ハロの行方 Ⅱ
部屋の中央、天蓋付きの大きなベッドのこちら側で、カイが大きな椅子に座っていた。手招きされ、部屋の威容に圧倒されながらもナツキたちはベッドへと歩み寄った。
「ヒルネちゃん、だっけ」
「ああ」
天蓋の下で仰向けに横たわっていたのは、カイととてもよく似た顔立ちの黒髪の少女だった。恐らく12歳程度、真っ白な顔に生気は無い。しかしその胸は穏やかに上下しており、彼女が確かに生きていることを主張していた。
「ヒルネや周りの器具には触れないでくれ。繊細な物が多いのだ」
「ん、りょーかい」
ベッドの脇には様々な医療器具らしきものが置かれていた。点滴台もあり、数種類の点滴のパックが細い腕に繋がれている。カイはそれを指差し、
「これがヒルネの食事だ。点滴と言ってな、血管に直接栄養を流し込むのだ」
「……うん」
「とても高価な物でな、工房の稼ぎの数割がこれに割かれているのだ」
「そんなに!?」
驚いてしまったが、よく考えてみれば日本でも点滴一本打つのに数千円はかかったはずだ。恐らく医療保険なんてものはなく、しかも技術の全てを《塔》が管理しているこの世界なら、とんでもなく高価であってもおかしくはない。
「昼に父上が、治療費など知ったことかと切り捨てたのをお前たちも聞いたと思うが……既にこの延命措置に多額の金を費やしてくれているのもまた、父上なのだ」
だが、とカイは首を横に振った。
「それで満足していては一生このままだ。このまま死んだように生き続けるなど……あんまりではないか」
「カイ……」
「治療法は分からん、あらゆる治療を試してみるより他に方法がない。しかしそれには金が必要だ。父上はもう諦めてしまっているゆえ、オレが稼ぐしかないと……そう思い、ハンターを始めた。下級貴族の子供がまともに稼げる仕事など特区にはなかったのだ」
貴族のカイが平民に混じってクエストを受けているのは、気まぐれでも道楽でもなかった。そこには切実な願いがあったのだ。
「幸いオレはある程度剣術を嗜んでいたからな、金はそこそこ溜まったぞ。上級回復薬を買って飲ませ、上級貴族御用達の名医を呼び、まじないすら試した、が……原因も治療法も、まだ何も分かっていない」
12年もの間こうして眠りながらも生き続けているのだから、魂が身体から切り離されているわけではない。そして上級回復薬は、ラグナにおけるものと同じであれば、致命傷すら回復し魔法的な呪いの類も解くことのできる最高位の回復薬である。それでも目覚めないとなれば……
「ナツキさん、助けてあげられないのです?」
「うーん……」
ヒルネの体に触れるなと言われてしまった以上、練気術士としてナツキにできることは無い。触れられたところで、ナツキに医療系練気術の知識はほとんど無いのだ。焼け石に水だろう。
「上級回復薬でだめなら……それはもう、起きてるより寝てる方がヒルネさんにとっては正常、ってことになるかな……」
「そんな……」
アイシャが耳を垂らして眉を下げ、自分の事のように悲しみを湛えた目でヒルネを見つめた。目の前に困っている人がいて、助けたいのに助けられないというのは……辛いものだ。
ふと、この世界に転生してすぐ、死にゆくラクリマを看取った時のことを思い出した。あの無力感を、カイはずっと背負っているのかもしれない。
「そう申し訳なさそうな顔をするな。望みは薄い、それくらいオレも分かっている。ヒルネはそういう身体で生まれてしまったのだと、諦めろと……何度となく言われたからな。今更同じ現実を突きつけられようと、どうということもない」
それは空元気というよりは諦念に近かった。無力感を味わい続け、その悲しみに慣れてしまったのだ。
しかしそうは言いつつも、カイの目にはまだ光があった。
「……でも、諦めてはいないんだよね?」
「うむ。オレは何としても、こいつを目覚めさせねばならんのだ。まだ試せていない高価な聖片もあるからな、金はまだまだ必要だ。それに、母上のためにもな……」
「お母さんのため?」
「ああ、いや……それはいい。それで何だ、オレが毎晩ヒルネに語りかけている理由だったか?」
「や、それは特に聞いてないけど」
母親のことは聞いて欲しくないらしい。露骨な話題逸らしに苦笑するが、カイは構わずヒルネに視線を向け、話し続けた。
「こいつは夢の世界で生まれ育った。お前の言った通り、寝ている方が正常なのだ。だが……もし夢の中でもこちらの声は聞こえていて、現実の世界も面白そうだと興味を持てば、起きてくるかもしれんだろう?」
