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Noah/υ - 願いの代償 Ⅲ

 今からおよそ、六年半ほど前のことだ。

 その少女を拾ったのは、全くの偶然だったと言っていい。


「あのー……すみません、ここはどこですか」


 ヘルアイユの縁にほど近い、小さな涙の遺跡。

 たまには運試しでも、と軍に売るためのラクリマを発掘しにきたわけだが――


「……あと、その、何か布をいただけると……とても助かります」


 まさに入ろうとした遺跡の入口から、全裸の少女が出てきた。

 人間だ、と思った。どこにも忌印(シグナ)はなく、人間の言葉を使い、胸と股間を手で隠して裸であることを恥ずかしがっている。年齢は十には届いていないくらいだが、成長度3~6程度で発掘されるラクリマよりはかなり背が高い。


「む、無視しないでくださいよう」


 ふわり、柑橘系の香りが漂ってくる。香水までつけているとはませた子供だ。


「おめぇ、何だ? ここは涙の遺跡、俺らシーカーの狩場だぞ。ガキが体売りに来る場所じゃねェ」

「かっ、体売りに来たわけじゃないですよ! あたしも何でこんなとこにいるのか全く分かってなくて……あの部屋に戻されるんじゃなかったんですか……うぅ」


 じわ、と少女の目に涙が浮かぶ。


「あーったく、何だか知らねェが泣くな、ほら」


 リュックサックを下ろし、大きめの止血用の布を投げ渡してやる。


「あ、ありがとうですよー……ぐすっ、なんであたしこんなことで泣いてるんですかね……まさか体が縮んだから……あ、この布切っちゃっていいです? ただ巻くだけはちょっと」

「図々しいガキだな。まァいいが……鋏どこやったかな」

「あーいいですいいです、自前でやるんで。《ウィンドエッジ》」


 ヒュヒュ、と鋭い風が何度も通り抜けるような音がした。


「……は?」


 少女が生み出した黄緑色の風の刃が、布を切り裂いて整形し、即席の服を作り出していた。


「んしょ……ふぅ、幼女になってしまったとはいえ、さすがにすっぽんぽんは堪えますね。最初に出会ったのがロリコンじゃなくてよかったです。重ね重ね、ありがとうですよ」

「いやおめェ今、異能(ギフト)を……まさか、ギフティアか!?」

「は……あーそうか、面倒ですねこりゃ。やっちまいました」


 こちらの気も知らず、どうしようかな、と呑気に何かを考え出す少女。

 目の前で風の刃を生み出した。そんなことができるのはギフティアしかいない。もしそうなら……捕まえて《塔》に提出すれば多額の報酬が手に入る。忌印(シグナ)のないラクリマなど前代未聞、一攫千金も夢ではない。


「一攫千金も夢じゃないとか考えてそうなところ悪いんですが、《塔》に提出する気ならやめたほうがいいですよー。あたし、そこいらのギフティアとはちょっと違うやつなんで」

「っ……!? 何だ、おめぇ」


 この少女がこの涙の遺跡で生まれたギフティアで、今自分が見つけたのだとすれば、ギフティアだの《塔》だのと言った知識を持っているのはおかしい。心を読んだ? まさか……


「あなたのご想像どおり、あたしはラクリマです。それを知ってしまった人はいますが、知っている人はいません。意味はわかりますね?」

「……天使の剣(イオニズマ)とかの同類か」

「ちょっと違いますが、まあ似たようなもんですねー。スーニャに会ったことあるんです? あの子今どこにいるんですかね」


 冷や汗が背を伝うのを感じる。

 間違いない。存在を知っただけで消されるタイプの、ワケありのラクリマだ。扱いを間違えれば――待つのは死。

 何という運の悪さだ。別に来るのは昨日でも明日でも良かった。なぜ今日来てしまったのか。数時間前の自分を殴り飛ばしてやりたい。


「……見なかったことにして帰っから、見逃しちゃくれねェか」

「まあまあまあ、落ち着いてください。取引をしましょう。せっかくこんな場所まで飛ばされたんです、あたしはもう《塔》には帰りません。なので養ってください」

「……、はァ!?」

「帰る場所のないかわいい幼女が娘にしてくださいって頼んでるんですよ? 二つ返事でオーケーするところですよ、ほらほら」


 いきなり何を言い出すのか。家出少女だろうが何だろうが、こんな超危険物、家に置いておけるわけがない。断るしか……


「断ったらあなたは口封じで死にますけど」

「脅しじゃねェか! 何が取引だクソッタレ!」

「まあ聞いてくださいよ。あなたシーカーみたいですけど、副業ですよね? 雰囲気がそんな感じです。本業は何ですか?」

「あァ? 聞いてどうすんだよ」

「働かせてください」

「…………あ? 何だって?」

「養子がダメなら住み込みで雇ってくださいって言ったんです。大丈夫です、聖下だって千里眼持ちじゃないですから、こんな幼女の姿で一般市民に紛れてるあたしを見つけることなんかできっこないですし……それに、きっと探してもくれませんから」


