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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
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第87話 覚醒

 敵はどうやら、最初に戦った場所から動いてはいないらしい。

 森を行くアレクセイは、自身の前方に相手の反応を感じていた。≪生命探知(ディテクトライフ)≫は実に便利な力だが、こればかり使っていたら勘が鈍りそうな気もする。


(もっともこういう時は助かるがな。奴等と行き違いにならずに済んだ)


 それに力は使う者の心持ち次第だ。アンデットの能力でなくとも、大きな力には責任が伴う。命のあるなしに関係なく、精神の在り様こそがもっとも肝要なのである。アレクセイはそれを、フリアエの兄に見せてやらねばならない。


 いよいよ敵を目前にしたアレクセイの左手には、古びた槍が握られていた。多頭竜(ヒュドラ)との戦いで剣を失くしたアレクセイに、フリアエが渡してきたものだ。


「アレクセイ様、この槍をお使いください。私がこの迷宮で見つけたものです。古いものですが、無手よりはよいかと」


 それは十字型の穂先を持つ長槍であった。彼女曰く、おそらくは数十年前に多頭竜を討伐した冒険者パーティの残した物であるという。≪十字槍のオースティン≫は優れた槍の名手として知られていたが、もともとは二槍の使い手であったそうだ。しかし迷宮主との激戦を終え街へと帰還した彼の手には、一本の槍しか握られていなかった。それがここにあるということは、戦いの中で失ってしまったのだろう。


 雷の魔力を帯びたよい武器であるが、如何せん数十年もの間手入れがされていなかったため、かなり状態は悪い。だがそれでもないよりマシだろう。霊体であるソフィーリアから武器を受け取ることはできないし、フリアエの持つ刺剣を受け取るわけにもいかなかった。妻が傍にいるとはいえ、護身用の武器は必要だ。


「それにしても、私の右手はどこにいったのか」


 アレクセイは右腕の先を見下ろして嘆息した。神竜の鱗の光に弾かれて以来、そこには本来あるべきはずのものがない。左手のみでも戦えるだろうが、ないと不便なことに変わりはない。なので大盾は背後に背負っている。武器がなくなればこれで戦うほかないだろう。


 そうこうしている内に、森が開けた場所に来た。つい先ほどまでデーモンたちと戦っていたところだ。その魔物たちも逃げることなくそこに立ち並んでいる。

 そして中心でこちらを見据えているのはあの紫の騎士である。先の戦いではかなり強めに戦技を叩きこんだはずだが、鎧には傷跡もなく悠然と立ちはだかっている。ゆっくりと歩み寄るアレクセイの背後を見て、騎士はほぅと感心したように声を上げた。


「まさかそちらから、しかも一人で来てくれるとはな」


「お前たちを屠るのには、私一人で十分だからな」


 アレクセイはそう答えながら、相手方の中にレックスの姿を探した。紫の騎士の後ろに三つ目のデーモンが三体、レッサーデーモンが十八体。だがそこにレックスの姿は見られなかった。逃げたか、あるいはあの騎士に殺されたのか。

 だがアレクセイにはある種の予感があった。相手は隠しているつもりかもしれないが、霧が揺蕩う沼地の方から、強い気配を感じるからだ。アンデットの力を使えば、それがどことなくフリアエと似たものだと分かる。だがその本質はむしろ、紫の騎士の背後に並ぶ悪魔たちに近しいものに思えた。


「……レックスをどうした?」


 アレクセイが沼の方を見ながらそう問いかけると、騎士はくぐもった笑い声を上げた。


「あぁ、あの男か。その様子だと大方予想はついているのだろうが……そら、呼ばれているぞ」


 騎士がそう言って片手をあげると、沼の水面が大きくせり上がった。そしてそこから姿を現わしたのはレックスである。


「はっ!我慢してくせぇ泥水の中にいたってのに、すぐにバレちまったか」


 忌まわし気に髪の毛に付いた泥を払うレックスであるが、その身体はもはや人のものではなかった。原型を留めているのは上半身のみで、腰から下は別の魔物と一体化してしまっていた。アレクセイの記憶に間違いがなければ、それは先ほど倒したはずの多頭竜である。切り落としたはずの九本の首もすっかり再生しており、それら十八の瞳は憎々し気に鎧の大男を睨みつけていた。


