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天使の剣

 剣と剣が交差し、激しい金属音が広い空間に響く。その音があまり聞き慣れない凛と澄んだ音なのは、ハロが神獣のコアと卵から打ち上げてくれた特殊な刀身によるものか。


「ぬ……ッ」

「っはぁっ!」


 何度か打ち合い、少し体勢を崩したところに超音速の突きを繰り出す。衝撃波を伴うそれに、エルヴィートは脅威の反応速度で剣の腹を合わせてきた。鉄骨をビルの屋上から落としたかのような轟音が響き、思わず顔をしかめる。普通の剣であればどちらかが折れているだろう衝突――エルヴィートの得物も相当なものだ。


「クッ……貴様、ただの子供ではないとは分かっていたが……何だその剣術は! 流派を述べよ!」

「ボクの剣はあれこれ混ざってる自己流だし、言ってもここじゃ伝わらないよ!」


 ベースはヴィスタリア帝国軍の騎士団長仕込みの帝国騎士流。旅の途中で魔剣と魔法を前提とする幽剣流に出会い、それをゴルグ仕込みの練気術で上書き再構築し、身体強化や慣性制御、《気配》術での先読みと組み合わせたのが今のナツキの戦闘スタイルである。

 エルヴィートの意識は何故か《気配》術では読み取れない。強化した動体視力で目線を読みつつ動きを誘導しながら、激しい剣撃を捌いていくしかない。

 利き腕を封じたことで攻撃は読みやすくなっているが、攻撃速度や精度に衰えはない。それでもナツキ一人で応戦できているのは、何故かワープもレーザーも使おうとしないからだ。まさか右腕が動かせないと使えないのか?


「ずいぶん素直に戦ってくれるようになったけどっ、何を企んでるのさ!」

「卑怯な手を使いながらその言葉……我を愚弄するか、小娘がッ!」

「卑怯? さっきから何のことを言ってるのか分からないけど……にー子を取り戻すためなら、ボクは何だってやるよ!」


 渾身の一撃が再び交差し鍔迫り合いとなる。これだけの重さの剣をまともに受けても、ハロの作ってくれた剣は刃こぼれひとつしない。


「何故そうまでして抗う! 我らは道楽で天使の血(イオニエマ)を回収したのではない! 星より授かりしその力をもって人類の未来を繋ぐ、その大義も分からぬか!」

「人類の未来が大事なのは分かるよ! にー子の回復魔法が戦いで役に立つのも分かる! でもそれはにー子の意思を無視していい理由にはならない!」

「たかが星涙一つの意思と人類の未来、どちらを優先すべきかなど問うまでもなかろう!」


 またそれか。もう聞き飽きたよ。


「何でみんな、ラクリマの気持ちを犠牲にしないと世界は救えない、みたいに言うのかな!」

「当然のこと。刃の切れ味が気分次第で変わる剣など、戦場においては百害あって一利なし!」

「そうじゃない! ラクリマを武器として扱うのをやめろって言ってるんだよ! なんで肩を並べて戦おうとしないの!?」

「笑止! それが不可能なことなど、歴史を紐解けば自ずと分かるであろう!」


 何度繰り返した問答だろうか。――結局のところ、この議論の向かう先は決まっている。

 

「……戦略的視点では、生殖を必要とせず育成期間の短いラクリマの命はそうでない人間の命より安い、でしょ」

「む? ……いかにも、その通りである。400年の積み重ねから導かれる最適戦略、個人の感情で覆せるものでは無いと心得よ」


 分かっているなら何故、という視線。

 しかしそこで思考停止するか感情論に移らざるを得なかったのは、これまでナツキが話していた相手が一般市民であり、絶対の指揮者たる《塔》が現状維持を是とするという前提を崩せなかったからだ。


「その分析をしたのが誰かは知らないけどさ、パラメータを修正してもう一度計算し直して欲しいんだよね」

「フン、戦況分析は毎日最新の観測結果により更新されている。仮に貴様の言う通り主戦闘員を人間と星涙で半々にした場合、戦線は十年も経たず崩壊するであろう。如何に変数を調節しようとそれは――」

