命の天秤 Ⅱ
「はーいどうもおチビちゃんたち、ちょっと止まってくれるかなー?」
ハロの乗った荷車を追っていたナツキとアイシャは、突如現れた謎のひょろ長男に足止めされていた。
ピッシリとしたスーツ状の衣装に身を包んでいるが、手にはトゲだらけの長い鞭を持っている。少なくとも友好的な印象は受けなかった。
立ち居振る舞いはあまり戦闘慣れしているようには見えない。しかし――
「……結界」
《気配》術で探ってみると、男とその向こうのハロ達との間に不可視の壁ができている。今いるのは断面積のかなり広いトンネル状の地下道だが、隙間なく進路を塞がれてしまっていた。
この男が張ったのか、魔道具――聖片によるものかは分からないが、ナツキ達をこの先へ行かせないようにしていることは確かだ。
「何か用? ボクたち急いでるんだけど……」
「おーっと、つれないねえ。まあ、別に僕のことなんかスルーしても構わないけどさ」
「……?」
ならなぜ出てきたのか。その結界は何だ。
訝しむナツキの前で、男は芝居がかった仕草でくるりと一回転し、足元を指し示した。
「はーい、こちらをご覧くださーい」
途端、何も無かったはずの地面に等間隔の穴が開き、ガタガタと音を立てながら何かがせり上がってきた。
「なっ……!?」
せり上がってきた物が何か、それは見ればすぐに分かった。
木製の大きな十字架が、十本。
そこに磔にされた、幼い少女が十人。服は着ておらず、当然のように全員に獣耳と尻尾が付いていた。
涙を流しながら呻く少女達の四肢は、大きな釘で十字架に打ち付けられ、赤い血がどくどくと滴り落ちている。全員まだ生きているようだが、このまま放置すれば数時間ももたないだろう。
「ひ、ひどいのです……」
ナツキはあまりの光景に絶句し、アイシャは震える指でナツキの裾を摘んだ。
それを見て、スーツの男はケタケタと笑う。何が面白いのか。
「これはねー、あんまりにも役立たずだから廃棄処分することになった、感染ラクリマの奴隷!」
楽しそうに言いながら、鞭を振るう。男の近くの十字架に架けられていた猫耳のラクリマの太ももに当たり、血飛沫が力ない悲鳴と共に散った。
「お前ッ――」
「あ、僕に攻撃すると十字架全部爆発するからねー。分かる? どかーんだよ、どっかーん! や、別に僕はいいんだけどね? 何なら一つ爆破しとく? どの十字架にしよっかなー……」
「待て、やめろ!」
ハッタリかどうか、男の様子からは判断できない。男の意識が途切れたら自動で起動、なんて仕掛けになっているのであれば《気迫》術も使えない。人質が一人なら爆破前に助けられるが、10人も並べられてはどうしようもない。
――迂闊に動けない。
「はーいはい、分かってくれたかな? あ、そうそう、この抜け道は今日はキミ達だけしか通らないことになってるからさ、ゆっくりしてってよ」
誰かが発見して加勢してくれることもない、と。随分と用意周到なことだ。
「あーあー全く、怖い顔しちゃってさー。まるで僕が悪いヤツみたいじゃん、ひどいなあ。ドールはともかく、戦闘適性もないラクリマなんて奴隷になるくらいしか存在する価値もないのに、こいつらはそれすらできない役立たずなんだよ? そこで僕がおもちゃとして存在意義を与えてあげてるわけ。わかる? おもちゃで遊んでるだけだよー、僕」
心外だとでも言うように男は溜息をついた。
きっとこの男には何を言おうと無駄だ。倫理観なんて欠片も持ち合わせていないのだろう。彼にとっては十人のラクリマの命など本当にどうでもいいのだ。
そして――ナツキやアイシャにとってはそうではないと、彼は分かって行動している。一体何故、何のために、誰の指図で?
