贈り物 Ⅰ
貴族であるカイの顔パスで《東屋》を抜け、チューデント工房のダストシュート下までたどり着いたそこに、彼らはいた。
「お前達は……」
「「「「申し訳ありませんっしたァ!」」」」
カイが気づいて話しかけようとした途端に揃って平伏して見せたのは、ハロと武具を闇市まで運んでいた四人の男達だった。
「……そうだな。お前達がハロを唆さなければ事件は起きなかった」
「罰は何なりとッ! ただ一つ、カイ=チューデント様にお伝えしたいことがあるんっす!」
「お前達がハロを守ろうとしたことは分かっている。結果的にハロも無事助け出せたからな、処罰はしないし貴族権も行使しない。これでいいだろう、さっさと去れ」
「や、そうじゃなく……え!? 助け出したんすか!? ギフティアだから《塔》に連れていかれたんじゃ!?」
男達は揃って目を剥いて顔を上げた。カイが溜息をつき、抱えているハロを指差す。
「その目は節穴か? 全く……いいか、ギフティアの件については例の怪しい男が勝手に喚いていただけだ。何の証拠も無いのだ」
「で、でもっすよ、あの時確かにハロちゃんの剣が魔剣に」
「例の男がすり替えでもしたのだろう。奴め、何か別の用途にハロを使うつもりで攫ったようだぞ。何せ《塔》に届けもせずに洞窟の奥にハロを吊るしていたぶっていたのだからな」
「なんだって!?」
嘘には真実を混ぜ込んだ方がそれっぽく聞こえる。よく言われることだが、即興で実践できるのはなかなかの手練れだ。カイも色々と修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。
「しかし奴のせいで疑いが生まれたのも事実。だから真実を確認するために、取り戻してきたのだ。……この少女の力を借りてな」
「この少女って……ひぃっ、血翼の――!?」「おいバカ!」
ナツキに気づくや否やサッと顔を青ざめさせ、言ってはならない単語を口走りかけた男の口を別の男が塞いだ。
「ブラッディ? 何だそれは……いや、なるほど、聞いてはならないのだな」
「…………」
無言で殺気を振りまくナツキとぶんぶん首を横に振るアイシャを見て、カイは素晴らしい理解力を見せた。それでいいのだ。笑顔で頷き返しておく。
「……とにかく、ハロは無事だ。分かったなら立ち去れ。ここは貴族特区、本来お前達がいて良い場所ではないぞ」
「ま、待ってくれ、そうじゃねーんだって! 渡さなきゃならねー物があるんだ!」
「何?」
敬語を取って付けることも忘れ、一人の男が懐から何かを取り出した。武器の類ではない、奇妙な流線型のオブジェに見える。
「……素性の知れん者から、得体の知れん物品を受け取って工房に持ち込めと?」
「ち、違う! 俺らから工房にじゃねえ、これはハロちゃんから、アンタにだ!」
「それを信じる方がどうかしている」
「待って、カイ」
「ナツキ?」
端から疑ってかかるカイを止め、ナツキは間に割って入った。
ナツキの予想が正しければ、これは恐らく――
「お金、足りたの?」
「ひっ、はっハイ、いぇっ、あの、そのっ」
「ハロが武具を売ったお金で買おうとしてたもの、なんだよね?」
「そそそその通りっす、あ、でもちょっと足りなくてっ、残りは俺らがっ」
「つつ罪滅ぼしなんでっ、当然っつうか」
ナツキに視線を向けられてしどろもどろな男達だが、概ね予想通りの返答が得られたのでナツキは頷いた。一方、カイは話についていけず不思議顔になっている。
「待て、何の話だ?」
「ハロが武具をわざわざ闇市で売っていた理由の話だよ」
「む? それはこいつらが唆して――」
「それは違う!」
男の一人が割り込んできた。思わず口をついて出てしまったという風に一瞬後悔を顔に滲ませた男だったが、そのまま反論を続けた。
「いや、最初はそうだったぜ。ハロちゃんの武具の売上げを横取りしてやろうって思ったんだよ。けど……ハロちゃんと話してたらなんか、自分が惨めになってよ……」
「《塔》に誓ってもいい、武具の売り上げには俺らは1リューズ足りとも手をつけちゃいねえ、全部コレを買うってハロちゃんの目的のために使ったんだ!」
「うん、信じるよ。いくらしたの?」
「さ、3200万リューズだ」
「なっ……!?」
