贈り物 Ⅱ
ハロはギフティアではない――それは別に、ハロを安心させるための嘘ではない。そんな一時しのぎの嘘には何の意味もない。
「根拠はふたつ。まずひとつ――ギフティアかどうかは《塔》で調整されるときに判断される。ハロはもう首輪がついてる調整済みのラクリマで、今ここにいるんだから、ギフティアじゃない」
「そ、そんなことないよ! だって、ハロには異能が……」
「『原理的にあり得ない』んだよ。《塔》はギフティアを見逃さない」
貴族特区に潜入する前、リモネちゃんはナツキに言ったのだ。《塔》の検査をギフティアがすり抜けてしまうことなど「原理的に」あり得ないと。全ドールの管理者であるリモネちゃんが、可能性が低いとか普通はあり得ないとかではなく、100%の否定としてそう告げたのだ。
その根拠となっている「原理」は分からない。しかしリモネちゃんがあのタイミングでそんな嘘をつく理由がない。
「でも……じゃあ、ハロの異能は? 異能をつかえるのは、ギフティアだけなんだよ?」
「それ、たぶん異能じゃないよ」
「……ほえ!?」
素っ頓狂な声を上げ、ハロは目を丸くした。
「根拠ふたつめ。ギフティアはごく一部の特殊な例外を除いて、異能を使うときに活性化マナ――『天使の力の残滓』を放出する」
これは《酒場》のマスターからの情報だ。つまり、例外も例外の特殊個体であるスーニャを除き、ギフティアはマナベースの魔法しか扱えないということだ。
マナベースの魔法は発動手順に必ずマナの活性化を伴い、発動後には余剰マナが光の残滓として残る。この世界では何故か活性化フェーズを魔力反応として観測できないわけだが、それでも必ず残滓は見えていた。それはオペレーター認定試験で見た女騎士や先程戦ったチャポムが使っていた聖石兵装についても同じだ。
「なのにハロは、魔力反応どころか残滓の放出すらしないでチャポムの義手を刻印したよね」
ハロが能力を行使している間、チャポムが活性化マナの残滓に気づかないようにしなければならないと、ナツキは《気流》術でマナを吹き飛ばす準備をしていたのだ。しかし残滓は発生せず、ナツキの術が発動されることはなかった。
「つまりあの時ハロが使ったのは異能じゃない、別の何かなんだよ。異能じゃないんだから、ハロはギフティアじゃないよね?」
「そ、そう……なの? うう、ハロよくわかんないよ……」
実際のところ、マスターの情報については信憑性の程は分からない。マスターの情報源が観測できる範囲でのみ成り立つ仮説なのかもしれない。だからナツキは今、「確認」しに来たのだ。
「ハロはギフティアじゃないよ。ハロが使ったのは練気術っていう……ギフティアじゃなくても後から身につけられる魔法だから」
ハロの頭を撫でながらそっと気の糸を差し入れ、探った結果――ハロの根源の窓は既に開いていた。しかし使い込まれてはおらず、かなり最近開通したものだと予想される。
つまりナツキやアイシャと同じように、ハロも後天的に練気術を獲得した可能性が高い。獲得のきっかけは分からないが、ラグナでも偶発的な獲得例はいくつも報告されていた。ゴルグが体系化する前から既に練気術士の卵は生まれ続けていたのだ。
「れんき……じゅつ?」
「(そう、例えばこれも練気術)」
「わっ!? これって……あのときの声だ!」
「うん、アイシャも使えるし、ハロも練習すればできるようになるよ」
「そうなの!? じゃ、じゃあ……」
その目に浮かぶのは、期待と不安。何度も言葉を飲み込みながら、ハロは縋るようにナツキを見上げた。
「ハロはほんとに、ギフティアじゃないの? この工房にいていいの……?」
そうだ、と言ってやりたい。しかしそれを判断するのはナツキではない。