「それで何だっけ、あーそうそう、廃棄処分なんだけどさ、ただ廃棄処分するだけだと何も面白くないじゃん? やっぱ感染個体はさ、人みたいなこと考えられるから……死の恐怖ってやつ? 感じられるんだよね! だからさ、こうやって全員並べて、毎回ルーレットで順番決めて、一匹ずつ殺してくことにしたんだ。みんなどんどん人間みたいに死にたくないーって泣き叫んでさ、いやほんっと、面白いのなんの。あははは!」
心底楽しそうに男は笑う。アイシャが怯えたように身を寄せてきた。
「狂ってる……!」
「あはっ、そう、狂っちゃうんだよね。元々30匹くらいかな、いたんだけど。この残った10匹、もう何やっても面白い反応しなくなっちゃってさあ」
「そういう意味じゃない! お前、何が目的で――」
「まあまあ聞いてよ。ほらこのちっちゃい玉、Ⅰ型燃料って言うんだけど知ってるかな? ドール用のご飯なんだけどさー、お腹の中で割れて栄養満点ジュースがどばーって出てくるのね。はい、あーん」
男はナツキも見覚えのある球体を一つ懐から取り出し、猫耳のラクリマの口に入れた。ラクリマは抵抗せずそれを飲み込み、やがてゴポッ、という音と共にやせ細ったおなかの上部が少し膨らんだ。
「何を……?」
「……! や、やめるです! それは!」
アイシャが何かに気づいたように叫ぶ。男は笑いながら、懐から同じ球体をいくつも取り出した。
「お、君もやられたことある口? まあ定番だよねー。安いし汚れないしドール運用規則にも抵触しない……手頃なお仕置きとしては丁度いいんだよね。はーい、二つ目ー、三つ目ー、四つ目ー、」
同じラクリマの口にそれを入れていく。それに伴いゴポッ、ゴポッとラクリマのおなかは膨らんでいき――
「――! おい、まさか」
「――五つ目。ほら見て、成長度8から10くらいだとこの辺が限界なんだよ」
「やめるですっ、それ以上はもう、その子が――」
五つの燃料を飲み込まされたラクリマのおなかは、まるで巨大なスイカを丸のまま詰め込んだかのようにパンパンに膨れ上がり、見ただけで破裂寸前であることが分かる有様になっていた。へそは裏返り、皮膚の表面には青い血管が浮いて見えている。
ラクリマはヒューヒューと苦しそうに細い息を繰り返しているが、虚ろな表情のまま助けを乞うこともしない。もう完全に諦めてしまっているのか。
男はその風船のようなおなかを指先でつつきながら、心底楽しそうに言葉を続けた。
「とまあこんな感じでさ、順番に六個ずつ食べさせてあげたわけ。最後の晩餐くらいおなかいっぱい食べなきゃね。あはは、僕って優しい! いやほんと六個目を食べさせるの大変でさあ。でも無理やり飲み込ませて、パーンって破裂するまでの数秒間のあの絶望の表情……ゾクゾクしちゃうよね! ラクリマなんて人間どころか生き物ですらないのにさあ。……ねえ、君は最期の瞬間、一体どんな絶望を咲かせてくれるんだい? ――そう君だよF0-A0021、アイシャ=エク=フェリス」
「ひっ……嫌っ……」
狂った長台詞の最後に突然ぎょろりと視線を向けられ、アイシャが恐怖に一歩後ずさった。
目の前の狂人を今すぐ殴り殺したい気持ちをどうにか押さえ込みつつ、アイシャの手を握る。
「(落ち着いて、アイシャ。相手のペースに乗せられちゃダメだ)」
「(で、でもっ)」
「(こいつの目的はあの子たちを殺すことでも、ボクたちを殺すことでもない。……時間稼ぎだ)」
男の行動からは、ナツキやアイシャに対する敵意、害意は読み取れない。狂った嗜好をペラペラと語り聞かせるだけで、ラクリマたちの命と引き換えにナツキ達に何かを要求しようともしない。
彼はただ単に、放置すると死ぬラクリマというナツキ達が無視できないオブジェクトを設置しにきたのだ。何のために? 決まっている、本当の標的は――
「ハロ……!」
「お、時間稼ぎだってバレちゃった? ま、いいんだけどね」
「お前ッ、何が目的だ!? ハロに何を――」
「ん、僕は別に何も? そのハロとかいう奴のことも知らないし、10分くらい君たちと遊んでこいって言われただけなんだよね」
「言われた? 誰の命令だ!?」
「あっははは、言うわけないじゃん。んでさ、この10匹はもう反応しなくなっちゃったから、どうでもいいんだ。君たちにあげるから、あとは好きにしてよ。じゃ、またね! あーあとこれ、置き土産」
「は――」
一方的に告げ、追いかける間もなく男は姿を消した。地面に開いた穴に飛び込んだのだ。
同時に前方の結界も消える。そして男と入れ代わりに空中に放り捨てられたのは、回転しながら煙を細くたなびかせる筒だった。
「っ、爆弾!?」
「ひゃっ」
咄嗟にアイシャを抱き込んで離脱しようとするが、間に合わない。身体強化――
――バシュウッ!
