貴族特区への潜入 Ⅱ
「ぐっ、こんなに山が高くなっているとは……」
ゴミ山を転がり落ちたその男は、すぐに体を払って立ち上がった。あれだけ金属だらけの山に勢いよく落ちてきたにもかかわらず平然としているあたり、ずいぶんと丈夫なようである。
しかしナツキとアイシャが驚いたのは、もっと別のことに対してだった。
「(あの人なのです!)」
「(何でこんなところに!?)」
そう、二人はその男を既に知っていた。
彼がいなければアイシャはとっくの昔に死んでいたし、ナツキも彼のおかげで命を繋いでいる可能性がある、言葉通り命の恩人と呼べる男。ついでにリモネちゃんからナツキの貞操を守ってくれた男でもある。
次に出会った時はちゃんと名前を聞こうと決めていた、何度もナツキやアイシャに回復薬を分けてくれた剣士の少年が、そこにいた。
何故彼が貴族特区のダストシュートから落ちてくるのか、それは分からないが、少なくとも知り合いと呼んでもいい間柄だ。姿を見せるべきか否かとナツキが逡巡していると、
「で、その柱の後ろにいるのは誰だ。待ち伏せでもしているつもりか? ふん、さっさと姿を見せろ」
姿を見せるまでもなくバレていた。
ナツキもアイシャも物音一つ立てていないと言うのに何故分かったのか。まさか監視カメラでも付いているのか――
「(……一応、アイシャはまだ隠れてて)」
「(わかったです)」
ナツキがゆっくり柱の影から出ていくと、少年は何故か幽霊でも見たかのようにぎょっと目を見開いた。
「何ッ!? まさか本当に人がいるとは」
「え?」
子供であることに驚かれたのかと思いきや、どうやら様子がおかしい。まるで本当に人が隠れているとは思ってもみなかったというような、狼狽えた雰囲気が伝わってくる。
しかし少年はすぐに平静を取り戻し、したり顔で頷いた。
「フ、毎日続けていた甲斐があったな……」
何だって?
「……まさか、当てずっぽうで毎日柱の裏に話しかけてたの!?」
「まさにその通りだ!」
「しかもボク、それに引っかかったの!?」
「恐れ入ったか!」
「ぐっ……」
この少年――とんだ下手鉄砲数撃ち野郎だ!
今になって考えれば、確かに少年の意識はナツキやアイシャには向いていなかった。それでも自信満々に叫ばれるものだから、知り合いだった衝撃と合わせてまんまと釣られてしまったというわけだ。いや、少年も釣ろうと思って釣り上げたわけではないようだが……なんとも失策である。
「それでお前、何者だ。わざわざ待ち伏せとはなかなか度胸のあるチビだが……オレは悪人に容赦はしないぞ」
少年は真面目な表情になり、腰から剣を抜き放った。切っ先がピタリとこちらを指す。
「わー待って待って! ボクだよ、ナツキ! 覚えてないの!?」
「……む? お前まさか……あの時の!」
「思い出してくれた?」
「湖のほとりでクマに食べられそうになっていた……」
「誰の話かな!?」
身に覚えが無さすぎる。この世界ではまだ湖も海も見たことすらない。
「……すまん、顔を覚えるのは苦手だ。知り合いなのか?」
少年はポリポリと頬を掻き、
「ともかく、この場所にいるからには戦えるんだろう? 剣を交えれば自ずと分かる。いざ参る!」
そんなことを言っていきなり斬りかかってきた。
「うわ、剣で語り合うタイプの人だ!?」
慌てて剣を抜いて応戦すると、少年はニィと口の端を上げた。ナツキの殺気にビビり散らかしてしっぽを巻いて逃げていったあの時の無様な姿はどこへやら、戦うことが純粋に楽しいのだという思いが伝わってくる。
「一度剣を交えた相手ならば、再び交えれば思い出すというもの!」
ギン、と鈍い音を立てて剣が交叉する。剣速はそこそこ速いが、ラグナで言えば少し上手い一般人レベルの強さだ。彼も本気ではなさそうだが、練気術で身体強化しているナツキが打ち負けることは無い。
そのまま繰り出される攻撃を軽く捌いていくうち、不可解だと言うように少年の眉が寄せられていく。
「……お前ほどの腕、オレが忘れるはずもない。何故思い出せんのだ」
「そりゃまあ、打ち合ったことないもんね!?」
「剣士と知り合って剣を交えんなど――」
「だってお兄さん、ボクが試合しようって言ったら逃げたじゃん!」
キィン、と高めの音と共に少年の剣が止まった。
「何だと? そのような無様、オレが晒すわけないだろう」
「はぁ……じゃあもう一度聞くよ」
「――っ!?」
神獣の一睨みほどの《気迫》術を向けながら、ナツキは以前少年に言った台詞を繰り返す。
「お兄さんも剣士みたいだし、寸止めで一戦どう?」
「……!」
殺気に晒され冷や汗を流して視線を彷徨わせていた少年は、その問いかけを聞いてハッと目を見開いてナツキを見た。
「お前まさか……あの時の!」
「今度こそ思い出してくれた?」
「リモネの慰み物にされていた瀕死のチビ!?」
「そ……そうだけど慰み物言うなぁ!」
リモネちゃんに全裸に剥かれ抱き上げられておなかに顔を埋められて深呼吸された時のことを思い出し、一瞬殺気の放出量が爆増してしまった。その結果――
「……あっ」
ようやくナツキのことを思い出してくれた剣士の少年は、白目を剥いてその場に倒れてしまったのだった。
☆ ☆ ☆
「ボクはナツキ。こっちがアイシャ。お兄さんは?」
「……カイだ」
