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Lhagna/* - 夜明け前

 ヴィスタリア帝国の首都エルヴィスには、巨大建築が二つ存在する。一つは言わずもがなの帝城であり、帝立学院もそれに含まれる。ではもう一つは何かと言えば、これも現地人にとっては言わずもがなの、讃穹教会の大聖堂だ。

 夜明け前の静まり返った大聖堂。神官も信徒も全く外を出歩いていない中、ただ一人その門戸を叩く男がいた。

 コーン、とドアノッカーが澄んだ音を響かせる。木琴を叩いたような音色が余韻を残して初冬の空気に溶け、余韻すらも微かな鈴虫の鳴き声に上書きされてしまった頃、ギィ、と大きな扉が薄く開いた。


「何用でしょうか……」


 神官とて人間だ。常に慈悲深くあれと教えを受けていると言っても、日も登る前の早朝に突然訪問してくる者に対して不満を抱かないのは無理があった。

 眠たげな目を半開きにしながら、若い女神官は訪問者の姿を確認する。そしてすぐに、その表情は驚愕に彩られていった。


「やあ、こんな時間にすまないね。至急、教皇様にお目通り願いたいんだけど……いいかい?」

「!? ゆ、ゆゆゆ……勇者さ――」「おっと」


 驚きのあまり大声を上げようとした神官の口を、訪問者の手が素早く塞ぐ。


「ふぁっ……?」

「失礼。今日僕が来たことは内密にお願いしたいんだ」

「ひゃ、ひゃいっ……承知しました、どど、どうぞ中へお入りください……エクセルノース様」


 声を抑えての促しを受け、訪問者――勇者パーティの一員であるエクセルノースは、頷きを返して扉を潜った。


「え、ええと……教皇様はご自室にてお休みになられております。ご来訪を伝えて参りますが、その、どういったご要件なのでしょうか……? はっ、まさか魔王軍が何か動きを?」

「いや、実は勇者として来たわけじゃなくてね、教皇様というより、スティノさんと個人的な話があるんだ」

「は、はあ……?」


 神官は理解が追いつかず、ぽかんと口を開けた。

 讃穹教会のトップ、教皇であるところのスティネコード大司教。本名はスティノ=ゼクス=クォードで、スティネコードが神聖名だ。特に隠されているわけではないが、相当に親しい間柄でもなければ彼を本名で呼ぶことはない。

 勇者であるエクセルノースとて、そう何度も言葉を交わしたことはない相手のはずである。にもかかわらず個人的な親交があるかのように振る舞う彼の真意は。

 神官は考えを巡らせようとしたが、エクセルノースは先んじて「君は気にしない方がいい」と制止の声を上げた。


「ごめんね、あまり詳しくは話せないんだ。君は僕が来たことだけを伝えて、全部忘れて寝てしまうといいよ。……君の安全のためにも、ね」

「はわ、ひゃい……、でででは、応接室にてしばしお待ちいただきたく……」

「うん、ありがとう。ゆっくりお休み」


 エクセルノースが笑顔を向けると、女神官はぽっと頬を染め、くらりと倒れてしまいそうになりながら駆け出して行った。

 元々整った顔立ち、社交性の高い性格に勇者という身分の箔がつき、今やエクセルノースはラグナで最も人々の心を射止めた人物と言っても過言ではない。当然同性からのやっかみも多く、彼にもその自覚はあったが、特段わざとやっているわけでもなく、全てが素なのでどうしようもなかった。


