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エンゼルフォール:エンドロール ~転生幼女のサードライフ~  作者: ぱねこっと
第一章【星の涙】Ⅶ ポンコツ魔剣と兎狩りの夜
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見えぬ橋の彼方 Ⅰ

 昨日、大広間に人を集めた時に覚えたかすかな違和感の正体に、今更気がついた。

 あの時ナツキは工房の全域を《気配》術でスキャンし、「全員」が大広間に集まっていることを確認したのだ。「誰も《気配》術に引っかからない」ということを根拠として。しかし本来なら、別室で眠っているヒルネの意識が反応していなければおかしい。


「…………」

「カイお兄ちゃん……だめだったの?」


 溜息をつきながら聖片(サクラメント)から指を離したカイに、恐る恐るハロが声をかけた。


「……気にするな。やはりオレは取り返しのつかないことをしたのだ。ヒルネはオレを許してはくれない、それだけの話だ」

「そんなぁ……」

「違う。少なくともそれは違うよ、カイ」

「ナツキ?」


 この場で、あるいはこの世界で唯一かもしれない有識者として、真実を告げなければならない。そう思った。

 このまま何も言わずに帰れば、カイ達は今後も変わらない日々を送ることになるだろう。現状も方針も暗雲に閉ざされたまま、時折見える細い希望に縋り、絶望を叩きつけられる日々が繰り返されるだろう。

 せめてその暗雲は払いたい。その先に何も無くとも、何も無いということが分かればそれは一つの気持ちの区切りになるはずだ。それに――希望が無いわけではない。


「あのね、ボク、周りの人が今どんな感情を持ってるのか、見たり話したりしなくても分かるんだ、ぼんやりだけど。魂から漏れ出す気の力の波を読み取って……たとえ相手が眠ってても、ね」

「…………」

「さっきハロが起きてるって気づいたのも、カイがダストシュートに隠れてるって気づいたのも、この力のおかげで……って、こんなオカルトじみた話、信じてくれるかは分からないけど」


 自分で言っていてその胡散臭さに呆れてしまう。日本でやれば完全にカルト宗教の類だ。

 しかしカイは、笑い飛ばしたりせずにじっとナツキを見つめた。


「にわかには信じ難いが……信じよう。お前がただオレを慰めるために嘘をついているのではないことは分かる」

「ハロも信じるよ!」

「カイ、ハロ……」

「もったいぶらずに話せ。ヒルネが抱いているのは憎悪か? それとも無関心か?」


 諦念の滲む表情で問いかけられ、心が痛む。捉えようによっては、返す答えはそのどちらよりも酷だ。


「ごめん……分からないんだ。ヒルネちゃんの魂はここに存在しない。その聖片(サクラメント)でいくら呼びかけても、ボクが直接《念話》術で呼びかけても、『いない』相手から答えは……返ってこないよ」

「っ――」

「でもね」


 カイが何か言おうとするのを遮り、付け加える。


「ボクの知る限り、魂が存在しない状態では肉体は生き続けられない。肉体から魂が完全に離れるってことと死ぬってことは、本質的に同じだから」


 だからまだ、完全に希望が潰えたわけではない。観測できないだけで、ヒルネの魂はどこかに存在しているはずなのだ。少なくとも、ラグナで学んだ法則がこの世界にも適用されるならば。


