サマリー
「……情報量が多すぎる」
作戦の裏側で起きていたこと、意識を失った後に起きたことを全て伝えられ、まずナツキが発したのはそんな一言だった。
まずラムダとスーニャが裏で暗躍していたことからして完全に想定外だったと言うのに、アイシャが実は天使の雫とかいう特殊なラクリマで? 天使同士の異次元バトルが勃発? 冗談じゃない。
「ちょっと整理させて……まずここは安全地帯なんだよね?」
「ん……スーのせかい。ふぁ……ぅ」
電池が切れたか、大あくびをしてくしくしと目を擦るスーニャ。ここは彼女の異能で作られた「次元断層」の中らしい。結界による隔離空間かと思いきや、リモネちゃん曰く原理が全く異なるとのこと。某猫型ロボットのポケットのようなぬいぐるみはこの場所に繋がっていたというわけだ。
仕組みはともかく大事なのは……ラムダと《マスター》がスーニャと協力して聖窩に乗り込んでくれていなければ、ナツキ達は全滅していたということだ。それを感謝するナツキに対し、ラムダは首を横に振った。
「ワイは……ずっと迷っとった。ナツキの味方になるんはリモネを裏切るっちゅうことや思てな」
ラムダが出した結論は単純明快、「両方助ける」だ。リモネちゃんのこともよく知っている彼は、《塔》の束縛さえなければ二人は同じ側に立てると考えた。
「ラムダあなた、ナツキさんが聖痕を消せるって知ってたんですか?」
「知らん。知らんけど、動かにゃなんも始まらへん。難しいことは後で考えりゃええ、結果オーライや」
「お気楽な人ですねー……。というか、あたしなんてただの仕事上の上司でしょうに。さっさと《塔》なんか捨ててナツキさん側に付いてれば……」
「何言うとんねんアホ」
「あだっ!?」
訝しむリモネちゃんの脳天にチョップが落ちる。何するんですか、と抗議の声を上げようとするのを遮って、ラムダは呆れ顔で続けた。
「端末と端末部隊指揮官なんちゅう冷たい関係なんかどうでもええねん。ワイはお前を助けたかったんや、リモネ」
「はぇ!? ……ちょ、やめてくださいよ、何恥ずかしいこと言ってんですか」
「何が恥ずかしいねん。ええか、大切な人を助けたい思うんは当然の……」
「《ヒュプノ》ッ!」
リモネちゃんが真っ赤になって魔法を発動し、ラムダはかくんと眠りに落ちた。
……ふむ、なるほど?
「ずっと聞きたかったんだけどさ……リモネちゃん、ラムダとは一体どういうご関係で……」
「ただの上司と部下ですよー! 端末λはあたしの指揮下にある工作員です!」
「ふーん。……あ、そうだ。端末と言えば、もしかしてカイもそうなの?」
セキュリティゲートを抜けるのに使ったカードを見せながら問うと、リモネちゃんはほっとしたように頷いた。話題が逸れたことによる安堵かと思いきや、その視線はじっとカードを見つめていた。
「良かった……認証キー、ちゃんとナツキさんに届いたんですね」
「え……ってことは、カイがこのカードをくれたのって」
「はい、あたしの指示ですよー。タイミング的には聖下に直談判しに行く途中にですね。あの時点でもう、ナツキさんなら乗り込んでくるだろうと思ってましたから」
「そっか……。ありがと、助かったよ」
時刻は丁度、ナツキがハロを助け出した夜のことらしい。……あのタイミングでカイに余計な面倒事が増えていたとは。翌朝カイの目の下に隈ができていたのはそのせいだったのかもしれない。
「ちなみに端末ってのは、我々《塔》が市井の情報を収集するために潜り込ませている諜報工作員のことです」
「あーうん、それは流れでなんとなく分かってたけど……ラムダはともかく、カイってもしかしてシンギさんの子供じゃないの?」
本物のカイが別にいるのだろうか。いや、自分たちにとってはあのカイが本物のカイだ。――そんな葛藤を知ってか知らずか、リモネちゃんはあっさり「彼はシンギ=チューデントの息子ですよ」と断言した。
「端末は基本一般人ですから。ラムダも彼も、何らかの見返りと引き換えに《塔》の手足として働くことになっただけの、ただの人間ですよー」
「そっか、良かった……。ヒルネちゃんが起きたときにお兄ちゃん権の取り合いが始まったらどうしようかと」
「いや何の話ですか」
呆れられてしまった。……いや、同じ妹を持つ兄として言わせてもらえば、それは重大な死活問題なんだよ。言わないけど。
そこでふと、リモネちゃんは何かを思い出したようにこちらを見た。
「しっかしナツキさん、認証キーがあるとはいえよく迷わずに最下層まで来れましたね?」
「へ?」
「聖窩ってベースが涙の遺跡なんで、地図もなしに突破できるような構造じゃ……あ、なるほど」
