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原初の涙 Ⅱ

 どさり、操り糸の切れた人形のようにリモネちゃんが地面に崩れ落ちる。と同時に、リリムとアイシャが駆け寄ってきた。


「ナツキちゃん、無事!?」

「ナツキさん!」

「大丈夫大丈夫。二人ともありがとね、ナイス連携だったよ」


 アイシャがこの大部屋に辿り着けば、ハロに頼んでおいた剣で外から結界を破れる。そのタイミングまでリモネちゃんの気を引き続け、結界が破壊された瞬間に《気迫》術で生みだした一瞬の隙をついて、リリムの毒メスで動きを封じる。

 結界が張られた後すぐ、その作戦は《念話》術でリリムに共有していた。


「正気の沙汰とは思えない作戦だったけど……本当にリモネの全力を受けきるなんてねぇ、さすがナツキちゃんだ」

「リリムさんこそ、あの距離でよくこんな正確に当てられたね。全部ちゃんと急所外してるし……すごいよ」

「ま、年長者としてそれくらいはねぇ」


 リモネちゃんの体に突き刺さった五本のメスは、全て太い血管や内臓を避けていた。応急手当のためにメスを抜いても、ほとんど出血が無い。


「年長者……なんてレベルの技術じゃないよ、これ」


 塗られている毒も致死性のものではないのだろう、気を失ったリモネちゃんの呼吸は正常なままだ。


「さて……と」


 リモネちゃんの首筋に触れ、気を通して探ってみると――やはりキルネと同じ、何者かの気のわだかまりが差し込まれていた。しかしキルネと違って全くリモネちゃんの気の循環路には馴染んでいない。恐らくはまさに昨日今日くらいのつい最近に――


「ナツキさん……っ」

「わっ」


 洗脳を解きつつリモネちゃんを見下ろしていたら、いきなり横からぎゅうと抱きしめられた。……伏せられた黒い猫耳が、目の前でぷるぷると震えている。


「アイシャ……アイシャも、無事でよかったよ」

「無事でよかったはこっちの台詞なのですよ! わたしほんとに、ずっとずっと心配で……っていうかナツキさん、無事じゃないのです! 傷だらけなのです!」

「わ、大丈夫だよ、傷は浅いからさ。……よし、と」


 リモネちゃんの処置を手早く終わらせて立ち上がり、ぴょんぴょん飛び跳ねてみせる。しかしアイシャの表情は晴れない。


「無茶はしないで欲しいのです」

「分かってる……けど、今回ばかりはにー子のために必要とあらば無茶すると思う」

「もう! 全然分かってないのです! ナツキさんは死んじゃう運命をひっくり返さなきゃいけないのですよ!?」


 死の運命。アイシャにテレパシーで語りかける何者かが、ナツキは今日死ぬ運命にあると言っている、らしい。

 正直なところ、今更そんな事を言われても、なのだ。戦場は常に死と隣り合わせだなんて、二年前から重々承知していることなのだから。


「大丈夫だよ。だってほら、こうしてアイシャと合流できて――ハロの剣が、ボクに届いたんだから。それが謎の声が言ってた『準備』なんでしょ?」


 アイシャが背負っているその剣は、一目で名剣と確信できるほどの出来栄えだった。


「もう……。……ハロちゃん、すっごく頑張ってたです。受け取ってくださいです」


 話題を変えられたことを不満そうにしながらも、アイシャは剣を差し出してくれた。

 出来ることならハロから直接受け取りたかったところだが、こんな危険地帯まで戦えないハロを来させるわけにはいかない。ハロにはナツキが残した気の残滓の方向をアイシャに伝える役割を任せているが、ここにいないということはもう書庫に撤退したのだろう。

 ちゃんとハロに感謝を伝えるためにも、無事に帰還しなければならない。そう改めて決意しながら剣の柄を握った途端――確信は感激へと変わる。


「……! これ……すごいな」


 透き通った紺碧の刀身は、随分前に入手した《八足白虎》のコアと、ナツキの腹から摘出した《迅雷水母(ジュリア)》の卵を材料に打ち出してもらったものだ。

 魔鉱石の類が存在しないこの世界で唯一気の力をまともに扱えるのがアイオーンであるならば、その源はアイオーンに含まれているという神獣由来の物質でしか有り得ない――その予想は大当たりだった。剣に気巧回路が張り巡らされているのが触れただけで分かる。

 肝心の性能としては、まず、軽い。物理的な重さではない、魔法的な力で重量が抑えられている。ハロの刻印(エンチャント)により貯蓄された気の力によるものかと思いきや、どうやら剣の中に力は存在していない。


「根源の窓に……剣の方から接続された」


 ナツキはまだ回路展開(オープン)と唱えていない。ごく自然に、剣を持った瞬間に回路が根源の窓と繋がったのだ。刀身に目をやれば、紺碧の夜空の中心に流星を通すように、茜色が細く輝いている。


