Noah/κ - ハロの行方 Ⅲ
「……おい、本当に来るんだろうな?」
「しーっ。もうすぐだよ、静かに!」
口に人差し指をあててこちらを睨んだのは、傍らで小さな身を屈めて姿を隠す少女だ。少女は無言のまま視線をもう一体の――もとい、もう一人のラクリマに向けて頷いた。それだけで何かが通じたのか、一本向こうの柱の影にいるラクリマは真剣な顔で頷きを返した。
ここはカイ自身も頻繁に使う工房からの脱出口――工房内に点在するダストシュートの先、武具を作る過程で廃棄された鉄くずや木くずの集積地だ。屋敷の地下に位置し、闇市に通じる貴族特区の地下ネットワークに繋がっている。
工房で唯一弟子と認められたラクリマであるハロ=クト=ペロワは、あろうことか闇市で武具を売り捌いているらしい――というのがこの同行している二人の少女、ナツキとアイシャの主張なのだが、正直なところ全く信じていなかった。
何せ、ハロは鍛造の技術は飛び抜けて高いものの、身体は工房で最も小さく、作った武具をシンギのいる二階まで運ぶことすら覚束無いのだ。さらに闇市への道のりはかなり複雑であり、子供の足でそう簡単に往復できる距離でもない。しかし――
――ガシャン!
「――ほっ、と、とっ……うわわっ」
「っ……!」
やがて天井の穴からロープと共に落ちてきたのは、フーデッドローブを目深に被った小さな子供だった。
子供はうずたかく積まれた鉄くずの山の上に着地し、バランスを崩して転びそうになり、慌てて腕をぐるぐる振り回して踏み留まった。大したバランス感覚だ。
そしてカイは見てしまった。わたわたと動く上半身につられて、フードから鮮やかなオレンジと白の髪がふわりとのぞくのを。
「ハロ……まさか本当に……」
いや、落ち着け。ハロが度々工房を抜け出していたのは元より知っていたことだ。この後ハロがどんな行動を取るか、それを確認しなければ何も始まらない。
「んしょ、んしょ……ふぅ」
「……?」
ロープを回収しつつ鉄くずの山を下り、さあどこに向かうのかと思いきや、ハロはその場に腰を下ろした。膝を抱えて三角座りになり、きょろきょろ周囲を見回しながらそわそわしている。まるで何かを待っているような――
「……来た。やっぱりね」
ナツキが一人、納得したように頷いた。
「やっぱり?」
「たぶん荷車が一台、こっちに向かってるよ。人は四人。……大丈夫、ここにいれば見つからない角度」
「……荷車だと? この区域の廃品回収は朝のはずだぞ」
こんな時間にわざわざ回収に来るとしたら、盗人の類だ。廃品にめぼしい物がないか探りに来たのだろう。
程なくしてガタガタガタ、と車輪の音が小さく聞こえてきて、ナツキの言葉が嘘ではないと判明する。やがて現れた一台の荷車の周りには四人の人間がいた。人数まで完璧だ。
何故音も聞こえない時点で分かったのかと問いただしたい気持ちはあったが――そんな欲求はすぐに消し飛ぶことになった。
「あっ、来た! こっちだよ!」
「ハロちゃーん、待たせたな」
「……!?」
ハロが荷車を引いてきた怪しげな男たちに手を振り、一人の男がそれに親しげに応えたのだ。
「えっとね、ハロが作ったのはこれと、これと……」
「おお、今週もたくさん作ったな」
「うん、ハロがんばったよ!」
挨拶もそこそこにハロが指し示したのは、鉄くず山の一角だった。それに従って男達はくず山から何かを拾い上げる。
あれは……完成品の武具!