「……ならば、ヒルネの魂はどこにあると言うのだ」

「分からない。だから……ちょっと今からそれを探ってみようと思うんだけど、いいかな」


 カイに求めるのは、ヒルネに触れて気の循環路を探る許可だ。


「こんな状態の人、ボクは見たことないから……全く危険が無いとは言い切れないし、調べても何も分からないかもしれない」

「む……。……その様子をオレも見ることはできるか?」

「ん、見せるだけなら」


 《念話》術の応用だ。ナツキが気の糸で探るヒルネの気の循環路の概念をそのままカイに送信すればいい。

 自分の監視下でなら、とカイは頷き、ヒルネから一歩離れた。


「ナツキお姉ちゃん、ハロも……」


 ハロがちょいちょいとナツキの服を引っ張ってきた。何が出来るわけでもなくとも、放ってはおけないのだろう。

 カイに視線をやると無言の頷きが返ってきたので、ハロも術の対象に加えた。


「じゃあ二人共、目を閉じて……今まで感じたことのない感覚が来ると思うけど、落ち着いてね」


 大きなベッドによじ登り、ヒルネの胸の中央に手のひらをあてる。静かだが規則正しい鼓動と、穏やかな呼吸が伝わってきた。

 そっと気の糸を差し込み、ヒルネの気の循環路に侵入しつつ、カイやハロと感覚を共有する。最初に見えたのは――


「何だ、これは。暗闇が……見える?」

「うぅ、なにこれー、へんなかんじ……」

「これは……ボクも初めてかも」


 そこには、何もなかった。

 気の循環路の内部を満たしているはずの気の力が消失している。何も流れていない、流量0の状態が「知覚できる暗闇」として見えていた。


「まさかこれがヒルネの魂なのか?」

「ううん、違う。ここは本来気が流れてるはずの場所なんだけど……」


 前世、ラグナでゴルグが提唱した理論によれば、「魂」なる存在に明確な実体はない。気の循環により中心に生じるエネルギー溜まり、あるいは気の循環という現象そのもの――何を「魂」と呼ぶかは定義によって異なるが、数多の練気術士はそれを区別しない。実用上、循環している気の力が定義に含まれていれば何も問題がないからだ。

 しかしヒルネの体には、「魂」を定義するのに必要不可欠な気の力が流れていない。


「うーん、これは根源の窓を探すのも一苦労かも……」

「こんげんのまど?」

「気の力の源のこと。気は根源の窓から出てきて、全身を巡ってまた根源の窓に帰るんだ。ハロも武具を刻印(エンチャント)するときに無意識に触れてたはずだよ」


 説明すると、ハロは合点がいったという風にハッと顔を上げた。


「そっか、おねがいするときの! それならもうちょっと、おくのほうだよ」

「へっ? 奥って……」

「わ、ナツキお姉ちゃん、ちょっと行きすぎ! ちょっともどってもどって……そこ! そしたらえっと、こんどは上のほうかな?」

「ハロ、分かるの!?」


 迷うことなく指示を出してくるハロに驚愕する。

 まさか、ナツキに見えていないものが見えているのか。


「うん、だって、そっちのほうがちょっとあったかいでしょ?」

「あ、あったかい?」

「うん! 武具におねがいするときはね、心のおくのぽかぽかあったかいところから、きもちのかたまりをそっととどけるんだよ」


 ハロの説明は、ラグナで聞いたシステマチックな刻印(エンチャント)の原理とはかけ離れていた。

 そもそもナツキは根源の窓に温度を感じたことはない。ハロは一体何を感じ取っているのだろうか。


「もしかして、カイにも分かる……?」

「いや、何を言っているのかさっぱりだ。……そもそも、これは移動しているのか? 奥だの上だの、物理的な位置ではないようだが……ずっと真っ暗闇ではないか」

「うん、カイの反応が普通……のはずだよ。ちょっと安心した」


 この様子だと、この世界の生物に共通の感覚器官があるわけではない。とするとラクリマ特有のものなのか――今度アイシャにも聞いてみるべきかもしれない。

 ともかく、不思議ではあるが、本当に根源の窓の場所が分かると言うなら頼もしい。ひとまずハロを頼ってみるとしよう。


「じゃあハロ、道案内してもらってもいい?」

「やったー! ハロにまかせて!」


 自分も役に立てることが嬉しいのか、ハロは大喜びでナツキに指示を出し始めた。


「――そこで止まって! 2かいぐるぐるまわって、そしたら下に……」

「……お?」


 ハロの指示に従って進んでいくと、やがてごく薄く「明るさ」のようなものを感じ取れるようになってきた。

 これは恐らく、根源の窓それ自体が放出している微小なエネルギーによるものだ。気が流れている時は全く感じ取れないような薄明かりだが――今はこれほど頼もしい明かりもない。ここまで来ればナツキも根源の窓の方角が分かる。


「ね、すっごくぽかぽかしてきたでしょ?」

「ぽかぽか……は分からんが、最初とは少し異なるということは分かるな。何が違うかと言われると説明できないが……」

「えーっ、ぜんぜん違うのに!」


 どうやらハロは、はるか遠くにある根源の窓が放出している微小なエネルギーを感じ取って「あったかい」と言っていたらしい。


「ハロがもしラグナに生まれてたら、秒で師匠に攫われてたな……有望な弟子兼モルモットとして……」

「え、なぁに?」

「なんでもないよ。ほら、着いた――って」


 気の循環路の中心部、一枚の薄い膜のようなものを抜けたそこに、根源の窓はある。ナツキはもう呼吸のように無意識下でアクセスできるようになっているが、そのナツキでさえ、あるいはナツキだからこそ――その異様さに言葉を失ってしまった。


