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エンゼルフォール:エンドロール ~転生幼女のサードライフ~  作者: ぱねこっと
第一章【星の涙】Ⅷ 夜明けの流れ星
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後悔と覚悟

 記憶の初期化。練気術で強化されたナツキの聴力は、はっきりとその無慈悲な単語を聞き取った。


「にー子の記憶を……消す?」


 リリムの投げたナイフが映像投影機を粉々に破壊する音が、やけに遠く聞こえた。


「聞こえちゃった、か……」

「……ああ、本当のことさね。《塔》には生き物の記憶を消しちまうための設備があるのさ。ラクリマも人間も見境なく、都合の悪い記憶は全部……なかったことにされるのさ」


 ナツキの頭を抱きすくめるラズの腕に力が籠った。許し難い何かを思い出しているかのように。


「……そんな」


 感染個体は、調整の過程で《塔》にとって都合の悪い記憶を消される。

 それが事実なのだとしたら、アイシャやハロが調整前のことをよく覚えていないと言っていたのは、きっと時間による風化などではない、人為的なものだ。

 そしてそれはおよそ、可逆である必要のないものだ。


「だったら……だったら尚更、早く助けに行かなきゃ!」

「こら、ナツキ、待ちな!」

「こんなことしてる暇なんて――!」

「ナツキちゃん!」


 ラズの腕を振り払って駆け出そうとしたナツキの腕を、リリムが素早く掴んだ。その細い指に似合わぬ握力で、絶対に離してなるものかとでも言うように。


「っ、離して、リリムさん!」


 怒りが湧き上がってくる。こうしている間にもにー子の記憶は消されてしまうかもしれないのに、何故誰も彼も道を阻もうとするのか。


「ここから南のラクリム湖、ピュピラ島! 場所は分かったんだから、あとは取り戻すだけでしょ!? どうして邪魔するの!?」

「行ってどうするの!? 聖騎士に勝てるわけないって分かってる!? ナツキちゃんだって見たよね、ついこの間、聖騎士の力! 勇気と無謀は違うんだよ!」


 そんなことは分かっている。聖騎士の異常な強さはこの目で見たし、自分一人では全く歯が立たないと悟った。

 しかしスーニャはその聖騎士を難なく押さえつけ、退散させた。聖騎士とて無敵ではないはずだ。

 そうだ、スーニャはどこにいる? 彼女の手を借りて――


「スーニャちゃんはいないよ。今回の回収は『大天使聖下直々の命令』なんだって。聖騎士はともかく、天使に天使の剣(イオニズマ)は逆らえない。あの子以外にも特殊なラクリマは何人かいるけど、みんな同じ。そういうシステムなんだよ」


 先回りされた言葉が壁となって突き刺さった。

 何故リリムがそんな事を知っているのか、口からでまかせを並べ立てているだけなのではないか。……分からない。


「……リリムさんはそれでいいの!? リリムさんだけじゃない、他のみんなは!? キールさん達はどこ行ったの!? 助けに行ったんじゃ」

「みんな家や仕事場に帰ったよ! それでいいなんて誰も思ってない、あたしだって思ってるわけがない! どうしようもないから諦めた、それだけ! 聖騎士は軍の監査官なんかとは訳が違うの、必要とあらばあたし達平民を殺すことに一切躊躇しない奴らだよ!? 特に昨日のあいつは光の加護を持ってる一番ヤバい奴、光より速く動けなきゃ勝ち目はないの! 立ち向かったところで無駄死にするだけ! って言うか無駄死にしたんだよ! キールさんもドボガスさんもあたしも、何も見えないまま心臓を撃ち抜かれた!」


 いつものリリムらしくない、感情任せの慟哭。その瞳にありありと映るのは、悔しさだ。リリムだって諦めたくはない、にー子を愛した誰だってそうなのだ。……しかし現実は、そんなことを気にも留めずに牙を剥く。

