地を穿つ流星
おひさまチームが騒ぎを起こして陽動、警備員達の注意を惹き付ける。その隙におつきさまチームが発電所を止め、島全域を停電させる。おつきさまチーム計十小隊のうち二隊のターゲットは発電所ではなく、その片方は電波塔に細工をして警察の通信網を麻痺させる役、もう片方は蓋の外にある《塔》の非常用電源システムを破壊する役だ。
それら全ての作戦行動が順調に完了した旨の報告が届いて数分、ナツキとリリムの元に待ちわびた続報が届いた。
『夜は訪れた。繰り返す、夜は訪れた!』
ヴィスコの声がナツキ達ながれぼしチームの作戦開始を告げる。「蓋」を含む島全域の停電工作が成功し、さらに聖窩内でにー子を護衛しているはずの聖騎士が事態収拾のために外に出てきたという、これ以上ない成功を表す符号だ。
してやったり、という感情が通信機越しに伝わってくるようなヴィスコの声色に、思わず笑みをこぼす。呆れているのではない、共感の笑みだ。正直ここまで上手くいくとは思っていなかった。
「コメット01了解。順調すぎる気もするけど……コメット02、準備おっけー?」
『こちらコメット02。いつでもいいよー』
通信機越しにリリムと最終確認。もう既に二手に分かれ、それぞれ別の蓋の裏口前の茂みで待機している。
情報によれば、本来蓋内に入ることの出来る入口には全て一日中警備員が立っているという。しかしナツキの目の前にある入口は、まるで罠のように無人のままぽっかりと口を開けていた。《気配》術にも反応はない。本当に誰もいないのだ。
「行動開始!」
覚悟などとうに決まっている。リリムの返答を受けるや否や、そう宣言して茂みから飛び出した。屋内に突入しても警報の類が鳴ることはなく、罠が仕掛けられたりもしていない。
「回路展開、門再接続」
アイオーンが放つ茜色の燐光で周囲を照らしながら、《気配》術全開で真っ直ぐ進んでいく。いつもアイシャに借りているものではなく、リリムが書庫の奥から勝手に持ってきて貸してくれた別物だ。リリムの所有物で、倉庫替わりに書庫に保管しておいてもらっていたらしい。
『《神の手》……またヤバいもの持ち出してきたわねぇん』
『ああ、まさか蔵出しする日が来るとはね……』
『そ、そんないわく付きの剣なの、これ?』
『これはねぇ、《塔》の追跡を遮断してる違法改造アイオーン。オークションに出せば数十億は下らないやつだよー』
『ひっ!?』
何故ラクリマではないリリムがアイオーンを持っているのか、《塔》の外にアイオーンを弄れるような技術が漏れているのか。そんな問いに答えは返ってこないだろうことは、マスターや《古本屋》の冷や汗まみれの顔から察せられた。
「……なんだって構わない、ありがたく使わせてもらうよ、リリムさん」
小声で感謝を呟きながら、暗い廊下を歩いていく。
停電中とはいえさすがに無人というわけではない。非常用電源の破壊も成功しているはずだが、懐中電灯やポータブルな非常灯はある。
「――ごめんね」
「っ!? なんっ――、……」
進路上に限らず、《気配》術に引っかかった人間は全てこっそり近づき、《眠気》術で全員眠らせていく。ナツキ達の侵入を聖騎士に伝えに行かれては困るのだ。戦闘の経験などなさそうな事務員らしき人々に手を出すことに罪悪感を覚えるが、致し方ない。
「リリムさんは何かしら物理的な手法で気絶させてるだろうし、それに比べれば良心的だよね……と」
誰にともなく言い訳を零しながら、目的地――「セントラルシャフト」へ向かう。事前にリリムと合流場所に決めていた場所であり、《気配》術の端で捉えているリリムも迷いなくその一点へと進んでいる。
今ナツキ達がいるのは聖窩を覆い隠す蓋の内部であり、その構造や各部の名称は当然公開されていない。だと言うのに何故事前に合流地点を決められるのかと言えば、