リモネちゃんが言葉を切って目を向けた先は、リリムだ。リモネちゃんは一人でうんうんと納得してしまったが、そういえばそこも謎のままだった。
「そうだよ! リリムさん、何で聖窩の中の道知ってたのさ?」
「んー? ちょっと待って、今ニーコちゃんと遊んでるから」
「なぅー!」
リリムに高く抱き上げられ、きゃっきゃと笑うにー子がこちらに手を振ってきた。うん、確かにそれは最優先事項だ、こちらの質問が後回しになったって仕方がない。
「リリムさん、答える気ないですねー。あたしが代わりに答えてっあいたぁっ!?」
カン、とリモネちゃんの後頭部に何かがぶつかった。跳ね返って落ちるそれは銀色のメス。後ろでにっこり笑うリリム。
「次は刃を前にして投げるよー」
「殺す気ですか!?」
「まああれね、一度中に入ったことがあるってだけ。《前線》って大きな戦いがあって、軍医として《塔》の部隊に同行して……その流れでさ、ちょっと研究員として招かれたことがあるんだ。それだけ」
そう話してくれるリリムの顔は笑っていたが、口調は固く、平気な風を装っているのが分かった。きっと触れられたくない過去なのだろう。
「にぅ、りりむ、ぎぅー」
「あはは、ニーコちゃん、前見えないよー」
「なぅ……りりむ、しゃーわせ?」
「……うん、今はとっても幸せだよ。ありがとね」
リリムが辛そうなことに気づいたのか、肩車されているにー子がリリムの頭を抱きしめていた。ぎゅーは幸せ、とにー子に教えてくれたのは確かリリムだったか。
「あのぅ……」
と、そこで見知らぬ影がこちらに恐る恐る近寄ってきた。
「ウチはどうすりゃいいっすかね……?」
「あー……ネイさん、だっけ」
リリムの話を切り上げ、見知らぬ女性――ネイに向き直る。警備員のような服装で、リリムと同い年くらいに見える。
「はいっす。ネイ=ラスカル、ピュピラ島のしがない巡査っす」
「どーも、ボクはナツキ……って待って、警察の人!? まさかボク達を捕まえに……」
「あー違うっす! ……いや、違わなくもないっすけど、ウチが目指すのは正義の味方であって――」
曰く、彼女は完全にただの一般人で、偶然書庫のゲートを開いてしまい捕えられ、挙句にアイシャやハロと共に聖窩の潜入までさせられたらしい。不憫すぎる。
「何と言うか……ごめんね、巻き込んじゃって」
「いや、元はと言えばウチが悪……いわけでもない気がするっすけど、まあ問題ないっす。あとは口封じを待つだけっすよ……ははは……」
「そ、そんなことしないから! しないよね、リモネちゃん!?」
「そうですね……諸々知られすぎてしまっているので、何かしら処置は考えておきます」
「不穏っすねぇ!?」
ガビーン、とオノマトペが見えそうな叫びが響いたところで、リモネちゃんとネイの間にアイシャとハロが飛び込んできた。
「リモネちゃんさん、だめなのです! ネイさんは何も悪くないのです!」
「あのね、ネイお姉ちゃんはとーってもやさしいよ! まっくらでハロがこわかったときも、ずっといっしょにいてくれたもん! だから、ひどいことしちゃだめ!」
「ふ、二人とも……」
二人の制止を受け、リモネちゃんはやれやれと溜息をついた。
「随分懐かれてますねー。大丈夫ですよ、別に殺しゃしませんから。あたし達の今後の身の振り方も考えなきゃですし……ちょっと話しましょうか、ネイ=ラスカルさん」
「は、はいっす!」
穏当に事が進みそうなのを見送りつつ、同じくほっと息をついているアイシャに向き直る。
「さて、アイシャ。ここからはすごく真面目な話になるけど」
「……はいです」
ようやく本題だ。最後の最後にナツキ達を殺そうとした「天使」について、明らかにしなければならない。
「アイシャの中には別の天使がいて、その天使がアイシャの体を借りてボク達を《塔》の天使から助けてくれた……ってことでいいんだよね」
「なのです」
アイシャに首輪の外し方を教え、あれこれ指示してきた存在。それが天使、すなわち人類より上位の存在であるならば――例えば未来を見通す能力を持っているのだとすれば、予言じみた作戦内容にも一応の説明がつく。
「天使がみんな未来予知なんてめちゃくちゃな能力を持ってるなら、真正面から戦っても勝ち目はない……っていうか、それがなくても手も足も出なかったわけだけど……」
「こーら、戦うこと前提で考えないの。アイシャちゃんが言うには、天使様達が平和的に話し合って解決したみたいなんだから。……あんまそうは見えなかったけど」
