幼女、借金を背負う
「……あれか?」
「ああ。ツノを狙え。ほんとにできんのか?」
「任せろ」
翌朝――やはり夕方のままだったが――ナツキとダインは、岩陰に身を潜めてその向こう側の様子を伺っていた。
……フゴッ、フゴッ。
イノシシのようなラクダのような奇妙な動物が一頭、のそのそと歩いている。ずんぐりむっくり丸いイノシシの体に、大きなコブが2つ乗っているのだ。愛嬌のある顔に、大きな一本角が生えている。ダインによれば、名前はポポムー。かわいい顔と名前のくせに、人間を見ると猛スピードで襲ってくる凶暴な性格らしい。
ナツキは石ころを拾い、腕に気の力を纏い――ポポムー目掛けて投擲する。ヒュッ、と真っ直ぐ飛んだ石ころは、寸分違わず角のど真ん中に当たった。
フゴ!? と驚いたような声を上げて、くらり、ぱたっ、と倒れるポポムー。角は多くの場合、頭蓋骨と繋がっている。脳震盪を起こしたのだろう。
「っしゃ」
「やるじゃねェか」
気絶したポポムーにダインが素早く近づき、ナイフで首筋を一突きすると、ポポムーは声もなく力尽きた。
「よし、飯だ」
そう、ポポムーは、今日の朝のメインディッシュであった。
気絶させて苦しませずに殺すと言われた時は優しい男だと思っていたが、単に苦しみながら死んだポポムーは肉が固くなって不味いという、なんとも利己的な理由だった。さすが自称肉屋だ。
焚き火の上に皮を剥いで血抜きをしたポポムーを吊るし、調味料をかけ、丸焼きにする。なんとも原始的だが、匂いは最高だ。
充分焼けたところでダインがナイフを入れ、尖った棒に刺してナツキに取り分けてくれた。
がぶりとかぶりつくと、実に美味い。外はパリパリ、中はジューシーな、濃厚な味わいの肉だ。食感は意外と、豚よりは鶏もも肉に近い。無性に米が欲しくなる。
「おい、こりゃ美味いな、さすが肉屋」
「まァな。ポポ肉はうちの目玉だ。一番うめぇ食い方くらい知ってて当然よ」
肉屋なのは嘘ではなかったらしい。……ポポ肉と略すのか。
「に、にぅぁー……」
「…………ごくり」
にー子とアイシャが目をらんらんと輝かせながら、その様子を見ていた。
「……おいダイン、お前まさか」
「……わーったよ、皆まで言うな」
ナツキがジト目を向けると、もう二人分の肉が切り分けられた。この男、何も言わなければ放っておくつもりだったらしい。
「なーなぅ! にうー!」
「えっ、い、いいんですか……?」
「いいから食いやがれ。ったく……」
にっこにこ笑顔で肉にかぶりつくにー子と、感極まってまた泣き出しそうなアイシャ。
「…………」
ダインはそんな二人を眺めながら、難しい顔でじっと何かを考え込んでいる。
「……ダイン? 食べないのか?」
「あァ、いや。何でもねぇ」
そうナツキに返して肉にかぶりついたダインはしかし、食べ終えるまでずっとしかめっ面で、一言も喋らなかった。
☆ ☆ ☆
ナツキとダインが狩ったポポムーは、今のナツキと同じくらいのサイズだった。それが、数十分後には綺麗に骨だけになっていた。
つまりどういうことかと言えば、
「ぅ……ダメだ、動けない。今立ったら、吐く……」
「に……にぅ……、ぅな…けふっ…ぅぁー」
「はぁ、はぁ……くるしい、です……」
ダイン以外の幼女三人衆は、パンパンになったおなかを抱えて倒れていた。
「おめぇら、これから移動するっつってんのにあんな食いまくる奴があるか! 揃いも揃って!」
ダインが怒っている。
正論である。
いや、言い訳をさせて欲しい。ナツキとてそれは分かっていたのだ。だからちゃんと、食べる量はセーブしたはずなのだ。
ただそれが、前世基準だっただけで。
「あのな、ダイン……子供の腹は、思ったより容積が少ない……」
「あたりめェだろが!」
「ごめんな、さいです……わたし、こんなおいしいもの、食べるの……はじめてで……」
「……そうかよ」
「んにぅ……くかー……」
「おい、寝んな! ……あァクソ、しゃーねぇな」
思い思いの言い訳と寝言を聞き届けたダインは、ため息をつきながらドカッとその場に腰を下ろした。
そして――食事中と同じ、真面目な顔をナツキに向けた。
「ナツキ」