「アイオーンの単位時間あたりの寿命消費量を、0に」


 一瞬の間。


「……世迷言を。無から有は生まれぬ! 神々の遣いを退けるには神々の領域の力が必要だ。我ら下々の民は聖下の御加護を賜るか、時の聖剣(アイオーン)を通じた魂の奉納によってのみそれを授かるのだ!」

「そう『聖下』が言ったのかな? でもこの剣はアイオーンじゃないし、ボクは魂を捧げてなんかない。なのにあなたの鎧をあっさり斬れるくらいの切れ味はある」

「……それは」

「はっきり言うよ。寿命を消費しなくたって神獣は倒せる。そのための技術は確立されてるし、少し練習するだけで人間もラクリマも関係なく扱えるようになる。嘘だと思うならリモネちゃんに《正気》術……魔眼を使ってもらってもいい」


 《塔》にバレれば消される、そうダインにも忠告されてこれまで隠してきた、アイオーンの門再接続(リコネクト)技術。どうせ敵対するのなら、もう隠しておく必要もない。

 ナツキの言葉に、エルヴィートの視線が僅かに泳ぐ。しかし――


「仮にそれが真実として、だから何だ」

「ラクリマと人間は、今よりもっと対等な関係になれるってことだよ! 戦略上のデメリットはあるかもしれないけど、メリットだってたくさん生まれるはず!」

「その必要がないと言っている」

「なんで――」

「試行錯誤を繰り返すような時期はとうに過ぎ去ったのだ。今まさに、聖下のご計画は次なる段階へと進みつつある」

「……計画って、何なのさ」


 キルネもリモネちゃんも言っていた。天使の「計画」に、にー子が必要なのだと。


「星の救済だ。それ以上を知る必要は無く、知るべきではない。我とて全てを知っているわけではない」

「またベタな……。それはどうしてもにー子がいなきゃだめなの? どうしても記憶を消さないといけない?」

「救済のため必須かと問われれば、答えは否。しかし天使の血(イオニエマ)が万全の状態で我らが陣に在ることで、数多の命が救われることになろう。それこそ数十万、数百万の命がだ」

「数百万って……そんなのにー子一人に押し付けていい重責じゃない! 五歳相当の子供だって分かってる!?」

「故に調整を施すのだ。余計な記憶など持っていては思考の乱れが生じる。天使の血(イオニエマ)は高コストな回復薬に代わる無尽蔵の回復装置、蘇生装置でさえあれば良い」

「……ふざけるな!」


 ――にー子をそんなものに貶められて、たまるものか。


 キッと睨みつけると、エルヴィートも睨み返してきた。


「聖下のご計画に必須なのは天使の雫(イオニマーレ)、そして天使の剣(イオニズマ)のみ。他の天の階(イオニア)は全て、我ら下々の民が犠牲とならぬようにという聖下のご慈悲と知れ! 弁えよ平民、聖下のご厚意を無下にし、人類全ての命を危険に晒すと知ってのその物言いかッ!」

「そうだよ!」

「な……!?」

「あいにくボクは神様でも天使でも聖人君子でもなくてね! こんな腐った世界、にー子を犠牲にしてまで救済したいとは思わないんだよ!」


 即答されるとは思わなかったのか、エルヴィートは剣を揺らし、たじろいだ様子を見せた。

 そして――小さく笑った。


「……フッ。星より重い命か」


 それはこちらを馬鹿にしている笑いではなかった。

 興味と、自嘲。そして諦観。様々な感情が混ざりあっているように見えた。


「エルヴィート……?」


 訝しむナツキに対し、エルヴィートは構えていた剣すら下ろして答えた。


「何を呆けている? 貴様らの勝ちだ。よもや我が意識を奪われるとは……げに面白き小娘よ」

「へ……勝ち?」

「次元の狭間に回収されてしまっては、我には手出しできぬ。元より、天使の剣(イオニズマ)が裏切った時点で結末など定まったも同然……フン、どこへなりとも逃げるが良い」


 ――こいつはいきなり何を言っているんだ? 天使の剣(イオニズマ)……スーニャが裏切った?