その額の大きさに、カイは驚愕に目を見開いた。貴族であってもおいそれと手を出せる物ではないのだろう。
以前闇市で、ハロが剣を一本30万リューズだと言って売っていたのを思い出す。相場を変えていないなら、実に100本以上も売り捌かなければ到達できない額だ。
「ねえカイ、工房で売った武具の売り上げってさ、ハロには直接還元されるの?」
「な、何だいきなり……給料の話か? 外に出られんラクリマには使い道がないからな、金銭としては与えていないぞ。代わりに衣食住の保証と、要望の品があれば可能な限り買い与えるようにしている……が、それがどうした?」
「やっぱりね。つまり……ハロはさ、自分で自由に使える大量のお金が必要だったんだよ」
「その得体の知れないオブジェを買うために、か?」
「うん。……ちょっと触らせてね」
奇怪なオブジェに指先を触れさせる。するりと気の糸を通してみると、複雑な気巧回路が組み込まれていることが分かった。魔道具――この世界の言葉で言えば、聖片の一種。マナベースの魔法回路でないものに触れるのはアイオーン以来だ。
「回路展開」
気功回路ならば、ナツキはその仕組みや効果をある程度読み解ける。視界に重なるように広がった概念的な回路の海に潜り、数秒――
「……なるほどね。カイ、大丈夫だよ。これは正真正銘、ハロからカイへの贈り物だよ」
「何故分かる?」
「秘密。これはきっと、ハロがカイに説明した方がいいものだから。そうでしょ?」
「そう、そうなんだ! だからその、詳しくは説明できねえけど……ハロちゃんから聞いてくれ! 危険な物じゃねえんだ、受け取ってやってくれ!」
頭を下げる男たちの様子から嘘ではないと判断したか、カイはその聖片を手に取った。
「いいだろう、受け取っておこう。……お前達の顔は覚えた、ハロの説明如何によってはひっ捕らえに行くぞ」
「ああ、構わねえ。……受け取ってもらえて良かったぜ」
やり遂げた顔の男たちは、名残惜しそうにハロに視線を向けた。ハロが目覚める様子はない。
「……結局、夢の話はできなかったな」
「夢の話?」
「俺らにもハロちゃんにも追いかけてるでっけー夢がある――けど、お互いそれがどんな夢なのか、まだ知らねーんだ」
「お別れの日に教えるって約束したんだよ、ついさっきな」
どうもこの男たち、盛大に死亡フラグを立ててくれやがっていたらしい。
「ふーん……夢って、ロックバンドでも組んでるの?」
「な、何で分かったんだ!?」
「え!? いや、なんか……ちょうど四人いるし……雰囲気的に似合うなって……」
日本にいた頃のステレオタイプな「ちょい悪バンドマン」のイメージに風体や言動が重なったので言ってみただけで、この世界にロックバンドなるものが存在するかどうかも知らなかったわけだが、まさかそんなありきたりな設定だったとは。
「似合う? へへっ、そうか。ありがとよ」
「俺らの夢は世界だ! こんなチンケな地下の街じゃ収まらねー、海を越えてフリューネ大陸まで、俺らの音楽を響かせてやるんだ!」
「ま、そのためにはまずフィルツホルンで有名にならねーとだけどな」
「ハロちゃんが起きたら伝えといてくれ、お互い夢に向かって頑張ろうぜって!」
どこかで聞いたような台詞を吐いて、スッキリした表情で彼らは去っていった。
うん……叶うといいね。
☆ ☆ ☆
工房に戻って時計を見ると、まだ夜明け前だった。ずいぶん長く地下に潜っていたような気がするが、これなら朝には《子猫の陽だまり亭》に帰れるかもしれない。
「……と言っても、このまま帰るわけにもいかないよね。ハロのこともあるし、それに……」
「それに?」
「ほら、ボク達が助けて連れてきちゃったラクリマ十人、さ。いくらなんでも全員工房に押し付けるのは……」
手を差し伸べたからには最後まで責任をもって助けきらなければ、という強いポリシーがあるわけではないが、このまま放置はさすがに無責任というものだ。
二、三人くらいなら《子猫の陽だまり亭》に連れ帰っても大丈夫だろうか。人手が足りないとぼやいている常連客も何人かいたはずだ、彼らにも協力を――
「あ、それは大丈夫なのです」
「へ?」
「カイさんが言ってたです。このお屋敷はとっても人手不足だから、メイドさんやコックさんとしても新入りは大歓迎だ! って」
