ハロの剣
「クッ……何故だ! 何故貴様がその力を扱えている!?」
「(あいしゃのからだ、かってにつかっちゃってごめんね)」
悪い子ではない、アイシャはそう言っていた。確かに受ける印象はやわらかく、無垢な子供のようだが……エルヴィートの叫びを完全に無視しながらひょいひょいと攻撃を避け続けるその身のこなしは、どう考えてもただの子供ではない。
「(一つだけ聞くよ。『キミはボクかアイシャかにー子の味方?』)」
《念話》術に《正気》術を乗せて飛ばす。予想は肯定。少なくとも誰かの味方であることが確認できれば今はそれでいい。
かつての病室でリモネちゃんはクリティカルな質問ばかりを単体で投げてきたが、本来は可能な限り広いOR条件から始めてリスクを下げるものなのだ。
しかし返ってきたのは肯定でも否定でもなかった。
「(かんりゅーるーは……あぶないよ、たましいがこわれちゃう)」
「(っ……!?)」
「(どっちだっておもってる?)」
――《正気》術を使っていることすら気づかれている!
「(……少なくとも、ボクの味方ではある)」
「(うん。あなたのみかたなのは、ほんと)」
言葉の色は緑。わざわざ確認してからナツキにダメージが入らないように回答をよこした時点で確信はあったが、これでこちらが騙されている可能性はなくなったと見ていいだろう。
「(キミの名前は)」
「(いえない。……やっぱり、おぼえてないんだね)」
「(……ボクは初対面のはずだけど)」
会話しながらも、エルヴィートとの戦闘は続く。
アイシャの位置に合わせてナツキはエルヴィートを牽制するように位置を変えているが、あまり意味は無さそうだ。エルヴィートの視線が外側に向いたらワープの合図なので、今いる場所とエルヴィートの視線の先を結んだ直線上から飛び退く。仕切り直し、以下繰り返し。
「(……キミならエルヴィートに勝てる?)」
「(かてるけど、かてない)」
「(え?)」
「(かつと、いとがちぎれちゃう)」
わけがわからない。糸?
「馬鹿に、するなッ、星涙ごときがァ!」
あらゆる攻撃が尽くアイシャにもナツキにも当たらず業を煮やしたか、一言叫んだエルヴィートの姿が掻き消え――どこにも現れない。
逃げたわけではないだろう。意識の方向は読めずとも、部屋に渦巻く殺気が消えていないのは分かる。
「っ……」
「(だいじょうぶ。みてて)」
三秒ほど経ち、突如エルヴィートがアイシャの背後に出現する。避けろと叫ぶ間もなく剣が振られ――
出現の直前に動き始めていたアイシャの身体のすぐ脇を、光の刃が通り抜けていった。
「何ッ……!?」
「…………」
剣を振り抜いた直後の無防備な脇腹に、アイシャのアイオーンが直撃する。それはエルヴィートの鎧を割り砕き、皮膚に到達し――紫色の大きな火花に弾かれた。
「アイシャ!」
不自然な反動を受け、アイシャの体が宙を舞う。そこに追撃しようとエルヴィートの視線が動くと同時に床を蹴ってアイシャの体を体当たり気味に回収。直後に光線が背後の空気を焼き焦がしていった。
「(ありがとう)」
「(いや……無事でよかった……けど)」
今のは何だったのか。
完全に、仕留めたと思った。しかしアイシャの剣がエルヴィートの体に触れた瞬間、あまりに不自然な反撃がアイシャを襲ったのだ。
「(みて)」
「(へ? ……!)」
アイシャがナツキに差し出したのは、アイオーンだ。しかしその刀身に茜色の燐光は纏っておらず、《転魂》術の氷色の燐光もなかった。かといって起動状態が解かれているわけでもなく――紫色の稲妻が、刀身を縛るようにバチバチと光を放っていた。
「フン……時の聖剣で我に傷を付けられるなどと、本気で考えていたのか? 我は大天使聖下の御加護を受けし聖騎士であるぞ」
