて街や整備された道以外は全て神獣のテリトリーだ。ホロウベクタなる兵器によって9割以上の神獣は人類の生息圏(グランアーク)に入ってこられないとはいえ、1億の1%は100万である。使い魔も含めれば更に膨大な数の脅威が今も圏内に存在していて、大量のハンターやオペレーターが生計を立てられる程度には人の目に触れる場所に出没しているのだ。人の目に触れない、街から離れた山奥などに立て籠もるようなことをすれば間違いなく大規模な戦闘になる。


「短期間潜伏するくらいならともかく、ずっと住むのは……追い出された神獣が周囲に与える影響も……」

「ナツキちゃん、ちょっといい?」


 思考の海に沈みかけていたナツキを、リリムの声が引き戻した。


「あるよ、解決策」

「え……ほんと!?」

「うん。ってか、リモネも気づいてるでしょー。ずっと位置を悟られずに生きていける場所はない、なんて言って……嘘じゃないけどねぇ」

「リリムさん……それは」


 リモネちゃんが苦虫を噛み潰したような顔になる。そんなに提案したくないことなのかと首を捻るが、しかしそれでも、今必要なのはその情報だ。可否は全てを聞いてから決めさせてもらおう。


「ずっと見つからずに生きていける場所はない。でも、()()()()()()生きていける場所はあるんだ」


 そう言って、リリムはどこかから取り出した紙――世界地図を机に広げた。

 やたら横に長いそれの一点を指差し、告げる。


「カロノミクノ。フリューナ大陸はメディル海、その真ん中に浮く水上要塞都市」

「っ……!?」


 それは、その場所は。

 思わずハロを見ると、ハロも信じられないという表情でこちらを見ていた。


 メディル海。それはこのフィルツホルンから見て、星の裏側に位置する地中海だ。

 すなわち――カイの妹ヒルネの魂が見つかるかもしれない場所。


「ここはね、ナツキちゃん。この星で唯一、《塔》からの独立を宣言した街なんだ」

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