命の天秤 Ⅲ
道の突き当たりには一回り小さな洞穴があり、槍を持った人間が前に立っていた。事前にカイに教えてもらったところによれば、《東屋》の番兵だ。
「なっ――そこの子供、止まれ!」
ナツキはかなりのスピードで駆けている。当然不審者と思われ槍を向けられた。無視して脇をすり抜けることは可能だが、その先にある扉は番兵にしか開けられないと言う。素直に足を止めて手を挙げた。
「ボクはナツキ! カイに呼ばれて来たんだけど、通っていい?」
先に別ルートで到着しているはずのカイが、ナツキという名の子供が来たら通すように、と向こう側から言い含めておいてくれる手筈になっているのだ。
番兵は驚いたように眉を上げ、
「……お前が『ナツキ』なのか? ただの子供ではないか」
「そうだけど……カイ、ボクのことなんて説明したのさ?」
「カイ? 何の話だ? そも、この抜け道の使用は予約制だ。得体の知れぬ子供を通す訳にはいかんな。どこから忍び込んだか知らんが、早々に立ち去れ」
「え!?」
話が違う。カイが何かしくじったか、指令の伝達ミスがあったのか。
こうなっては強行突破するより仕方がないか、と番兵の背後にちらっと見える扉を確認した瞬間、
――バァン!
「何奴、ぐあっ!?」
その扉が勢いよく開き、向こう側から何者かが転がり出てきた。番兵が咄嗟に突き出した槍は、闖入者が低い姿勢から抜き放った剣に弾かれ宙を舞った。そのまま前転の勢いで立ち上がり、番兵の首筋に峰打ちが入る。番兵は昏倒した。
流れるような見事な剣技を披露したのは、全身血だらけの少年だった。つい先程別れたはずの――
「カイ!」
「ナツキ、無事……だった、か」
「ちょ、何があったの!? ボロボロじゃん!」
「……すまない、しくじった……想定外の強さだ、あれはあまりにも……人の域を超えている。だからお前も逃げろ、奴にとってハロはただの人質だった、本当の標的はナツキ、お前だ――」
「待って、落ち着いて!」
カイは今にも倒れそうにふらふらと揺れながら、うわ言のように何度も逃げろ、逃げろと繰り返した。あの自信に満ちていたカイがここまでやられるとは、どれほどの力の差を見せつけられたのだろうか。
しかし逃げるわけにはいかない。たった今その理由が一つ増えた。
「ハロは人質だった、って言ったよね。そいつにハロは捕まったの? 生きてるんだよね?」
「ああ、捕まった、死んではいない……が、それはもういい、今考えるべきはナツキ、お前の」
「いいわけないでしょ!? カイをこんなボロボロにした奴に捕まって、ハロが何されるか――」
「ギフティアだったのだッ!」
突然カイは叫んだ。ナツキの言葉を遮って上書きするように、悲痛な声で。
「ギフティア、だったのだ。ハロは……」
「え……? でもだって、ハロには首輪が」
「知らん! しかし実際、ハロは魔武具を売っていた! ハロが打ち上げてから売るまで、一度も他のラクリマの手には渡っていないにもかかわらずだ!」
「……そっか」
その可能性は何度も考えた。それなら外部の黒幕の存在を仮定しなくて済み、最も自然な形になる。ただアイシャも指摘したように、ハロには首輪が付いている。そのためひとまず可能性からは除外していたが――アイシャが首輪を外してしまったように、何事にも例外はあるのだ。
しかし、だから何だと言うのか。ハロの話も聞かずにハロが悪いと決めつけられるのか。
「ハロを運んでいた四人の男、奴らも無関係だ。自分達が魔武具を売っていることなど一切気づかないまま、庇護欲の赴くままにハロの面倒を見ていた馬鹿共だ。運搬中一度も武具の箱は開けていないと証言している」
「……カイ」
「ハロはギフティアだったのだ。信じ難いが《塔》の登録ミスだったのだろうな。もはや我々にハロを助ける理由など」
「カイ!」
パァン、と張り手を一発、カイの頬に叩き込んだ。
満身創痍の体にさらに攻撃を入れることに躊躇が無かったわけではない。だがしかし、そうせずにはいられなかった。
「……何を」
「何でそんなこと言うの」
「…………」
「ハロがギフティアだから、それで何? ボクを狙ってるそいつは、ギフティアだったらめちゃくちゃ優しく接してくれるの? 工房に帰るより幸せにしてあげられるの!?」