 何かを捨てるように、少女は答えた。


「おめぇ……」


 親に見放され、路頭に迷っている子供。親から解放され、自由を謳歌している子供。少女の印象はそのどちらでもあり、どちらでもないような気もした。

 

「お願いします。この世界での人生を……やり直させてください」


 ぺこり、少女は丁寧に頭を下げた。その姿はどこか必死で、演技には見えなかった。


「逃げてるだけってのは分かってます。でも……戻ったらまた、同じことの繰り返しですから。もう嫌なんです……同じ過ちを繰り返すのは」


 助けてください、どうか、と言い募る少女の声は震えていた。ぽたりぽたりと水滴が少女のつま先を濡らす。


「何にせよ断ったら俺ァ殺されんだろ、ったく……分かったから顔上げろ、どうにかしてやる」

「……ありがとうございます、えっと……」

「俺ァダイン、ハンターだ」


 身分証代わりのタグを出して見せると、少女はぎょっと目を見開いた。


「わお。……え、ダインってまさかあなた、あのダイン=ユグドですか!?」

「だったら何だってんだ」

「いえ、単純にびっくらこいただけです。うはー、なるほど」


 あっさりと涙を引っ込めた少女は、しげしげとこちらの顔を眺めていた。《塔》はともかくそこのギフティアにまで知られているとは。


「はァ……ずいぶん名前が売れちまったもんだな……」

「そりゃそうでしょうよ。……ってことは確か次期ギルドマスターですよね。うーん、ギルドですか……」

「ギルマスは来年からな。……ウチで働くなら裏方も裏方の倉庫番とかになんぞ。窓口は《塔》の連中も来やがるからな」

「むむぅ……あんまり楽しくなさそうですね。あなたの家のメイドとかベビーシッターとかどうです? 子供の面倒見るのは割と得意ですよ、あたし」

「俺にガキはいねェし、妹はもうそんな歳じゃねェし、そもそもウチは……あァ、いや、逆にその方がいいかもしれねェな」

「はい?」

「俺の家は宿屋なんだよ。中流の下寄りだから《塔》の連中もそうそう来ねぇ。……ギルドで抱えるよりゃマシだ」

「ほほぅ」


 ラズを巻き込むのはできれば避けたかったが、《塔》とも関わりのあるギルドで抱えるのは見つかるリスクが大きすぎる。総合的に見て全員が安全なのは、《子猫の陽だまり亭》だ。


「じゃ、メイドですかね。娘さんがいらっしゃらないなら看板娘でも? ふふ、頑張りますよー」

「はァ……んな簡単な話じゃねェぞ。ラクリマじゃねェことにすんなら身分証明が必要だろが」

「大丈夫ですよ、記憶喪失の捨て子ってことにしましょう。あのダイン=ユグドってことは、ここはフィルツホルンの近郊ですね。あそこの下級貴族は質が悪いですからね、後継ぎ争いで一服盛られて蹴りだされた可哀想な子供とかたくさんいますよ。《塔》との癒着もなかなかのもんですから、あそこの行政はワケありっぽそうな子供の身分なんて適当に捏造してくれるはずです」

「お……おう、そうか」


 幼い顔でさらっと言う台詞ではない。

 頬を引き攣らせていると、少女はにっといたずらっぽい笑顔を見せた。


「あたしの名前は……そうですね、シトラです! 姓は忘れました、記憶喪失なので。拾ってくれてありがとうございます、ダインさん!」


 それ以降、少女――シトラが《塔》のことを話すことは一度もなかった。目に見えて分かるような異能(ギフト)を使うこともなかった。まるで過去を消し去ろうとするかのように、ただの明るく元気な人間の少女として振舞っていた。


 ラズや常連客たちはすぐにシトラを受け入れた。看板娘として働くシトラはとても楽しそうで、正体を忘れそうになることもしばしばあったが――一人でいるときに時折見せる影が、彼女の心を密かに蝕んでいることには気づいていた。ラズも、シトラはよく夜中に魘されていると心配していた。


 元気に愛想良く振舞ってはいるし、心からの笑顔もよく見せる。しかしどこかしら一歩引いているというか、ここではないどこかから笑顔を投影しているような、無理をして幸せな子供という殻に自分を押し込めているような……そんな気がした。


 そんな中、シトラに友人と呼べる存在ができた。


「シトラー、遊ぼー」「遊ぼー」

「いらっしゃいですよー。そしてダメです。見ての通り仕事中なので」


 玄関を開けて元気に飛び込んでくる少女二人。一人はヘーゼル、年の離れた妹であり、当時から今に至るまでギルドの鍛冶場に住み込んでいる。

 そしてもう一人は、


「えー何でさー。シトラ、あたし達が遊びに来るといつもそうじゃん」

「リリム……そりゃあたしがここの従業員で、あなた達が開店中に来るからですよ」


 リリム。知人の学者系ハンター夫婦の娘で、ハンターズギルドにも登録されていた。ヘーゼルの一つ下、この時は11歳だったはずだ。医者を目指して勉強中……と両親は言っていたが、化学はともかく医学に興味があるとは思えなかった。むしろ得意なのは狩りの技術、特に投擲術で、ギルド主催のポポムー狩り大会では並み居る猛者を押し退けて一位を取るほどだった。

