幸せな生き方
それ以上、カイが妹のヒルネについて語ることはなかった。
回復薬でも治らなかったというのは上級回復薬も含めての話のようで、つまり魔法の類の影響でもないらしい。
本当にただ眠っているだけ、気絶しているだけなら叩き起す術は練気術にいろいろとあるが、十二年眠ったままとなるとそう簡単な話でもないだろう。あらゆる回復魔法に精通していたトスカナならともかく、ナツキがお節介で手を出しても何も出来ない可能性が高かった。
それよりまずは目の前の問題を片付けなければならない。
そう、このチューデント工房の魔武具密造疑惑の潜入捜査である。
「着いたぞ。ここが鍛冶場だ」
「わぁ――」
カイが開いた大扉の先には、外の庭とそのまま繋がっている広い屋根付きの空間があった。そこかしこにかまどが置かれ、屋根を貫いて何本もの煙突が伸びている。その脇ではたくさんの人々がカンカンと小気味のいい槌の音を響かせていた。
「すごいね。さすが貴族一の名工房」
「ヘーゼルさんのところよりずっと広いのです!」
「はは、そうだろうそうだろう。もっと褒めろ」
率直に感嘆を漏らすと、カイは途端に上機嫌になった。工房の主である父親とは反りが合わないようだったが、鍛冶師の家系であることに不満があるわけではないのだろうか。
「ずいぶんたくさん人がいるけど、みんなお弟子さんなの?」
「父上に認められた弟子はオレ含めて15人、他は見習いだ」
「見習い……」
「言わば弟子の弟子だな。弟子達に付いて雑用をしつつ、鍛冶を学んでいる者達のことだ。弟子それぞれに一人か二人……今だと丁度20人いるはずだ」
よく見ると確かに皆が皆武具を打っているわけではないようで、工具や金属の塊を持って駆け回っている者もいた。彼らが見習いだろう。
見習いの中にはなんと年端もいかない子供達もいる――と思いきや、その頭には人のものではない耳が付いていた。
「ナツキさん、あそこに……」
「うん、ラクリマ……だよね。カイ、あの子たちは?」
「定義上は奴隷にあたる。父上が闇市で落札してきたものだ」
「奴隷!?」
思わず食ってかかると、即座に落ち着け、と手で制された。
「定義上は、と言っただろう。扱いは他の見習いと変わらん」
「……そんなの表面上はどうとでも言えるよ」
「なら、話してみるといい。――おいムース、少し来てくれるか!」
カイが大きな声で呼ぶと、その視線の先にいた「奴隷」の少女は慌ててこちらへ駆け寄ってきた。
「はいっ、ムース、ただいま参りました!」
薄紫色の丸いクマ耳とふわふわのポニーテールが可愛らしい、アイシャと同じくらいの大きさのラクリマだ。作業着らしきベージュ色のオーバーオールを身につけている。首輪が付いているので《塔》には登録済みの個体だ。ムースと言うらしい。
ムースはカイの目の前にしゃんと立ち、キリッとした表情を見せている。が、
「オレに敬語はいらんと言っているだろう」
「ふにっ、ふぁっ、お、おやめくらはいまへっ」
ムースの頬をカイが両手でつまんでぐにぐにとこね始め、表情の鋭さはすぐにふにゃりと崩れてしまった。涙目でじたばたと腕を振り回すムースだったが、ふとナツキとアイシャに気づき、
「ふぁ……ひんいーはんれっは?」
カイに頬を摘まれたままだったせいで何も伝わらなかった。
「何だ、何も聞こえんぞ」
「……はらひへくらはいまへー!」
からかわれたムースは、ついに業を煮やしてポカポカとカイの体を叩き始めた。そしてそれを見たアイシャがヒュッと息を飲んで青ざめたのが分かった。きっとアイシャの常識では有り得ない、命知らずな行動なのだろう。
しかしカイは「すまんすまん」と笑って頬から手を離し、これで分かっただろう、とでも言いたげな視線を向けてきた。
「こいつはムース=ノウ=ウルス。見ての通り感染個体のラクリマだ」
「はい、ムースです! ウルスⅠ型のドロップスです!」
元気にそう自己紹介する姿からは、自分がラクリマであることに対する負い目やら劣等感やらの負の感情は一切感じられなかった。にー子と同じように、ありのままの自分を認めてもらえる環境で育つことができたのだろうか。
「あのあのっ、お二人は新入りさんですか?」
目を輝かせてずいっと顔を寄せてきた。なるほど、さっきの謎の台詞は「新入りさんですか」だったらしい。
「初めまして、ムース。ボクはナツキ。新入りじゃないけど、えっと……悪い貴族に捕まってたところをカイが助けてくれたんだ。ね、アイシャ」
「は、はいです。あ、わたしはアイシャ=エク=フェリスで、このナツキさんのドールなのです」
カイの立てた設定に沿って二人が自己紹介をすると、ムースは何故か少ししゅんとしてしまった。