「あのねあのね、すごかったよ! きらきら光ってね、どかーん、ばきーん、って!」
リリムが窘めてくるが、最後の一言とハロの補足のせいで全く安心できないし、それは話し合いではなく果し合いの効果音だ。
「ま、まあ、とにかく天使も一枚岩じゃないってことが重要かな。少なくともアイシャの中にいる天使さんがボク達の味方……って言っていいのかわからないけど、利害が一致してるなら、立場を明確にして仲間に引き入れておきたいかも」
「そうね、それはあたしも賛成。だけど……」
リリムはじっとアイシャを見据える。
「アイシャちゃん、どう? まだ出てきてくれそうにない?」
「はぅ……ごめんなさいです。たぶん、またエネルギーを貯めないとだめなのです」
「エネルギー? ……あ、そういえばアイシャちゃん、いきなり電池切れみたいに落ちてきたよね」
「はいです。実は……」
アイシャは、ナツキ達が書庫へ向かった後に《子猫の陽だまり亭》で起きたことを教えてくれた。天使はアイシャが過剰摂取したエネルギーを糧に活動しており、天使としてナツキを救う「力」を振るうには高密度のエネルギーが必要であると知らされ、アイシャは頑張ったらしい。具体的には、ラズの料理をしこたま食べてエネルギーを貯蔵したらしい。
「そんな冬眠前のクマみたいな……」
「あのね、アイシャお姉ちゃんすごかったよ! こーんな大きなおなべを空っぽにしちゃったの! ハロもね、ばくはつしちゃわないように手伝ったんだ!」
「ん、待って何の話、爆発?」
「わー! その話はいいのです! と、とにかく、ごはんを食べないと出てきてくれないと思うです」
「ふーん……じゃあ、リモネちゃんは?」
何やら不穏な言葉が聞こえたが、触れてほしくなさそうなので一旦スルーし、話の矛先をリモネちゃんに向ける。
「天使の雫って言ってたけど、アイシャの中にいる天使の正体知ってるの?」
「やー、大したことは知りませんよ? 聖下の天使の力の半分を持って逃げ回ってる魂で、捕まえて力を取り戻さないと計画が進められない……ってくらいですかね」
ちらり、リモネちゃんが視線をスーニャとキルネに向ける。
「ん、けーかくには、スーの異能と天使の力がどっちも必要……どう使うのかはよく知らない、けど」
「その魂を運んでる宿主のラクリマが天使の雫でー、忌印がないってことはキルネも聞いてたんだけどー……あはっ、出し入れできるってのは知らなかったなー」
キルネが興味深げにじっと見つめるのはアイシャの猫耳だ。アイシャは少し恥ずかしそうに耳を伏せた。
「うぅ、やっぱりわたしの忌印……消えてたですか」
「うん! でもね、かわりに赤いわっかが半分だけ浮いてたよ?」
「あれが天使の力の象徴なんでしょうね。聖下も半分しかないので……」
「ふーん? ねー、触ってみていい? もう触ってるけど」
「ふぇっ!? や、んっ……ふやぁ……っ」
「あはっ、本物だ。不思議ぃ」
「あーこらキルネ、フェリス種の耳は敏感なんですから……」
猫耳を囲んでやいのやいのと盛り上がる。全員、何かを隠しているようには見えない。《塔》の最高幹部のような面々ですら知りえない秘密、ということなのだろうか。
「秘密と言えば……ねえリモネちゃん。計画、計画って言うけど、具体的に何しようとしてるのさ? いい加減教えてくれてもよくない?」
「ほい? 星の救済ですよ」
「いや、それはさっき戦ってる時に聞いたけどさ」
「それ以上はあたしも詳しくは知らないんですよねー。天使の雫のことも同じで、聖下しか知らないことって結構多いんですよ」
はぐらかそうとしている。トップしか知らない秘密が根幹にある計画なんて、数百年もの間何も知らない部下がまともに進行できるはずがない。
じっと見つめると、やがてリモネちゃんは観念したように息をついた。
「……ま、そうですね、あたしの知る限りでは……成功すれば神獣による被害はゼロになりますし、理不尽に苦しむラクリマもいなくなることは、確かですよ」
その言葉に嘘は感じられなかった。しかし全てを語っているわけではないことは、その貼り付けたような笑顔を見れば一目瞭然だった。
「成功すればって……」
「まーまー、その話はおいおい。とりあえず今は現実的な話をしませんか、ナツキさん」
ぱん、と手を叩き、リモネちゃんは強引に話題を変えた。
「現実的な?」
「ええ。具体的には、この後の身の振り方についてですよ」
「うっ……それはごもっとも」
そうだ、いつまでも目を背けてはいられない。ずっとスーニャの安全地帯に隠れているわけにはいかないのだ。
ここを出た後の話を……しなければならない。




