地の底の陽だまり Ⅱ ※
救世主は、意外なところからやってきた。
「何立ち歩いてんだい、バカ共! 飯は席について食べな!」
そう鋭い声が響き、今にもナツキとにー子をまとめて抱きあげようとしていた男の手が止まった。
「あ、ラズさん! すみません、でも見てくださいよこれ!」
「全く……何だってんだい?」
ひょい、と人だかりに入ってきたのは、エプロンをつけた恰幅のいい女性だった。ラズ――ダインの嫁だという彼女は、見るからに異世界の酒場の豪快で厳しい女主人という雰囲気だ。
お互いに抱き合って震えるナツキとにー子を見て、ラズは一瞬驚き、すぐに表情を曇らせた。
「……怯えてるじゃないか。やめな、あんたたち。かわいそうだよ」
「怯えてるって……ラクリマは感情を持たないんでしょう?」
「バカだね。こりゃ感染しちまったんだよ。人の心を写し取っちまったんだ」
「感染? なんですそれ?」
「学校じゃ教えてくれない、ラクリマの生態さね」
ラズと男の会話から分かるのは、やはり市井には、ラクリマの何たるかは正しく理解されていないということだ。学校でも教わらないということは、一般人にとってラクリマとは、謎の技術によって心を持たぬ戦闘人形となる謎の存在であって、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。
それほど、未調整のラクリマと人々が接する機会は少ないのだ。
地球で電子レンジを使う人のほとんどは、電子レンジの仕組みを知らない。スーパーで買った肉を調理しながら、屠殺場の様子に思いを馳せることはない。それと一緒なのだろう。
「そもそもどこの誰だい、未調整のラクリマなんかウチに持ち込んだおバカは。こんな猿どもの巣に連れてきたら感染するに決まってるだろうに! あたしゃ弁償はしないからね!」
ラズは、ここに集まってきた人だかりのせいでナツキとにー子が感染してしまったと思い込んでいるようだ。
ラズの言葉を聞いた人々は皆、一斉にダインを指さした。そこで初めてダインに気づいたらしいラズは、ぎょっと目を見開いた。
「ダイン!? あんた帰ってきてたのかい! もっと早く言いな!」
「今帰ってきたところだ」
「連絡をよこしなって言ってるんだよ。……で、このラクリマ二匹、ホントにあんたが連れてきたのかい?」
「そうだが、よく見ろ。片方はラクリマじゃねェよ」
「何だって?」
ずい、とラズがナツキに顔を寄せてくる。
ぺたぺたとナツキの頭や顔を撫でたかと思うと、キッと鬼のような視線をダインに向けた。
「……あんた、ついに人の子を攫ってきたのかい」
「ダインさん!?」
「ダインお前……」
「そういう趣味だったのか……」
「見損なったぜ、ダイン……」
「違ぇよ! 何が『ついに』だ!」
ラズだけではなく、客からも冷たい視線の集中放火を浴びるダイン。いいぞ、もっと言ってやってくれ。
砂漠で路頭に迷っていた孤児を拾ったんだ、という説明をされたラズは、しゃがみこんでナツキに目線を合わせた。
「あんた、名前は?」
「……ナツキ」
「ナツキ。あたしゃラズだよ。いいかい、あたしゃあの大男より強いからね、正直に言うんだよ。この大男が言ってること、ホントかい?」
尋問タイムだ。設定は事前にダインと打ち合わせてある。
ちなみに、口調も子どもっぽくしとけ、と言われている。良いだろう、元こじらせオタクがTRPGで鍛えた演技力を見せてやろうじゃないか。自分が小学生だった頃をイメージして、演技開始だ。
「うん。ダインはボクの命を救ってくれたんだよ」
……ボクっ娘幼女になってしまったが、まあ、いいか。ペフィロもそうだったし。
ダインをちらりと見ると、ナツキの変わりっぷりに若干引いていた。失礼な。こうなったらとことんこのキャラで貫き通してやろうか。……少し楽しくなってきたぞ。
「この血だらけの服はなんだい?」
