Lhagna/τ - 魔王城へ Ⅱ
焚き火にあたりながら、トスカナは考えていた。
何かがおかしい、と。
「トスカナ、なぜそんな珍妙な顔をしているのかね」
「ふぇっ!? ち、ちんみょーな顔……してました?」
ペフィロに指摘され、むにむにと頬を揉みほぐす。乙女として珍妙な顔ではいられない。
しかし、それを指摘するならば――
「ペフィロちゃんの格好の方が、よっぽど変ですけどね」
「む? そんなことはないぞ。何せ、何も着ていない」
「こんな雪山で何も着ていないのは、変なんですよぅ……」
「……ふむ、ツッコミにキレがない。やはり疲れが溜まっているようだ」
「誰のせいですかぁ……もう」
今二人がいるのは洞窟を魔煌国側へ出てすぐ、雪の積もった山肌が小さく窪んだ洞穴の中だ。夜闇の中を下山するのは危険だと、今日はここで野営をすることにした。
氷点下の風が吹き抜ける洞窟を抜けたからと言って、雪が降る標高なのは変わりがない。星全体を大きく流れる風の影響で、こちら側の山肌は年がら年中雪に覆われているのだ。
洞穴に入るや否や、ペフィロはトスカナのために手早く焚き火を拵えてくれた。結局洞窟の中から今に至るまでペフィロは素っ裸のままだが、彼女が着ていた服……もといカーテンは今トスカナが寒さを凌ぐのに使っているので、あまり強くは言えない。
「うぅ、見てるだけで寒いです……」
「問題ないぞ、ぼくはぽかぽかだ」
「……ならちょっとこっちに来てください」
「ふむ?」
とてとて、こちらにやってきたペフィロの体を捕まえる。ぷにぷにのおなか、とくんとくんと脈打つ胸の鼓動、どこからどう見てもトスカナ達と同じ人間の体。だというのに……この低温環境にあっても、その体温はトスカナが触っても熱いと感じるほどに保たれている。
「な、なんだい、くすぐったいぞ」
「うぅ……ずるいです。ペフィロちゃんの種族はみんな自由に体温を調節できるんですか?」
「ん? うん、ぼくの生きていた時代の機体は全部そうだったはずだぞ」
「ふーん……えいっ」
ぎゅっと小さな体を抱きしめる。温かい。
「ぎゅむ……その小柄な個体を拘束しようとする本能はどうにかならないのかね」
「今のは意識的ですよーだ」
「なお悪いじゃないか!」
「そもそも拘束じゃないですもん。小さな子は体温調節機能が未発達だから、こうやって大人が温めてたんです、昔は」
「それは前にも聞いたがね、立場が逆転しているぞ」
「……ペフィロちゃんは、わたしにぎゅってされるの……嫌ですか?」
「全く……食事中でなければ、好きにしたまえ」
腕の中でペフィロが溜息をつき、体の力を抜いた。今日の彼女はなんだかいつもより優しい気がする。
許可が得られたので遠慮なく、体に巻き付けていたカーテンの中にペフィロも入れる。巨大な懐炉だ。
「そも、空調魔法はどうしたんだい。ぼくを追いかけ回した程度で魔力切れになるきみではあるまい」
「う……それなんですが……」
さっきから、何かがおかしいのだ。
ペフィロの言うとおり魔力はまだまだある。環境マナも潤沢だ。だというのに何故か魔法を発動できない。
「……やっぱり、さっきのでどこか不調が出てしまったのではないかね」
「うぅ、そうなんですかね……」
実はついさっきも、魔法の発動に異常が生じたせいで危うく死にかけたのだ。ペフィロを追いかけるため、重力を無視する闇魔法と空中を高速移動する風魔法を使っていたのだが――風魔法の方の制御ができなくなり、洞窟の壁に激突しかけた。
異常に気づいたペフィロが衝撃吸収の結界を張ってくれたことで事なきを得たが、今までにこんなことはなかった。
「たぶんあの事故のせいじゃなくて……あの事故が起きた原因が、ずっと続いてるんだと思います」
「ふむ?」
「魔力も環境マナもあるので、マナの汲み出しまではできるんです、けど……」
汲み出したマナの粒子を活性化させ、指先に灯していく。炎、氷、土、雷、光、闇、風――
「う……」
基本元素のうち風のマナだけが、活性化と同時に不安定に揺らめき、消えてしまう。トスカナが最も扱いを得意とするはずの風のマナが、トスカナの意思に従わなくなっていた。
「うぅ、なんでよりによって風なんですかぁ」
泣きそうになっていると、ふとペフィロが何かに気づいたようにトスカナを見上げた。
「ふむ……トスカナ、きみはどうやって魔法を発動しているのかね? 環境マナを汲み出して、その後は?」
「えっ、それは……体内の魔力回路にマナを通して……」
答えながら思う、これはラグナで習った知識だ。前世、シルヴァールでは特にその工程を意識することはなかったし、今も意識していない。トスカナにとってマナは精霊であり、「お願い」するイメージで使役するものなのだ。現にラグナでもマナベースの魔法は精霊魔法と呼ばれることがある。
「ラティノーには魔法なんてものはなかった。ただ、専用のエネルギー受信機がここにあってだね」
とんとんと自分の頭を叩き、
「ここに中枢サーバから送られてくる魂素……この世界で言うところのマナを、適切に加工する回路が体のいろんな場所にあるだけなのだよ」
「送られてくる……え、でもペフィロちゃん、この世界でも魔法使ってますよね?」
