願いの剣 Ⅲ
「なんっ……!? お、ぐ、グォォオァッッ――」
粉々に砕け散った義手に続いて、チャポムの肥大化した右上腕の筋肉がさらに膨らみ始めた。ビキビキ、ブチブチと体組織が砕け千切れていく音と共に、真っ黒な血を撒き散らしながら風船のように膨らんだ右腕は、すぐさま肩の付け根までを巻き込んで爆散した。
「ガギャッ!?」
「うぉ……そっか、聖石兵装か」
「て……てめェッ……何、を……ッ」
「ボクは何も? ……はい、これで二発目」
「ギッ、ァァアアアア!」
半ばで折られてしまった剣でも、目を潰すくらいはできる。右腕が爆散した痛みによろめくチャポムの左目を素早く抉り取って捨てた。
「ハロ!」
痛みで左手の力が緩んだ隙を見逃さず、ハロを奪い取る。あちこち骨折だらけ血まみれボロボロの彼女は、ぐったりとナツキに体を預けながらも、気丈に笑顔を見せた。
「えへ、へ……ハロ、うまく……でき、た?」
「やり過ぎなくらいね。ありがと、ハロ。ハロが刻印のギフティアで助かったよ」
先程ハロがか細い声で話しかけてきた時は、一緒に「殺して」くれと言われているのだと思いかけた。しかしそうではなかった。ハロは一緒に「戦う」と伝えてくれているのだと、声になっていない口の動きを見て気づいた。
だからナツキはハロの意を汲み、大事な局面でやたら右ストレートを繰り出してくるチャポムの癖を見極め、右の義手にハロが触れている状態で時間稼ぎをし、右の義手を刻印してもらったのだ。一方的な《念話》術だったが、ハロはしっかり作戦を遂行してくれた。
時間稼ぎが限界になってきたあたりで作業が終わったかどうかを確認したら、ハロはやり切ったという表情で頷いてくれた。チャポムはそれをハロがナツキの勝利のために死ぬ覚悟を決めたが故の表情だと勘違いしていたようだが。
そうなれば、あとはハロを信じて右ストレートを避けずに受けるだけだ。
どんな効果が刻印されていようと、それは攻撃が失敗する方向に作用するのが、今闇市に流通している魔武具の特徴なのだから。
「まさか聖石兵装まで自壊するとは思わなかったけどね」
「ぎしゅ、に、つながってた……から、おねがい、してみた……んだ」
「そこかぁぁアアァッ!」
「おっと」
完全に失明したチャポムがナツキとハロの声を頼りに突進してきたので、ひょいと躱す。ついでに足を引っ掛けると、派手にすっ転んだ。
「さて、と。それで? 裏にいるのは誰?」
首を踏みつけて押さえつつ、尋問を始める。
「へっ、裏も表もねェ、俺様はてめェを――」
「ハロとボクに接点があるって分かってなきゃ、こんな人質作戦は立てられないんだよ。さすがにボクだって、知らないラクリマが知らないところで殺されかけてるのを全部助けに行こうなんて思わないからね」
そもそも、ハロとまともに出会ったのは今日の昼、チューデント家に潜入してからだ。それもハロに会いに行くために潜入したのではない。魔剣の噂を調べていたら偶然リモネちゃんに出会い、軍の指名依頼という大義名分と貴族特区への潜入手段を手に入れたから潜入したのだ。
「ハロが工房を抜け出して闇市に来ることを知ってて、さらにボクがその工房に行ってハロと仲良くなることを予知できなきゃ、この作戦は立てられないはず。途中で邪魔してきたサイコパス野郎もお前の仲間なんでしょ?」
「ク……ククッ……あァ、それが『10分稼ぐ』か……俺様ァ何も知らねェなァ」
「……話す気はないか」
放っておいてもあと数日で死ぬと分かっている相手には、命を人質に尋問しても意味が無い。拷問でもしようものならすぐさま自決を選ぶだろう。
いずれにせよ、情報を引き出せないなら始末するしかない。が、その前に――
「ハロ、もう大丈夫だから……ゆっくり、おやすみ」
「ぁ……」
《眠気》術でハロを優しく眠りに落とす。人を殺すところなど、小さな子供に見せるものではない。
と、ククッ、クククッ、とチャポムが嗤い出した。
「拷問でもするかァ? いいぜやってみろよォ! 俺様は何も知らねェぞォ! 精々時間を無駄にしやがれェ!」
「…………妙だな」
チャポムの態度に何か得体の知れない違和感を覚える。この状態からの起死回生の手段などあるわけがない。ナツキが目の奥に折れた剣を突き刺すだけでこの男は死ぬはずだ。一体何を企んでいると言うのか。