「あの男に何をした?」


 そちらから目を離さず、アレクセイは紫の騎士に問いかけた。どう考えてもあれは、目の前の男の仕業に思えたからだ。


「なに、あれは前々から力を欲していたようだからな。少しばかり望みを叶えてやったまで……ガハッ!?」


 紫の騎士が言い終える前に、アレクセイは相手目掛けて槍を投げうった。雷の力を帯びた槍は、アレクセイの剛力によって凄まじい速さで騎士の胸を貫く。そして勢いそのままに立ち並ぶデーモンたちの間をすり抜けて、騎士の身体を大木へと縫い付けた。

 やはり武器として限界だったのだろう。古びた槍はただ一度の投擲でもって、ぼろぼろと崩れ落ちてしまった。支えを失った紫の騎士は音を立ててその場に倒れ込んだ。


「む……少し力が入り過ぎたか。だが敵を討って散るならば、武器にとっても本懐といえよう」


 役目を終えた過去の英雄の愛槍に、アレクセイは感謝を捧げる。人魔一体と化したレックスはそんな黒騎士の姿を呆気にとられたように見ていたが、ふと気を取り直すと額に手を当てて笑い出した。


「ははははっ!あんだけ上から物を言っておいて、不意打ちでやられてりゃザマァないな!だがお前もいきなり投げ槍なんて、見た目に似合わず卑怯なことをやるもんなんだな?」


「こうして正面から姿を見せているのだから、そのような誹りを受ける筋合いはない。面と向かったときから戦いは始まっていると考えるのが(いくさ)なのだから、敵を前に気を抜いたあ奴が悪い。それにフリアエの肉親を弄ぶが如き言葉が癇に障ったのもあるのだが……その口振りだと、無理やりその姿にされたわけではないのか?」


 レックスが多頭竜と融合させられているのには驚いたが、レックスは彼が自我をもっていることにも驚いていた。


 アレクセイの時代にも、人と魔物を融合させる魔術は存在していた。それは当時ヴォルデンと大陸の覇権を争っていたヴィンハイム帝国の業であり、古竜塔を有していた彼らはあの時代で最も魔術に造詣の深い国家であった。だが人を人ならざる者に変えるこの禁術は国内外から厳しく批判されており、後に当の古竜塔が封印したために、ほとんど日の目を見ることのなかったものなのである。


 アレクセイは戦場で帝国が実験的に導入した人魔と戦ったことがあったが、彼らは等しく精神が崩壊していたのだ。かつては優秀な騎士であったろうにその面影はなく、血を求める凶暴な獣と化していたものだ。

 そう考えると、レックスのような決して精神が強靭とは言えない男が、多頭竜のような迷宮主と一体化してなお己を失っていないことが驚きであった。


「そうさ?変えられたときこそ面食らったが、今では感謝しているくらいだ。身体の内から湧いてくるこの力……こんないいモンがあると知っていれば、フリアエなどに後れを取ることなどなかったのになぁ。あぁ、やっぱり感謝はしてねーなぁ。ヒャハハハッ!」


 沼から陸地へと上がってきたレックスは、多頭竜の上で狂ったように笑い声を上げている。レックスとしての自我は健在なのだろうが、その様が正常なものには思えない。むしろ人としての形を失いながらもそうして笑っていられることが、アレクセイには異常に感じられた。


「レックスよ、一つ問おう。お前はどのような想いで、自身の妹に剣を振るったのだ?」


 こうなってしまった以上、レックスを見逃すわけにはいかない。アレクセイはレックスを殺す前に、その真意を図っておきたかった。

 騎士であるアレクセイには、人魔となってしまった目の前の男を元に戻す術はないからだ。ソフィーリアの奇跡とて万能ではない。呪いによるものならいざ知らず、魔術と奇跡は根本的に違うものだ。