「リリムさん……黒魔術にも限度があるよ」
リリムが知っていた、ただその一言に尽きる。
蓋に侵入できたとしてその後はどうするのか、聖窩の内部構造の情報など存在しないのに、と訝しんでいたマスターや《古本屋》に対し、リリムは「まあなんとかなるよー」とへらへら笑っていた。
当初はナツキが《気配》術で索敵しながらリリムとツーマンセルで潜っていく予定だったのだが、二人きりになって通信機を切った途端、リリムが小声で喋りだしたのだ――蓋の内部構造を。今のところその情報は正しくナツキを導いてくれている。
彼女が一体何者なのか疑問は尽きないが、今はスルーだ。ナツキとてリリムの詮索を突っぱねたばかりである。
「そろそろ……かな」
何度か重そうな扉をこじ開けつつ、蓋の中心へと進んできた。恐らく本来は赤外線検知器だったり迎撃用のオートガトリングガンだったりが作動するのであろうエリアを難なく抜け、今目の前に現れた扉を開ければそこには――
「……おぉ」
こんな状況にもかかわらず、思わず感嘆の声が漏れてしまった。
アイオーンの光に照らされて目の前に広がったのは、直径数十メートルはあるだろう大穴だ。暗闇に覆われて見えない底の方まで、太い金属のシャフトがその中心を貫いている。シャフトの周囲には下へと降りていくための足場が螺旋状に組まれ、そのあちらこちらから大穴の縁へと橋がかかっている。足場は全て金網でできているようだ。
この巨大な縦穴空間を指してセントラルシャフトと呼ぶ。そうリリムは言っていた。
ナツキが今いるのはその最上部、大穴の縁に沿って組まれたドーナツ状の細い足場である。時計回りに少し進み、リリムの意識へと近づいていくと、程なくして別のドアからリリムが現れた。
「リリムさん」
「ナツキちゃん、ここからは一緒に行くよー」
「下の階の構造も頭に入ってるの?」
「んー、途中までは、ね。構造どうこうより、第二層からは戦闘員があちこちにいるはずだから気をつけて」
やけに具体的な注意喚起を受け、下方向へと《気配》術を伸ばしていくと、セントラルシャフトを中心として放射状にいくつも意識が引っかかる。
「うん、いるね。すぐ下の層に四人、次の層に三人。固まってはいないから各個撃破していこっか。敵の得物は分かる? ……あれ、リリムさん?」
リリムの応答が無いことを訝しんで顔を上げると、ぽかんと口を開けてこちらを凝視していた。
「ナツキちゃん……敵の場所、分かるの?」
「え? ……あっ」
《気配》術についてまともに説明していなかったことに今更気づく。大規模な作戦行動という事で、完全に気分がラグナでの魔王軍幹部との攻城戦になっていた。あちらでは常識レベルの知識だったのだ。
「えっと……リリムさん、手つないでくれる?」
「へっ?」
「ボクが見てる景色を見せてあげる」
ナツキにとってリリムはもはや、《子猫の陽だまり亭》の常連客の町医者、なんて他人行儀な立場ではない。志を共にする仲間なのだ。練気術を隠す必要はどこにも無い。
繋いだ手を通してナツキが読み取っている《気配》術の反応をリリムにも流し込む。
「ひぁっ……、……? ……っ、これって……!?」
気を流した瞬間ピクリと震え、慣れない感覚に暫し混乱していたが、すぐにその意味を理解したようにハッと目を見開いた。
「《気配》術……ボクの秘密の力その一だよ。近くにいる人が対象ならある程度感情や行動も読めるんだ」
「そん、え、いやでも……えぇ……?」
何かを言いかけては口を閉じてを繰り返しながらこちらの顔を凝視してくるリリム。ゴルグから初めて《気配》術を教わった時は自分もこうだったな、と懐かしさを覚えながら、ナツキは微笑みを返した。
☆ ☆ ☆
