刻まれた紋章
案内のお礼を言って二人と別れ、他の鍛冶師や見習い達にもそれとなく魔武具の話題を振って回ってみたが、収穫はほとんどなかった。噂自体は知っている者も多かったが、現物を見た事のある者はいなかった。
一度少し踏み込んでチューデント工房の裏稼業だったりしないのかと探りを入れてみたが、返ってきたのは大笑いだった。曰く、表稼業でめちゃくちゃ稼いでてめちゃくちゃ忙しいのに、そんな割に合わずしかも危ない仕事なんかするわけがない、と。なるほどもっともである。
「お前達、こんな所にいたのか」
鍛冶場の端で休憩していたナツキとアイシャに話しかけてきたのは、ムースに案内を押し付けてどこかへ消えていたカイだった。
「あ、カイ! 昨日もムースに倉庫番押し付けてサボったって本当?」
「何だ藪から棒に。……サボったのではない、取引をしたのだ」
カイは悪びれもせずそう弁明し、
「ずいぶん交流を深めていたようだが、何か収穫はあったのか?」
「んーん、何も。やっぱりカイの言う通り、チューデント工房は関係ない気がするよ」
「ふん、そうだろうな、うちの工房に後ろ暗いところなど何も無いのだから――と、言いたかったんだがな」
「カイ?」
何故か難しい顔になったカイは周囲をきょろきょろ見回し、「部屋で話そう」と手招きつつ、鍛冶場に入ってきた扉へと歩き出した。
アイシャと顔を見合せ、カイの後を追う。最初に入ってきた小さな部屋に到着するまで、カイは一言も喋らなかった。
「これを見てくれ」
ドアを閉めると、カイは前置きもなしに懐から一枚の写真を取り出した。ずいぶん無造作に扱っているが、この世界で写真は高価な物だったはずだ。さすが貴族である。
そこに写っているのは一本の曲刀だった。大して装飾に凝っているわけでもないが、量産品ほど簡素なものでもない。見覚えがあるような、無いような……ラグナで似た剣を見たのかもしれない。
「この剣がどうかしたの?」
「噂になっている魔武具のうちの一つらしい」
「えっ、これが?」
改めてよく観察してみるも、見た目はごく普通の曲刀でしかない。
いやしかし、やはりどこかで見たことが……
「どういう力がある魔剣なのです?」
「知らん。だが一つ言えるのは――この剣はウチの工房で打たれた物だ、ということだ」
「……え!?」
「見ろ。柄の部分に工房の紋章がある。偽造不可能な紋を彫り込む聖片を用いたものだ」
アイシャと共に写真を覗き込んで確認すると、確かに工房のあちこちで見たものと同じ紋章が小さく刻まれていた。
「でも……魔剣を作るにはギフティアが必要なはずだってナツキさんが言ってたです。ここにいたラクリマはみんなドロップスだったですよ?」
「鍛冶場にいた人達には全員話を聞いて回ったけど、嘘をついてるようには見えなかったよ」
「うむ、工房内で力が込められたとは考えにくい。外部の、たまたまこの工房の剣を手に入れた何者かが、後から魔剣にしたのだ」
魔武具の製造過程は二種類ある。鍛冶師と刻印士が共同作業で鍛造と同時に魔法回路を編み込んでいくものと、鍛冶師が打った普通の武具に後から魔法回路を埋め込むものだ。前者は難易度が高いが自由度も高く、後者はその逆になる。既存の剣が素材に使われているなら、明らかに後者だ。
「それは別にいいのだ。最初に言った通り、うちの工房の剣も使われていることは既に噂で知っていた。だが――そうも言えなくなってきた」
カイは再び懐に手を入れ、数十枚はありそうな写真の束を取り出した。それだけでものすごい金額になるのだろう、アイシャが目を丸くして驚いていた。
「先程リモネに渡されたものだ」
「リモネちゃんに? 来てるの?」
