獣と人形、氷色 Ⅰ ※
遺跡のある洞窟の外は、広大な砂漠だった。
パカリス砂漠、とダインは言っていた。気の抜ける名前のような、そうでもないような。不思議な語感だ。
四方をくまなく見渡しても、一面ほとんど砂しかない。砂漠と言われて日本人がまず思い浮かべるであろう、砂丘メインで所々に岩とサボテン状植物がある、いかにもな砂漠だ。
遺跡の入口は、そんな砂漠の真ん中にぽつんと露出した岩塊、その中央にぱっくり開いた割れ目だった。入口の周辺だけ少し整備されているが、他に人はおらず、どこかに道が続いているわけでもなかった。
一体何故、鉄筋コンクリート造の巨大ビルの廃墟が砂漠に埋もれているのだろうか。そうダインに聞いてみても、「知らねェし、そういうもんだ」としか返ってこなかった。興味も無さそうだ。
時刻は夕方。地平線の彼方に、地球やラグナと同じくらいのサイズの夕日が沈みかけている。遠くに薄く棚引く雲が、オレンジ色に照らされて輝いていた。
そのまま空を見上げれば、うっすらと途切れ途切れに輝く線が、天球にアーチを描いている。土星や木星の輪っかと同じ、小さな岩石が集まってできた惑星の環だろう。月は一つも見当たらなかった。
「……惑星ノア、か」
自分の生きることになる、実に三つ目の星である。環はラグナにもなかったので、目新しさが際立つ。
「おい、ナツキ!」
立ち止まってしまったナツキを、少し先にいるダインが呼んだ。
「何ぼーっとしてやがる、さっさと行くぞ」
「ああ、すまん……っと、その前に」
これまで放置していた問題を一つ、片付けたい。
さすがにこのまま外を出歩くのは、まずいと思うのだ。そう、公序良俗的に。
「なあダイン……なんか服になりそうなもん、持ってないか?」
ナツキはこの期に及んでまだ、全裸幼女だった。
売る前のラクリマに服着せるとか聞いたことねェよ、と言いつつも、ダインは背負っているバックパックから長い布を1枚出してくれた。遺跡で眠っているときに布団として被せられたものだった。
どう着たものかと迷っていると、2つ折りにして折り目の中央にナイフで穴を開けてくれた。そこに首を通して端を縛れば、ワンピースもどきの完成である。
砂漠を歩きながら、わざわざ布を貸してくれた理由を聞くと、別に優しくしてやったわけじゃねェ、とツンデレみたいな回答が帰ってきた。
「おめぇ、『忌印』が見えねえからな。人間と間違われちまいそうだし、そうなっと素っ裸は確かに面倒だ」
「忌印?」
知らない単語。天使謹製翻訳システムが勝手に漢字を充てたイメージを流してくるのは、言葉自体に強い意味のある固有名詞だ。
「人ならざる部分、星にかけられた呪いの象徴ってな。こいつならこの耳と尻尾だが……おめぇにはそれがねェ」
にー子の猫耳尻尾を指して説明してくれる。
「忌印は人間とラクリマを見た目で見分ける唯一の手段だ。《塔》の言い分じゃ、ラクリマは必ず何かしら一つ持ってるはずなんだが……おめぇのはまだ見えねぇ」
「ほう、つまり俺は人間だってことじゃないか?」
「あんな場所に人間の子供がいるか。おめぇはラクリマだ」
そう言い切ってから、少なくとも体はな、と付け足すダイン。転生してきた人間だというナツキの言い分は尊重してくれているらしい。
「ま、心臓が2つあるとかそんなんだろどうせ」
「んなわけあるか!」
そう言いつつ、胸に手を当てて確認してしまうナツキだった。
……大丈夫、一つしかない。多分。
砂漠は続く。いつまで経っても視界には砂と岩とサボテンしかない。同じ場所をぐるぐる回っているんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
気を通して足腰を強化しているから、体力的には問題ない。しかし精神的にどうかというと別問題だ。
「おいダイン、適当に歩いてるんじゃないだろうな……何も見えてこないぞ」
「んなすぐ着くわけねェだろ。そろそろ一度野営して、砂嵐とかに遭わなきゃ明日の昼前にはって感じだ」
「うへえ……ってかそもそもこれ、どこに向かってるんだ?」
「フィルツホルンっつー、この辺じゃ一番でけぇ街だ。俺の家もある」
こうなってくると、ダインがあまりにも頼もしい。
攫われているはずなのに……と釈然としないものはあるが、実際ダインがいなければ、無事に一人で遺跡を抜けられても砂漠で野垂れ死んでいただろう。
「それに、到着するまでは街はほとんど見えねェだろうよ。フィルツホルンは地割れの街だからな」
「地割れ?」