ペフィロは防御やカウンター系の魔法が得意だ。分類としては物理法則を上書きする闇魔法や物理的に障壁を生み出す土魔法にあたる。
「ああ、セイラが改造してくれたんだ。中枢サーバに接続しなくともマナを生成できるように」
「セイラさん……本当にすごい人なんですね」
「うん、そうだとも。ただそれでも、いくら原理を学んで修行を積んだとしても、ぼくに使える魔法はこの機体に刻まれた魔力回路が対応しているものだけだ。機人の回路はきみたちのように汎用的なつくりにはなっていないのだよ」
少し不満げな口調でペフィロは続ける。
「ぼくの機体、リパリス型は防御に特化している。アグニカ型は高熱を使った攻撃に特化していたし、リュミラ型なんか体を光らせることしかできなかった。今思うに、あれは機体ごとに扱えるマナの種類が決められていたのだろうね」
「あ、それはわたしの世界でも似た感じでしたよ? ラグナの人達の魔法回路がすごいんだと思います」
「ほう? そうなのかね」
ラグナ人の魔力回路はかなり汎用的な作りになっていて、回路さえあれば訓練次第であらゆる属性の魔法を扱える。しかしトスカナの故郷シルヴァールでは、扱えるマナは個人個人の生まれつきの素質によるところが大きかった。さらに言えば、同じマナでも魔法の細かい種類によってできたりできなかったりすることがあった。特に多かったのが、風のマナを扱えても回復魔法は使えないパターンだ。
「――って感じなんですけど、その中でもわたし、回復魔法だけ使える子供だったんです。すごく珍しいパターンなんですよ」
「ふむ……でも今は全てのマナを扱えているじゃないか。得意は風に偏っているとはいえ」
「それはほら、転生特典のずるですよ。ハーネさんのおかげです」
「む……なるほど、『素質の強化』か。ぼくはAIの演算性能を上げてもらったよ」
そういえば、他の勇者達は一体何の素質を強化してもらったのだろうか。エクセルやナツキの素質について何か知らないかと聞こうとして、「それはともかく」と軌道修正された。
「ぼくが伝えたかったのはだね、そもそもきみたちの魔力回路は本当に汎用的なのか、ということだよ。今のきみの話からして、ぼくの仮説は概ね正しそうだ」
「えっ? 仮説……ですか?」
「うむ。魔力回路が本質的にマナの種類によって異なる構造のものだとすれば……例えば風魔法と闇魔法を扱える者は、風のマナと闇のマナを受け入れられる魔力回路を持っているのではなく、風の魔力回路と闇の魔力回路を持っているんじゃあないか、という仮説だ」
「えーっと……同じことじゃないですか?」
「違うぞ。回路が故障したときのことを想像してみたまえ」
回路の故障。まるでエクセルやナツキがよく話題にしていた電子工学とやらの話みたいだ。
「回路が分かれていれば、一つが故障しても他の回路は使えるだろう? この仮説に則るなら、きみは今、所持している魔力回路のうち風のマナを扱う部分に異常を抱えているのだと考えられる」
「……なるほど」
「それぞれのマナに対応する魔力回路が、ぼくたち機人の魔力回路と同じものと仮定すれば、考えられる故障状況は三つある」
カーテンの中からにゅっと出てきた三本指が一つ曲げられ、
「ひとつは断線。一番危険なやつだ。マナは電子と違って、断線しても流しこむことはできるから……その状態でマナを通すと、簡単に体内で活性状態のマナが溢れだすぞ」
「ひっ……」
「その怖さはきみもよく知っているだろう」
マナが魔力回路から溢れだす――マナ中毒のことだ。ペフィロたちの迅速な救命行動がなければトスカナは死んでいたし、ついこの間までそのせいで昏睡状態だった。
「でも、溢れてたらさすがに分かりますよ?」
「うん。それで二つ目、回路のどこかが詰まっている……だけども、そもそも断線も閉塞も状況からして有り得ないのだよ」
「へっ?」
「だってきみ、風のマナを指先に出すこと自体はできたじゃあないか。活性化は出来ているけれど、それを持続させられていないのだよ」
「言われてみれば……」
再び指先に風のマナを灯してみる。先程よりも少し長く光を放ったあと、揺らめいて消えた。もう一度やってみると、今度は出現時点から揺らめいていて、すぐに消えてしまった。
「となるとやはり……」
「三つ目、ですか?」
「…………」
ペフィロは押し黙り、やや真剣な目つきでトスカナを見上げた。
「トスカナ……きみ、自分の魔力回路を誰かに明け渡したことがあるかい?」
「ふぇっ!?」
あるわけがない。というかそんなことができるのか。
「三つ目の可能性は……ぼくの世界で昔、人間達がぼく達機人に攻撃する手段として使ってたやつだ。遠隔操作で相手の回路の制御権を奪って、回路を暴走させて自壊させる。ぼく世代の機体は対策プログラムが入ってるけれど、旧世代はそれで大量に死んだらしいぞ」
「えっ……!?」
「同じ攻撃を受けていて体に異常が無いのなら、それはその回路を単なる外付けの魔力機関として勝手に使って、何かしらの魔法を発動しようとしている場合だ。すでに特定の魔法を発動しようとしているから、別の魔法を重ねて発動しようとすると……途中で中断される。まさに、今のきみのように」
トスカナの魔力回路の制御権を、奪う? 誰が? なぜ、風のマナを扱う回路だけ?
