獣と人形、氷色 Ⅲ
「つまり、おめぇはこいつが喋れるから人間だと思って、こいつはおめぇに忌印がねェから人間だと思ったと」
「まあ、そういうことになるな」「はい、です」
神獣の骸の横にダインは野営地を張った。
焚き火を囲んで、四人――ナツキ、ダイン、にー子、そしてドールの少女が顔を付き合わせている。
服がなくなってしまったナツキは、神獣に殺されてしまった中年男の服のうち、比較的血で汚れていなかった上着を拝借して羽織っていた。死体漁り、追い剥ぎみたいで気分はよくないが、ダインも堂々と財布を漁っていたし、この世界ではそういうものなのだろう。
「んにっ、にぅー……」
先程ようやく起きたにー子はやはり焚き火が怖いらしく、ナツキの後ろに隠れている。
「おいダイン、ラクリマは意思も感情も持たなくて、俺は例外中の例外なんじゃなかったのかよ?」
「そりゃ『調整』前の個体の話だ。……おい、個体情報を開示しろ」
そうダインがドールの少女に命令すると、少女は慌てて喋り始めた。
「は、はい。えっと、対神獣用調整済み『ドロップス』、個体IDはF0-A0021、アイシャ=エク=フェリス、です。《塔》公認ドールプロバイダー、レンタドール社所属です。登録オペレーターは先程までクリフ=デルトロイヤーでしたが、その、私のミスで……亡くなってしまったため……現在オペレーターは登録されていませんです。ごめんなさいっ!」
そこまでひと息に吐き出し、目をきつく閉じてぷるぷる震え出してしまう。
そんな少女に対してダインは少し何か言いたげに目を細めたが、すぐ首を振ってナツキを見た。
「な?」
「な? ではないが」
この少女の名前がアイシャだということ、先程首を落とされた中年男がクリフで、アイシャに「登録」されていたということは、分かった。他が何も分からない。
「あー……ドロップスってのはラクリマの種類だ。こいつは神獣討伐用に調整された個体ってわけだな。……まァ、他の調整がされてるラクリマなんざほとんど見ねェがな」
「調整って何だよ。脳の改造でもするのか?」
「おめェがマザーにやらかした感染、あれを計算ずくでやんだよ。最低限の人の言葉と、仕事に必要な概念だけ刷り込む。……なるべく感情は与えねぇようにな」
そこまでダインが言った途端、アイシャがビクッと震えた。
「こいつは多分、調整ミスの失敗作、ジャンクだな。感情が多すぎるし、レンタドール社ってのは粗悪なドールの格安レンタル業者だ。底辺オペレーター向け、違法ギリギリのな」
「おいダイン、お前!」
「……はい、そうです……うぅ……っ」
アイシャは、膝を抱えて泣き出してしまった。あまりにも人の心がない物言いをしたダインを、ナツキは睨む。
「何が失敗作だ! ちゃんと育てれば人と同じように考えて会話もできる、それはもう人だろうが! どう生まれてどう死のうが関係ないだろ!? 使い捨ての命にしていい理由がどこにある!?」
「にっ、にう? なぅー?」
激昂するナツキを見ても、ダインは全く動じなかった。代わりににー子が何事かと慌ててしまうが、ナツキにそれを取りなす余裕はなかった。
「……あァ、正論だ。久しぶりに聞いたぜ、それ。何度聞いても正論だよ。んなこたァみんな分かってんだ。分かってたんだよ。だがなナツキ、」
ダインは諭すように告げる。物分りの悪い子供に、厳然たる事実を告げるように。
「その議論はもう、400年前に終わってんだ。俺ら人類は、倫理を捨てて世界を拾った。……いや、拾おうとしてんだよ、400年間ずっとな」
ダインは静かに語り出した。この星の歴史を。
神獣という化け物がこの世界に現れ始めたのは、500年ほど前のことだ。しかし、もう当時のことを覚えている者はいない。惑星ノアに、人間と同レベルの知性を備えた長寿種族はいなかった。
言い伝えによれば、未曾有の大災害と共に現れた化け物の群れに人は為すすべもなく、当時の人口の9割が一日で死滅したらしい。
生き残ったほんの少しの人類は、星のあちこちに隠れ住みながら、神獣と戦う術を探し続けた。
神獣を殺す方法は、意外にも早く見つかった。それを武器の形に整えることも容易かった。しかしそれは、命を消費して力に変える諸刃の剣。神獣に挑んだ者は、勝っても負けても、バタバタと死んで行った。
しばらくして、ラクリマが現れ始めた。
水晶から生まれ、光に溶けて一生を終える、意思も感情もない幼子。何もしなくとも尽きることなく発生する命。最初は精霊、妖精などと呼ばれていたという。心を通わせることで次第に人に近づいていく透明で純粋な存在として、荒んだ人々の心を癒したという記録が残っている。