「新入りさんじゃなかったですかー……やっと私にも後輩ができると思ったのに……」
口ぶりからして、現在この工房で一番新入りなのが彼女なのだろう。期待を裏切ってしまったようだが、今日ナツキ達は一日工房を見学することになっている。つまり実質見習いみたいなものだ。そう伝えようとしたが、それより先にムースが何かに気づいたように顔を上げた。
「あれ、ドール……って確か、神獣と戦うっていう……?」
「はいです、そのドールなのです」
「……すごいです!」
「わっ!?」
ムースは目を輝かせてアイシャの手を握った。心なしか鼻息が荒い。
「じゃ、じゃあもしかして、アイシャさんの腰にある剣って、ああ、あいあ、あいお」
「あ、アイオーンのことなのです?」
「やっばり! みみみみみっみ見せてもらってもっ!?」
「ふぇっ、えっと……危ないのですよ? 柄を握ったら寿命が」
「知ってます! 見るだけ、見るだけでいいんです、どうか! いやちょっと触るだけなら、むしろ寿命なんてくれてやります、だから舐めさせてぇ!」
「ふぇえええっ!?」
ムースのあまりの暴走っぷりにアイシャは混乱して目を回してしまい、ナツキも反応できずに硬直してしまった。そんな様子を見たカイはひとつ溜息をつき、
「ムースは生粋の剣マニア――いや、剣狂いだ。そいつに珍しい剣を渡したが最後、それはそいつの抱き枕になる。二度と帰って来ないと思え」
そんな補足を入れられ、アイシャはずざざざざ、とムースから距離を取ったのだった。
「もももも申し訳ありませんでしたっ、私、剣のことになると頭が爆発しちゃって……」
「あー、うん……爆発してたね」
「ちょっとびっくりしたです」
「あぅ……」
カイに一発チョップを食らって正気に戻ったムースは、すぐさまぺこぺこ懺悔モードになった。割とよくあることらしい。
しかし剣マニアと軽く言うが、それは紛うことなき「趣味」だ。つまりこの工房で働くラクリマ達は、本当に人間と同じような心の自由度を持っているのだ。
「えーっと、気を取り直して……はい、ここのキラキラ山が、剣の原料になる金属です。あ、壁の大きな穴はゴミ箱なので落ちないようにしてくださいね。それでこっちが――」
客人を困らせた罰として鍛冶場を案内しておくように、とカイに事づけられたムースは、張り切ってナツキとアイシャを先導してくれていた。しかし別れ際のカイの「してやったり」みたいな表情から察するに、カイの真の思惑は別にある。
「ねえムース……いつもカイに仕事押し付けられたりしてない?」
「えっ? そんなことないですよ! カイさまはちょっといじわるですけど、私たち見習いのことを誰よりも気にかけてくださっているんです。昨日だって、倉庫の見張りを代わっていただけたんです」
「そうなの? ふーん、サボってるだけじゃないんだ……」
「はい! 昨日は本当に幸せでした……倉庫でたくさんの剣に囲まれて過ごす一時、幸福と言わずなんと言えばいいのでしょう」
「んんん逆! 押し付けられてる! ムースやっぱりそれ仕事押し付けられてるよ!」
「ムースちゃん……大変だったらちゃんと言うですよ?」
「?」
ムースはこてん、と首を傾げた。何を心配されているのかよく分からないという顔である。
別に虐げられているわけではないのだろうし、本人は幸せそうではあるのだが……後でカイには代わりに一言申し立てておこう。
ムースがナツキとアイシャを引き連れて歩いていると、近くの鍛冶師達は皆視線を向けてくる。幼女三人衆がうろちょろしているとさすがに気が散るのかと思いきや、
「おう、新入りか? 丁度いい、姉御んとこにこれ持ってってくれ」
「お、ムース、これ姉御に差し入れな」
「いいところに来たな見習い共。これ、姉御に頼まれてた奴なんだが――」
三人まとめて見習い扱いされた挙句、揃いも揃って「姉御」とやら宛のおつかいを任されてしまった。到底ムース一人で持てる量ではなく、恐縮する彼女を押し切ってナツキとアイシャも手伝わせてもらったが……それにしても、
「あの人たち、身内の顔も覚えてないの!?」
「ごめんなさい、あれはその……人間の新入りさんはすぐ辞めちゃう人が多いんです。だから……」
「あー、入れ替わりが激しいから、見ない顔は逆にみんな新入りだと思われてるのか」
「そうなんです。皆さん、自分のお付きの見習い以外は見ても分からないんだと思います」
そもそも鍛冶場に関係者以外が立ち入ることなど滅多に無いのだろう。増してやムースと共に行動していたナツキとアイシャが見習いだと思われるのも無理はない。
