Noah/α - エネルギー充填
『あいしゃ、ほんとうに……よかったの?』
「ニーコちゃんを助けるためなのです」
悲しそうな声が頭の中に響く。
『このままじゃ……かなしいおわりになっちゃうよ』
「……どうしてなのですか。あなたの言う通りにしてるです」
『にーこちゃんはたすけられるかもしれない……けど』
「他の誰かが死んじゃう、ですか?」
『…………』
不思議な声は、具体的なことを聞くといつも黙ってしまう。知っていることは確かなのに、それを伝えてはならないと脅されているかのように。
しかし何かを伝えたくて、伝えられずに苦悶しているということだけは分かった。
「わたしやナツキさんに話せないことなら、またわたしの体を使っていいのです。……あなたが悪い人じゃないのは、なんとなく分かるですから」
『……。だめ。えねるぎーぶそく』
「エネルギー不足……なのです?」
『あいしゃのあまったえねるぎーをもらって、ためて、わたしはそとに出るの』
余ったエネルギー。すなわち、アイシャが取り込み、しかし活動に使わなかったエネルギーを貯蔵しておき、それを使って謎の声はアイシャに話しかけたりしているのだと言う。
『そとに出るだけなら……できる。でも……』
「ナツキさんとニーコちゃんを助けるには足りない、です?」
『うん……それにね、あいしゃ、わたしがちからをつかっちゃうと……もうあともどり、できなくなっちゃうよ』
「よく分からないですけど、元から後戻りなんてするつもりないのです」
立ち上がり、視界の端でハロを確認する。序盤こそ不思議な声と共に色々と手助けはしていたが、しばらくは手伝えることも無い段階に入ってしまった。
今の自分は手持ち無沙汰だ。この時間を有効活用しない手は無い。
『あ、あいしゃ? どこに……』
「足りないなら、貯めればいいのです!」
向かう先は《子猫の陽だまり亭》屋内。壁に穴が空いて風通しが良くなってしまったその一角で、ラズとダイン、ヘーゼルが座って話していた。
「ラズさん!」
「なんだい、藪から棒に」
飛び込んだ勢いのまま、ラズに真っ直ぐ目線を向ける。
ナツキに救われ、この店に連れてこられた当初は、絶対にこんなことはできなかった。自分から人間に向かって発話すること自体、やってはいけないことであり、恐怖を伴う行為だった。
「お願いが、あるです!」
自分を変えてくれたナツキを助けるため、幼いニーコの未来を守るため、アイシャは声を張り上げる。
☆ ☆ ☆
「おい……まさかおめぇまでギフティアだってんじゃねェよな」
「ふぇ? わたしはドロップスなのです。……ラズさん、おかわりなのです!」
「はいよ!」
変なことを言うダインに否定を返しつつ、ラズに次を催促する。すぐさま目の前の机に大皿のグラタンが置かれた。
「ありがとうです! んーっ、やっばりラズさんのグラタンは最高なのです!」
「あんた、ナツキと言ってることが同じだよ!」
「んぐ……ほーなのれす?」
口いっぱいにグラタンを頬張ってもごもごと咀嚼しながら、ここに来た日のことを思い返す――確かに、ナツキも同じように褒めていたような気がする。
「んくっ、ふぅ、じゃあそれはラズさんのグラタンが本当に美味しいってことなのです!」
ごくん、と口の中のグラタンを一気に飲み下す。練気術で強化した嚥下力で、コップ一杯分程度の容積を一気に胃袋へと送り込む。ぐぐっとおなかの圧迫感が増した。
「ほんとはもっと、味わって食べたいのです……」
「なんだかよく分からないけどね、ニーコを助けるのに必要なんだろう? 気にせず好きなだけ食べるんだよ!」
「はいです! おかわりなのです!」
「はいよ!」
大皿のグラタンを三口で平らげ、次を要求する。
机の上に積まれた空の皿の数は七枚。まだだ、まだ全然足りない。まだ本来の限界すら迎えていない。せいぜい、練気術で横隔膜を強化していなければかなり息苦しいだろう、という程度だ。
「あ、アイシャちゃん、まだ食べるわけ……?」
「まだまだ、腹三分目くらいなのです!」
「えぇ……」
ヘーゼルが信じられないという顔でおなかを見つめてくる。まだ全然大丈夫だとぽんぽん叩いて見せたが、ヘーゼルの表情は変わらなかった。
「っ……」
十皿食べたあたりで、腹部にズキンと痛みが走る。生身での限界量だ。両手でおなかをさすりつつ、気を通して各部を強化していく。
不思議な声が言うには、「ちから」を使うために必要なエネルギーは、量はもちろんのこと、「密度」がとても重要らしい。
「っぷ、ふぅ、おかわりなのです!」
「グラタンは終わりだよ! シチューも食うかい!」
「鍋ごとくださいです!」
量は何度も食べて消化してを繰り返せば稼ぐことができるが、密度は多くのリソースを一度にエネルギーに変換することで高めることができる、のだそうだ。
すなわち――限界まで食べて、一気に消化する必要がある。
「んくっ、ごくっ、んん~っ、シチューもとってもおいしいのです!」
食べやすいように配慮してくれたのだろう、シチューの具は小さめに刻まれていた。お玉でシチューをすくい、そのまま口をつけてごくごくと飲み物のように飲んでいく。普段なら行儀が悪いと怒られてしまいそうだ。
「んぐっ……んっ……ごきゅっ……はぁっ、ふぅ……っ……」
「ちょ、アイシャちゃん、おなか破けちゃうって!」
「ま……まだ、入る、です!」