「っ!」
「カイ、待って」
思わず飛び出そうとし、ナツキに腕を掴んで制止された。
「止めるなナツキ、明らかに犯人は奴らだ、奴らハロを唆して……」
「待ってってば、刻印――魔武具を作ってる現場を抑えなきゃ意味無いでしょ! さっき説明したよね!?」
「ぐっ……」
小声で窘められ、言葉を飲み込む。
確かにそうだ。どうせあの不届き者共は主犯ではないただの使い走り、裏で糸を引いている者がいるはずなのだ。《塔》に黙ってギフティアを飼い殺しにしている、真の黒幕が。
「ハロはきっとさ、自分の打った武具が魔武具になってることは知らないんだよ。でも今見た通り、ハロが事件に加担してるのも事実なわけで……そうなると、黒幕をボク達で見つけて《塔》に突き出すくらいしか、ハロを助けられる方法がない」
「う、うむ……そうだったな」
ならばこの男達を捕まえて親玉の情報を吐かせるのはどうだろうか。……いや、この男達ですらただの運び屋で、魔武具や依頼主のことなど知らされていなかった場合に情報の糸が切れてしまう。
「にしても毎度毎度ヒヤヒヤするぜ。ハロちゃん以外が待ち伏せてたらどうしようってな」
「だいじょうぶ! だってだって、ひみつのぬけ道のことはハロとカイお兄ちゃんしかしらないもん!」
「そのカイお兄ちゃんに見つかったら一巻の終わりなんだぜ、ハロちゃん?」
「ふふん、この時間はカイお兄ちゃんはししょーとおしごとだもん。ぜったいだいじょうぶだよ!」
「その言葉、信じるからな……? よっ、と」
今まさにそのカイお兄ちゃんが物陰にいることなど露知らずにハロは笑い、男達は武具を荷車の木箱に詰め込んでいく。その武具はどれも、工房の品として売るには装飾が足りないが、実用に問題があるほど中途半端な出来でもなかった。
再利用不可能な鉄くずを捨てることはあれど、実用可能なもの、あるいは鋳溶かして再利用できる武具をダストシュートに放り込むようなことはしない。……そう、ダストシュートを運搬経路に使う場合を除いては。
「検定に出してくる武具が少ないのは、こだわりが強いからではなかったのか……」
「こだわりが強いのは本当じゃない? 会心の作品を提出して、余った作品をどうするか悩んでたところに、誰かから唆されたのかも……」
ハロは打った武具の一部をわざとこっそりダストシュートに捨て、闇市で売りに出すためにここで回収してもらっていたのだ。ナツキはそれを予想し、ここで待ち伏せする作戦を提案した。
「しかし、何故だ? わざわざ闇市などで売らず、その時間で打ち直して工房の販売所に並べれば良いものを。値が倍は変わるぞ」
「魔武具にすること前提の値段で買われてるか、あとは……」
「あとは?」
「…………いや。それを確認するためにも、まだ泳がせて様子を見ないとね」
ナツキは何かを言いかけて止めたように見えた。少し気になったが、ハロが荷車に足をかけて乗り込んだことで思考が中断される。
「それが空のやつだぜ」
「うん、ありがとう!」
男が指し示したのは、荷車に乗っている大きな酒樽のうちの一つだった。ハロは何故か固定されていないその蓋を開けると、
「よい、しょっと」
「……!?」
慣れた動作でその中にすっぽりと入ってしまった。
知っている――これは平民区の者が貴族特区に不法侵入するときの常套手段だ。ナツキの言った通り、ハロも闇市へ向かうようだ。
「う~。やっぱりくさいよ、これ」
「そう言うなよ、今回はそれでもちゃんと洗ったんだぜ?」
「むー……どうしてハロ、お外にいちゃだめなの? ここ、せまくてつまんないよ……。きぞくなら、かくれるひつようないんでしょ?」
「それ聞くの何度目だよ……あのな、抜け道の周りにゃ貴族のガキ目当てのバカがうようよいんの。俺ら腕っぷしはからっきしだから、おめーを守ってやることはできねーの。だから我慢してくれよ。いつも通り、喋るんじゃねーぞ」
「う……はーい……」
酒樽の中から聞こえてくるくぐもった不満の声に、男達は苦笑気味に返していた。こんなことをハロは何度も繰り返していると言うのか。
そして男達の口調からは、ハロを本当に心配しているような感情を読み取れた。それが素なのかハロに取り入るための演技なのかは分からないが、いずれにせよ彼らにハロを害するつもりはなさそうである。
……というかこの男達、ハロのことを貴族の子供だと思っているらしい。
「っし、これで全部だな。さっさとずらかるぞ」
「ウッス」
「うっす!」
「てめーは声出すんじゃねえっての」
