Noah/γ - 鶏の目覚め
その頃、書庫は喧騒に包まれていた。
『こ、こちらソレイユ01! ヤバいっすよ、電力が――』
「分かっとるわい! 原因は何じゃ!?」
『分かんないっす! 晴れてんのにいきなり雷が落ちて』
「雷じゃと!?」
全て上手くいっているはずだった。ピュピラ島の全ての発電機は未だに沈黙しているし、聖騎士は地上に釣り出せたし、レジスタンスを囮にしたことでこちらの人的被害は0だ。聖窩内とのゲート開通も恙無く済み、アイシャも今頃はナツキ達と合流できているはすだ。
聖騎士は思いのほか長く地上に留まってくれていた。別の仲間が聖窩にいるのか、地上のレジスタンスが本隊だと思ってくれているのか、いずれにせよナツキとリリムというこちらの最高戦力が既に潜入済みであることは気づかれていないようだった。もちろんそういう作戦なのだから、そうでなくては困るのだ。
しかしその前提が今、崩れた。島の一角に光が戻ってしまったのだ。
『こちらヘカテー02。原因はあれですぜ』
現場に残って状況を監視していたベートから通信が入り、彼の周辺の光景がホロウィンドウに大きく映る。そこにはバチバチと放電する小さな――少女が立っている。
「ギフティアか!」
「フィルツホルンから送られてきたんでしょうねぇん」
「ああ、間違いないだろうね。個体名フィン=テル=パセル、雷を自在に操るギフティアだ。今は充電中だったはずだけれど……」
「素性なぞ何でも良いわ、無力化する方法を教えんか!」
「相応の準備が――ああ、見たまえ、そもそも手遅れだ」
「何じゃと!?」
ヴィスコが振り返った先、アレフの周囲を映しているホロウィンドウの中で、聖騎士エルヴィートが通信機を耳に当てていた。
『こちらヘカテー01。……タイムオーバーです』
エルヴィートの表情が驚愕に彩られ、一瞬の後に怒りに染められたかと思うと、次の瞬間には姿が掻き消えていた。
「おのれ……!」
「ステラ02より地上全隊、『鶏が目覚めた』、『鶏が目覚めた』! 至急行動を!」
聖騎士が陽動に気づいたことを示す符合が通達される。おひさまチームとおつきさまチームは陽動をやめ、混乱する一般市民に紛れて島から撤退することになっている。ナツキ達に比べれば一般人に毛が生えた程度の彼らでは、もはや天に祈るくらいしかできることがないのだ。
「じゃ、アタシもそろそろお暇しようかしらぁん」
「ああ、僕に面倒を全部押し付けるつもりかい」
「元々アタシは関係ないわよぅ。《神の手》は上客だから付き合ってあげたけどねぇん、その《神の手》が死ぬんじゃなんの儲けにもならないわよぅ」
「聖窩の情報は必要ないと?」
この場から去るのであれば、聖窩の情報は売らない。そう《古本屋》は告げていた。
ものすごく価値のあるどころか、値段もつけられないような情報であることは間違いない。普段《塔》深部の情報は扱っていないとはいえ、食指が動かないと言えば嘘になる。
「聖窩ねぇ……アタシのお客さんが欲しがりそうな情報なんてあるのかしらん」
「それは知らないがね、ああ、既に聖窩内のデータは端末を使って一次蒐集を開始している」
「端末? ……ああ、あのポリ公の女の子ねぇん。適任って、そういうこと」
「あれなら、ラクリマ達がいる限り《塔》側に僕のことを暴露することもない。ああ、完璧な使い捨ての駒だろう」
この男にとって、自分以外の全ては情報を得るための駒でしかない。あのネイという女警官は、アイシャとハロという鳥籠に囚われた鉱山のカナリアなのだ。
旧知の間柄として知ってはいるが、およそ正常な人間の思考ではない。それが彼という存在なのであって、責める気は全くないが――情報屋として彼の域に至るのは、自分には一生かけても到底無理だろうと思う。
「現時点の情報だけでありありと分かる……ああ、今日を境に世界は大きく変わるだろう。変革の時代に生き残るのは情報的強者だと、ああ、君もよく知っているだろう」
「……分かったわよぅ。それで、アタシに何をさせる気なのよぅ」
自分がいようがいまいが、面倒の大きさはそう変わらないはずだ。わざわざ引き止めるからには何か裏がある。
睨みつけると《古本屋》はニヤリと笑みを浮かべ、無言のまま二枚のホロウィンドウをこちらに向けてよこした。
「ちょっと……これって!?」
「ああ、見ての通りだ。そちらは聖窩内部の地図……停電している間に可能な限りマッピングしたものだ。ああ、彼女につけたマーカーを使ってね」
「あの子達が行きそうにない場所まで表示されてるけどぉん……?」
「ああ、マーカーはある程度自律稼働が可能だからね。それでも届くはずのない地上階までマッピングされたのは――ああ、嬉しい誤算だったと言える」
言いながらもう一枚のディスプレイを指し示し、彼は面白そうに問う。
「さあステラ05。この状況、君はどう動く?」
「……アナタ、本当はこの作戦を成功させたいのかしらん」
「判断は君に委ねよう。ただひとつ言えることは……ああ、未知の世界の扉を開ける鍵を、僕達は手にしているということだ」
「充分過ぎる回答ねぇん……いいわよぅ、付き合ってあげる」
手渡された通信機を起動し、ホロウィンドウの向こうへと話しかける。
「こちらステラ05よぅ。聞こえるかしらん、コメット05?」
万が一にもないと《古本屋》が断言したはずの成功の目を、力技で引き当てに行くために。