「嘘でしょ!? 無茶だって、っていうかこれ何、何なの!? 何で大食い大会!? アイシャちゃん何してんの兄貴、ラズ姉!」
「知らん、俺に聞くな!」
「アイシャが必要だって言ってるんだ、黙って見てな!」
終了タイミングを決めるのはアイシャではない、あの不思議な声だ。声の主が充分と判断した段階で、消化が行われることになっている。
「んっ…………っ……」
鍋の七割方は飲み干した。もうとっくに《酒場》で飲んだ量は超えている。ドール用Ⅰ型燃料に換算すれば10個分くらいだろうか、そろそろ練気術を安定させるのが難しくなってきた。一口飲み込む度に走る痛みに合わせて、気の配分を慎重に調整していく。少しでも気を抜けば破裂してしまいそうだ。
――まだか、まだ足りないのか。
不思議な声は、「足りる」か「諦める」まではエネルギー節約のために一切干渉しないと宣言し、以降一言も声をかけられていない。
――諦めるわけには、いかないのだ。
「アイシャお姉ちゃん! できた、できたよ! ……って、あれ?」
決死の覚悟で残りのシチューを飲み下しながら、ハロが部屋に飛び込んで来たのを悟る。
「え……えぇーっ!? なにこれ!? お、お姉ちゃん、おなか……おなかばくはつしちゃうよ!?」
大慌ての心配声。今は返答する余裕がない。他のことに気を取られてしまえば本当に爆発してしまう。
「お姉ちゃん……? ……これ……はっ、そっか、わかった! ハロもてつだうよ!」
「っ――」
違う。ハロが食べても意味が無いのだ――と、慌てて首を横に振りかけ、
――ぴと。
「わっ、か、かちこちだ……」
「んっ……!?」
ハロの温かい両手が、おなかにそっと添えられた。少しくすぐったさを感じると同時に、スッと呼吸が楽になる。
「えへへ、よく分からないけど、これでいいんだよね?」
「んぅ、ハロちゃ、ぁっ……」
小さな手のひらがおなかをさする度に、自分のものではない気の力が体内に入り込んでくる。最初に《酒場》で無茶をした後、ナツキがしてくれたように。
ナツキより幾分か気の扱いが荒っぽいが――アイシャの不安定な気の流れを全て塗り替えたナツキとは違い、ハロは元からある気の流れを補強するように気の糸を編み込んできた。アイシャの気の操作を邪魔せず、サポートに徹する形だ。
「ハロちゃん、すごいのです……。これ、どうやってるですか?」
「剣におねがいするときといっしょだよ? ぜったいやぶれないでって、お姉ちゃんのおなかにおねがいしたの!」
「な、なのですか」
普通の剣を魔剣に変える工程のことを、ナツキは刻印と呼んでいた。しかしハロのやり方はナツキにも理解の及ばないハロ独自のものらしい。それを身体強化に応用したということだろうか。
「がんばってお姉ちゃん、あとちょっとだよ!」
「はいです! んっ、くっ、んきゅっ……ぷはぁっ!」
ハロの声援を受け、勢いのままに鍋に残っていたシチューを全て飲み干す。
「はぁ、はぁっ……ぜ、ぜんぶ、はいった……です……っ」
大皿のグラタン十皿と、大鍋に一杯のシチュー。それを全て詰め込んだおなかは、本来の物理的キャパシティを大幅に超えてパンパンに膨らみ、今にも裂けてしまいそうに軋みを上げていた。
「よくわからないけど、ばんざーい! アイシャお姉ちゃん、おめでとう!」
無邪気なハロが両手を上げて祝福してくれる。ありがとうです、と答えようとして――
「は、ハロちゃんっ、手を離しちゃだめなので、ぁ、――っ!?」
「えっ?」
ハロの手が離れると同時に、差し込まれていたハロの気の力は制御を失う。
二人の力でどうにか押さえ込んでいた圧力が、解放を求めて暴れだす。
「や、だめなの、ですっ、ぁ、破裂しちゃ――」
「アイシャお姉ちゃんっ!」
ハロが再び手を伸ばすが、間に合わない。
無茶しすぎ、と怒るナツキの顔が脳裏に浮かぶ。
――ごめんなさいです、ナツキさん、ニーコちゃん……!
目をぎゅっと閉じ、その時が訪れるのを――
――――。
…………。
「……?」
破裂の衝撃も、腹が裂ける痛みもない。
苦しさまでなくなって、むしろお腹がすいてきたような……
「わーっ、アイシャお姉ちゃん、すごいすごい! 今のどうやったの?」
「ふぇ?」
ハロの歓声が聞こえ、恐る恐る目を開ける。
下を見下ろすとそこには、真っ平らな自分の体があった。
「……あれ?」
へその上辺りを指で押してみると、抵抗なくふにゃりと沈んだ。
消化が、行われていた。
「え、あ……もしかして」
『あいしゃ、むちゃしすぎ!』
初めて聞く、怒りのこもった不思議な声。
「……足りた……です?」
『ぎりぎり』
あれだけ苦しんで、死にかけて、それでもギリギリなのか。
しかしそれでも自分はやり切ったのだ。不思議な声頼りとは言え、ナツキとニーコを助ける力を手に入れたのだ。
「……?」
充足感を噛み締め、味わおうとしたその時、突如アイシャの腹部を不快感が襲った。痛みではない、苦しさでもない、これはもっと別の――
『あのね、ほんとにぎりぎりだったから……あいしゃのぶん、のこせなかったの。ごめんね』
「ふぇ……」
――くきゅるるるるるぅ。
そんな大きな音が、《子猫の陽だまり亭》に鳴り響いた。
それは、空っぽになってしまったアイシャの胃腸が、食べ物を求めているSOSの叫びだ。
「お……おなか、すいたです……」
その呟きはその場にいた全員の頬を盛大に引き攣らせていたと、後にヘーゼルは語ってくれた。