「服は、ボクのじゃないよ。何も着るものがなかったから、ダインがくれたんだ」
「あー、帰る途中に見つけた死体が着てた服だ。そいつの血じゃねェよ」
ダインの補足が入った。
死体が着てた服って。まあ間違ってはいないが。
「……足と肩を怪我してるね。誰にやられたんだい」
「足は、変な虫に刺されたんだ。肩は化け物に食べられそうになったときのやつだよ。どっちも、手当てはダインがしてくれたんだ」
「化け物?」
「えっと……」
なんと答えたものか。神獣にこんな子供が襲われて無事なのは不自然な気がする。
「神獣の使い魔の残党だな。そいつに食われかけてるところを俺が助けたってわけだ」
ダインが代わりに適当なことを答えたので、ナツキも頷いておく。
神獣の使い魔、そういうのもあるのか。
「そうかい、大変だったね。……にしてもあんた、孤児にしちゃずいぶん健康だね。髪も綺麗だ。だってのに筋肉は全然ない、まるでラクリマだよ。これまでどこで暮らしてたんだい?」
ナツキの腕をぷにぷにと触りながら、これで忌印がありゃ完全にラクリマだね、とラズは呟く。なかなか鋭い。
「分からない……何も覚えてないんだ」
「……何だって?」
「記憶喪失らしい」
「そりゃまた……大変だね」
そういうことになっている。
ふと周りを見回すと、感極まって涙ぐんでいる客が数人いた。何故か少し申し訳ない気分になる。
「……お貴族様の忌み子か何かかねぇ。砂漠に捨てるなんて、酷いことするもんだよ。孤児院にはこれから連れていくのかい?」
「あァいや、ウチで働いてもらうつもりだ」
「何だって? そりゃまたどうして」
来た。設定の見せどころである。
「だってダイン、にー子を売るって言うんだ!」
ナツキはにー子をぎゅっと抱き寄せながら、そう訴えた。唸れ、俺の演技力。
「にぅー?」
なぁに? とにー子が目線を上げる。つぶらな瞳に見つめられ、一瞬心臓が跳ねた。こいつ……上目遣いの破壊力が尋常じゃないぞ。そういえば自分も今は幼女。上目遣いの練習でもしておくか――
……いかんいかん、そんなことを考えている場合ではなかった。
ナツキの叫びを聞いたラズは、目をぱちくりとさせてダインを見た。
「ニーコってのはなんだい?」
「そのラクリマの名前だ。こいつが勝手につけた」
「……なるほどね。大体見えてきたよ」
頷き、ナツキに視線を戻す。
「それがこの大男の仕事だね。それで?」
「ラクリマとか世界とか、難しいことはよく分からないけど……売られたらきっと、ひどいことされるんでしょ。にー子は何も悪いことしてないのに、何でそんなことするのさ!」
「あのなナツキ、何度も言ってるが、それがラクリマってもんなんだよ。ラクリマを神獣と戦わせることでこの世界は成り立ってんだ」
「ダインには、にー子があんな化け物と戦えるように見えるの!? ボクたちの世界なんだから、ボクたち人間が戦えばいいじゃないか!」
演技のつもりが、半分以上本音だった。子供になりきると、世のしがらみを無視した本音がするすると出てくる。これは気持ちがいい。 ちなみに打ち合わせ内容は完全に無視しているので、ダインは若干焦っている。
「なぅー、にぅ?」
「わ、ちょ、やめてよ。にー子の話してるんだよ」
何も分かっていないにー子が、ナツキの頭を撫でた。自分が暴れているときにナツキに撫でられて宥められたのを覚えていて、真似しているのかもしれない。
その様子を見て、何人かの客が息を飲んだ。ラクリマと人間がお互いを気遣い合う光景。この世界の人々にとってはいい見世物だろう。
「ダインはボクを助けてくれたけど、にー子は助けてくれないんだ。……よくわかんないけど、それが普通なんだって」
「……ああ、そうだね」
「だからボクが助ける。ボクがダインからこいつを買うんだ!」
そう言い切ると、ラズはじっとナツキの目を見た。ナツキが目を逸らさずにいると、ラズはため息をついて、
「……ラクリマの売値、知ってんのかい? 金なんて持ってないんだろうに」