「これ、は……」


 何か得体の知れない敵性体が巣食っているとか、根源の窓に何かが詰められているとか、そんな分かりやすく解決できそうな異変ではなかった。

 根源の窓それ自体は、至って正常だった。気を汲み出し回収する、その心臓のような基本動作も問題なく繰り返されていたし、根源の窓の周囲ではちゃんと気が流れていた。


「ナツキお姉ちゃん、これがこんげんのまど? まわりにあるぽわぽわが『気』なの?」

「……うん、そうだよ」

「じゃあこの気は、どこに行ってるの?」

「…………」


 ハロの疑問にナツキは答えられなかった。何せ、全く同じ疑問を抱いていたのだから。


 ヒルネの気は根源の窓から流れ込み、気の循環路に乗る直前で絞り切られるようにどこかへと消えていた。そしてどこかから突然現れた気が、根源の窓へと還っていたのだ。


「ナツキ、これはオレにも分かるぞ。ヒルネが目覚めんのは、この『気』とやらがヒルネの身体を無視して何処かへと消えているからだな?」

「うん……でも、こんなことって……気の力だって何でもありなわけじゃない、根源の窓を通さずに突然消えるなんて……」

「? ナツキお姉ちゃん、ちがうよ」


 ナツキの独り言を、ハロは不思議そうに否定した。


「ハロ?」

「きえてないよ。ほそくなって、ぴゅーんってとおくにおでかけしてるの」

「細くなって……遠くに?」

「うん! ぽわぽわした感じが、真下のほうにとんでいくでしょ? ヒルネお姉ちゃんの体をとび出して、ずーっと下のほうに……」

「……!」


 ハロの言う「ぽわぽわした感じ」をナツキは感じ取れない。しかし「気が本来の循環路を離れ、細くなって遠くに飛んでいく」状態には心当たりがあった。

 それは練気術の派生流派であり、気ではなく魂に干渉することを根幹に置く「死霊術」の極意。闇のマナを編んで擬似的な気の循環路を作り上げ、一時的に魂を肉体から引き剥がす――


「幽体離脱!? いや、でも……」


 自らの魂のほとんどを死霊と同じ状態に落とす危険な術だ。練気術に加えてマナベースの闇魔法の熟練度まで求められるし、少しでも制御を誤って擬似循環路が壊れてしまえば、拠り所を失った魂は深刻なダメージを負う。


「……しかも、根源の窓から遠く離れるほど制御は難しくなる。擬似循環路と窓を結ぶ橋は距離に反比例して狭くなり、気の流量も減っていく。窓を取り外せない生者ではせいぜい10メートル離れるのが関の山の、危険度と要求技術に見合った用途もなく、物好きの曲芸としてしか行使されることのない術……じゃなかったのかよ師匠……」


 ハロの報告が正しければ、その「橋」はナツキが検知できないほどの細さだということになる。しかし根源の窓を取り巻く気の流量が減っているようには見えない。何も無い場所で絞り切られているように感じるのは、その極細の橋に気が全て取り込まれているからだ――ナツキもゴルグも知らない謎の技術によって。


「……迂闊に触れない方がいいな」


 何かとんでもなく繊細な均衡が危うく保たれている状態だとしたら、ちょっかいを出すのはまずい。気の糸をそっとヒルネから抜き取り、カイとハロとの感覚の共有を解いた。


「ナツキ、どうだ、何か分かったのか!?」

「分からないことだらけだけど……とにかく、ヒルネちゃんの魂はまだ生きてるよ。でもここにはいない」

「ならば、どこにいる!」


 目を開いて身を乗り出してきたカイを両手で制しつつ、ナツキは考える。もし本当に幽体離脱ならば、離脱している魂に会いに行ければ《念話》術で会話できるし、本体に戻るよう説得もできる。問題はどこにいるかだ。


「ハロの証言に従えば、ここからずっと真下。つまり地下のどこかに……いや待てよ」


 地下にいると仮定した場合、距離はどれだけ多く見積ったとしてもせいぜい数百メートルだ。ゴルグによれば、幽体離脱で意識を保っていられる程度の気の流量を維持できるのはラグナの技術では10メートル程度。橋の太さは距離に反比例する。気の循環路の本来の太さから逆算すると、ナツキに知覚できなくなるほど橋が細くなるのに必要な距離は――