とその時、
「ナツキさん!」
背後から聞き慣れた呼び声が届いた。
「無事なのです!? 今助けに行くです!」
そんな頼もしい声と共に、ガシャァンと金属が粉々に崩れるような音が響き渡った。振り返れば、アイシャがアイオーンを振り抜いて鉄格子を破壊したところだった。
「アイシャ! あのラクリマ達は?」
「工房で治療を受けてるはずなのです!」
十字架に磔にされていたラクリマ達は皆無事らしい。別れ際にカイにアイシャを手伝うよう頼んでおいたが、恙無く救出できたようだ。
「その人が黒幕なのです?」
「うん。こいつはボクがとどめを刺すから、ハロをお願い!」
「は、はいです! ハロちゃんは……っ!? こ、こんな……ひど、いのです」
「骨折がひどいから、そっとね」
駆け寄ってきたアイシャはハロの状態を見るなり顔を泣きそうに歪め、そっと抱えあげてくれた。そしてその視線は、怒りと共に這い蹲るチャポムへと向けられる。
「ひどいのです……」
「クッ、ククククッ、あァ……テメェが例の感染ラクリマかァ! 人間様に向かってひでェとは何だこのポンコツがよォ!」
「ひっ……」
「黙れ!」
「黙るかよォ! クハッ、ククク、クハハハハハハッハハァッ!」
アイシャを後ろに下がらせ、チャポムの首を強く踏み付けた。しかし聖石兵装の強化のせいかチャポムの声は途切れない。
「ククッ、俺様の手でテメェをぶち殺せなかったのは残念だがなァ……テメェはもう! 何時間も前にッ! 負けてンだよォッ! アヒャッハハハッハァッ! いいぜ殺せよォ、それで幸せになれるとイイなァ! お幸せにィ!」
「何だ……何が言いたい!」
「それが分からねェ時点で俺様の完全勝利だァ! あァ、テメェの泣き叫ぶ顔が見れねェのが残念でならねェ! ククッ、知ってるぜェ? てめぇ、アイオーン並に丈夫な剣が欲しいんだろォ?」
「……いきなり何だ」
「魔剣の情報を闇市に流したのもォ! 軍に通報してリモネを呼んだのもォ! 《東屋》に根回しして奴の入れる酒樽を無くしたのも全部! 俺様の! 仕業だってことだよォ!」
「……それがどうした!」
別に驚くようなことではない。ハロを餌にナツキを釣るなら、そこまで全て仕組んでやっていなければ作戦として成り立たない。疑問があるとすれば、何故そんな回りくどい計画を立ててまでハロを餌にしようと思ったのか、だ。
ギフティアであることに意味があるとでも言うのか。ギフティアをナツキに助けさせることで、《塔》との対立構造を作ろうとしている? ……それだけではこの男の「復讐」は果たせないだろう。
「ククッ……俺様の勝ちだ。精々後悔しやがれ……ククククッハハハッハハハハハハハハハハハァハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハハハ――」
「ッ、これは……禁忌の光!?」
壊れた機械のように笑い続けるチャポムの体内から、チリチリと空間を張り詰めさせるような存在感を伴って、寒々しい氷色の燐光がいきなり溢れだしてきた。
「まさか……!」
これはまるで、ラグナにおいて悪魔の剣の中でも最凶とされるトラップに引っかかった人間の末路――
「アイシャ、退避! 洞窟の外に、今すぐ!」
「ふぇ、は、はいです!?」
「こいつ、自爆するつもりだ!」
剣に触れた瞬間に自身の魂を全て気の力に変換され、周囲の人間や地形を巻き込んで爆散させられる――自爆トラップ。それと同じ機構がチャポムの体内に、恐らく聖石兵装に実装されていたのだ。
「失礼!」
「ひゃっ――」
アイシャとハロを両手で抱え上げ、両足を限界まで強化する。亜音速で洞窟を駆け抜け、闇市のメインストリートに飛び出した瞬間、
「ッ――」
閃光と共に背後から溢れてきた爆風は、間一髪のところで横に跳んだナツキ達を焼くことなく、メインストリートの反対側の壁を大きく抉り崩した。
「逃げ切れた、かな。大丈夫、アイシャ?」
「な、なんとか……あっ、ハロちゃんは!?」
「息は……してるよ」
ハロはナツキに抱えられた状態で、気を失ったまま細い息を繰り返している。
チャポムの企みが今の自爆なら、これで完全勝利だ。
――本当に?