「封印……デバフ系の攻性防御結界か!」
「最初に忠告したであろう、貴様らは我には勝てぬと。我らの創りし聖剣で我らを討とうなどと、愚策も甚だしい」
アイオーンの刃が聖騎士には通らない、などという情報はマスターも《古本屋》もくれなかった。きっと出し惜しみされたのではない、彼らも知らなかったのだ。
「……なんでアイオーンに反応して跳ね返すような防御結界を張ってるのさ? 神獣は剣なんか振らないのに」
「フン……それのように狂気に堕ちた不良品殺戮人形の行動は予測がつかぬ。かつて背に大きな傷を負った同胞の訴えをうけ、慈悲深き大天使聖下が御加護を下さったのだ」
アイシャを指差して答えるエルヴィートの表情は怒りに満ちていたが、どうせその同胞とやらもラクリマを粗末に扱っていたのだろう。それこそ、絶対的弱者であるはずのラクリマが全てを捨てて背後から斬りかかる程度には。
「聖剣のみならず、聖下の力を纏いしあらゆる聖片の刃を封ず聖鎧よ。……フン、まさか実戦で役立つ時が来るとはな」
アイオーンはただの気巧回路を組み込んだ魔剣だ。それを指して「聖下の力」と言っているのなら、あらゆる魔剣は彼の体に傷をつけられないことになる。
「(わかった?)」
端的にそう聞いてくるアイシャの中にいる何者かは、これを全て知っていたのだ。知っていて、何らかの理由でアイシャやナツキに明かすことができず、今ここで行動の結果として示した。
「(うん……けど、あいつの言葉通りならこの剣も……)」
「(だいじょうぶ)」
ナツキの手の中で茜色の光を灯す剣は、ハロが手ずから打ち上げた、天使の手など入っていないナツキのための剣だ。しかしそれでも本質はアイオーンと同じ、気の力を通して刀身を強化する魔剣である。
アイオーンだけを防ぐ結界ではないとエルヴィートは言った。普通に考えればナツキの剣の刃も通らないだろう。それでもこの剣が「準備」足り得るのだとしたら――可能性は一つ。
「(しんじて)」
「(……分かった)」
真摯な声に頷きを返す。
「問答は終わりだ。次は外さぬ」
再びエルヴィートの姿が消え、部屋中に気配が満ちる。またアイシャが狙われるなら、アイシャが避けるタイミングを見て剣を振るか、アイシャに剣を渡してしまえばいいが、仮にナツキが狙われている場合――
「(じゃああいしゃ、あとはがんばって)」
「(このタイミングで!?)」
「ふぇ……あれ? ……えっ!?」
とんでもないタイミングで交代宣言が出され、アイシャの顔に表情が戻る。同時に謎の声のテレパシーが途切れたのが分かった。
「わ、わたしじゃどうしようもないのです! なんで今……え?」
「アイシャ、近くに寄って! なんとか次の攻撃を避けないと――」
自分の知る練気術だけでどこまで対応できるか、脳が高速回転を始める。しかしその思考はすぐに中断された。
――ぐにゃり。
「え?」
前触れなく、目の前の景色が瞬間的に歪んだ気がした。
「……何ッ!?」
同時に目の前に現れたのは、明後日の方向に剣を振り下ろした体勢のエルヴィート。
何が何だかよく分からないが――チャンスだ。
「……《閃光》!」
ナツキに出せる最速の一撃。それは驚愕に固まるエルヴィートの右腕へと吸い込まれ――
――スッ、
剣は鎧を水のように断ち切った。
そして、その先にある結界に刃が触れ――なかった。
「え……」
剣は何にも阻まれなかった。
ただの鎧など強化された切れ味の前には有って無いようなものだった。
発動するかと思われた防御結界は、ナツキの剣には反応しなかった。
そして――本来の標的たるエルヴィートの腕も、斬らずに素通りした。
「……貴様、何をした?」