「アイオーンみたいに、勝手に起動するです。すごいのです」

「うん……なのに、こっちから流し込まない限りは最低限で保ってる……ものすごい技術だよ、これ」


 流量を剣の側から抑えているにもかかわらず、こちらから気を流し込んでみればスッと抵抗なく刀身に力が染み渡り、茜色の燐光が鮮やかに溢れて舞い始める。回路のどこにどう気を通すとか、ややこしいことを一切考えずとも万全の刀身強化が出来ている。さらに循環して剣から返ってくる気の力はナツキの身体を巡り、勝手に身体強度を上げている。ダメージ吸収効果のある簡易結界も張られているようだ。


「アイオーン並の魔剣を作って欲しいとは言ったけど……まさかここまでやってくれるなんて」


 スラムから帰る途中、ハロにはすでに剣の制作を打診していた。材料になるかもしれないものとして神獣のコアや卵があることも、その段階で伝えていた。

 しかしその時は、設計や試行錯誤も含めて一ヶ月以上はかかるだろうと考えていた。まさかたった数時間で仕上げてくるとは……


「ハロは天才だよ。アイオーンに触れたこともないのに、こんな完璧に仕上げてくるなんて」


 ラグナで散々お目にかかった各種聖剣でも、この域に達しているものはそうそうない。


「あっ、えっと、それは……」

「? どうしたの?」


 何かに反応したアイシャがバツの悪そうな表情になったが、すぐ首を横に振った。


「な、なんでもないのです! さあ、ニーコちゃんを助けに行くです!」

「う、うん」


 明らかに何でもなくはなさそうだったが、今優先すべきは確かににー子だ。この大部屋に入ってきた方とは反対側の通路に目を向けた、その時――


 ――ヴゥン、


「……えっ」


 空間の至る所に光が灯っていく。

 機械の唸る重低音が静寂を破り、空気が時間とともに流れ出す。


「まさか……!」


 ――停電の復旧。それは今回の作戦における最悪のパターンだ。聖窩(ヴォイド)内部の防犯機構が作動し、ナツキ達の存在が外部に伝達されてしまえば、聖騎士エルヴィートは即座に戻ってくる。


「真正面から鉢合わせたりしたら勝ち目はない……急ごう、アイシャ、リリムさん! ……あれ?」


 もはや小さなミスが命取りになる、そんな状況。

 しかし想定外の事態はそんな時こそ重なってしまうもので――


「リリム、さん……?」


 リリムが、いなくなっていた。


「リリムさんならそこに……さっきまでいたです、けど」

「だよ、ね……?」


 剣に気を取られている隙に先に行ってしまったのかと思いきや、《気配》術にも反応がない。


「な、ナツキさん! リモネちゃんさんまでいないのです!?」

「へ? リモネちゃんならここに……っ!?」


 ナツキの足元、ついさっきまで気絶状態でナツキの治療を受けていたはずのリモネちゃんまで、忽然と姿を消していた。

 最大出力の《気配》術で室内をスキャンするが、アイシャしか反応がない。


「なん……なのさ? 何が起きて……」


 異変。ここまで来て想定外の異常事態が発生している。まるで狐に化かされたかのようだ。


「……っ」


 アイシャがぎゅっと手を握ってきた。存在を繋ぎ止めるように強く握り返す。少なくともアイシャは幻ではないし、すぐ側にいる。


「大丈夫、ボクは消えないよ。……何が何だか分からないけど、行こう。今は先に進むしかない」


 手を繋いだまま、部屋の奥の通路の先へ。《気配》術に引っかかっている最後の意識は、もう目と鼻の先にいる。


「……にー子」


 ここまで近づけばもう分かる。にー子の意識だ。

 弱々しく明滅するそれは、何か得体の知れないものに絡みつかれている。アイシャも気づいたか、焦りを帯びた顔を向けてきた。

 しかしそんな焦燥を嘲笑するように、通路の突き当たりには寒々しい氷色の燐光が待ち構えていた。

 ――セキュリティゲートだ。


「通して」


 円形の溝の中央に左の手のひらを押し当てる。同時に右手は剣を構える。どうせクラスⅡでは通れないゲートだ、切り刻んで押し通らせてもらうとしよう――


『認証しまシタ。こちらハ特級機密区画S-1、特級機密区画S-1デス。入場にハ〈クラスⅠ〉権限又ハ同権限保持者ノ同伴ガ必要デス』


 言葉を待たずに剣を振ろうとしていた腕が、止まる。

 ――認証しました、だって?


『権限ロール《原初の涙(ニルエーラ)》《天の階(イオニア)》ハ〈クラスⅠ〉デス。機密保持条項ヲ確認ノ上入場してくだサイ。注意:現在の天使の胎(イオニメトラ)ノステータスハ〈寝起き〉、占有率ハ1/3デス。安易ナ接触ヲ控え――』


 垂れ流される電子音声と共に扉が開いていく。


原初の涙(ニルエーラ)天の階(イオニア)……って」

「ナツキさんのことなのです?」

「ボクは人間のはずなんだけど……キルネやリモネちゃんを倒したからボクに権限が移ったのかな」


 まあ、いい。すんなり通してくれるならそれが一番だ。


「行こう」


 開いたゲートの先から漂ってくるピンク色の煙は、やけに甘ったるい香りがした。

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