「……ま、今日でそれもひっくり返るかな」


 応接室の上等なソファに腰掛けながら、エクセルノースはぼそりと呟いた。その顔に浮かぶのは、どこか覚悟を決めたような、あるいは何かを諦めたような、憂いを帯びた表情。

 しかしやがてコツコツと足音が聞こえてくると、その憂いはスッとどこかに消え失せ、いつもの穏やかな笑みへと戻っていた。


 ドアが開き、豪奢なガウンを纏った老人が現れる。煌びやかな出で立ちでありながら贅沢さ、傲慢さを感じさせないのは、その顔にたたえた柔和な微笑みによるものだろう。


「これはこれは、勇者エクセルノース殿。大変お待たせ致しました」

「いえいえとんでもない。僕の方こそ、非常識な時間に神聖なる教会の戸を叩いてしまったこと、まずはお詫びさせていただきたい」


 即座に立ち上がり、教会式の懺悔の所作――左胸に掌を添え、目を閉じて軽く頭を垂れる動きを見せたエクセルノースに、老人――教皇スティネコードは深く頷きを返した。


「赦しましょう。エコーディア様がお眠りになっていても、こうして光ある場で語らえること……全ては我らが天の恵みあればこそ。今宵の出会いに感謝を捧げましょう」


 穏やかな笑みのまま、左胸に手のひらを添えて軽く天を仰ぐ。

 分かりにくいが、つまり――天空神エコーディアの象徴たる太陽が見えない夜であっても明かりの下で話せるのは、エコーディアから仰穹の儀によって授かっている環境マナがあるおかげであり、エクセルノースの訪問はその恩恵に改めて気づかせてくれたので、喜ばしく、感謝すべき出来事である。……というような意味の返答である。

 いかに教皇とは言え本心からそう思っているかどうかは定かではないし、そもそも讃穹教の敬虔な信者達の間では一般的な定型句のひとつである。エクセルノースもそれは理解しているので、「快闊たる天に、今宵の出会いに感謝します」と定型的な礼を返した。


「おかけくだされ、エクセルノース殿。何やら至急の用だとか……」

「ええ、とは言っても勇者パーティや魔王軍とは関係なく、僕個人として確認させていただきたい事なんですが」

「ほう……? ナツキ殿の件ではないのですか」

「ああ……残念ながら、彼の死因については未だ手がかりがないのです。どこから手をつければいいのやら、とゴルグさんもお手上げでして」

「そうでしょうな。天命の行く末は天の恵みをもってしても我ら人の子には触れられぬもの……況してや気の力などという冒涜的な魔術で手を伸ばせるものではありますまい」

「……?」


 ゴルグの名前が出た途端にスティネコードは眉を寄せた。

 天の恵みたるマナを用いない魔法体系である練気術や、それと精霊魔法を融合させた派生流派である死霊術は、教会にとっては天空神エコーディアの神威を脅かしかねない異端魔術である。教典に照らせば、それらは《失われた千年(ロスト・ミレニアム)》に存在したエコーディア以外の非情な神々の力とされているのだ。

 とは言え、今や練気術や死霊術は教会の圧力だけでは排斥できない程度には大きな流派になってしまっている。教会は、信徒に対しては練気術に傾倒しないよう教えつつも、完全な悪であるとは見なさず、積極的に排除しようともしていなかった。

 だと言うのに、教会の立場の写し鏡たるスティネコードが人前で、冒涜的、などという強い言葉で練気術を否定するのは珍しい。敬虔な信者としては内心穏やかではないのかもしれないが、こうも感情を表に出してしまうほどの排斥欲があるのだろうか、とエクセルノースが首を傾げていると、スティネコードはハッと我に返ったように目を瞬かせ、懺悔のポーズを取った。


「これは失敬……ゴルグ殿もナツキ殿も、練気術によってわたくし共をお助けくださったのです。悪しき力は罪ならず、其を振るう者の罪の如何を問うべし……危うく教えを見失うところでした」

「いえ、お気持ちは分かりますよ。悪しき力と悪しき者……あるいは血縁、種族……そう簡単に割り切れるものではないのでしょう」

「いいえ、教えとは試練なのです、エクセルノース殿。乗り越えなければ……ああ、しかし、しかしです、エクセルノース殿。ゴルグ殿は、彼の者は……ああ……!」

「教皇様?」


 反省の姿勢にあったはずのスティネコードは、突然苦しそうに胸を押さえた。


「彼の者は……悪しき者かもしれませんぞ。そう判断するに値するだけの冒涜的な、とんでもない言説を、彼の者は唱えたのです……! それも、ナツキ殿が天に召される少し前に……。おお、何と恐ろしい……!」