ダインによると、砂漠の巨大な地割れの内部に街が形成されているのだと言う。地割れの底に川があり、それを水源として栄えているらしい。……日当たりは悪そうだ。
砂に足を取られないよう、足元を確認しながら進む。
「……なあダイン、そろそろ教えてくれよ。俺は一体売られて何を――いてっ」
遺跡を出るときに感じた疑問を解消しようとしたら、何かに頭をぶつけた。顔を上げると、ダインが立ち止まっていた。
「おい、急に止まるな――」
「シッ、静かにしろ」
緊迫した声。見れば、ダインが焦りを帯びた表情で周囲を警戒していた。
ナツキとてもはや素人ではない。瞬時に意図を察し、ダインと背中合わせになって周囲を警戒する。
自分の周囲を気で満たす。にー子との初遭遇時も使った、《気配》術だ。
――地中含め、近くに反応はない。
「……どうした? 近くには誰もいないぞ」
警戒したまま、小声で聞く。狙撃手でもいるのかと砂丘の稜線に目を凝らすが、怪しい部分は見当たらない。
ダインも声を抑え、振り向くことなく答えた。
「いや、いる。『神獣』だ、かなりデカいな……」
「……どこだ?」
「まだ見えねェが、進行方向ちょい右寄り、こっから1キロってとこだ。音を聞け」
「1キロ?」
「ヤツらは3秒で詰めてくる距離だ」
――ざっと音速じゃないか。
ぞっとしつつ、耳を澄ます。
砂を纏う風の音。その中に、コォォオン、という一際澄んだ音が混じっている。金属音のような、鳴き声のような不思議なその音は、ダインの言う通りの方角から聞こえてくる。神獣とやらの鳴き声だろうか。
それとは別に、キィン、という鋭い金属音――これは聞き覚えがある。剣戟の音だ。
「……誰か戦ってるな」
「ナツキおめぇ、分かるのか」
「転生前の本業は剣士だ。ダイン、戦闘経験は?」
「俺の本業は肉屋だ」
肉屋かよ。やっぱりラクリマを捌いて食う気なんじゃないだろうな。
「だが俺も剣はないしな……迂回するか?」
「あァ……だが、街に近すぎる。なのに戦ってんのはせいぜい数人だ。全滅しかかってるか、あるいは……とにかく、迂回するにしても、せめて敵の種類とデカさくらいは見て帰らねェと」
後ろからついてこい、と告げてダインは歩き出した。
大きめの砂丘を登り、その稜線の手前からは匍匐前進。ナツキもそれに倣った。
「……いるな。あれか」
遠くの方に、豆粒大の異物が見える。今のナツキの視力は取り立てて良くもなく悪くもなくといったところだったが、それが異質な存在であることは、遠目に見ても明らかだった。
「まだ気づかれちゃいねェな……大きな音を立てるなよ」
ダインの再三の忠告に頷き返し、動きを止め、目を細めて観察する。
動いているようではあるが、どこかに向けて進んでいるわけではなさそうだ。何かを、している。目の前に、身体の一部を叩きつけ……やはり、何かと戦っている。
ダインが腰からそっと双眼鏡を取り出し、戦場を覗いた。
「……瀕死の『オペレーター』が一人と、『ドール』が一匹……『アイオーン』は汎用型直剣タイプ。神獣は八足白虎タイプの大型――ダメだ、あいつら死ぬぞ」
知らない単語が一気に増える。ダインが渡してくれた双眼鏡を受け取り、戦場を確認する。見た方が早い。
戦場は岩場だった。砂漠の中でちゃぶ台のように低く盛り上がった、平らで固い地面。まるで自然の闘技場のようなそこに、3つの影があった。
最も巨体の化け物――これが神獣だろう――は、白い身体に青い模様のついた虎だ。ただし、その足は四対八本。後ろ四本で身体を支え、前の四本を振り回している。身体は神々しく発光し、光の粒が周囲を舞っている。尻尾がやけに長いと思ったら、先端に蛇の頭があった。
神獣の視線の先には、人が2人。片腕を失い必死の形相で何かを叫んでいる中年太りの男。出血量から見て、もう助からない。ダインの言う『オペレーター』だろう。そして、男を守るように神獣との間に立ち、妙な形の剣を構える――幼い少女。
「――子供!?」
「バカ落ち着け、ドールだ」
ドールとは何だ。これが落ち着いていられるか。背丈からして10歳にも満たない、今のナツキと同じくらいの子供だ。簡素な革鎧に身を包んでいる。少女が神獣の前足振り下ろし攻撃を跳んで躱すと、ろくに手入れもされていなさそうなぼさぼさの黒髪が風に揺れた。
種族は――ラグナの分類で言えば、猫科獣人。有り体に言えば、にー子と同じ猫耳幼女。地球の基準で言えば、庇護されるべき対象。ラグナでは争いを好む種族だったが、女子供が前衛に出ることは少なかった。
ではここ、ノアにおいては?