 

 意味不明、という気持ちをアイシャとも共有しようと視線を向け、


「あれ? アイシャ……にー子?」


 先程までアイシャとにー子がいたはずの場所には、何も残っていなかった。まるで――ついさっき、リリムとリモネちゃんが忽然と消えてしまった時のように。


「……っ」


 この空間には今、ナツキとエルヴィートしかいない。《気配》術がそれを裏付けていた。


「今更演技をしてどうする。貴様が天使の剣(イオニズマ)を懐柔し、力を行使させたのであろう。卑怯者の手なれど、確実な手だ」


 エルヴィートはこの状態がナツキの想定通りなのだと思っているようだった。スーニャの力で次元の狭間とやらににー子達を逃がしたのだと。

 しかしそもそもスーニャは今回の作戦に組み込まれていない。立場上《塔》の意向に逆らってまでナツキの味方ではいられないだろうし、どうやって会いに行けばいいかすら知らないのだから当然だ。


「我とて聖なる騎士が一柱、悪足掻きなどという無粋な真似はせぬ。が……天使の剣(イオニズマ)、見ているのだろう。聖下に少しでも恩義を感じているのであれば、せめて最後に貴様の意思を見せよ」


 虚空に向かってエルヴィートが話しかけている。

 と思いきや、その虚空に突然意識が現れた。不可視の穴の奥から出てきたその意識は、やがて空間をほつれさせ、質量を描き出し始める。


「……スーニャ」

「なつき……」


 大きなうさぎのぬいぐるみを抱えた、ハロと同じくらいの女の子。明るい水色の長髪に、二本の氷の角が生えている。

 スーニャ=クー=グラシェ。トドナコの森でナツキやアイシャと出会い、友達になったギフティアの女の子が、そこにいた。


「スーニャ……どうして、そんな顔してるのさ」


 いつも無表情で眠たげマイペースだったスーニャには似合わぬ、今にも泣きそうな、後悔と恐怖でいっぱいいっぱいの顔。


「だって……スー、うらぎった」

「フン、悔いる気持ちがあるならば今すぐ挽回せよ。聖下は寛大である、改心した者に過剰な罰を与えるようなことは」

「ちがう!」


 スーニャの短い否定が部屋に響き渡り、エルヴィートは口を噤んだ。


「スーは……なつきとあいしゃをうらぎった。にーこ、たすけられなかった。えるびーとはもうぜったい来ないって言ったのに、ぜったいまもってあげるって……言ったのに」

「そんな、スーニャのせいじゃないよ! ボクの認識が甘かったんだ……聖騎士がにー子のことを知ってるって分かってたのに、スーニャがいつも陽だまり亭にいるわけでもないのに、きっと大丈夫なんて甘い考えで」

「ちがう。スー、ずっとえるびーとのうしろで見てた。にーこが泣いてるの、ずっと……なのに、なのにスーは……こわくて、見えないふりして、なにもできなくて……ごめんなさい……」

「スーニャ……」


 スーニャはエルヴィートが怖かったのではない。《塔》に反目して居場所を失うのが怖かったのだ。切札などと言われるからには相当な年月を《塔》で過ごしてきたはずで、しかも彼女の肩には星の救済などという重責も乗っていて。この星に思い入れなどないナツキとは違って、つい最近出会ったばかりの子供と天秤にかけられるようなものではないはずなのに――


「それでもスーニャは、助けに来てくれたんだね」

「……ん。ともだち、だから。なつきとあいしゃがにーこをたすけに来てるって、おしえてもらったから……こんどはぜったい、たすける」 

「そっか……ありがとね、スーニャ」


 ナツキが笑いかけると、スーニャはほっとしたように頬をゆるめた。にー子を助けられなかったことで嫌われてしまうとでも思っていたのだろうか。


「……って、教えてもらったって、誰にさ?」


 ナツキの知人のほとんどは今回の作戦に組み込まれているが、今はもうほとんどのメンバーが《古本屋》の書庫に退避しているはずだ。作戦行動中にたまたま誰かがスーニャを見かけたのか?