「どうかな、カイ? そんなとこに隠れてないで、そろそろ出てきてもいいんじゃない?」
「えっ、カイお兄ちゃん!?」
ナツキが話しかけたのは、ハロの部屋のダストシュートだ。
部屋に入った瞬間から《気配》術に引っかかっていたその意識は少し動揺を見せ、しばらくして沈黙を破った。
「……どうして分かった? それもその『練気術』とやらの力か?」
「ま、そんなところかな」
「あわわわわ、ち、ちがうの、カイお兄ちゃん、ごごごめんなさい!」
ダストシュートの蓋を開け、カイが這い出してきた。
まさかカイに聞かれているとは思わなかったのだろう、ハロはわたわたと慌てている。しかしカイはまずナツキに目を向けた。
「ふん、ただの子供ではないとは思っていたが……」
「どうする? 得体の知れない危険分子だって通報する?」
「……できないと分かって聞いているな?」
そう、カイにはナツキを通報できない。
ナツキを《塔》に新たな力の使い手として提出するなら、ハロも提出しなければ筋が通らない。《塔》のギフティア検査基準に改定が入れば、ハロは一瞬で回収対象になってしまうだろう。
しかも練気術は誰でも習得できてしまう。そんな代物が世間に広まることを《塔》は良しとしない。必ず口封じに動き、それは通報したカイも含まれるだろう。この世界に来たばかりの頃、ダインがナツキを売らないことを選択したのと同じように、カイは沈黙を選ぶ。
「ナツキ、お前についてオレは何も聞かなかったことにする。少なくとも――お前は悪人ではないからな」
「ふふ、ありがとう」
カイは軍属のリモネちゃんと近い位置にいる人物であるという点で賭けではあったが、ナツキの読みは当たった。内心ほっと胸を撫で下ろしながらにっこり笑い返すと、「食えん奴だ」と苦笑されてしまった。
「ハロについては、ギフティアではないという方向で父上に口添えしておこう」
「カイお兄ちゃん、ほんと!?」
「ああ。……だが」
ふと目つきを厳しくし、
「お前が工房を抜け出し、結果として工房や父上に不利益をもたらしたのは事実だ。魔武具騒動の原因と解決策をこちらから示せないのだから、《塔》からの信用低下は必至だろう」
「そっ……それは……ちがうの! ハロ、そんなつもりじゃ」
「どんなつもりだろうと《塔》が見るのは結果だけだ。いいか、《塔》に怒られるのはお前ではない。その結果を招いた父上の管理能力が問われるのだ。お前の軽はずみな行動のせいでな」
「あ、ぅ…………」
カイの厳しい言葉に、ハロは何も言い返せず俯いてしまった。
「カイ、ちょっと――」
まだ幼いハロに、その言い方はあまりにも酷だ。ハロが責任を取って何かできるわけでもない。そう思い助け舟を出そうとしたが、カイはニヤリと笑って手のひらでナツキを制した。
「――と、父上はそう考えるだろう。そこで、適当な言い訳を考える必要がある」
「……え?」
「父上の雷を掻い潜ることに関してオレの右に出る者はいないぞ。任せておけ」
「え、えっ?」
「何を驚く? お前が抜け出すのを散々見逃してきたのはオレなのだ。バカ正直に父上に報告してはオレまで勘当されかねんではないか」
「そ、そう……かも?」
「だから口裏を合わせておくために、ダストシュート経由でこっそり来たのだ。先客がいるとは思わなかったがな」
「カイ……」
途端に言動が普段のカイらしくなり、ナツキは肩の力を抜いた。
最初の厳しい台詞はきっと、ハロに自分が何をやらかしたのかを理解させる前置きだったのだろう。
「というわけで、だ。まずはこれが何なのか、教えてくれるか?」
そう言ってカイが懐から取り出して見せたのは、先程バンドマン四人組に渡された聖片だ。ハロはそれを見るなりぱぁっと表情を輝かせ、カイも笑みを浮かべた。