 叫びきったリリムは、何も言い返せないでいるナツキを見つめた。今にも泣きそうな顔で薄く微笑み、


「ねえ、ナツキちゃん。ニーコちゃんさ、最後……あたし達に言ったんだ。もう誰も怪我しないで、死なないで、って。大切な人が痛いのは、自分が痛いのよりずっと嫌だからって」

「っ……にー子……」


 それは、かつてナツキが死にかけて帰ってきた時、にー子に涙ながらに訴えられたことだ。あの頃のにー子はまだ喋れる言葉も少なかったが、その気持ちは痛いほど伝わってきた。

 にー子を助けようとして目の前で胸を撃ち抜かれたリリム達を見て、にー子は何を思ったのか。魂が肉体から離れる前に致命傷を修復するのに必要な上級回復魔法は、いつの間に、何のために習得したのか。


「ナツキちゃんが命を捨ててニーコちゃんを助けに行くことなんて、ニーコちゃんはきっと望んでない。だから……ね、ナツキちゃんが助けに行くのを諦めたって、ニーコちゃんは悲しまないよ。誰もナツキちゃんを責めない。自分を責める必要もないんだよ。あたしも他のみんなも諦めた。それが最適解で、当たり前なんだよ……」


 自分を責める必要はないと、リリムは絞り出すような声で繰り返した。それはナツキを諭す言葉であると同時に、自身に言い聞かせているようでもあった。


 世界にはどうしようもないこともある。

 ラグナで魔王軍と戦う中で、治癒術師不足で死んでいった仲間の兵士を大勢見てきた。ペフィロの世界を滅ぼした核戦争は、ペフィロ個人の力ではどうすることもできなかったと言う。トスカナは明言を避けているが、魔女であるというだけで差別という社会の魔物になすすべも無く殺された、ということは確からしい。

 そう、だからきっと、ナツキが今直面している問題だってありふれたものなのだ。立ち向かわず、沈黙して乗り越えなければならない悲しみなのだ。にー子は死んでしまうわけではない、たった数ヶ月分、成長すればやがて忘れてしまうような幼少期の記憶を少し早めに忘れる、ただそれだけの――


 ――ザッ。


 ナツキの必死の自己暗示は、背後で鳴った大きな足音に割り込まれた。何者かと振り返ると、


「おうおうおう、黙って聞いてりゃ随分な言い草じゃねえか、リリムちゃん!」


 続いて飛んできたのは、もう聞き慣れてしまった声だ。毎晩のようにやって来てはにー子とナツキとアイシャを本当の娘のように可愛がってくれる――バカ常連客筆頭、八百屋のキールがそこにいた。