「違う。……リモネ絡みの案件で、お前達だけに手伝わせてオレが動かないわけにはいかん。詳細を聞きに闇市に行ってきたのだ」
「え、嘘!? ムースに仕事丸投げしてサボってたんじゃないの!?」
「お前はオレを何だと思っているんだ……まあいい、これを見れば事態の重さが分かる」
苦々しい顔で、カイは無造作に写真の束を机上にばらまいた。
剣、盾、矢、槍、斧、鎧――様々な種類の武具の写真だ。中でも剣が多く、次に槍か。白い布の上に置かれて一つずつ撮られたようである。
「もしかしてこれ全部……魔武具?」
「そうだ。昼頃、ついに《塔》が件の魔武具の回収に動きだしたそうだ。これは泡を食った信者共によって即座に《塔》に納められた品々らしい」
天使様の力を身近に感じられる、という理由で《塔》の信者にも人気、という話は本当だったようだ。
「まあそれはいい、結構なことだ。問題なのは……その全てにチューデント工房の紋章が彫り込まれている、ということだ」
「え!? ……うわ、ホントだ」
カイは写真に写っている紋章を指し示しながら、深刻な表情で細く息を吐いた。
「恐らく外部の何者かがうちの武具を密かに買い集め、工房の《塔》からの評価を落とすために騒動を起こしたのだ」
「ふぇ……恨まれるような心当たりがあるです?」
「ここまで工房が成長する過程で、父上は多くの競争相手を蹴落としてきたのだ。その逆恨みの線が濃いな」
「うーん……なるほど。でもそうだとしても、魔武具に関してはこの工房の責任じゃないよね?」
《塔》が許せないのは、武具の刻印ができるギフティアが未登録のままどこかに潜んでいることであり、その素材となる剣を打っている工房ではないはずだ。
「だとしても、まず《塔》が疑うのは工房の内部犯だ。一時的にでも《塔》の心証を悪くしてしまうのは……避けたい。むしろ騒動を利用して、こちらから犯人を《塔》に突き出して評価を上げたいのだ」
詳しくは語ってくれなかったが、貴族達にとっても《塔》は絶対の存在で、常にご機嫌伺いを絶やせないようだ。
カイは真剣な顔をナツキとアイシャに向けた。
「できれば、お前達にも協力を仰ぎたい」
「う、うん。元々魔武具の調査に来てたわけだし、それは構わないけど……」
ふと部屋の時計を見上げると、もう夕方だった。
このまま泊まり込み残業ということになれば、ラズやにー子が心配するだろう。一旦帰宅させてもらって明日また改めて、にして欲しいところだ。
そう伝えてみると、カイは何やら得意気ににふっと笑った。
「それについては心配いらんぞ。リモネの部下の男が《陽だまり亭》にお前達の状況を伝えに行っているはずだ。泊まりがけになるだろうとな」
「えぇ……」
随分な用意周到っぷりに苦笑する。カイはにー子のことなど知らないはずなので、リモネちゃんが手を回してくれたのだろう。部下の男というのはラムダだろうか。
「はぁ……一応軍の指名依頼だしね、しょうがない、手伝うよ。にー子にはまた怒られそうだけど……アイシャも大丈夫?」
「もちろんなのです! にー子ちゃんには一緒に謝るですよ」
「ありがたい。とりあえず今、父上が最近の取引履歴を洗っているところだ。それが終わり次第――」
とその時、ドタドタドタ、と慌てた様子の足音がカイの言葉を遮った。ナツキは思わず身構えるが、「父上の足音だ」とカイに手で制される。やがて勢いよくドアを開けて入ってきたのは、カイの言った通りシンギであった。
「おいカイ、写真を見せろ!」
「写真ならその机の上だ。……何か分かったのか?」
「いいや、有り得ねぇほどに何も分からん――クソッ、やっぱりだ。こいつぁヤベェ匂いがプンプンすんぜ……」