「お前が工房を抜け出したのはオレや父上、工房のためだったんだろう? その戦果が物品としてあるのだ、これが言い訳に使えんわけがない。どんな聖片なんだ? 損害を上回る利益を生む物だと説明できれば――」
「あのね、それはねっ、ヒルネお姉ちゃんとおしゃべりできるどうぐだよ!」
食い気味に放たれたハロの台詞は、カイを凍りつかせた。
お年玉としてもらった予想外に薄い紙袋から一億円の小切手が出てきた、そんな顔で固まってしまった。
「――な、んだと?」
「それをつかうとね、ねてる人と夢の中でおしゃべりできるの!」
「……!」
「そしたらカイお兄ちゃん、元気になるかなって! それにね、あのね、ハロしってるんだ。ヒルネお姉ちゃんがおきてくれないの、カイお兄ちゃんが小さいころにいじわるしちゃったからかもしれないんだって。ししょ……あっ、じゃなくて、言っちゃだめなひとがおしえてくれたの! でもね、だったらちゃんとお話して、いじわるしてごめんねってしたら、そしたらきっとヒルネお姉ちゃんもいいよって、なかなおりして、それで……むぎゅっ?」
少ない語彙で一生懸命言い募っていたハロの声が、途切れた。
カイが無言でハロを抱きしめたのだ。
「か、カイお兄ちゃん……どうしたの?」
「……最高の贈り物だ。感謝する」
「うん、えへへ……あれ? カイお兄ちゃん、泣いて……」
「泣いてなどいない」
すぐ抱擁を解いたカイは、言葉とは裏腹に涙ぐんだ目をこちらに向けた。
「ナツキ、お前はこの聖片の効果、知っていたのか」
「うん。正確には――『練気術が使えなくても《念話》できるようにする』って感じの効果だけど。例えばほら、カイとハロでやってみなよ」
聖片の両脇に飛び出している突起を二人につまませ、発声せずに会話してみるよう促す。二人とも最初は半信半疑な様子だったが、すぐに無言のまま驚愕に目を見開いた。
「《念話》術は魂に直接話しかける術だから、相手が眠ってても届くはず。ただ……」
「ただ?」
「……いや、何でもない。ヒルネちゃんの魂が生きてそこにいる限り、カイの声は届くはずだよ」
一つ気がかりなことがある。それをカイとハロに伝えるかどうか少し迷ったが、勘違いの可能性が高く、ただの嫌な予感に過ぎなかった。いたずらに不安を煽るのは良くないだろうと判断した。
しかし、ならば早速試しに行くとしよう、とヒルネの部屋に向かうカイについて行き、部屋の扉の前に立ったとき――その嫌な予感は否応なしに強まることになった。
「この部屋はな、実はヒルネの部屋ではない……オレの部屋なのだ」
「そうなの!? じゃあヒルネお姉ちゃんのおへやは?」
「オレが自分の部屋として使っているあの部屋だな。鍛冶の成果で部屋が決まるのはお前も知ってるだろう?」
「じゃあ……カイお兄ちゃんはヒルネお姉ちゃんとおへやを交換してるの?」
「その通り。狭い部屋に寝かしておくのは可哀想だからな」
隣でカイが妹溺愛っぷりを披露しているが、その会話はナツキの耳を素通りしていった。
――勘違いではなかったのか。
《気配》術を出力全開にしながら、ナツキは信じられない現実を前に頭を抱えたくなった。
「ヒルネ、入るぞ」
カイが開けた扉の向こう、天蓋付きベッドに横たわり寝息を立てる少女を目にし、嫌な予感は確信に変わる。
しかし今更何を言おうとカイの行動は変わらない。この世界の法則がナツキの知るそれとは異なり、杞憂に終わることを祈りながら――カイが聖片の片側をヒルネの指先に触れさせるのを見ていた。
《気配》術に一切の反応を返さない、まるで魂が抜け落ちてしまったかのような少女が、兄の呼びかけに応えることはなかった。