「冒涜的な……言説?」

「ええ……いえ、わたくしの口から語るにはおぞまし過ぎます。はぁ……失礼、お見苦しいところをお見せしましたな。ともかく、彼の者の語るもっともらしい言説にはお気をつけくだされ、エクセルノース殿。気分を悪くされることを承知で忠告させていただきますがな……気心の知れた間柄というのは、最も悪に騙されやすい状態なのですぞ」


 その忠告に対し、エクセルノースは特に言葉は返すことなく、笑顔のまま頷いた。それを見たスティネコードはほっと胸を撫で下ろし、居住まいを整えた。


「話を戻しますかな。ナツキ殿の話ではないとなれば、召喚の儀に関することですかな。あいにく、わたくしめも天より啓示を授かっただけなのです。その深い御心までは……」


 召喚の儀。それはエクセルノース達「勇者」がこのラグナという星に転生した際、ラグナ側で教会が執り行っていた儀式である。ラグナの人々は皆、この儀式によって勇者達が召喚されたのだと信じている。

 祭壇を作り供物を並べ、という分かりやすい儀式だが、それが本当に転生に必要なものだったのかはエクセルノースには分からない。しかし実際に転生するタイミングで儀式が行われていたことは事実であり、スティネコードによれば、そうせよという「啓示」が天空神エコーディアから降ってきたのだと言う。

 その辺りの真相を確かめに来たのなら無駄足だ、と言うスティネコードに対し、エクセルノースは「いいえ」と首を横に振った。


「正直、それも気になっている点ではありますが……僕がお聞きしたいのは、天空神エコーディア様に関することです」

「……ふむ? 聞かせていただきましょう」


 ピクリとスティネコードの肩が動く。柔和な目が薄くなり、見定めるようにエクセルノースを観察する。


「そうですね、まず――」


 そう語り始めた矢先、エクセルノースは一つ息をつき――()()()()()()


「というか、もう確かめるまでもなく分かってるんだけどね。一応、答え合わせに来たんだ。スティノさん……いや、スティノ・エコズ」


 口調が変わり、表情から優しげな笑みが抜け落ちる。神聖名でも本名でもない名前が口にされた途端に教皇はガタリとソファから立ち上がり、警戒を込めた目でエクセルノースを見据えた。


「何を知ってしまったのですか。いいえ、お止めなさい、それ以上を口にしてはいけない」

「知ってしまった? はは、おかしなことを言うね。君たちは知ってて僕を召喚したんだろう? 僕の立場に立って考えてもごらんよ、気づかない方がおかしいとは思わないかい」

「…………それは」


 押し黙る教皇を見て、エクセルノースはもはや答えはそれで充分とでも言うように肩を竦めた。


「それでも僕を召喚したのは、それほどまでに魔王軍の力が強大だったからかな。リスクを取ってでも戦力増強が必要だった。君達の力では対処出来ない……いや、君達は()()使()()()()、が正しいか。僕達にできることが、君達にできないわけがない」