エルヴィートが困惑の声を上げる。これは彼にとっても予想外の事態らしい。
「そんな……効果なし、なのです?」
アイシャが絶望に顔を歪ませるが――そうではない。腕を斬り落とすことは叶わなかったが、確かに手応えはあった。練気術士にしか分からない手応えが。
「……。大丈夫だよ、アイシャ。ちゃんと斬れてるから」
「ふぇ?」
攻撃は防がれたのではない。治癒魔法で即時回復されたわけでもない。その証拠にエルヴィートの右腕はだらりと下がっていき、力の抜けた手から剣が滑り落ちた。
「ッ、!? これ、は……?」
エルヴィートは即座に左手で剣を拾い、ナツキから距離を取る。まるで得体の知れない化け物と対峙しているかのような視線がナツキと剣に向けられた。
「腕が動かぬ……貴様ッ、一体何を斬った!?」
「さあね。ボクもこの剣を使うのは初めてなんだよ。でも……なるほどね。これがハロの出した答えか」
メルクとの戦いでは理解できなかった。しかし今の手応えと、斬った後のエルヴィートの様子で大体のことは把握できた。
ハロにとって武器は皆の笑顔のためにあり、それが向けられるべき相手は人間ではなく神獣なのだ。その想いが刻印されたハロの武器は絶対に人を傷つけられない。闇市で彼女が売っていた魔剣と同じだ。先程メルクとの戦いで触手を断ち切れたのは、剣が彼女を人と見なさなかったか、あるいは彼女が気のみを動力源とする魔法生物であるからか。
しかしそんな「いい子」な剣では、笑顔を脅かす「悪い人」が武器を持って現れたときに抵抗できない。悪い人を改心させようとする前に殺されてしまう。チューデント工房からの帰り道、剣の発注の際にそのことについてハロに問いかけてみた時、彼女はこう答えた。
――じゃあハロね、悪い人ともお話できるようになる剣を作るよ!
――ちゃんとお話すれば、みんななかよくなれるはずだもん!
――えへへ、どうすればいいかなぁ……?
それは理想論であり、話し合いの余地などない状況は存在する。たとえ話し合えたところで、お互いの信じる正義が対立する者同士が相容れることは難しい。それが悲しい現実で、チャポムに攫われたことでハロも理解したはずだ。
しかしハロはその理想を追い求めた。相手を傷つけずに守りたいものを守る、そのワガママな願いを結実させた結果が、今この手の中にある一振りの剣なのだ。相手の肉体には傷一つつけず、一切の痛みも苦しみも与えず、戦闘能力だけを奪う――優しく傲慢な強者の剣。
「この剣は……気の循環路を斬ってるんだ」
より正確には、刀身が通過した部分に一時的な気のバイパスネットを形成し、その先へ伝達されるはずの神経信号をトラッピング、破棄しているのだ。
「要は魂レベルでの麻痺デバフってとこか。魔王城での戦いで欲しかったな、これ……」
「何をブツブツと――否、そもそもそれ以前の問題として……ッ、まさか! 忌々しいッ、この卑怯者めが!」
「おっと!?」「きゃっ……!?」
突然何かに気づいたように悪態を吐き捨て、エルヴィートが地面を蹴って猛スピードで斬りかかってきた。またワープで死角に飛ぶだろうと予想していたが、正面から応戦してくれるならそれはそれで好都合だ。
アイシャを下がらせ、迎え撃つ。剣と剣が交わり火花を散らす。エルヴィートの剣は速く重く、剣術の鍛錬も欠かしていないことが窺えた。
「っと……さすが聖騎士ってとこか。アイシャ、にー子をお願い! こいつはボクが相手するから、周囲の警戒を!」
「は、はいです!」
アイオーンの能力を封印されてしまったアイシャでは、この剣は受けられない。それに恐らく――アイシャの体を操っていた存在的にも、ナツキに行動を縛られない状態の方が都合がいいだろう。そんな気がした。