「誰が諦めたって? 誰がしっぽ巻いて家に帰ったって? 誰が腰抜けモヤシの頭だけ春真っ盛りだふざけんなこんにゃろう!」

「んなこと誰も言ってねえよ!」

「うるせー! 今いい所なんだよ!」


 キールだけではない、諦めて逃げたはずの常連客達がわらわらと集まってきていた。それぞれ手に肩に腰に、様々な得物を引っさげて。


「みんな……!」


 常連客全員ではない。キールの後ろにいるのは十人ほど、常連の中でも特ににー子を娘のように可愛がっていた者達だ。


「うそ、どうして……」


 信じられないという顔で呆然と呟くリリムに対し、キールはフンと鼻で笑い、


「決まってんだろ……ニーコちゃんを助けに行く、そうだろ皆!」


 腕を振り上げ、振り返って発破を飛ばすキールに、後ろにいた他の常連客達も大声で応えた。


「何でてめぇが仕切ってんだキール!」

「ニーコちゃん親衛隊長の座、てめぇに譲った覚えはねぇぞ!」

「そうだそうだ! 引っ込め八百屋!」

「……いやおい、空気読めよ! 今のは心をひとつに団結するところで……って違う!」


 いつも通りのヤジに対するツッコミを途中で止め、キールはぶんぶんと頭を振った。


「バカ騒ぎしてる暇はねーんだよ! レオノーラが言うには、もうそろそろ奴ら到着しちまう頃だって――」

「そうだね、ピュピラ島までは車で半日程度のはず。もう着いてるころかな。それでキールさん、何をしようって言うの?」

「……リリムちゃん」


 ナツキとキールの間を分かつようにリリムが割り込み、鋭い視線をキールに向けた。


「キールさんだって分かってるでしょ? あたしはもちろん、ダインさんの権力ですらどうにもできない。あんなに強いナツキちゃんが手も足も出なかった。そんな相手、一般人が何人集まったって皆殺しにされるだけだって」

「俺たちは聖騎士様と戦いに行くんじゃねーよ、ニーコちゃんを取り返しに行くんだ」

「結局同じことだよ、それ」

「隙を突いてニーコちゃんだけ掻っ攫って逃げるんだよ! 倒す必要はねーだろ」


 スーニャの力を借りずに助けに行くとすれば、それが最も現実的な所だろう。聖騎士は「にー子の」護衛に付くとリリムは言っていたし、そう簡単な話ではないだろうが。


「無理だと思うけど……仮にそれが成功したとして、その後は? 関わった人皆、指名手配の大罪人になるって分かってる?」


 にー子を助けられたとしても、その後で《子猫の陽だまり亭》に帰ってくることはできない。それはナツキにも分かっていた。アイシャとにー子を連れてどこかに逃亡し、ほとぼりが冷めるまで隠れ住むことになるだろう。

 しかし、だから何だと言うのか。


「だから何だってんだ! ()()そうやって怖気付いて諦めて、取り返しがつかなくなってから散々泣いて後悔するのかよ!? あんなのはもう御免なんだよ! あんときゃまだリリムちゃんも子供だったから分からねーかもしれねーけど――」

「っ――分からないわけないでしょ!? そうね、キールさんの言う通りあの時は分かってなかった! 友達を庇って前に出るのが無条件に正しいって思ってた! あの時ダインさんが止めてくれなかったら、あたしはあそこで無駄死にしてた! それが分かるくらいには大人になったんだよ、あたし!」


 彼らが言い合っているのはナツキの知らない過去の話だ。かつて似たようなことがあったのだろうか。


「キールさん達の気持ちだって分かるけど――」

「いーや分かってねーな! ニーコちゃんもシトラちゃんも、リリムちゃんだって、俺らにとっちゃ友達なんてもんじゃねー! 「娘」なんだよ! 人間だろうがラクリマだろうが関係ねー! 親が子供守るために命張んのは当然だろうが!」

「娘……だとしてもっ、あなた達が死んで悲しむ人たちのことはどうでもいいって言うの!?」

「俺含め、今ここに戻ってきた奴ら全員、死ぬ覚悟を決めて、親兄弟との別れも済ませてきてんだよ。そのために一度家に帰ったんじゃねーか」

「っ……そもそもシトラとニーコちゃんでは全然状況が」

「違わねーよ。守らなきゃいけねー大切な子供が攫われた、だから取り返す、それだけだ」


 シトラ。古くからいる常連客達がたまに口に出す、ナツキの知らない誰かの名前だ。

 これまでの話から推測するに、それは恐らく――


「シトラ……あんたが来る前のウチの看板娘だよ。あんたの服はほとんどあの子のお下がりさね」

「ラズさん……」


 いつの間にか再びナツキの隣に来ていたラズは、悲しげな目でどこか遠くを見ていた。


「あんたと同じようにダインが拾ってきたのさ。よく笑って泣いて、優しい子で……それだけなら良かったんだがね。あの子は人間なのにとんでもなく強かったのさ。たった九歳だってのに、《同盟》の連中と喧嘩して無傷で帰ってくるくらいにね」