「…………」
「ナツキさん?」
「……ん、とにかく今はハロを――」
「おいナツキ、アイシャ! 無事か!?」
爆発音に釣られて集まってくる野次馬の間を駆け抜けて来たのは、先程別れたカイだった。
「まさか本当に……奴を倒したのか、一人で?」
「ちょっと苦戦したけどね」
信じられない、という顔はしかし、すぐに心配顔に取って代わった。カイの視線がナツキに抱えられたハロへと向く。
「ハロは――」
「大丈夫、生きてるよ」
ハロを渡すと、カイはその傷だらけの姿に顔を悲痛に歪めた。
すぐさまポケットから回復薬を取り出し、ハロの口に含ませる。風のマナが舞い散り、みるみるうちに体の傷が無くなっていった。
「お前もだ、飲め。顔が痣だらけだ」
「ありがと、助かるよ」
お礼を言って回復薬を受け取ると、カイは首を横に振った。
「感謝するのはオレの方だ……恩に着るぞ、ナツキ。お前がいなければ今頃……」
「そういうのいいって、ボクだってハロを助けたかったんだからさ。そんなことより……ひとまずここから離れた方がいいんじゃない?」
「み、みんなこっち見てるです……!」
爆発した洞窟から飛び出してきた幼女(しかも最近闇市で有名になってしまった)に加え、瀕死のラクリマに高価な回復薬を与える少年だ。野次馬の注目を集めないわけがなかった。
四人は逃げるようにその場を離れ、《東屋》へと向かったのだった。
☆ ☆ ☆
「ナツキ、どこや! どこにおる!? ……クソっ」
同時刻、ラムダはナツキを探して闇市を駆けていた。
爆発音を聞いて現場に駆けつけた時にはもう野次馬しか残っていなかったが、ナツキの目撃情報は多数得ることができた。どうやら魔剣絡みで何かしらの騒動に巻き込まれているらしいということも分かった。
「そんなんどうでもええわ! そのナツキが今どこにおるか聞いとんねん!」
「しっ、知らねえよ、どっか逃げてったよ! 何だよアンタ……」
「使えんやっちゃな、もうええわ!」
ナツキが今何に巻き込まれていようと関係ない。今ナツキを捕まえられなければ取り返しのつかないことになる、それだけが重要な事実だった。いや、既に取り返しのつかない時点は過ぎているのかもしれなかった。先日のエロ本騒動で一喜一憂していたのが馬鹿らしくなるほど、それは世界を揺るがしかねない一大事だった。
しかし不運なことに、ナツキはカイに先導されて人目につかない枝道を通っていたため、ラムダとナツキが出会うことはなかった。
「何で……何でこのタイミングなんや……」
リモネにもセイラにも繋がらない通信機を握りしめ、ラムダはあまりにも不幸な偶然を呪った。
「ナツキ、ホンマに世界を滅ぼしかねんで……!」