「そうなの? うーん……ボク達に気を使ってたりしないといいけど」
助けた10人のラクリマは皆治療を受け、ひとまず客間に集められて寝かされているそうだ。カイも一旦寝ると言って自室へ帰ってしまい、今屋敷で起きているのはナツキとアイシャだけだ。
「ふぁ……ぅ。ナツキさんは寝ないのです?」
「ん……ちょっと、ね。アイシャは先に寝てて」
「わかったのですー……おやすみなさいです、ナツキさん」
「おやすみ、アイシャ」
大きなあくびを連発しながら、アイシャはカイが貸してくれた客間へと歩いていった。
ナツキも正直、眠い。幼女の身でほぼ徹夜状態なのだから当然だ。というか練気術で眠気を抑えているから活動できているだけで、本来なら既に電池切れ状態の子供と化してバタンキューである。当然体には悪いので、さっさと寝た方がいい。
しかし一つ、眠ってしまう前に確認しなければならないことがあった。
「…………」
足音を立てないよう、静かに向かうのは――ハロの部屋だ。
そっと扉を開け、中に入る。ベッドの上で寝息を立てるハロを、小さなオレンジ色の照明がぼんやりと照らしていた。
「ハロ」
小さく呼びかけるが、返事はない。
眠り込んでいるのだから当然、そう誰もが思うだろう。
しかし、ナツキには分かる。カイにハロを渡す際に《眠気》術を解除して覚醒を促し、その後ずっと《気配》術でハロの意識の反応を読み取っていたナツキには、それが狸寝入りだと分かっている。
「起きてるよね、ハロ」
世界を夢見るバンドマン四人組が去っていく時、ハロは泣きたいくらいの葛藤を放出していた。彼らに声をかけたかったのだろう。しかしできなかった。
今ナツキが話しかけた際も、ビクリと大きな感情の揺れが放出された。それは驚きではない――恐らく、怯えだ。
「大丈夫だよ。ボクはハロを《塔》に連れてったりしないから」
「…………ほんと?」
小さな声が返ってきた。
「ボクは、ね。でも明日の朝、工房のみんながハロはギフティアだって知ったら……他のお弟子さん達はともかく、シンギさんは工房の安全や《塔》の信頼を優先するかも」
それはハロも分かっているのだろう。放出される意識に乱れは生まれない。
「このまま寝たふりをし続けても、それは変わらないよ」
「ぅ……」
覚えがある。昔、ナツキの留守中にまだ幼い秋葉が皿を落として割ってしまい、その後彼女が取った行動は「狸寝入り」だった。帰宅した当時中学生のナツキは割れた皿と全く目覚めない秋葉にパニックを起こして救急車を呼んだが、秋葉は救急隊員の触診のくすぐったさに耐えきれず笑い声と共に目を覚ました。
『ずっとねてれば、お兄ちゃんにおこられないっておもったの……』
その弁明はその場にいた全員を呆れさせたが、幼い子供の思考回路なんてそんなものである。一種の現実逃避、精神の自己防衛だ。
あの時の秋葉と同じ――ハロは寝たふりを続けることで、《塔》に連れていかれるという現実から目を背け続けているのだ。
「あのね……ハロね、わかんないの……。ハロはギフティアだから、《塔》にかえらなきゃいけないはずなのに……さっきまでずっと、そう思ってて、みんなにバイバイしたら、すぐ《塔》に行かなきゃって……思ってたのに」
ぽつぽつと、ハロは心の内を吐露し始めた。
「でもね、さっきカイお兄ちゃんにだっこされたら……行きたくないって、ずっと工房にいたいって……ぐすっ、ごめんなさい……ハロ、これじゃわるい子になっちゃう……なんで……そんなのいけないって、ハロ分かってるのに……ひぐっ、なんでかなぁ……」
「ハロ……それでいいんだよ、何も間違ってないよ」
親しい人達と離れたくないという気持ちが当たり前のものだということが、ラクリマとして常識を植え付けられたハロには分からないのだ。
ベッドに腰掛け、泣き出してしまったハロの頭を優しく撫でる。
そして――確認を終え、確信する。
やはりそうだ、おかしいとは思っていたのだ。これまでに得た情報と食い違いすぎていた。
その齟齬を解決するのは、ひとつの仮説――
「ねえハロ、落ち着いて聞いて欲しいんだけどさ。たぶん……ハロはギフティアじゃないよ?」
「ぐすっ……、……え?」
涙に潤んだ両の瞳が、ぱちくりとこちらを見つめ返した。