机にばらまかれた魔武具の写真と手に持った何かの資料とを交互に見比べ、シンギは苦々しい顔で不穏なことを呟いた。
「《塔》に提出されたブツ……どれもこれも、工房の名鑑に載ってねぇ。道理で見覚えがねぇわけだ、俺が検定してねぇんだからよ!」
「……何だと? だが工房の紋章は偽造不可能なはずだろう」
「そうだ。だがな、てめぇも知っての通り……紋章の刻印機は俺の弟子なら誰でも使えんだよ」
「っ――父上は犯人が内部にいると考えているのか!? 打った武具を検定に回さず、勝手に悪人に売り捌いていると!?」
「他に考えようがねぇ。何ならカイ……跡継ぎを嫌がっていつも工房を抜け出してやがるてめぇが一番怪しいんだぜ」
「父上!? オレはそんなこと……」
カイは反駁しかけた口を閉じ、悔しそうに歯ぎしりした。シンギの話に沿うならば、確かに仕事をサボって闇市を通って頻繁に平民区に来ているカイは怪しい。しかしリモネちゃんとも大きな繋がりがありそうな彼が、そんなことをするだろうか。
「カイ、てめぇはとにかくすぐ全員広間に集めろ、誰一人逃がすんじゃねぇぞ。夜の取引は全部キャンセルだ。……ああそれと、昼のチビ共。聞いての通りだ、悪ぃが家帰んのは明日まで待ってくれな」
それだけ言い残し、シンギは返事を待たずに部屋を飛び出して行った。
残されたカイが俯きがちに一つ溜息をついたのを見て、ナツキは声をかけた。
「カイ……大丈夫だよ、きっとシンギさんも本気でカイのこと疑ってるわけじゃないよ」
「……分かっている。本気ならオレはとっくに拘束されているだろうからな」
カイは顔を上げて強気に笑った。無理をしているのでは、という心配が顔に出ていたのか、「そんな顔をするな、大丈夫だ」と頬をむにむにこね回されてしまった。
「時にナツキ、お前は人の表情を読むのが得意だとリモネから聞いているが、本当か?」
「へっ!? ……あ、あー、そういうことか。まあ一応……」
これまでのリモネちゃんとの交流を思い返してみると、確かに彼女にとってナツキは謎に察しのいい幼女かもしれない。表情から色々と察することもあるが、それはリモネちゃんから放出される気を無意識に感情の判断材料に入れているからで、実質練気術なのだが――まあそういうことにしておこう。
「いいか、これからオレは工房の全員を広間に集める。そこで父上が話をするはずだ。その間ウチの連中……特に父上の弟子たちをよく見ていて欲しい」
「ん、様子がおかしい人がいないかどうかチェックすればいいんだね。任せてよ」
「ああ、助かる。広間は部屋を出て左の突き当たりだ、先に向かってくれ」
そう言い残してカイも部屋から駆け出していき、ナツキとアイシャだけが部屋に残された。
空間がしんと静まり返り――
「あの……ナツキさん」
ちょいちょい、とアイシャに裾を引かれ、ナツキは頷く。
「うん……そういうことに、なるのかな」
ナツキの視線は、机の上の一枚の写真に向いていた。
それはカイが最初に見せてくれた写真であり、何故だか見覚えがあるような気がする曲刀が写っている。
「この剣……やっぱりボク、見覚えがあるんだ。それも多分、ついこの間見たレベルで」
「……でも、わたし……信じられないのです。どうして……」
シンギの言う状況証拠から導かれる怪しい容疑者は、カイだけではない。夜中に工房を抜け出している者をナツキとアイシャはもう一人知っているし、それにその子は――剣を売っていた。
「ハロちゃん……」
闇市で彼女が「ハロの剣」だと言って売っていた商品の中にあった曲刀と、机の上の写真に写っている曲刀は、とてもよく似ていた。