「……何だよ」
肺に気を通して強化する。まともに喋れないほどの苦しさを無理やり取り去り、呼吸を整える。
「おめぇを売るのは、やめだ」
そう来たか。
まあ、予想の範囲内ではあった――どうやらこの世界は、本当に腐りきっているらしい。
「……昨日、神獣のせいで聞き損ねた質問の続きだ。ラクリマは一体どこに売られて、何をさせられるんだ?」
「軍に売られて、調整と訓練を受けて、神獣と戦うドールになる。それが普通のラクリマの未来だ」
「俺の場合は?」
「消される」
即答だった。
ダインはずっと、それを考えていたのだろう。ナツキという特大のイレギュラーを、この世界がどう扱うか。
「へえ、そりゃあ変な話だ。俺の知識と力は有用だろう、ラクリマにとっては」
「ハッ、ラクリマにとっては、な。分かってんじゃねェか」
ああ、分かっている。
ナツキの力と知識があれば、ラクリマは救われる。尊厳を取り戻せる。ラクリマにはいいことしかない。
では、人間にとってはどうか。ラクリマが無駄に命を失わずにこれまで通り戦えるようになったとして、人類にとってのメリットは。
そんなものは、ない。
ラクリマという燃料は、腐るほどあるのだ。これは誇張表現ではない。使われることなく衰弱死していく個体を、ナツキはコロニーで直に見たばかりだ。それはとりもなおさず、燃料の供給は足りているということ。ラクリマの寿命を伸ばしても、溢れて消えていく燃料が増えるだけだ。
神獣と戦うという最大の目的が存在する限り、人類にとってラクリマは、扱いやすい燃料でなければならない。扱いやすい燃料でありさえすればいい。わざわざ人権を与えて、扱いにくくするなんてもっての外。そういうことだ。
少なくとも400年間、この星を脅威から守り続けている、伝統と実績を兼ね備えた優秀なシステム。倫理などという「つまらない理由」でそれを崩壊させかねない危険因子は、排除される。
「この世界じゃ、ラクリマの人権を主張するような奴は、世界平和を脅かす危険思想持ちってことで吊るし上げだ。んでもってそれは、おかしなことじゃねぇ。人種差別? 動物虐待? あァその通りだ。だがそれでも、この星が生き延びるための最適解なんだよ」
分かってはいても、そう簡単に納得は行かない。
そんな星はさっさと滅んでしまえという部外者の勝手な言葉を飲み込んで、代わりにナツキの口をついて出たのは、自分でも全く同意できないような反論だった。
「俺が力のことをバラさなきゃいい。ここは魔法や練気術が存在しない世界なんだろう? 俺一人なら、いくらでも裏で動ける」
別に売られたいわけではない。何か言わなければ、気が収まらなかった。
しかしダインは無慈悲だった。ナツキが意図的に考えないようにした部分を、的確に切りつけてくる。
「まずもって、《塔》の権力は絶対だ。おめぇ一人にどうにかできるような相手じゃねぇよ。つかおめぇ、他のラクリマと同じ戦線に放り込まれて、力を隠し通せんのか? 寿命を燃やして戦う他のラクリマを放置できるか? 中にはそいつみてぇな、感情が出ちまった個体もいんだろうよ。そういうのは大体、残り寿命が少なくなってくっと、死にたくねェって泣いて喚いてジャンク行きだ。最後は出力のリミッターが外れた自爆装置みてぇな剣に縛り付けられて、砲台に詰められて神獣目掛けて――」
「やめろッ!」
思わず叫んでいた。
知りたくもなかった、そんなこと。
「……な。無理だろ。おめぇは助けちまう。目に映った、助けられそうな奴は全部、後先考えず、全力でだ。昨日、そいつを助けに飛び出したみてぇによ」
ダインは顎でアイシャを指す。
戦いから逃げたラクリマの末路はアイシャも知っていたのか、動じた様子もなく――しかし、どこか申し訳なさそうにナツキを見ていた。……お前は何も悪くない。そんな顔をしないでくれ。
「……ああ。その通りだよ、ちくしょう」
「おめぇが消されるってこたぁ、それを拾って売りつけた俺も当然処分される。だからおめぇは売らねェ。俺の養子にする」
「あぁ、分かったよ、でもせめて街までは連れてってくれよ。そしたらあとは勝手にするから――」
ん? 最後、何かおかしかったな?