 ナツキが着ているお下がりのワンピースを見ただけで「血溜まりワンピース」だの「あの陽だまり亭」だの言って怯えていた《同盟》の連中を思い出す。彼らはきっとその悪夢を経験した古参達なのだろう。


「噂はどんどん広まって、ある日ついに《塔》の連中がやって来て、言ったのさ――『忌印(シグナ)のないギフティアの可能性がある、《塔》で検査が必要だ』」

「…………」


 常連客達から、壮絶な怒りの感情が伝わってくる。


忌印(シグナ)のないラクリマは存在しないってのが《塔》の言い分だろう、シトラは人間だ――なんて、アタシらの言葉は聞いてくれやしない。検査内容すら教えちゃくれなかったよ。無理やり連れて行かれて……あとは分かるだろう?」


 今《子猫の陽だまり亭》に彼女がいないことが明確な答えだった。人間だろうがラクリマだろうが関係なく、《塔》はそのシトラという少女を研究対象として回収したのだろう。

 ナツキとて他人事ではない、どころか全く同じようなパーソナリティを持っている。今はまだ無害認定されて泳がされているのか、それとももう研究の必要もなくなったのか。ナツキよりにー子を優先したのは何故なのか。


「八百屋、あんたさっき、シトラやニーコのことを娘だって言ったね。ふん、ふざけんじゃないよ。あの子達はウチの看板娘、アタシの娘だ」

「なっ、だったら何で――」

「気持ちはあんたと同じさ。何をしてでも取り返してやりたいともさ。ただね、『何をしても取り返せない』ことが分かってるのに悪あがきをするのは、能無しのバカ猿のすることだ。あの子が助けてくれた命を無駄にするってことだ。違うかい?」

「それは――」

「なにか上手い方法があるってんなら聞こうじゃないか。ただね、いい大人のあんたらよりずっとおツムも腕っ節も知識も人脈もあるリリムが半日うんうん考えて出した結論は『不可能』だよ」

「っ……」

「お得意の黒魔術でもどうにもできないほど、圧倒的に人手と権力が足りないって泣き崩れて……それで今、せめてあんた達を死なせまいと引き止めてるこの子の気持ち、いくら猿でも分からないとは言わせないよ」


 ラズの大きな手がリリムの頭に優しく乗せられ、リリムは悔しそうに唇を引き結んだ。

 リリムとて怖気付いたわけでも、端から諦めていたわけでもないのだ。考えに考えて、それでも無理だと結論づけた。そして今、無駄死にしに行こうとするナツキやキール達を心の痛みに耐えながら説得している。


「っ、それ、は……クソッ」

 

 キールが俯き、暗い沈黙が下りる。

 覚悟はあっても方法が無い。感情論だけではどうにもならない。その事実を突きつけられ、誰も何も言い返せなくなってしまった。


 ――ただ、一人を除いて。


「リリムさん」

「……なーに、ナツキちゃん」


 場の視線が一斉にこちらを向く。絶望と諦めの中に一筋の希望を見出そうとする、縋るような視線の束。


「圧倒的に人手と権力が足りない、ってことは……足りれば、方法はあるってことだよね? 内訳は?」

「……。最低二百人、無線連絡で制御できる統率された人員、うち半数は要潜入工作経験。その全員を裏切らないように縛れる絶対的な力と権力が必要。《塔》に逆らって永久に罪人として追われる覚悟、最悪作戦中に死ぬ覚悟も必要。失敗する可能性の方が高い。成功したって何も還元されない。……そんな条件で今すぐ人を集められると思う?」


 提示されたのは、普通に考えれば不可能に思える条件だった。

 しかしナツキにとっては――好都合だ。


「うん、集められるよ。30分もあれば」

「……え?」

「《同盟》名誉幹部、血翼の天使(ブラッディ・エンゼル)の力……見せてあげるよ」

「えぇ!?」


 勝手に付けられた不本意な肩書きと二つ名が、今この時だけはやけに頼もしく思えた。

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