「ひっ……な、なんっ、あ……?」
「おやすみ」
セントラルシャフトの内外を行き来しながらどんどん下へと降りて行く。途中で出会った敵は確かに戦闘員らしい洗練された身のこなしだったが、全て《殺気》術で怯ませてからの額に指先を添えて《眠気》術で簡単に意識を失った。魔法防御の術を持っていないとは言えあまりにも呆気ない。訓練ばかりで実戦経験のないタイプの平和ボケ警備兵だろう。
「ほへぇ……何してるか何も分からないけど、ナツキちゃんってほんとに強いねぇ……あ、そこ右」
「相手が弱すぎるだけだよ」
正直、聖騎士レベルとは行かずとも一人では敵わないほど強い敵がわんさかいるものだと思っていた。リリムと二人がかりならなんとか、と思っていたのに、そのリリムはただの道案内役になってしまっている。それでも充分助かっているのだが。
「あれ」
しばらく下りたところで、道の突き当たりにぼんやりと光が点っていることに気づいた。寒々しい氷色の、アイオーンを彷彿とさせる嫌な光だ。
《気配》術に反応はない。ゆっくり近づいてみると、発光しているのは重厚な扉だった。周囲全てが停電で光を失っている中で、その扉は異様な存在感を放っていた。
「うーん……誘われてる?」
「いや、ここの先は機密区画なんだ」
「機密区画?」
罠を警戒して立ち止まったナツキに対し、リリムは散歩するような気軽さで扉の前まで歩いていった。
「《塔》の中でも上位の人間しか開けられない扉ってやつだねぇ。……うーん、こいつらは外からの電力供給切ってもダメだったか。ってことは……」
「ふーん……」
まるで以前来たことがあるかのようにリリムは話す。……いや、実際来たことがあるのだろう。そうでなければ説明のつかないことが多すぎる。
リリムは何やら怖い顔になり、すぐに頭を振って難しい顔で何かを考え始めた。
「……ねえナツキちゃん、この扉ってナツキちゃんの力で壊せる?」
「え、どうだろ。神獣くらいの強度ならアイオーンで斬れると思うけど……」
できたとして、電力が通っている扉を破壊するのは避けたい。警報が鳴って見つかったりしたら大問題だ。
それはリリムも分かっているようだったが、バツの悪そうな顔で曰く、
「ナツキちゃん、あのね……深層に行けば行くほどこれ系の隔壁が増えてくんだけど、全部停電で動かなくなっててこじ開けていく想定だったから……壊すしかないと思う」
「げ」
「停電してる間は広域アラームの起動はできないと思うけど……」
そうなると、いかに素早く破壊して通って離脱するかが重要になる。ぺたりと扉に手を触れてみた感じでは、特に魔力が込められているわけでもないようだが――
「あっナツキちゃん、そこに触っちゃダメ!」
「え!?」
『認証ヲ開始しマス。その場カラ動かないでくだサイ』
電子的な音声が扉から発せられ、慌てて手を離した。見れば手を置いていた部分の周囲には円形の彫り込みがあり、そこが寒々しい氷色に光り出していた。
「あちゃー……」
「先に言ってよ!?」
「ピンポイントで認証ポートに手置くとは思わないよー」
「な、何でもいいから早く離れなきゃ――」
『認証しまシタ』
「え?」「え?」
完全に想定外の音声と共に、扉が中央で分かれて左右にスライドしていく。
『こちらハ機密研究区画B-3、機密研究区画B-3デス。入場にハ〈クラスⅡ〉権限又ハ同権限保持者ノ同伴ガ必要デス。あなたノ権限ロール《端末》ハ〈クラスⅡ〉デス。機密保持条項ヲ確認ノ上入場してくだサイ。注意:現在電力ステータスニ異常ガ発生してオリ――』
開ききった扉がペラペラと喋り続ける、その中に聞き逃せない単語があった。
「〈クラスⅡ〉って」
それは、チューデント工房でカイが「《東屋》のフリーパス」としてナツキに貸してくれたカードの属性。これ以上は言えない、と詳細を濁されたわけだが――