「……養子?」
「せっかく拾ったのに売れねえんじゃ大赤字なんだよ。その分てめぇはウチの店で当分タダ働きだ」
「あぁ? 調子に乗りやがって。なーにが養子だ、正直に奴隷って言えよ」
俺は勝手にさせてもらう、と言いかけたナツキに、ダインはピッと指を三本立てて見せた。
「30万リューズ」
「リューズ?」
「金の単位だ」
「……なんだ、払ってくれる給料の額か? 多いのか少ないのか分からないぞ」
ダインはチッチッと指を振り、
「おめぇが神獣にぶつけて壊した双眼鏡の値段だ」
「うげっ」
「給料1ヶ月分ってとこだな」
痛いところを突かれた。
あれは完全に、ナツキが悪い。別に足元の石を拾って投げても良かったのだから。
「おめぇの売値は安く見積って1000万リューズってとこだが、まァこれはいい。俺も死にたかねェからな。命の値段だ」
「そうかよ。まあ、双眼鏡については正直悪かったよ……1ヶ月、働けばいいんだな?」
渋々そう確認すると、ダインはニヤリと笑って立ち上がり、すやすや寝ていたにー子をひょいと持ち上げた。
「んぅ……なーぅ?」
「こいつは感染済みだしな。即ジャンク行きで50万ってとこだが、まァ足しにはなるかって感じだな?」
「にー?」
「は? おい、待てふざけんな馬鹿」
自分が人質に取られていることなど何も分かっていないにー子は、ダインを見上げながら、まん丸に膨れたままの自分のおなかをぽんぽん叩いて呑気に楽しそうに笑っていた。
即ジャンク行き。つまり、あのにー子を――死にたくないと顔を歪めて泣くにー子を、自爆ロケットに括りつけて神獣にぶつける?
……見過ごせるわけがなかった。
「……あー、クソ、分かったよ! 合計80万だな!? いろいろ迷惑料込みで3ヶ月働けばいいか!?」
「ガハハ、物分りが良くて助かるぜ」
ダインは上機嫌に笑った。ナツキがそう答えることなど分かりきっていたという顔だ。
ナツキは憮然として鼻を鳴らし――一人忘れていることに気づく。
「いや、てかアイシャもだろ。こいつはいくらなんだよ、人攫いめ」
こうなったらヤケだ。もう一人増えようが大差はない。言われた通り、目につく奴は全員助けてやる。
そう思ってダインに食ってかかったナツキだったが、ダインは首を横に振った。
「いや。そいつは関係ねェよ。俺ァ発見者としてフィルツホルンまで届けるだけだ」
「それは……もうドールになってるから、か?」
「そうだ。俺らシーカーが拾って売っていいのは未調整のラクリマだけだ。ドールの所有権は所属企業にある。勝手はできねェよ」
「……助けられないのか」
「一度ドールになって首輪が付いたら、もう無理だ」
アイシャを見ると、悲しそうな顔で頷きが返ってきた。
「……はい。ダインさんの言うとおりです」
首輪。隷属の証。
アイシャの首で存在を主張する金属の輪は、死ぬまで外すことが出来ない。無理やり壊そうとしたり、契約した主の命令に背いたりすれば、内側にある電極が意識を刈り取る――そんな代物だとダインが説明してくれ、アイシャもそれを肯定した。
あからさまな、ラクリマの反乱を防ぐための装置だ。これではレジスタンスのような集団もまともにいるかどうか。
「でも、わたしはまだたくさん、寿命、残ってるです」
そうアイシャは強がった。
「大丈夫です。わたし、まだがんばれるです」
まだ、頑張れる。
それがもう頑張れないに変わるのは、そう遠くない未来に思えて、ナツキは顔を伏せた。