武具を積み込み終えると、男達は荷車を引いて元来た道を歩き出した。
「待……っ……」
思わず出かけた制止の声をすんでのところで引っ込める。窃盗と誘拐の現行犯として彼らを捕らえることは容易いが、やはりそれでは意味が無いのだ。
「カイ、計画通りに」
「……分かっている」
ここまでは完全にナツキが予測した通りだった。ハロがダストシュートを利用して武具を秘密裏に地下へ送っていることも、ハロには好意的な協力者がいて、武具と自分の運搬にはその協力者の力を借りていることも、全てはこの小さな8歳の少女が推察したことだ。
「ナツキ……お前、何者だ?」
「んー? ボクはただの《子猫の陽だまり亭》の看板娘だよ」
その言葉が真実を二割も語っていないだろうことは容易に想像がついた。
返すべき言葉が見つからずに口をパクパクさせるカイに対し、にっこりと可愛らしく微笑んだナツキはアイシャを連れて荷車を追っていった。
「見た目通りの子供ではないとは思っていたが、な。リモネの執心っぷりにも頷けるというものだ」
一つ溜息をつき、別の道へと歩き出す。ここからは別行動だ。
ナツキとアイシャがハロと男達を尾行し、運搬中に何者かと合流して武具に天使の力を注がないか監視する。その間にカイは《東屋》へ先行し、リモネに状況を伝えて協力を仰ぐ。後にナツキと別れたアイシャと合流、力を合わせてそういう段取りになっている。
リモネは仕事中に通信機で連絡されることを嫌い、カイには通信に必要な接続コードを教えてくれていない。そのためこちらから会いに行くしかなく、昼にもひとっ走りしてきたわけだが――
「……さすがに今は緊急と見なしてよいだろう」
支援要請を出しても、リモネがこの程度の重大事件で直接動くわけがない。軍令によって信頼できるハンターやオペレーターを動かすか、機密性が高いと判断されればギフティア部隊を動かすかもしれないが、いずれにせよ大きなタイムラグは発生する。今夜の行動の遅れで作戦が失敗すれば、《塔》が動き出したと知った黒幕は手を引き、ハロや運び屋の男達に罪を被せてギフティアと共に姿をくらましてしまうかもしれない。
リモネとの緊急連絡方法はただ一つ、リモネの通信機への接続コードを知っている者に通信を繋いでもらうことだ。
早足で歩きながら通信機を取り出し、接続コードを入力する。発信してしばらく経ち、接続が受領されたことを示す電子音が鳴った。おそらく世界に5人といない、リモネが直接通信を許している者のうちの一人――
「ボス、オレです、端末χです。今よろしいでしょうか」
『うぇっ、い、今!? あー……っと』
慌てたように言葉を返す通話相手は、カイが敬語を使って話す唯一の人物だ。今ここでカイが生きていられる理由をくれた存在でもある。
名前はセイラ。リモネの同僚で《塔》の研究員であり、表に存在が知られてはならない存在の筆頭格だ。
『き、緊急?』
何やら忙しそうだ。研究に没頭しているところを邪魔してしまっただろうか。
しかし緊急時は連絡網代わりに使っていいとセイラ本人に言われている。遠慮する必要はないだろうとカイは口を開いた。
「はい。今リモネが調べている魔武具の件について、リモネに支援要請を――」
『リモネ!? うう、こんな時に……あの子は今ダメ、絶対ダメ!』
「は!? いやこれ、魔武具を生む未登録ギフティアの件で」
『今そんなことに構ってられる状況じゃない! ごめんね、失敗しても怒らないからそっちでなんとかして!』
「そっ――」
――プツッ。
いつも冷静な彼女とは思えない一方的な拒否と共に、通話は切れた。しばし呆然としてしまう。
「……未登録ギフティア、しかも異能が異能、にもかかわらず『そんなこと』だと?」
これは、自分の知らないところで何かとんでもないことが起きているのではないか。そんな不安が胸を這い上がってくる。
「オレが考えても仕方ない……が、そうなると……戦えるのはオレとナツキだけ、か」
これでは闇市でリモネに直接コンタクトを取るのも難しいと考えるべきだろう。リモネの助力を得られないなら、ギフティア部隊はもちろん、軍やハンター達を動かすこともできない。アイシャは戦闘能力があっても人間に危害を加えることはできない一般ドールだ。
黒幕がいるなら当然その護衛もいるだろう。戦闘になったときハロを守れるのは自分とナツキしかいない。相手の人数によっては二人ではさすがに多勢に無勢だが――
「……やってやるとも。それが贖罪なのだから」
自分に言い聞かせるように呟き、カイは駆け出した。