 静かに問いかけるアレクセイに対し、レックスが返してきたのは狂った笑みと言葉だった。


「どのようなぁ?そんなもの、殺すつもりに決まっているだろうが!」


「自身の妹と分かった上でそう言っているのか?」


「あぁ?あの女から聞いたのか……そうだよ。可愛い可愛い俺の妹さ。どうせ死ぬなら、兄貴の剣にかかって死ぬのがまだマシだろう?」


 笑いながらそう言ったレックスであったが、急に真顔になると「妹、妹……」と口の中で呟き始めた。そして一転して憤怒の表情になる。


「妹、そうだ妹だ!兄貴である俺よりも優秀なのが、あのフリアエだ!どいつもこいつも、この俺よりあの女をもてはやす!騎士学校の学徒共に、脳なしの教師たち!伯爵も、街の連中もだ!リーデルなどは、口を開けば「妹を見習ったら?」だと!?忌々しい、やはりあのとき首を落としておくんだった!」


 レックスは火が付いたようにそうまくしたて始めた。その口から出てくるのは、全て彼を取り巻く人々への悪意の言葉であった。そしてその根底にあるのは、自身の妹に対する醜い嫉妬である。


(……なんと小さな男だ)


 べらべらと一人で勝手に喚き散らすレックスを眺めているアレクセイは、心が急速に冷めていくのを感じていた。

 悪事に手を貸し、力を渇望するレックスには一体どんな思惑があるのかと考えていた。期待していたと言ってもいいだろう。それが金でも権力でもよい。どんなものであれ、人には必ず欲望があるものだ。だからレックスには、血を分けた妹を手にかけるほどに手に入れたいものがあると思っていた。

 だが実際にはそれは、小さな劣等感によるものでしかなかった。このような相手を斬らねばならないとき、アレクセイの心にはいつも冷たい風が吹いていたのである。


 騎士であるアレクセイは、これまで数え切れぬほどの人間を殺めてきた。そしてそれらの相手全てが悪人だったわけではない。国同士が争う戦争では、個人の善悪など関係がないのだ。

 一騎打ちでアレクセイに敗れた敵国の騎士は、誇りと名誉のために戦っていたのかもしれない。首を撥ねられた若い兵士は、祖国を守るために軍に入ったのかもしれない。胸を貫かれた中年の男は、家族を養うために武器をとったのかもしれない。

 人が人を殺すことの善悪についていちいち拘泥していたら、騎士などという仕事は務まらない。なればこそ、振るわれる剣には想いが必要なのだ。無念にも倒れるとき、それが殺される者の慰めになるように。


 ではレックスはどうなのか。もしフリアエが死んでいれば、彼女は兄の矮小な心を満たすために殺されたことになる。それではあんまりではないか。

 "小物"を斬るときに、アレクセイがいつも虚しく思うのはそれであった。くだらぬ、日常の中で我慢しておればいいもののために、彼らは平気で他者を害する。そこには愛も、優しさも、強烈なまでの欲望すらない。


 そしてそんな連中の血で剣を染めるアレクセイにも、何の感慨も浮かんではこないのだ。巨悪を討ったときの高揚感も、愛すべき民を護れたという安堵感も、相手の正義をねじ伏せてしまったときの申し訳なさすら感じない。まるで自分が卑小な存在と同じになったかのようだ。逆に、そのことに怒りすら感じるほどである。


 ひとしきりフリアエへの罵詈雑言を言い終えたのだろう、レックスは今度はアレクセイの方を見やると、押し黙る黒騎士に向かって唾を飛ばして批判していた。


「それにお前、アレクセイとか言ったな?会った時からの不遜な態度もそうだが、その名も不快だな!()()()()()()と同じ名前などクソくらえだ!親父はなぜ俺に、こんな名など付けたのだ!気に入らん!気に入らん!俺は栄光ある帝国騎士だぞ!敗北者の騎士紛いや、下賤な冒険者などと同じにするなっ!」