爆弾ではなかった。筒が弾けて中から広がったのは緑色の煙だ。毒煙かと咄嗟に息を止めようとするも間に合わず、次の瞬間、目と鼻に鋭い痛みが走った。
「ゲホッ、カホッ、これ、催涙、弾っ……」
痛覚を遮断、視界と呼吸を遮る涙と鼻水を強制的に止める。身体の自然な防衛機構を止めるのは避けたいが――数秒で解決してしまえば問題ない。
「あ、あっ、なんでずか、ごれ、げほっ、ふぇ、なみだどまらなっ」
「アイシャ、ごめん! 受け身取って!」
「ふぇ――!?」
「あとアイオーン貸して!」
まだ細かな練気術による身体制御はできないアイシャを抱き上げ、煙の外へ投げ出した。同時に腰からアイオーンを抜き取る。
「回路展開、門再接続!」
磔にされた10人のラクリマ達も煙に巻き込まれ、涙と鼻水に塗れて苦しそうにしている。放置してナツキとアイシャだけ逃げ出す訳にはいかない。
「幽剣流虚の二、《扇》――」
活性化させた気を剣から溢れさせ、擬似的な質量を薄く生み出す。それは巨大な光の扇のように剣の周りに集まっていく。
「帝国騎士流礎の一、《閃光》!」
強化した腕で一閃、超音速で振り抜く。轟音と共に、洞窟の後方へと空気の塊が押し流されていった。
「っ――」
急激な気圧変化に目眩がする。本来洞窟のような閉鎖空間で撃つ技ではないのだ。だがそれでも、煙は晴れた。
気の力での制御を止めた途端に溢れてきた涙と鼻水を拭いつつ、前方を確認する。投げ飛ばされたアイシャがよろよろと立ち上がったところだった。
「けほっ、アイシャ、大丈夫!? 怪我は……」
「けほっ、げほっ、らいじょうぶ、なのれず……そ、それより、その子だちを助けるです!」
「うん!」
近くの十字架に駆け寄り、少女の体を貫いて十字架に刺さっている釘を観察する。
「ご丁寧に返しまで付けやがって……!」
簡単には抜けないようになっていた。無理やり引っこ抜けばラクリマたちの体を深く傷つけてしまう。
「釘の頭を切って逆に抜くよ。アイシャも!」
「は、はいです!」
アイオーンをアイシャに返し、自分の剣を抜いた。その刃を見た兎耳のラクリマがビクリと震える。
「大丈夫、じっとして。今助けてあげるからね」
釘の頭を切り落とすくらいなら、気を通せない普通の剣でも可能だ。だがすぐそばにあるラクリマの体を傷つけないように気をつけながら振らなければならない。一振り一振りに精神がすり減っていく。
四肢の釘の頭を処理したら、次は体を十字架から外さなければならない。
「ぁ、あっ、っ」
「ごめん、ごめんね、痛いけど我慢して……」
なるべくそっと抜いたものの、全く体組織を傷つけないのは不可能だ。血が吹き出してしまう。
「今はこれしかない……!」
ローブを脱ぎ、破って即席の包帯にして止血していく。
少女の虚ろな瞳が、ナツキの方を向いた。
「……なん、で……たす……け」
「困ってる人がいたら助ける、当たり前でしょ!」
「わた、し……らくり、まで」
「もうそれは聞き飽きたよ! すぐ回復薬もらってくるから、頑張って、ちゃんと生きて!」
すぐもらってくるとは言ったが、10人全員を十字架から外して応急処置をし、全員分の回復薬を調達して戻ってくるまで、果たしてこの重症のラクリマ達の命はもつのか。ハロのことはどうする? あの狂人が時間稼ぎをしたのは何のためだ? こうして救命に大幅な時間を食わせるのが彼の計画だろう。
分からない。どうしようもない。ここにはナツキとアイシャしかいないのだ。命の優先順位を付けなければならない。そんなことできるわけ――
「クソっ……」
「ナツキさんっ!」
気がつくと、アイシャがすぐ隣に立っていた。
「アイシャ……?」
「ここはわたしに任せてくださいです。ナツキさんはハロちゃんを助けに行くです!」
「っ……任せてって、どうするの!?」
「……声が、聞こえるです。大丈夫なのです、わたしがなんとかできるです!」
「声? それって」
「あの時と同じ声なのです。ナツキさんに、早く行け、間に合わなくなる、って言ってるです。だから……!」
あの時と同じ声。それはつまり、アイシャに回路展開を教え、ナツキにも不可能だったラクリマの首輪の解除方法をも伝授した存在だ。
それが信頼できる者なのか、判断材料は無に等しい。しかし――
「――分かった。ボクはアイシャを信じるよ」
「はいです!」
対等な立場で、アイシャが任せてくれと言っているのだ。ここで信用出来ずして何が相棒か。
一つ頷いて、ナツキは闇市の方角へと駆け出した。
ハロの荷車は、もうとっくに見えなくなっていた。
☆ ☆ ☆
――ふふ、あいしゃ、しんらいされてるね。
「そ、そうなのです? そうだったら嬉し……じゃなくて、どうするです!? どこで回復薬がもらえるか、知ってるです!?」
――だいじょうぶ。かいふくやくはいらないよ。
――あいしゃ。ちょっとだけ、からだ、かりるね。
「ふぇ!? 体を借りるって……というか、あなたは一体」
――いつもはだめなの。あのこにみつかっちゃうから。
――でもいまは、いまだけは、だいじょうぶ。なんでかわからないけど……いとが、ほどけてる。
――さーばが、おちてるのかな?
「な、何を言ってるのかわからないのです!」
――ふふ、だいじょうぶ。こわがらなくていいよ。
――これまでだってなんども、やったことだもん。
――あいしゃは、おぼえてないけどね。
「覚えて、ない……? 何のことなのですか」
――じゃあ、ほんのちょっとだけ、おやすみ、あいしゃ。
――なつきおにーちゃんに、よろしくね。
「ふぇ、あ、れ……ねむくなっ……て……」