「でも、何でそんなにみんなすぐ辞めちゃうの? カイが仕事押し付けてくるのはともかく、働いてる人達みんな楽しそうに見えるけど……」
「貴族の人間さんには働きにくい職場、らしいですよ? 優雅さが足りないー、とか。あ、あと私たち感染ラクリマが苦手な人間さんも多いみたいです」
「あー、そっか……」
そういえばここは貴族特区で、カイやその父親は貴族としては異端なのだった。ラクリマの扱いは平民と貴族で大差無いとリモネちゃんが言っていたし、ここで楽しそうに働いているのは皆カイと同じような「異端」の者達だということか。
「あの、ムースちゃんは……えっと、感染ラクリマのことが嫌いな人達のこと、どう思ってるですか……?」
言いづらそうにアイシャがそう聞くと、ムースはきょとんと目を瞬かせたあと、何かに納得したように頷いて、言葉を探すようにしながら話し始めた。
「んーと……ほら、クモさんっていますよね? 私、とっても苦手で……いい虫さんだって分かってても、絶対触りたくないんです。ねばねばの巣に顔から突っ込んじゃったときとか、もう最悪です」
クモ。特段苦手というわけでもないが、ナツキとて素手で触れるかというと結構躊躇してしまう虫だ。害虫を食べてくれる益虫ではあるものの、寝ている間に口に入ってこられたりすると嫌なので、家の中で見つけたらそっと外に逃がす、そんな感じの存在である。どうやらこの世界にもいるらしい。
「でも中にはそうじゃない人もいて……例えばあそこにいる男の人、クモさんが大好きで、すっごい大きなのをペットにしてるんです」
ムースが指差した先にいたのは、山のような鉄塊を軽々と運んでいる、刺青だらけで筋骨隆々の大男だった。確かにタランチュラを飼い慣らしていても違和感のない風体である。こちらに気づいたのか、ニカッと豪快な笑みを向けてきた。軽く会釈を返しておく。
ムースは彼に手を振り返しつつ、話を続けた。
「私たちはクモさんなんです。私たちのことが嫌いな人がとっても多いのは知ってますよ? でもその人たちとお友達には、きっとなれません。私がクモさんとお友達になれないように……」
「……それは、でも」
アイシャは何かを反駁しかけたが、少し考え、何も言わずに口を閉じた。
ムースの主張は極端だが真実を含んでいる。悲しいかな、好き嫌いはしばしば論理的な感情ではないのだ。
特に生理的嫌悪による拒否反応を論理で覆すのは難しい。そういうものだと刷り込まれて育った、その過去自体を塗り替えでもしない限りは意識改善が見込めない、そういう人々はかなり多くいるだろう。それはこの世界のラクリマの境遇を改善するにあたっての大きな壁の一つになると、ナツキも思っている。
黙り込んでしまったアイシャとナツキに、ムースは「でも」と続けた。
「この工房にはもう、私たちのことが大丈夫な人がたくさんいるんです。だからそうですね、アイシャさんの疑問に対する答えは……『どうでもいい』、です。私たちを嫌いな人のことなんて気にしません。好きな人たちのことだけ考えて生きるほうが楽しいですから」
「――っ」
息を飲むアイシャに、ムースは「回答になったでしょうか」と優しい微笑みを向けた。そこから伝わってくるのは、もはや達観を超えて信念とでも呼ぶべき、見た目の幼さに見合わぬ意思の強さだ。
調整時に成長が止まってしまうラクリマの精神年齢は見た目では判断できない。もしかすると、ムースが生きている時間はアイシャよりもかなり長いのかもしれない。
「その方が楽しい、か。確かに間違っちゃいないけど……」
ナツキは考える。
今ムースが結論づけたのは、根底にある人種差別は脇に置いた「幸せな生き方」の話だ。ラクリマに限らず人が人間関係のストレスに潰されずに生きていくための、「自分を嫌う人とは関わるな、自分を好きでいてくれる人を大事にしろ」論。
しかしそれは、言うは易しだが実践は難しい、自己肯定感の多寡によっても難易度の変わってくるやつである。さらに言えば、そもそもそれはある一つの前提のもとに成り立つ話で――
「あ、ほら、あそこにいるのが『姉御』ですよ! おーい『姉御』、みんなから差し入れとかでーす!」
ナツキの黙考は、ムースの元気な声に遮られた。
鍛冶場で姉御なんて呼ばれるからには、きっとそれが似合う気の強い大人のお姉さんなのだろう、ヘーゼルとどっちがそれっぽいかな、などと考えながら顔を上げ――それを見た。
「もう! ハロはアネゴじゃないっていってるのにー! むー……さしいれ、なーに?」
「キャンディです、ハロ先輩!」
「やったー!」
見覚えのある背丈と聞き覚えのある名前の幼女が、無邪気な笑顔を咲かせながら、小さな手で大きな金槌を振り下ろしていた。