Noah/νρ - ラクリマ護衛任務
(これまでになく長くなりそうだったので章を分割しました)
自分にとって正義とは何か。
銃口を向けられ、間違えても正解しても殺されそうな質問に対し、ネイ=ラスカルは答えた。どうせ殺されるなら最後まで己を貫こうと、素直な心で。
「……ふ、それが君の答えか。ああ、なるほど、面白い。まさに――適任だ」
骸骨マスクの男は、クツクツと満足気に笑ったかと思うと、
「ああ、ならば、君の正義が世界に受け入れられないものだとしたら?」
そんな問いを投げかけてきた。
「……世界と戦うっす。力が無くて散るならそれまでっすよ、そんな世界こっちから願い下げっす」
啖呵を切ってやる。どうせ何を答えようとここで死ぬのだ、せいぜいカッコつけて死んでやろうと、己の信念を骸骨マスクへぶつけてやった。
自分の死を悼んでくれるような親族はとっくの昔にいなくなっている。親友と呼べるような人間もいない。もう覚悟は決めた、さあ殺すなら一思いに殺せ――
……と、短い人生に別れを告げたはずだったのだが。
「なんでこんなことになってるんすかねぇ!?」
「ね、ネイさん、声が大きいのです! しーっなのです!」
「う、ご、ごめんっす」
「ふふ、おんみつさくせんだからね!」
「ハロちゃんも、しーっ!」
何故か殺されることなく、彼らのどう考えても重犯罪の死刑まっしぐらな作戦概要を教えられ、見知らぬ幼女二人と共に、あろうことか聖窩内のトイレに転移させられていた。
いや、聖窩と言うのはただ彼らがそう言っているだけに過ぎない。きっと嘘だ。そう信じたい。
しかしそんな現実逃避の先には、もっと心をざわつかせる現実が待っていた。そう――目の前の幼女達に、人ならざる耳と尻尾、そして首輪が付いているという現実だ。
「ラクリマ……なんすよね、あんた達」
「は……はいです」
「そうだよ!」
ラクリマ。当然存在は知っているし、オペレーターが連れているのを見たこともある。人の形をした感情を持たない道具であるが、感染――調整前に人間の感情を写し取ってしまうことで、人と同じような擬似反応を返す個体も存在する。擬似的なものとは言え感情を持っていると運用上の不都合が多く、重感染個体はギフティアでもない限りは処分されるか闇市のような場所に奴隷として流されるかだと聞いている。
逆に言えば、それだけしか知らなかった。一般常識に少しアングラ知識の毛が生えたようなその認識は今、根底から崩れ去ろうとしている。
「ネイお姉ちゃん、だいじょうぶ?」
「やっぱり……関係ない人を巻き込むわけにはいかないのです。ネイさんは逃げるべきだと思うです……」
心配そうにネイの顔を見上げる二体のラクリマは、どう見ても普通の子供だ。人間の感情を写し取ってしまった? 人を模倣した擬似的な反応? 馬鹿を言え、これのどこが偽物の感情だと言うのか。
「……そりゃ、運用上の不都合は多いっすよねぇ。こんな子供を無理やり――あ、ウチの正義が世界に受け入れられないものだとしたら、ってそういうことっすか、なるほどなるほど」
「あ、あの……」
「大丈夫っすよ」
二体の、否――二人の頭をわしわし撫でる。子供特有の柔らかな髪の下に、陽だまりのような高い体温を感じた。
少なくとも、道具でも兵器でもない。生物学的に人間ではないのかもしれないが、この子達はしっかり生きていて、愛されるべき子供なのだと、そう確信する。