「夢の世界、か。有り得ない話じゃないけど……」
カイに抱いていたイメージには似合わぬ、ずいぶんメルヘンな考え方だ。
「似合わんことを、と思っただろう」
「あはは……まあ、ちょっとね」
「で、でもその考え方、わたしは好きなのです。わたしも怖い夢を見たとき、ナツキさんの呼ぶ声に何度も助けてもらったです。きっとカイさんの声も届いてるです!」
夜、アイシャはたまにうなされていることがある。いつも名前を呼んで起こしてあげているので、その事を言っているだろう。
その熱弁にカイは目を丸くし、笑みを零した。
「はは、何、フォローはいらん。元よりオレの発案ではないのだ。今お前が言ったようなことを誰かが呟き、それをハロが拾ってオレを巻き込んだのだ」
「ハロちゃんがなのです?」
「ああ、元々はあいつがヒルネにその日のことを報告しに行きたいと言い出し、オレがいたずら防止に付き添っていたのだ。……今は逆転しているがな。正直、奴の無遠慮な明るさには随分と助けられている」
「……じゃあ今ボクたちに話してくれたことも、ハロは全部知ってるんだね」
そう確認を取った瞬間、室内を取り巻く雰囲気が変わった気がした。
「その通り――ゆえに、ハロが今回の事件の黒幕であるなど、オレには考えられんのだ」
「…………」
カイは目付きを鋭くし、いつの間にかヒルネから視線を外してこちらを見ていた。
「お前たちはハロを探してここに来たと言った。まさか遊び相手を探しに来た訳ではあるまい? 他の人間の鍛冶師達やメイド連中、ハロより頭も回り力も強い他のラクリマ達など眼中に無く、ハロを第一容疑者として動いていなければ考えられない迅速さだ」
「うん……そうだね」
「ラクリマ行動原則を理解し、本人とも交流した上でその行動を取るからには、何か決定的な理由がなくてはおかしい。そうでないなら、ハロに罪をなすりつけようとしているようにしか――」
「っ――」
「ナツキさんはそんなことしないのですっ!」
ナツキが何かを言う前に割って入ってきたアイシャの怒声に、ナツキは驚きを隠せなかった。
「アイシャ……」
彼女が感情を露わにしたことはこれまでにも何度かあった。しかし他人のために明確な怒りを表明したのはこれが初めてのはずだ。
意図してのことではなかったのだろう、アイシャはすぐに我に返り、わたわたと慌て始めた。
「あ、わ、ごごごめんなさ……」
「いや、いい。すまん」
ナツキ以上に驚いていたはずのカイは、すぐに表情を冷やして謝り、静かにアイシャを見つめた。
「工房外のラクリマ、しかも感染個体とは言え調整済みのドールで、このレベルの自己主張……ふん、すべてお前の人徳の為せる業ということか、ナツキ」
「やめてよ、そんな大した徳は積んでないし……それに感染とか調整とか関係ない、アイシャはアイシャだよ。アイシャとボクは友達だって、最初にそう言ったでしょ?」
「……そうだったな」
「でもってアイシャの言う通り、誰かの罪をハロに押し付けて解決しようなんてこと、これっぽっちも考えてないからさ。そこについては安心してよ」
そう告げた途端、カイの目つきが再び鋭くなった。真意を探るようにじっとこちらを見据え、
「ふん、ならば聞かせてもらおうか。ハロが行動原則を破り、どこぞの悪人と手を結び、非正規の魔武具に使われる素材を大量に横流しし、所有者である父上の工房の評価を落とすような真似をしたと考える、その理由を」
きっと、妹の紹介なんて言ってナツキたちを部屋に招き入れた時から、彼の中で本題は決まっていたのだろう。彼は今、ナツキ達の隠している情報を引き出し、自分のスタンスを明確に定めようとしているのだ。
――ならばまずは、誤解を解くことから始めようか。
「あのね、カイ。ボクの推測が正しければ、ハロは行動原則を破ってないし、悪人とも手を結んでないし、魔武具なんか知ったこっちゃないし、工房の評価を落とそうとも思ってないよ」
「何? それでは話が――」
「でも、事件に関わってないわけじゃない。このままだと遠からず、犯人はハロってことになる。だからボク達は、ハロを守るためにハロを探してるんだ」
その言葉にアイシャは微笑み、カイは訝しげに眉を寄せた。
もう推測のためのピースは揃っている。しかしそれを推測ではなく推理とするには、証拠という中継ぎのピースを集めなければならない。
「カイも一緒に行く? ハロを追いかけて……本当の黒幕を探しに、さ」