きっかけが何だったのかは、分からない。人の悪意か、はたまた善意か。心優しく自分勝手な精霊が、自らきっかけになったのかもしれない。神獣の出現から100年が経った頃、「精霊は対神獣兵器の燃料になる」という事実を人類のため、世界のために積極的に「活用」する流れへと、世界は傾いて行った。精霊は「星が人のために流した涙」――「星涙」と呼ばれて人とは明確に区別されるようになり、特攻兵器として育てる手法の研究が進んだ。人々は最終的に、それを法によって許容した。
この世界はもう、とっくのとうに限界だった。地球における神話の方舟の名を冠したこの星は、船底に開いた大穴を子供の骸で埋めながら、終わりの見えない嵐の海を航っている。400年もの間、ずっと――
ダインの長ったらしい話を要約すると、概ねこんな感じだった。最後の部分はナツキが脳内でノリで付け足したものだが。
にー子は言葉が分からない上に誰にも構って貰えず、なーなーとナツキの腕を気が済むまで引っ張って、効果がないと分かると拗ねて寝てしまった。さっき起きたばかりなのによく寝るものだ。
アイシャは既に知っている話なのか、悲しそうな、諦めたような顔で俯いているだけだった。
ナツキはと言えば――途中からどうでもよくなっていた。
「ふーん。で?」
「いや、ふーんておめぇ。もっと何かあんだろ」
「あー……めんどくさい世界に転生しちまったなと思ってる」
「んだおめぇ……人類の存亡なんかどうでもいいってのか? そりゃ、おめぇの知り合いなんざいねぇ世界だろうが、俺らにとっちゃ――」
「違う。前提が間違ってるんだ」
怒り出しそうなダインを遮ってナツキは立ち上がり、アイシャの側に移動する。
「アイシャ、剣を貸してくれ」
「ふぇっ!? だ、だめです、これはあぶないもので、人間の方に触れさせるわけには……っ」
「俺はラクリマらしいから問題ないな」
「で、でも……あっ」
「すぐ返すよ」
アイシャの手からひょいと変な形の剣を取り上げる。そのままの勢いで鞘から刀身を抜き、右手で構えた。
「おいナツキ、馬鹿野郎、それは!」
「振るう者の命を燃料に、神獣に有効打を与える剣。お前らは、そう思っている」
「その通りだ、何も間違ってねェ。おめぇ、さっきも今も、寿命をドブに捨てる気か!?」
「こいつらの寿命を無駄にドブに捨ててんのはお前らの無知無能だ、大馬鹿野郎! 黙って見てろ!」
ナツキの叫びと共に、刀身に寒々しい氷色の輝線が走る。
魂を蝕みエネルギーに変換し、自身の技量では本来扱えない術を発現させる死霊術、《転魂法》の固有光だ。ラグナでは、使うことも覚えることも教えることも許されない禁呪として、名前のみ知られている。
ラグナには魔物によってまれに生み出される呪いのアイテムが存在し、そこには様々な危険な魔法が込められている。その中でも『悪魔の剣』と呼ばれるアイテムにはこの《転魂法》が仕込まれており、宝剣のような見た目に誘われて触れた者の魂を勝手に蝕み内部の魔法を起動する、という厄介なトラップだった。ナツキは一度、迷宮の奥でそれに触れてしまったことがあった。
「ぐっ……」
あの時と全く同じ、自分という存在にヒビが入るような不快感がナツキを襲う。それに耐えながら、ちょいと失礼、とアイシャの頭に手のひらを乗せると、アイシャは猫耳を伏せて、視線だけでこちらを心配そうに見上げた。
「従え……回路展開、門再接続」
剣に書き込まれた《転魂法》の回路を、練気術で組み替えていく。死霊術は練気術の派生流派だ。練気術で操作する魔法回路、『気功回路』と同じ要領で組み替えられる。毎日のように気功回路を組み込んだ剣を振って戦っていたナツキにとっては、慣れたものである。
今回は自分ではない、アイシャの根源の窓を探り、開く。
「……ふわぅ……これ……なんですか? へんな、かんじ……」
「ナツキおめぇ、こりゃ一体……」
未知の感覚と未知の光景に、二人は戸惑う。
刀身に走る輝線、溢れ出る燐光の色が、徐々に茜色に染まっていく。
「これが、本来あるべき『前提』だ」
ほら、とナツキは、完全に茜色に染まった剣の柄をアイシャに差し出した。
アイシャは立ち上がり、恐る恐るそれを掴み、
「……えっ、そんな……これっ……」
信じられないという表情で、人のいない方を向いて何度か素振りをし――
「……ぅ……うぇ……っ」
ぽろぽろと、泣き出してしまった。
ずっと魂を壊しながら、戦ってきたのだろう。あと何年寿命が残っているか、死の恐怖と戦いながら、悪魔の剣を振ってきたのだろう。
精神年齢が見た目通りの幼さなのだとしたら、感情を獲得してしまった彼女にとって、それは耐え難いほどの拷問だったはずだ。