すぐに目を覚ました少年は、殺気で気を失ってしまったことを恥ずかしがるように、バツが悪そうな顔でそう名乗った。
カイ。ようやく名前を聞くことができた。
「まさかオペレーターになったとはな。そのドールはあの時の感染個体か」
「そうだよ。アイシャはボクの契約ドールで、大切な友達」
「む? なるほど、ならオレもそのように扱おう。識別名――いや、呼び名はアイシャだな、覚えたぞ」
アイシャを友達として紹介したナツキに一瞬訝しげな表情を見せたカイだったが、すぐに驚きの順応力を見せた。アイシャの目を見て少年らしい笑みを見せ、対するアイシャは戸惑ったようにナツキとカイを交互に見た。
「あ、あの、カイさんは……ナツキさんとわたしのこと、おかしいとは思わないです?」
「おかしい、か。一般的でない、という意味で言うなら、オペレーターの許可なくドールが発言している時点でおかしい」
「あぅ……ごめ――」
「だが、お前達にとってはそれが普通なのだろう。ならばそれに合わせるだけだ」
「ふぇっ……!?」
合わせるだけ――それが言うは易しだということは、これまで散々見てきた人々の反応から痛いほど思い知らされている。特にドールを道具として扱うオペレーターやハンターと近い位置にいる者にとって、ドールはもの言わぬ武器でしかないはずなのだ。
訝しまれていることに気づいたか、カイは肩を竦めてナツキの方を向いた。
「ふん、オレはラクリマに対して特段何の感情も無い。ラクリマに人権は無いし、その扱い方は法の範囲で管理者が決めるものだ。ナツキ、お前がアイシャを友と定義したのだから、オレはアイシャをお前の友として扱う、それだけだ」
「……なるほど、スッキリサッパリしてるね」
ラムダとも異なる考え方だ。ラムダは「縁」重視の、感染個体なら意思疎通できるんだから友達になれるやろ、みたいなお気楽心任せスタンスであるのに対し、カイは感情を排して論理的に考えるタイプのようだ。
ラクリマを一つの人種としては認めてくれていないが、そのうち感情を有する個体を忌避するわけでもない。どちらかと言うとリモネちゃんに近いスタンスなのかもしれない。
「でもボクに聞かれる前に答えてくれたってことは、カイもその、『おかしい』自覚はあるんだよね?」
「家柄が特殊でな。他の連中の考え方の方が一般的だとは知っているが、どうにもしっくり来んのだ」
それはさておき、とカイは立ち上がり、ナツキとアイシャを見下ろした。
「お前達、平民だろう。何故ここにいる?」
「いや、ブーメランブーメラン。カイこそ何で貴族特区に潜り込んでるのさ。チューデントさんちに何の用?」
「何を言う。オレは貴族だ」
「…………?」
いきなり何を言っているのだろうか。はぐらかしているにしても、さすがに厳しいのではないか?
「カイ……ボクらに混ざってクエストに行っててそれは無理があるよ」
「貴族が平民と混ざってクエストをこなしてはいけない、などという法は無いぞ?」
「……今までずっとボクらと対等に話してたよね?」
「平民と貴族の本質的な差など血統くらいしか無いのだぞ。同じ人間ではないか」
「…………権力の差はあるよね? ほら、貴族の矜恃とか、ないの?」
「権力に奢ってはそれこそ恥ではないか。謙遜は美徳ではない、しかし虚飾は破滅への第一歩、とな。……父上の教えだ、生まれを誇るならばまず人間を磨けと」
「………………いいお父さんだね」
「ふん、頑固すぎて融通が効かん。今日も退屈な仕事を抜け出してきたところだ」
「人間を磨くんじゃなかったの!? ……じゃなくて、え、まさか本当に……?」
貴族なのか。貴族がわざわざ家を抜け出してまであんな事後処理の人海戦術の雑用みたいなクエストを受けに来ていたと、そう言うのか。
ナツキが恐る恐る見上げると、カイはふん、と呆れたように息を吐いた。
「お前が気づいていなかったことの方が驚きだ。あれだけ回復薬をくれてやったではないか」
確かに回復薬は何度ももらったし感謝もしている。しかしそれについては、珍しいものを惜しげも無く分けてくれるなんて太っ腹な人だ、程度にしか認識していなかった。
しかし言われてみれば、二の腕を怪我したナツキに回復薬を分けてくれたあと、他のハンターやオペレーター達が露骨にカイのことを畏れるように避けていた。彼らはあの時にカイが貴族だと悟ったのだろうか。この世界の常識とラグナの常識のズレだ。
チラリとアイシャを見ると、特に驚きもせず平然とこちらを見て頷いていた。
「……もしかしてアイシャ、知ってた?」
「えっと、はいです。一般向けの回復薬は貴族特区だけに流通してるって聞いたです」
「あああ、それリモネちゃんが言ってたかも!」
謎の剣士の少年カイは実は貴族だった、どうもそういうことらしい。しかしそうなると――
「貴族のカイがチューデントさんちから出てきたってことは……」
「チューデントはオレの家名だ」
「うわあ、やっぱり……」
「何がうわあ、だ。オレはカイ=チューデント。フィルツホルン随一の鍛冶工房、チューデント工房の工房長であるシンギの息子だ。わざわざ闇市から侵入してまでうちに何の用だ?」
探りを入れようとしている家に知り合いがいて、しかも早々に潜入がバレた。今回もまた面倒なことになりそうである。