「――まさか」
ラクリマなのか。兵士として、化け物と戦わされている? あんな子供が?
ナツキの心配をよそに、戦闘は進行していく。神獣の前足の一本が少女を再び上から襲う。ステップ回避したところにもう一本の前足が横から迫る。剣でパリィ。瞬間、少女と剣が光り、寒々しい氷色の燐光が舞い散った。
ナツキの肌がぞわりと逆立つ。
あれは、禁忌の光だ。
「ありゃ大型を狩る装備じゃねェ。別件を狩りに行く途中か、帰り道にバッタリ遭遇、ってとこだな。オペレーターはありゃもうダメだが、ドールがしばらく捨て身で時間稼いでくれっかな……白虎なら斬撃は通るし、足の一本でも切ってくれりゃあ……」
いつの間に取り出したのか、ダインも別の小型望遠鏡のようなもので戦場を覗いていた。
少女の剣技、身のこなしはなかなかのものだが、練気術や魔法の類での身体強化はかかっていないようで、神獣の攻撃の重さに耐えきれていない。そのためか、4本の前足を捌くのに必死で、脈打つ蛇の尻尾に気づいていない。
中年男が何かを叫ぶ。少女がはっと振り向いたときには、横薙ぎに振るわれた尻尾が男の首を跳ね飛ばしていた。
その瞬間、少女の動きが不自然に止まる。
「チッ、『スパイク』か……相当無茶させてやがったな、あのオペレーター」
少女はすぐに動き出したが、一瞬の静止はあまりにも致命的だった。神獣が振るう前足への対処が間に合わない。殴打をもろに腹に受け、少女は血を吐きながら身体をくの字に曲げて宙を舞う。地面に叩きつけられる。
「こりゃ5分ともたねェな。おい、観戦は終わりだ。バレねェように迂回して街へ急――ん? おい!?」
ダインが言い終わるより先に、ナツキは飛び出していた。全ての気を足に集め、出せる最高速で戦場へ走る。
「バカ野郎! 生身で行ってどうすんだ、戻――速ェな!?」
ダインの叫び声がドップラー効果と共に遠くなっていく。少女は地面に倒れているが――まだ、生きていた。神獣を睨み、震える身体を起こそうとしている。神獣が、少女に止めを刺そうと前足を振りかぶる。間に合わないと悟った少女が、諦めたように目を閉じ――
――ガゴンッ!
神獣の前足は、少女の身体のすぐ横数センチの地面を、大きく陥没させた。
「コォォゥ……?」
神獣が、獲物を仕留め損なったことが信じられないとでも言いたげなうめき声を漏らす。
数瞬遅れて、粉々に破壊された双眼鏡が、ガシャア、と耳障りな金属音を立てて岩の地面に散らばった。
「……っ、……?」
いつまで経っても衝撃がこないことに気づいたのか、あるいは天国で目が覚めたとでも思ったのか――少女が恐る恐る目を開ける。
「大丈夫……じゃないよな。よく頑張った、あとは任せろ」
間一髪のところで、投げた双眼鏡を神獣の前足にぶつけて軌道を逸らしたナツキが、少女と神獣の間に立ち塞がる。
これで体が幼女じゃなきゃ、サマになったんだけどな。
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