「……少なくとも殺しはしないだろう。お前を釣り出すための人質とはいえ、不要になろうと《塔》に提出すれば多額の金が」
「そんなこと聞いてないよ! カイはそれでいいの!? ギフティアだったから、はいそうですかって家族を見捨てられるの!?」
「家族などではない! ハロは父上が闇市で購入した奴隷だ! いいや、奴隷だった! ラクリマはギフティアだと判明した時点で所有権は《塔》に移る、それくらいお前も知っているだろう! ギフティアの隠匿は重罪で」
「じゃあ何でカイはそんなボロボロなのさ!?」
「っ――」
あれやこれやとハロを助けない理由を並べ立てていたカイの舌が、止まった。
「ハロを助けようとしたから、でしょ?」
「……違う。オレは確かめに行ったのだ。オレが到着した時にはもうハロは攫われていて……本当にハロがギフティアなのか、この目で確かめるために」
「魔武具っていう物的証拠があるのに?」
「…………」
「確かめに行って、返り討ちにあったから、もう確かめなくていいの?」
「……やめろ」
「ハロはどんな状態だった? 死んではいないって言ったよね、ってことは意識もあったのかな? カイを見てどんな顔した?」
「もうやめてくれッ!」
叫びが空間に木霊し、ナツキは追及を止める。
残響が消え、カイは泣きそうな顔でナツキを見た。
「……オレはヒルネを残して死ぬわけにはいかんのだ」
「…………」
「贖罪なのだ。母上への贖罪を終えるまで、オレは死ねない! 《塔》に逆らい罪を犯すなどもっての外だ! 資金源たる工房を潰すわけには、いかんのだ!」
「ボクはお母さんのことは何も知らないけど……そのためならハロは見捨ててもいいの?」
「っ……ナツキ、命の重さは……平等ではないのだ。二つを天秤にかければどちらかに傾く。綺麗事だけで人の世は回っていない。今ここでオレを殺さねば自分が死ぬとなれば、お前だってオレを斬るだろう?」
「……そうだね。でもずっと後悔し続けるよ。そんな状況を回避できなかったことを、ずっと」
「そうだ。オレはもう、十二年も後悔し続けている」
十二年。それはカイの妹ヒルネが眠ったまま生まれ落ち、眠り続けている時間だ。
「お前の言う通り、オレだってハロを見捨てたくなどないのだ。オレの命や工房の未来そのものとハロの命を天秤にかければ、ハロに傾く。当たり前だろう! 血を分けていなくとも、たった二年共に過ごしただけであろうとも、ラクリマであろうとも! ハロはオレの家族だ! だが!」
「…………」
「だが……オレの命や工房の未来には、ヒルネの命がぶら下がっているのだ。ハロが家族なら、ヒルネはオレの生きる理由、存在を許されている理由だ。だから……仕方がないだろう」
ハロを助けるには強敵を倒す必要がある。自分は強敵より弱く、死ぬ可能性が高い。自分が死ねば妹も助からない。何よりも大事なのは妹だから、ハロは助けられない。そういう論理だ。
それは確かに筋が通っていて、その天秤の傾け方に事情を知らない他人が文句をつけることはできないだろう。
しかし、だ。
「カイ、忘れてない? ここにはボクもいるってこと」
「……なに?」
「教えてよ、ハロの居場所。ボクを釣り出そうとしてるなら、お望み通り乗ってやろうじゃん。で、そいつを倒してハロも助けて、ギフティア云々についてはそれから考えよう? 《塔》のギフティア部隊に入らなきゃいけないにしても、みんなとちゃんとお別れさせてあげないとかわいそうだし、それに……」
「ま、待て待て待て! 何を言っている!? このオレが本気を出して全く歯が立たなかった相手だぞ!? オレと互角程度のお前が挑んだところで」
「互角?」
一瞬で剣を抜き、カイの首筋でピタリと止める。
「……っ!?」
「ダストシュート下で軽く打ち合ったときのことを言ってるなら、そりゃそうだよ。本気で戦ったら、誤解も解けずにカイが死んじゃってたもん」
ナツキの動きに全く反応できなかったカイは、冷や汗を垂らしながら、いつの間にか首筋に触れていた剣の腹に視線をやった。
「自分で言うのもなんだけど……ボク、結構強いんだよ?」
「は、はは……そのよう、だな」
引かれてしまっただろうか。しかしこうでもしなければ、カイは引きずってでもナツキを連れて逃げようとしただろう。
剣を鞘に戻し、笑いかけた。
「大丈夫、任せて。ハロをちゃんと助けてくるよ」