「いちまん……いや、いやいや待って、もう一回……」


 常識外れな値が飛び出してきたので、再度計算する。


 …………。


 ……おかしい。何度計算し直しても距離の概算値が異常になる。


「おいナツキ、どうした?」

「えっと……何か前提が間違ってる、と思うんだけど。ヒルネちゃんの魂は今、この真下のずっと先……最低1万キロメートル以上の彼方にいる、かもしれない……」

「いっ、1万キロだと!? 地下などというレベルではないぞ!」


 カイが目を剥く。ナツキも同意見だ。

 ちなみに余談だが、天使様翻訳システムはメートル法を採用してくれている。フィートだのポンドだの言われなくて非常に助かっているが、カイ達に「1万キロ」がどう聞こえているのかは少し気になるところだ。


「……? ねぇカイお兄ちゃん、それってどれくらいとおいの?」

「それは……お前が『遠い』と聞いて思い浮かべる距離の一万倍くらいだ」

「ふーん……?」


 距離の大きさがいまいちよく分からないらしいハロが首を傾げる。実を言えばナツキも、すごく遠いということくらいしか分からない。それはカイも同じようだったが、


「……ああ、丁度いい物がある」


 そう呟き、部屋の隅から大きな横長の地図を持ってきた。


「世界地図だ。見たことはあるか?」

「おー、世界地図! 初めて見るけど……なんか、ずいぶん横長じゃない?」


 ひゃっほう異世界の世界地図だ、とワクワクしながら見たそれは、比率にして4:1くらいの代物だった。これがこの星の全域だと言うなら、地図の縮尺がおかしいか、星が球形ではない。


「む、ヘルアイユとアヴローラの大半は載っていないのだから当たり前だろう? 地形も分かっていないし、分かったとしても意味が無い」

「あ、そっか……」


 そう言えばそうだった。この星は恐らく自転がほぼ止まっていて、地球に対する月のように常に同じ面を太陽に向けて公転している。人類が生息可能なのは年中夕暮れ時になる帯状のエリアだけなのだ。

 地図の上端はヘルアイユ、常に昼の灼熱地帯。下端はアヴローラ、常に夜の極寒地帯だ。その中間に当たる、我々が今いるのであろう地域には「グランアーク」と大きな文字列が記されていた。


「ジーラ大陸がここ、フィルツホルンはこの辺りだな」


 カイが指差したのは地図の右側中央、右を向いたカエルの頭のような小さめの大陸だった。


「ハロしってるよ! これがフリューナたいりくでしょ?」

「そうだ。そしてこれがペルギネ大陸で――いや、それはどうでも良くてだな」


 世界地理はまだほとんど何も知らない。せめてハロ程度には知っておきたい気持ちはあるが、今は後回しだ。


「この地図によれば……ふむ、ここから1万キロメートル南へ進めば、ちょうどフリューナ大陸に着くぞ。世界四分の一周といったところだ」


 南、とカイが言いながら指先を動かした方向は地図上の左だ。この星では太陽の見えるヘルアイユの方角が西と定められているのだろう。

 カイの指先を目で追っていたハロは、フリューナ大陸と言われて驚いたように顔を上げた。


「えーっ!? そんなに!?」

「最低1万キロ、だからもっと遠いかも。だからやっぱり何か前提が間違ってるんだと思う。ここから真下にそんなに進んだら地下どころか星を突きぬけ、て……」

「ナツキ?」


 ふと、気づいた。

 世界四分の一周が約1万キロメートルなら、世界一周、つまり惑星ノアの最大周長は約4万キロメートルだ。

 ならば直径は、それを円周率で割って――1()()()()()()()()()


「……カイ、ハロ。ヒルネちゃんの魂がいるところ……分かったかも」

「何だと!?」「ほんと!?」


 地図を持ち上げ、くるりと丸めて左右を合わせ、一周の輪を作る。

 ナツキ達のいるカエル頭のジーラ大陸から見て輪の反対側には、フリューナ大陸という巨大な陸地がある。そのフィルツホルンとちょうど対称位置になる辺りには、巨大な地中海があった。


「メディル海。フィルツホルンからここまで、大体1万2000キロメートルだよ。――真下方向に、星を突きぬけて」

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