「拾った命、最期に正義のために散らせるなら本望っす。護衛任務、全力でやらせてもらうっす!」
「ち、散らしちゃだめなのですよ」
「こっそりナツキお姉ちゃんに剣をわたして、こっそりかえるんだよ! ハロがつれていってあげる!」
「待つです、ハロちゃんはすぐ帰るですよ? 危険なのです!」
「えーっ? ハロがナツキお姉ちゃんのキをおいかけていくさくせんでしょ?」
「方向さえ分かれば、あとはわたしだってナツキさんの場所くらいわかるのです。ナツキさんだって、ハロちゃんは危なくなる前に書庫に戻れって言ってたです」
「うーっ、でも……」
静かに、と自分たちで言ったことも忘れて言い争う二人。同じラクリマでも個性はかなり違うようだ。
少し気弱そうだが大人びていて芯の通っている方、アイシャの精神年齢は見た目よりも高そうだ。これから会いに行くナツキというオペレーターのドールらしい。布で包まれた大きな剣を背負っている。
もう片方、まさに元気はつらつな子供といった印象のハロは、精神年齢だけ見れば見た目通りだ。しかし実はフィルツホルンの貴族特区の名門工房で免許皆伝を取っていて、ナツキの専属鍛冶師らしい。人は見かけによらないとは言うが、限度があると思う。
「……まあ、ここから分かる範囲には、ナツキさんもリリムさんも他の人もいないのです。しばらくはハロちゃんもいっしょに行くですよ」
「やったー!」
「ちょ、ここから分かる範囲って……」
今三人がいるのはトイレの個室内だ。見える範囲に他の人がいたら大問題である。訝しむネイに対し、アイシャは無情にも「説明は大変なのでしませんです」と言い放って個室から出た。
「んっとねー、ナツキお姉ちゃんは……この下!」
トイレから出た後、謎の自信をもってナツキのいる方向を断言したハロに従い、目の前の縦穴をひたすら下りて行く。ハロ曰く、ナツキが残した「キ」の残滓を辿っているのだそうだ。戦闘要員ではない彼女が付いてきているのはそのためらしい。
「そのナツキって人の娘さんが《塔》に攫われたから取り返しに行く、んすよね?」
「えーと……大体そんな感じなのです」
作戦の目的については、あの骸骨マスクの男は詳しく教えてくれなかった。隠されたというよりは興味もないような様子で、とりあえずアイシャとハロを手助けすればいい、とだけ言われている。それをひとまず護衛任務と解釈してついて来ているわけだが、作戦目標が気にならないと言ったら嘘になる。
「先行して乗り込んでるってことは、ナツキさんも戦う女ってやつっすよね。どんな人っすか? 裏社会を動かすってことはやっぱり色気マシマシの美女なんすかね。やー、一度手合わせしてみたいっす」
階級こそ新米巡査だが、島の警察官でネイに格闘技で敵う者はいない。人間相手ならそうそう負けない自信があった。
しかし、アイシャ達から返ってきたのはなんとも言えない表情だった。
「あのね、ナツキお姉ちゃんは8さいだよ?」
「は?」
「わたし達よりちょっとだけ背が高くて、きらきらの髪が綺麗な、とっても強くて優しい女の子なのです」
「え……いやちょ、娘さんを助けに行くんすよね?」
「娘みたいに可愛がってるラクリマのニーコちゃんを助けに行くです。ハロちゃんよりもっと小さくて、言葉も覚えたばかりで……怪我を治す異能を持ったギフティアなのです」
「……!?」
ギフティアを、《塔》から、奪い返す?