「カイ……」
紐を通して首から下げていた例のカードをワンピースの外に出してみると、表面に寒々しい氷色の輝線が浮き出ていた。
「っ! ナツキちゃんそれ……どこで手に入れたの!?」
「……友達が貸してくれたんだ」
「友達!?」
何故カイがカードを持っていたのか、何故このタイミングでそれをナツキに渡したのか。あの時点でカイにはこうなることが予測できていたとでも言うのか。
「……行こう。めんどくさいことを考えるのは後でいい」
山積みの疑問を一旦頭から追い払い、開かれた扉の奥へと足を踏み入れ――その先にあったのは、廊下や仕切りの一切ない、巨大な化学研究室のような区画だった。
埃の積もり方からして、長い間放置されている空間のようである。《気配》術に何者かが引っかかることもない。廃棄された研究所だろうか。
「……これは……そういうこと、か」
「リリムさん?」
空間の中央をまっすぐ駆け抜けながら、リリムは複雑な顔で何事かを呟いていた。その視線が追っているのは各所に乱立するホワイトボードやコルクボードだ。
ホワイトボードの文字はナツキにも読めるが、書いてある内容は専門的過ぎて、到底走りながら理解できるような代物ではない。しかし随所にラクリマの体の一部と思われる絵や写真があることは分かった。
「ラクリマの研究施設だったのかな?」
「……ん、そうだね」
断定する割に歯切れが悪い。見上げると、リリムは何だか泣きそうな顔をしていた。
「えっと……そんな酷い研究内容なの? 人体実験とか?」
「……ラクリマは生き物じゃないから、生物実験ですらないんだよ」
「っ……」
遠回しな肯定を吐き捨てながらリリムが睨みつけた先には、子供が一人入れそうなサイズの透明なカプセルがずらりと並んでいた。中身のあるカプセルはひとつも無いが、そのうちいくつかには放射状のヒビが走っていた。まるで――内側に閉じ込められた何者かが、カプセルを破壊しようと渾身の力で殴りつけたかのように。
「実験内容は……聞かないでおくよ」
「ん、その方がいいよ」
口ぶりからしてリリムはその内容を理解している。たった今走りながら横目に研究の断片を見ただけでは分かるはずもない部分まで、きっと。
何度目か分からないリリムの正体を問い質したい欲を抑え込みながら駆け抜けた先で、さらに下へ降りられる縦穴にたどり着いた。
「この先はもうあたしにも何も分からない。覚悟はいい、ナツキちゃん……なんて、聞くまでもないか」
「当然」
《気配》術を下に伸ばしていくと、一つだけ反応があった。それ以上先へは壁に阻まれたかのように気が停滞してしまう。
「結界とその番人、かな」
「結界?」
「ボクの力を通さない壁があって、その前に一人いる。……にー子の護衛の聖騎士は一人だけ、なんだよね?」
「マスターの情報によれば、ね。《塔》の聖騎士は三人いるけど、そのうち二人は今はジーラ大陸にはいないはずだって」
その情報が正しければ、今聖窩に聖騎士はいないはずだ。しかし機密区画の奥で結界を守っているとなると――
「少なくとも、かなりの手練だと思った方がいいね」
リリムの言葉に頷きを返す。しかしだからといって引き返す選択肢などない。気を引き締め直し、長い下り階段に足を踏み出そうとして、
「あ、待ってナツキちゃん」
肩を掴まれて引き止められた。
「リリムさん?」
「見て、あそこ」
リリムが指差した先は、縦穴の反対側の縁だった。アイオーンの光でぼんやり照らされたその壁には、並んだ二人の人間を模した記号が貼り付けられていた。
それが意味するところは、日本でもこの世界でも同じ――
「トイレ……!」
リリムは頷いて、胸元から真っ黒な万年筆を取り出した。