 

「あーそっか……って、開店してないとお店入れないじゃん! ヘーゼルも何とか言ってよー」

「うん? じゃあポポ串二つ、兄貴のおごりで」

「あァ?」

「はーい、ダインさんのおごりで」

「え、じゃああたしの分も……じゃなくて!」


 この頃のリリムは子供っぽく落ち着きがなかった。年齢の割に背も低く、シトラと大して変わらないくらいに見えることもあり、やけに大人っぽい対応をするシトラのほうが年上だと思う客も多かった。


「今日はごはん食べに来たんじゃないんだよ! 冒険! 冒険に行こう、シトラ!」

「そう言われましてもですね……」

「いいさね、行ってきな。子供は遊ぶのが仕事なんだからね、本当は」

「ラズさん……もうすぐお昼ですよ。ダインさんだけで捌ききれます?」

「おい待て、何で俺が手伝う前提なんだよ、今日は休暇だっつの」

「ふん、あの馬鹿猿共はあんたに会いに来てるんだ、あんたがいなけりゃさっさと帰るさ。ダインだけで充分さね」

「おい!」

「ほらシトラぁ、ラズさんもいいって言ってるじゃん。今日は冒険に行くって約束したでしょー! ね、ヘーゼル」

「ん? あ、うん。したした。した気がする」

「初耳ですよ!?」


 シトラは引きずられるように外へと連れ出されていった。

 子供たちの「冒険」はかわいいもので、上流区と中流区の境界を子供たちだけで踏み越えてみるとか、昇降機でフィルツホルンの入出管理ゲートまで登ってみるとか(門番に怒られて追い返されたらしい)、シトラにとっては退屈の極みであろう内容ばかりだった。

 そう思っていたのだが――


「今日は地底層まで行ってきましたよ! こんな地底の金属だらけの街でも川には魚がいるんですねぇ……」

「今日はエレノーラさんの修行の手伝いに行ったんです! あたしの裁縫スキルが火を吹きましたね! あのエレノーラさんのあんぐり口開けた顔、皆さんにも見せたかったですよ、ふふ」

「キールさん、今日の昼にあたしたちが尾行してたの気づいてました? あの花束、誰に渡したんですか? あはは……え、振られた……?」


 シトラは毎晩その日の「冒険」を楽しそうに語ってくれるようになった。それはどこにも後ろめたさのない、光に溢れた笑顔だった。

 本来は《塔》で何をさせられていたのか、異能(ギフト)で何が出来るのか、それは全く分からないままだったが、この時のシトラはその責務から真に解放されていた。一人でいるときに影を見せることもなくなり、きっと彼女自身も自分の正体を忘れていられる時間が増えているのだろうと思った。

 ずっとこのまま、何事もなく大人になっていけばいい。そう願っている自分がいた。そんな呟きをラズに聞かれ、「なに柄にもないこと言ってんだい」と大笑いされた。


「いいかい、あんたは何も言わないけどね、あの子がワケありってことくらいあたしも気づいてるんだよ」

「……気づいてねェことにしとけ、もしもの時におめぇも巻き込まれんぞ」

「馬鹿だね、もう巻き込まれてるよ。軍の監査官だろうが《塔》の役人だろうが、あの子に何かしようってんならただじゃおかないよ」


 言えなかった。シトラの存在は《塔》の抱える秘密の中でも最上位と考えられ、そんな生易しい覚悟、楽観的な想定では本当の「もしも」の時に後悔するかもしれないなどとは。

 しかし、およそ一年の間《塔》は表立っては何のアクションも起こさなかった。《塔》の重鎮達の動向もそれとなく追っていたが、人を探している様子はなかった。変わったことと言えば、軍の統率が少し乱れていたことくらいだった。

 きっとこれからも不幸なことは起こらない。《塔》の職員たちだって人間なのだから、そこまで理不尽な出来事など起こらない。そう勝手に決めつけていた。


 そんなある日、リリムを連れずにヘーゼルが駆け込んできた。


「兄貴、助けて! リリムが、リリムが捕まった!」

「あァ? あの冒険バカついに何かやらかしたのか」

「違う! 怖い人に捕まったの! 怖い人が、別の怖い人を殴ってて、それを止めようとしてっ、それっ、それでっ……」

「んだと――」

「落ち着いてください」


 ダインより先にヘーゼルの肩に手を置いたのは、シトラだった。


「その怖い人の特徴は」

「え、えっと、サングラスかけてた、あと、帽子、へんな帽子……あのほらっ、さむいときのやつ、えーと」

「《同盟》ですね。助けてきます」

「あ、おい、シトラ!?」


 《終焉の闇騎士同盟ダークナイツ・オブ・ジ・エンド》。フィルツホルンの裏社会を取りまとめる巨大な組織だ。そこにリリムが捕われたと聞いてざわつく店内には目もくれず、シトラは文字通り()()()()()走り去っていった。

 それは異能(ギフト)だったのだろう。仄かに黄緑色の燐光が舞っていることに気づいたのは自分だけだったか、それとも……この時にはもう気づかれていたのだろうか。

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