「……そうか。やはりお前は"私"であったか」


 レックスが白銀の髪と紫の瞳を持ち、自身と似通った名であることが分かったときからそんな予感はしていた。そしてフリアエが妹のフェリシアの血統であること、レックスもまた血を同じくする者だと判明してからそれは確信に変わった。"レックス"という名は、先祖であるアレクセイに因んで付けられた名前なのだろう。

 自分と同じ名を持つ男が、自分と同じ≪騎士≫であること。それもまたアレクセイの静かな怒りの炎に油を注いだ。

 もはやレックスを討たない理由はなかった。フリアエのために、フェリシアのために、ヴォルデンの血を引く者の誇りを護るために。そして何より、愛すべき両親から賜ったアレクセイの名を護るためにだ。


 アレクセイは背負っていた盾を下ろすと唯一使える左手に構えた。だが右手と剣はない。

 いや、ある。吹き飛んだ右手はこの辺りの森のどこかにあるはずだ。そして多頭竜を倒すために投げうったマクロイフの剣は、遠く向こうの大木に刺さったままだ。


 このときアレクセイは、不思議と何をどうすればよいか分かっていた。それはアンデットとしての本能であったのかもしれない。アレクセイはゆっくりと右手を持ち上げる。その先に何も付いていないことに今更気が付いたレックスが何かを言おうとした瞬間、それは現れた。


 ちゃぷん。


 レックスがその音の元に首を巡らせると、沼地の上に腕が浮かんでいたのである。正確に言えば、甲冑の手甲部分だ。そして浮かび上がったそれは、まるで吸い寄せられるようにアレクセイのもとに飛んでいくと何事もなく右腕の先に収まった。アレクセイは二度三度掌を動かして具合を確かめる。


「沼に落ちていたか。だが問題はないようだ。それと……」


 アレクセイは早速復活した右手を掲げてみる。するとどこからか剣が飛んできて、アレクセイはその柄を握りしめた。刀身が根本近くから折れた、マクロイフの大剣であった。


「な、き、貴様は……?」


 先ほどまでの勢いが嘘のように、レックスは驚愕の目で眼前の黒騎士を見つめている。だがアレクセイはそんなレックスを顧みることなく、折れた剣を見下ろしていた。腕の良い鍛冶師が鍛えた、上質の鋼の剣だ。付き合いは短いが、この時代に蘇ってからよく戦ってくれた。かつて使っていた武器とは比べるべくもないが、それでも愛剣と言っていいだろう。

 だというのにこのような姿にしてしまって、アレクセイは申し訳なく感じていた。それもひとえに自身の腕が足りないせいであると考えている。


(だが今一度、私に力を貸してほしい。私は私の名に懸けて、この男を討たねばならんのだ)


 祈りを捧げるように剣を胸元に引き寄せた、その時である。

 アレクセイを中心にして、十数メートルの範囲の草木が一斉に枯れ果てた。すると突如として剣の鍔、折れた刀身の根本から炎が吹きあがったのである。炎は刃の形をとっていく。そして根元からゆっくりと、火が消えていった。


「おぉ、これはまるで……"炭"を刃にしたような……」


 そこにあったのは、真っ黒な刀身を持つ幅広の直剣であった。だがそのあちこちが赤熱している様は、いかにも火を抱いた炭のようにも見える。


「なるほど、これもアンデットの力というわけか……」


 見るも無残な枯れ野原と化した自身の周囲を見回して、アレクセイは自嘲気味にそうぼやいた。何事も無から有を生み出すことはできない。草木の命を糧にして、マクロイフの剣は復活したのだろう。ならばせめてそれらの命の分くらいは、しっかりと役目を果たしてやらねばならない。

 そしてそんなアレクセイの背中には、いつの間にか厚手のマントが靡いていた。魔王の炎によって焼け落ちてしまったのと、同じ意匠のものである。ただしその色は純白ではなく、焼けた鎧と合わせたかのように漆黒であった。


「これで≪騎士≫らしい格好はついたか……さてレックスよ、フェリシアの兄として、フリアエの兄たるお前を私がうち滅ぼしてくれよう」


 アレクセイはそう言うと炭の剣を手に、まるで化け物を見るかのように慄くレックスの方へと近づいていった。

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