操っている者がその気になれば、トスカナを殺すこともできる……?
「……あれ、それってもしかして」
「む、心当たりがあるのかい」
ふと気づく。それはとても恐ろしいことのように思えるが、シルヴァールでは当たり前のように行われていたことかもしれない。
心を交わした動物に主人の力の一部を分け与え、共に生きる仲間として使役する――魔女なら誰もが幼い頃に行う、使い魔の儀。
使い魔になった動物がある程度の魔法を使えるようになるのは、主人の力を常に分け与えてもらっているからだ。その証拠に主人が先に死ぬと使い魔は魔法を使えなくなるし、使い魔が魔法を使っている間は主人の魔法の最大威力が下がる。だから使い魔とはしっかり信頼関係を結ばなければならない、暴走した使い魔は主人の力をも暴走させる――
それは儀式の前に何度も両親から言い聞かされた言葉であり、トスカナの生まれた隠れ里では古くから伝わる言い伝え、訓戒だった。
使い魔の儀が魔力回路の明け渡しなのだとすれば、その危険性は訓戒の内容と合致する。
「ふむ……なら、きみの使い魔もこの世界に共に転生してきたと?」
「それは……ないと思います。使い魔の契約を結んだ相手のことはなんとなく分かるんです。どこにいるか、生きているかどうか……。アポロは、わたしの使い魔だったあの子は……もうわたしと繋がってません」
寂しさに胸が締め付けられる。トスカナと同じく回復魔法しか使えなかった、生意気な黒猫の男の子。いつもなんだかんだ言ってお願いを聞いてくれる優しい子だったけれど、最後の命令は聞いてくれなかった。何度も逃げろと言ったのに、トスカナと一緒に焼かれて死んだ。
「なら、この世界に来てからその契約を結んだことは?」
ないですよ、と反射的に答えかけてふと思い出す。
契約の儀式をしたことはないし、意識的にしないと決めた。でも、魔法を教えたことならある。
「……! え、まさか……ニーコちゃん?」
学院の研究塔に住み着いていたあの老猫には、使い魔に教えるのと同じ手順で回復魔法を伝授したことがある。もちろん使い魔の儀を経ていないのでダメ元で、その後魔法を使っているのを確認したわけでもない。
しかしもしあれが成功していた、つまり「トスカナの魔力回路を明け渡した」ことになるのなら。今トスカナの魔力回路を使っているのが彼女なら。
ニーコはまだ生きていて、そして――トスカナの素質強化を受けた魔力回路を大きく占有するほど、必死に何かを癒している。
「ニーコちゃん……」
自身の怪我を癒す程度の規模ではない。何百人もの相手を一度に治療するとか、死にかけている仲間を無理やりこの世に引き戻すとか、そういう規模の上級魔法だ。
「頑張ってください、ニーコちゃん……!」
死んでしまったらもうどうしようもなくなる。だから、もしまだ間に合うのなら、絶対に諦めないで欲しい。
ナツキに回復魔法をかけたときには……もう手遅れだったから。
☆ ☆ ☆
「む……」
何かに気づいて祈り始めたトスカナの腕の中で、ペフィロはそれを感じ取った。
最初はトスカナの精神の高揚によるものだろうと思ったが、トスカナの肉体に由来する変化ではないことはすぐに分かった。
(ふむ……そういえばあの時、ナツキが何か言っていたような……)
変化は徐々に大きくなっていく。トスカナは気づいていないのだろうか。声をかけようかとも思ったが、必死に何かを祈り続けているのを見て言葉を飲み込んだ。
(まさか……いや)
まだ情報が少なすぎる。緊急性も低いと判断し、深く考えるのをやめて目を閉じた。
今はただ、凍える少女の湯たんぽとしての任務を全うするとしよう。