「おい、一体何しやがった? 何だってんだ、この光の色はよ……」
我慢ならないと言うように、ダインが身を乗り出して刀身を覗き込んだ。触れようとはしない。
「その剣はな、気の力を流し込むことで刀身が魔法的に強化される、ただの気功回路だ。色はこっちが正しい。あの氷色が異常なんだ」
「……魔法? 気の力? ……ふざけてんのか?」
「あー……その様子じゃ、この世界には魔法や練気術は浸透してなさそうだな」
どちらかと言えば、ラグナが異常だったのだろう。母星にも魔法の類はあったというトスカナやエクセルですら、高度に体系化されたラグナの魔法学には驚愕していた。
「だから、この剣には細工がしてある。魂をぶっ壊して無理やりエネルギーを引き出して、知らないし使えないはずの魔法を行使させる……俺の元いた世界じゃ、使ったり教えたりしたら終身刑並の禁呪だ」
「……禁呪」
ダインが息を飲む。
「どうだ、俺が異世界から転生してきたって、そろそろ信じる気になったか?」
☆ ☆ ☆
今回の実演では、ナツキがアイシャの根源の窓――気の力の取り出し口と、剣を繋いだ。普段使うときにナツキはいないのだから、これを再現するには使い手が練気術を使えるようになる必要がある。そう伝えるとアイシャは少しがっかりしてしまったようだったが、何もかも諦めたような表情はなくなっていた。
ダインはずっと何かを考え込んでいたが、やがて「すまん」と呟いて横になってしまった。俺も言いすぎたよ、とナツキが謝ると、答えずに手をひらひら振ってきた。根は良い奴なんだろう。
ダインからもらった不味い携帯食料を齧りつつ、ナツキは一人起きて火の番をしている。
一人になると、いろいろと考えてしまう。主に、この世界の謎について。
遺跡を出てからここまで、かれこれ数時間は歩いた。そして野営を始めてから、同じくらいの時間が経っている。
遺跡を出たとき、ナツキは地平線に沈みかけている半分の夕日を見て物思いにふけった。そして今、物思いにふけるナツキの視線の先には――相も変わらず、半分の夕日があった。
時間が進んでいない? そんなわけがない。
ダインもアイシャも、もちろんにー子もだが、全くこれについて指摘しなかった。ということは、この世界の常識か、ナツキにだけ見えている幻覚だ。
この世界の常識なのだとしたら、この星はほとんど自転していないことになる。もしそうなら、太陽の側は灼熱地獄、反対側は極寒地獄だ。生き物が暮らせる領域は、その狭間の帯状領域のみ。そんな星で、人類が繁栄できるものだろうか。
――未曾有の大災害と共に現れた化け物、神獣。人口の9割が死滅。
何故か、ダインの昔話の一節が気になった。
気になると言えば、アイシャの持っていた悪魔の剣だ。
あの剣には『アイオーン』なる名前がついているとダインに教えてもらった。剣の銘ではなくドールに持たせる武器の総称で、寿命を吸い取り常識外れの挙動をするという性質は共通だそうだ。
ナツキは神獣との戦いにおいて、一度剣の回路を組み替えた。《転魂法》の自動起動シークエンスを、完全に取り外した。だから、アイシャとダインの前で実演する際は、アイシャの根源の窓と剣の回路を接続するだけで良かったはずなのだ。
しかし実際には、寒々しい氷色の燐光――禁忌の光が、復活していた。
ナツキ以外の誰かが組み替え直したのでなければ、剣が自動で内部回路を元に戻したということになるが、ラグナにすらそんな技術はなかった。
変な形の鞘も刀身も、明らかに自然物ではない造形をしていた。誰かが作ったのだ。この魔法も練気術も知られていない世界で、ラグナでも知られていないような技術で――ラクリマに魂の侵食を強制するような仕組みを、組み込んで。
「……考えすぎか」
故障の自己修復機能と捉えれば、それほどおかしい話ではない。
根源の窓の存在を知らなければ、ダインの言う通り、それしか方法がないのだ。
あれこれと考えているうちに、うつらうつらとし始める。
「幼女は夜9時には寝て朝7時に起きる……当然といえば当然か……ふわぁあ」
勇者パーティを結成したばかりの頃、当時まだ11歳だったトスカナも、よく寝ていたことを思い出す。おねむになるのはこどもの正当な権利だ。
「おいダインー、ダインー」
「んにゃ……んだよ、何かあったか……?」
「すまん、この身体ダメだ。火の番、すごく、ねむい……」
「……あー……しゃーねぇ、交代だ」
「わり……くぅー……」
「……おい。俺の腹の上で寝るんじゃねェ!」
地面に転がり落とされ、抗議の声を上げようとしたが――それより、何より、眠かった。恐るべし、こどもの、眠気……