「うん……三ヶ月タダ働きだって言われた」
そこまで聞いて話の流れを完全に理解したのか、ラズはダインを睨み、
「ダイン……あたしにゃあんたが悪魔に見えるよ」
「ダインさん……」
「ダインお前……」
「こんな、こんな健気な幼女に……」
「見損なったぜ、ダイン……」
「うるっせえ! んな単純な話じゃねえんだよ! 拾ったラクリマを売らずにキープすんの、どんだけ大変か分かってんのか!」
またもや集中砲火を浴びるも、ここで長々と歴史の話をするわけにもいかないダインはそう叫ぶしかない。
「ったく、今の話、《塔》の連中の前でしてみやがれ。即刻強制連行からの処刑コースだぜ」
「まあ、そうだねぇ……いいかい、ナツキ」
ラズは再びナツキに目を合わせ、諭すように言った。
「あんたは何も間違っちゃいないよ。でもねぇ、困ったことにダインも間違ってないのさ。嫌な世の中だよ、本当に」
ああ、本当にそうだ。
ラズはそれから暫し何かを考えていたが、やがてニッと笑ってナツキの頭に手を置いた。
「いいだろう。あんたも譲った、ダインも譲った。じゃああたしも譲ろうじゃないか。あんたはここで三ヶ月タダ働き、三食おやつにベッドつきだよ! 服も買ってやるから、看板娘としてしっかり働きな!」
そのラズの宣言に、店中から拍手が巻き起こった。
なんてこった。衣食住を手に入れてしまった。ラズさんこそこの世界の天使かもしれない。
「ありがとう、ラズさん! ……あ、でも、こいつはどうしよう……」
「んにぅー?」
抱きしめたままだったにー子を離すと、もういいの? とでも言うように再びの上目遣いでこちらを見てきた。やっぱりかわいい。
それを見ていたラズは、しばらく何かを考えていたかと思うと、「アリだね」と呟いてにー子をひょいと抱き上げた。
「に、にぅっ……」
「よし。あんたは今日からウチのマスコットだよ、ニーコ」
「にー?」
「おい待て、ラズ!?」
予想外の展開に食ってかかるダインを無視して、ラズは玄関近くの椅子ににー子を下ろした。
「マスコットなら服が必要だね」
そう言ってどこかからラズが持ってきたのは、フードのついたニットのセーターだ。緑と白の太いストライプの入ったそれを、素っ裸のにー子にすぽっと被せる。
「んにぅー!?」
「こら、暴れるんじゃないよ」
初めての「服」に驚き暴れるにー子を軽くいなして、魔法のように袖に腕を通す。フード脇から垂れる2つのふわふわの玉が、にー子の動きに合わせてぽむぽむと跳ねた。
「ほーら、できあがりだ」
「なぁー、んなーあぅ……」
ぶかぶかもこもこのセーターに包まれたにー子は、最初は居心地悪そうに身をよじっていたが、
「……にぁ……ふにぅ……」
やがてその温かさとやわらかさを気に入ったように、目を細めて自分の体をもふっと抱きしめ、
「……すぅ……」
そのままこてん、と椅子の上で寝てしまった。
……これは。
これは、想像以上に。
「どうだい?」
ラズが店内を見回しながらそう聞いた。釣られてナツキも見渡せば、いつの間にかあらゆる客が動きを止め、にー子の一挙手一投足を見守っていた。
「か……かわ……」
「最高っす……」
「通うぜ……」
「天国かよ……」
次々と漏れ出る、感嘆のため息。否定的な感情の一切感じられない、和やかな空間。
そんな中、ダインだけが一人、「マジか……いいのか」と呟いていた。いいんだよ。子猫様の求心力は世界共通、異世界でも共通だ。
「ふん、これでもう、店名詐欺だなんて言わせないよ」
そう言い捨てて、ラズは厨房へと帰っていった。
――こうして、『子猫の陽だまり亭』に、マスコットの子猫が爆誕したのであった。
同時に誕生したはずのボクっ娘金髪看板娘幼女は客から完全に忘れ去られていたが、まあ、いいか。
幼女が服を着たので絵が描けるようになりました。はい。
らくがきラフレベルですが、たまに入れて行きますね。