 訝しむナツキに対し、スーニャも小首を傾げた。


「ん……えっと、しらない人間。むだなひと」

「へ? 無駄な人?」

「誰が無駄やねん!」

「!?」


 この場にはいないはずの、四人目のツッコミが響いた。

 と同時に、ナツキとスーニャの間の空気がほつれていく。やがて現れたのは、もはや見慣れてしまった金髪長身のイケメン――の、頭部。


「ラムダ!? 何でここに……」

「せや、ラムダやラムダ、しっかり覚えとき! おうナツキ、説明は後や、はよ逃げるで! ニーコもアイシャもリモネも《神の手》も回収済みや!」


 空中に怨霊のごとく浮かぶラムダの生首の言葉に、様々な不安が溶け去っていく。

 リリム達は皆、消えてしまったわけでも敵に連れ去られたわけでもなかった。ラムダとスーニャの手によって先に安全な場所まで離脱させられていたのだ。


「貴様――端末だな。何故《塔》を裏切った」


 端末。セキュリティクラスⅡのカードを持っている《塔》配下の存在。カイがそうなのだとすれば、同様にリモネちゃんと関わりのあるラムダもそうであってもおかしくはない。

 ラムダには謎が多く、それでいて特段戦闘に長けているわけでもない。不確定要素を増やしたくない今回の作戦には加えなかった。その懸念は正しかったようだが――その判断は間違っていたようだ。


「端末なんか辞めたるわ! 姐さんもリモネもナツキも全員選んだる! 依り所が全部同じ場所にあれば軸はブレへんで! でもって《塔》なんか知らん! それがワイの選択やボケ!」

「何を喚いておるか皆目分からぬが、敵対意思は理解した」


 スッとエルヴィートの剣が上がると同時に、スッとラムダの顔が消えた。


「ちょっとラムダ、あなた何やってるんですか! 顔引っ込めて!」

「うおっ……なんやリモネ! 顔も出さんと啖呵切るなんちゅうカッコ悪いこと、男として――」

「ラムダお兄ちゃん、かっこいいよ!」

「あはは……なんなんすかねコレ」


 空中の小さなほつれから、騒がしい会話が聞こえてくる。良かった、みんな無事だ。……知らない声も聞こえた気がするが。


「あとは、なつきだけ。……えるびーと、じゃましないで。あっち向いて」

「……フン。精々逃げるがいい。その選択を後悔した時には手遅れになっていないといいがな」


 エルヴィートが目を閉じ後ろを向く。と同時に、ナツキの周囲の空間がふわりとほつれ始めた。


「これがスーニャの力……」

「ん。べつのだれかに見られてると、できない」


 言われてみれば確かに、リリム達が姿を消したのはナツキが別のことに気を取られている時だった。


「……だからエルヴィートは、意識を奪われるとは、なんて言ってたのか」


 あそこでエルヴィートの意識をナツキに集中させられたことに関しては全くの偶然だが――ラムダやスーニャの立ち回りと合わせて、こちらの作戦勝ちということにしておこう。


 空気が溶け、世界がレンズ越しに見ているかのごとく歪んでいく。そして――


 元に戻った。


「……あれ?」

「しっぱい。だれか……みてる」


 エルヴィートは後ろを向いたまま。《気配》術には何も反応がない。

 ……否。まさに今、上方に何か異質なものが出現――



 ――衝撃。



「え……けぽっ」


 思わず何かを吐き出した。

 ……大量の、血。


 遅れてやってくる、壮絶な痛みと喪失感。

 下半身を置いてきぼりに、上半身が宙を舞う。

 ボトボトと、自分の中身が零れていく。


「な……なつき!」

「ナツキさんっっ!!!」


 スーニャが駆け寄ってくる。

 空気がほつれ、アイシャが飛び出してくる。

 出てきちゃダメだ、すぐ逃げろ――そう叫ぼうとして、息ができなかった。肺が破けたらしい。


 胸下から骨盤まで、何も気づけぬままに、蒸発させられた。

 即死コース。あと数秒もせず死ぬ。ヒーラーのにー子は意識不明。


 ――どうやら運命とやらは、本当に理不尽らしい。



「最悪なの」


 

 ガラスの鈴を転がすような、透明な声が……響く。

 それは綺麗でいて、残酷で……どこか懐かしい。


 回る視界が暗くなっていき、意識を手放す寸前、一瞬だけ見えたその姿は――




 ――使命を果たせ(助けなければ)

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