「とってもめずらしいラクリマで、聖騎士様がごえーしてるんだって!」
「ま……まさかそれって、今日特殊調整してるっていうラクリマっすか……!?」
「なのです。早くしないとニーコちゃんの記憶が消されちゃうです!」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだと思った。どれだけ命知らずならそんな十中八九無駄死にコースの大犯罪を決行しようと思えるのか。
「ま、待つっす、もし上手く取り返せたとして、その後どうするんすか!?」
「逃げるですよ?」
「逃げるったって……ラクリマの居場所は《塔》に筒抜けっす。すぐ追いつかれちゃうっすよ」
ラクリマの首輪は位置情報を《塔》に送信しているはずだ。調整の終わっていないニーコはともかく、アイシャやハロは追っ手に位置を知らせながら逃げることになってしまう。一体どうするつもりなのかと首輪を指さしながら訝しむと、
「そ、そうなの、アイシャお姉ちゃん……?」
ハロは首輪について知らなかったのか、不安そうにアイシャを見上げた。しかし対するアイシャは平然としたもので、
「大丈夫なのです。……そろそろ外しておくですよ」
そんなことを言って、無造作に首輪を二つに割って外した。
「……!?」
「えーっ、これ、とれるの!?」
「書庫で解除しておいたですから、ハロちゃんのももう外せるようになってるです。捻りながら引っ張るのです」
「へ、えっと……わっ、ほんとに取れた!? すごいすごい!」
目の前で起きていることが信じられずに目を白黒させている間に、ハロの首輪も簡単に割れてしまった。
「……え、あれ……首輪ってそういうものだったっすか? ちょっと自信なくなってきたっす……」
「普通は外せないのです。けど、気にしちゃ負けなのです」
様々な規則でガチガチに行動を制限されているはずのドールとは思えない言葉に息を飲む。
アイシャは少し寂しそうに首輪を見つめたかと思うと、そっとそれを地面に置き、再び歩き始めた。ハロもそれに倣い、首輪のない調整済みラクリマというイレギュラーの塊のような存在が突然二人生まれてしまった。
「……もう何でもいいっす、ウチは全てを受け入れるっすよ」
悟りを開いたような心地で道を進むこと数分、幾重にも隔壁が下りている通路に突き当たったが、ハロがこの先にナツキがいると言うや否や、アイシャが背負っていた謎の剣でゼリーのように鉄のシャッターを切り裂いてしまった。
「これ……すごい切れ味なのです。ほとんど気も通してないのに」
「えへへ、自信作だよ!」
アイオーンなのかと思いきや、なんとハロがナツキのために打った剣で、我々の主目的はその剣をナツキに届けに行くことらしい。
「っ、ハロちゃん、ネイさん、この先に一人、ナツキさん達じゃない気配があるです。警戒してくださいです」
「う……たたかうの?」
「はは……ウチが勝てる相手なことを祈っておくっすよ」
「ラクリマならわたしも戦えるですけど、人間さんだったらお願いするです。ハロちゃんは少し後ろからついてきて、わたしが逃げてって言ったらすぐ書庫まで逃げるです」
「わ、わかった!」
自由奔放に規則を破っているように見えるアイシャだが、ラクリマ行動原則にはしっかり縛られている。人間相手の戦闘は全てネイ任せというわけだ。
《塔》の深層にただ一人待ち構えているというなら、手練の警備員である可能性が高い。そう気を引き締め直して向かった先にいたのは――
「……ラクリマ……っすね」
「ねてるよ……?」
「こんな薄着で寝たら、おなかが冷えちゃうのです」
「いや薄着ってかこれ……悪魔装束、っすかね?」
壁にもたれかかってすやすやと寝息を立てる、一人の少女。その背には黒い羽と悪魔の尻尾が生えていて、露出の多い黒革の服を身にまとっていた。
「うぅ、アイシャお姉ちゃん……はやくいこ? ここなんか、ぴりぴりする……」
「ぴりぴり、なのです?」
「その子の気、だと思う……すっごくつよい気のかけらがね、このおへやいっぱいにちらばってるの」
ハロの言う「ぴりぴり」する感覚はよく分からない。アイシャもそれは同じようだったが、ハロの言っていることの意味は理解しているようだった。
「気の欠片……ナツキさんと戦った跡です?」
「そうかも……。たぶんこの人、ナツキお姉ちゃんにねむらされたんだよ」
「なら、起こさないようにこっそり行くです」
ナツキという人物は人を眠らせることが出来るらしい。それが当然のこととして会話が進んでいるが、もう突っ込む気力もなかった。この二人がそう言うからにはそういうものなのだろう。