「……いつかこの日が来てしまうことは、かねてより危惧されておりました」


 畳み掛けられた追及には明確な答えを返さないまま、教皇は諦めたように首を振り、エクセルノースを見つめた。その柔和な顔に浮かぶのは――困惑。


「しかし何故です、エクセルノース殿。何ゆえ今なのですか。まるであなたに利益が無い。気づいていない振りを続ければ、あなたは望む物を手に入れられたはずです」

「望む物?」

「そうですとも。地位、名声、金銭、土地、伴侶、家族……あなたがことごとく奪われたものが今や、望むだけでいくらでも――」

「ははっ……いや、すごいね」


 乾いた笑いと共に放たれる冷たい視線に、教皇は口を噤んだ。


「転生してから初めてかもしれないな。……純粋な憎しみで相手を殺したいと思ったのは」

「…………」

「奪われた、か。本当に、よくそんな言葉を吐き出せるものだと思うよ。……僕から、僕達から全てを奪ったのは君達だろう!」


 叫びと共に、エクセルノースが伸ばした指先から光の刃が現れ、音もなく教皇の首筋に突きつけられた。しかし死の一歩手前にあるはずの教皇は微動だにしない。


「さて……わたくしに、そのような記憶はありませんな」

「そうだろうね。悪いけれど、僕は君の言うところの『試練』は乗り越えられそうにないみたいだ」

「……おやめなさい。わたくしを亡き者にしても、あなたの憂いは晴れぬでしょう。まさか無為な復讐のためにいらした訳ではありますまい? エコーディア様について()()()()来たと仰いましたが、それだけでもないでしょう」

「ああ……そうだね。聞きたいことがあるんだ。天空神エコーディアの正体が僕の推測通りなら――君がスティノ・エコズであるように、彼がエコズ・ダイアなのだとしたら」


 一呼吸、


「僕の妹は……イゼアノースは一体、どこにいるんだい?」


 その問いに対し、教皇はしばらく答えを返さなかった。

 何かを考えているのか、迷っているのか――沈黙の数秒が過ぎ、エクセルノースが光の刃を首筋に当て直したところで、ようやく教皇の表情は動いた。困惑は消えさり、代わりに現れたのは――穏やかな笑みに重なるように滲み出る、嘲笑。


「いやはや……そうでしたな。あなたは愚かな選択をしたのでした」

「何を言って……」

「妹様がどこにいらっしゃるか、その問いにわたくしが答える必要も、意味もありませんな。あなたはその答えの真偽を確かめる術を持たないのですから。ああ、それと」


 スッ、と教皇の指先が光の刃に触れる。ただそれだけで、エクセルノースの指先から伸びていた光のマナの奔流は途絶えてしまった。


「なっ!?」

「あなたの言う通り、わたくしはこの世界で自由に力を振るえない。Ψ波の特異点、《天罰》の対象とならないあなた方勇者にしか、《歌声》の下で魔王に相対することはできなかったのです。しかし」


 教皇の姿が一瞬にして消え、目を見開いて固まるエクセルノースの背後に現れる。


「あなた方には《歌声》が届いていない。それが魔王と勇者の違い」

「っ!?」


 エクセルノースが振り返った瞬間、スティネコードが伸ばしていた指先がエクセルノースの額に触れる。腕から先は微動だにしないまま、まるでその位置に額の中央が来ることを予見していたかのように。


「つまり――この場にわたくしとあなたしか居ないのならば、わたくしは自由に力を振るえるということですよ。……アテが外れましたかな、エクセルノース殿?」


 指先が光り、エクセルノースは糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。



☆  ☆  ☆



「ゴルグ先生!」


 学院の研究塔、ゴルグの研究室の扉が勢いよく開き、息を切らして駆け込んできたのは小柄な影。


「先生、お師匠様、ゴルグ様! 大変ですわ! 起きてくださいまし!」

「なんじゃリシュリー……朝っぱらから騒々しい……」

「こんなきんきゅー事態、そーぞーしくもなりますわ! 今朝の教会報ですわ、早くお読みになってくださいまし! エクセルノース様がっ……!」

「彼奴がなんじゃ……うむ?」


 リシュリー王女に叩き起こされたゴルグは、投げ渡された教会報――讃穹教会が教会にまつわる日々の出来事を公開している紙束に寝ぼけ眼を通していく。

 その最前面に大きく掲載されていたのは、エクセルノースの写真と、リシュリーにとってはあまりにも信じ難い見出し。


「エクセルノース様が……教皇様をおそおうとして、つかまったって……!」

「ふむ……。まあ、そうなるじゃろうな。当然のことよ」

「ええっ!?」


 仲間の危機にもかかわらず、ゴルグは平然としている。慌てるあまり涙目になってしまっているリシュリーの頭に手を置き、彼はニヤリと含み笑いを浮かべた。


「計画通りじゃ」

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