そして、眠る少女の脇を抜けて次の通路へと足を踏み出したその時だった。アイシャとハロが揃って足を止め、耳をぴくりと揺らした。
「っ、この奥に新しい気配、三人なのです! ナツキさんとリリムさんと、あと……ええっ!?」
「ハロもきこえる……すごいたくさん、たたかってる音……」
ネイには何も見えないし、聞こえない。ただ長い廊下が続いているのみだ。しかしこの二人が言うからにはこの先には敵がいて、戦闘中なのだろう。ならば自分が前に出るべきだと一歩進んだところで、アイシャに服の裾を摘んで止められた。
「……ネイさんとハロちゃんはここに残るです」
「ほい? なんすか急に。敵がいるならウチの出番じゃないっすか。ついてくっすよ」
「は、ハロもついてくよ! ここまできたらいっしょだもん!」
護衛任務なのに護衛対象だけ先に行かせる訳にはいかない。しかしアイシャは首を横に振り、
「普通の人間さんやドールじゃないラクリマが飛び込んで生きて帰れる戦いじゃないのです。ここで後ろから誰か追いかけてこないか見張ってて欲しいのです」
「誰かって……ウチはもう死ぬ覚悟で来てるっす。今更気使わなくていいっすよ」
「違うです、必要なことなのです。えっと、理由は……言えないらしいのです」
「らしい、すか?」
「……ネイさんとハロちゃんは絶対、ここから先には進んじゃだめなのです。それだけ必ず守って、あとは二人が正しいと思うことをしてほしいのです。それが一番成功確率の上がる道なのです。……何も言わずに信じて欲しいのです」
アイシャの目は真剣だった。占い師のようなことを言っているのに、その裏に天使のお告げでもあるかのような謎の凄みを纏っている。
これは少なくとも、ネイやハロを死なせまいという意図での要求ではない。何かしら確固たる意味があるものの、それを伝えるに伝えられないのだ。
「アイシャお姉ちゃん……それ、聞いたの?」
「……なのです。信じていいと……思うです」
「そっか。じゃあハロはアイシャお姉ちゃんをしんじる! ここで待ってるよ!」
「あー……何も分かんないっすけど、分かったっす。もともとあのドクロマスクにはあんたらに従えとしか言われてないっすから……ハロちゃんはウチが命にかえても守り抜くっすよ」
降参すると、アイシャはほっと息をついて、「ありがとうです」と笑って通路の奥へと走っていった。ここまで周囲をぼんやり照らしていた剣の茜色の光がなくなり、先程の広間に置いてあった非常灯の光が通路の入口からうっすら差し込むだけになる。これでは自由に行動しようもない。
「ぁ、……くらくなっちゃった……」
「そうっすねぇ……」
「う、うぅ……」
これまでずっと不可解な出来事に振り回されっぱなしで、自分がいることになんの意味もないような道中だったが、ここで待つことで役目を全うできるというなら待ってやろう。
それに……不安がっている子供を安心させるくらいなら、自分にだってできる。
「大丈夫っすよ」
「な、なにが!? ハロ、ぜーんぜんこわくないよ!?」
「っはー、ハロちゃんは強いっすね。ウチは超怖いっす」
「え? そ……そうなの?」
「もうガクブルっすよー。だからウチの手、ちゃんと握ってて欲しいっす」
「わ、わかった!」
震えていた小さな手が、ネイの指をぎゅっと握り込む。それをそっと握り返してやると、安心したように吐息が漏れた。
このままここで待ち続けて、いよいよ暇になったら先程の広間に戻って悪魔少女の寝顔でも眺めていようか。アイシャやハロは敵だろうと言っていたが――何となくそれは違うような気がする。
そんな心境で待つこと数分、それは突然やってきた。
――ヴゥン、
暗かった通路の各所に、眩しいくらいの光が灯った。
天井の換気扇が回りだし、周囲から何かが駆動する重低音が響いてくる。
「わ、明るくなった! やったー!」
無邪気に喜ぶハロとは対照的に、ネイは戦慄に冷や汗が吹き出るのを感じた。
停電の解消。それは先程ドクロマスクの男に聞いた話によれば――
「……最悪のシナリオ、じゃないっすか」
彼らの作戦は停電状態、すなわち聖窩内外の情報遮断を前提としている。それが覆ればもう彼らに勝ち目はない。
――ポーン。
冷や汗を流すネイの後ろで響いた、聞き覚えのある音。
恐る恐る振り返り――これまで暗くて気づかなかったが、なるほど確かに、誰かを置いていくならここなのだろうと思った。アイシャはこれを見越していたのだろうか。
ウィーン、とやけにゆっくりと開いていく、鉄の扉。
ここは――エレベーターホールだ。