第84話 竜潜り
「フェリシアッ!!」
レックスが剣を引き抜くと、フリアエは力なくその場に倒れ伏した。そうしてピクリとも動かない彼女の下から、真っ赤な血が流れては大地を染めていく。
その様を自身を包む炎の内から見ていたアレクセイは、頭の奥が猛烈に熱くなるのを感じていた。それは我が身を焼く白炎よりもなお熱い、激しい怒りの感情であった。アンデットの身体で蘇ってからも、感情を揺さぶる出来事は少なくなかった。だが、ここまで暗い衝動が溢れ出したことはない。
「おのれ……貴様ハ……オレガ……」
アレクセイはゆらりと立ち上がると、一歩前へ足を踏み出した。その視線は真っすぐにレックスへと向けられている。剣を血で染めたレックスはしばし呆然とした顔でフリアエのことを見下ろしていたが、自らの方へ歩み寄ってくるアレクセイに気づくと、その顔にはっきりと恐怖の色を浮かべた。
妹が刺された。妹がツラヌカレタ。妹ガコロサレタ。
(今度も俺は、何も守ることができないのか)
そんな想いが、アレクセイの脳裏を一瞬よぎる。だがそのすぐ後には、ならば復讐をという考えが頭の中を支配した。心なしか視界に移る景色が変わってきた気がする。レックスは銀の髪をした若い男ではなく、どす黒い赤色に発光した、人の形をしたモノへと変化していく。そうして世界は輪郭を失い、目に映る全てのモノは生きているかそうでないかという違いのみへと変わり……
「あなたっ!!」
そのとき、ソフィーリアから鋭くこちらを呼ぶ声が投げかけられた。
すると淀んだ想念に呑み込まれかけていたアレクセイの思考が、愛する妻の声で引き戻されていく。そうして一瞬の忘我のあとに、思い出したように激しい痛みが襲ってくる。それは自身を苛む炎によるものだった。だがかえってその苦痛が、アレクセイの頭をはっきりさせてくれた、
「ぐっ……私は……」
そうして再びその場に片膝を突くと、身を引いていたレックスが口の端を歪めて笑った。
「は、はははっ!なんだ驚かせやがって、この死に損ないがっ!」
いまだ炎は燃え続けているが、しかし徐々にその勢いも落ち着いてきている。アレクセイは少しばかり落ち着きを取り戻すと、冷静な頭で周囲の状況を確かめてみる。
フリアエはいまだ血に塗れたままだが、微かに背中が上下しているのが見て取れた。まだ息はある。だが腹から反対側まで開いた傷は明らかに致命傷だろう。後ろを振り返ってみれば、同じように腹を抑えて蹲るクレアの姿がある。その傍にはソフィーリアとエルサの姿もあった。
そして先ほどアレクセイが吹き飛ばした紫の騎士が、沼地から上がってくるところであった。冒険者が姿を変えたデーモンたちも、いまだアレクセイらを遠巻きに囲んでいる。
状況は依然として良くない。クレアは重傷だが、命に関わるような傷ではない。そしてどうやらデーモン化の呪いの方は治まったようだ。となれば急ぐべきはフリアエだろう。彼女を回収してこの場を脱し、落ち着いたところで傷を塞がねばならない。
アレクセイがそのように考えていると、不意にこちらを向いたソフィーリアと目が合った。夫の思考を読み取ったのだろう。彼女は決然とした顔で頷くと、驚くべき提案を口にした。
「あなた、私は≪竜潜り≫を使います!」
「≪竜潜り≫だと!?どこにそんなものが……まさか!」
ひとつの可能性に思い至ったアレクセイは、兜をそちらへと向けた。そこにはさっきまでソフィーリアと戦っていたフリアエの白竜がいる。いまだぐったりとしてはいるが、死んではいないはずだ。悪くはない案だが、はたして可能だろうか。
(いや、今は迷っている暇はない)
アレクセイは素早く考えをまとめると、デーモンたちに慄いていたエルサに指示を飛ばした。
「エルサ君!クレア君を抱えてあの白竜のところまで走れ!」
「えっ!?あ、は、はいっ!」
急に名指しされ慌てふためいたエルサであったが、すぐに顔つきを改めると大きく頷いた。敵に囲まれている中で、細かく説明している時間はない。
エルサも訳が分からないなりに、アレクセイの指示通りに動くつもりらしい。急いで霊狼のネッドを呼び出すと、二人してクレアの身体を担ぎあげていた。彼女とて若くとも一端の冒険者だ。状況判断ができないほどに素人ではない。
そしてソフィーリアなどは既に白竜の傍にいた。元いた場所から竜の倒れるところまでは僅かばかり距離があったが、おそらく≪闇霊≫の能力の一つである≪転移≫を使ったに違いない。彼女は竜の頭の前で跪き、聖句を唱えている。
となればアレクセイの役目は、フリアエの回収と時間稼ぎだ。そうしてアレクセイがいまだ意識なく倒れる彼女のもとに駆け寄ろうとすると、その前に立ちはだかる者がいた。あの紫の騎士である。
「何をしようとしているかはわからんが、ここから生きて帰すことはできんぞ?」
そう言う騎士の斬撃をアレクセイは大盾で受け止める。鋭く、言葉通り殺意に満ちた一撃だ。だがアレクセイの防御を打ち破るほどではない。
「いや、押し通らせてもらうぞッ!!」
「がはっ!?」
アレクセイは相手と密着したまま、盾に闘気を込めると一気に解き放った。ヴォルデン騎士の戦技、≪盾押し≫である。先ほどの一時的な暴走の余韻が残っていたのか、いつも以上に力の籠った闘気の放射は、またも騎士を沼地へと吹き飛ばした。
そしてアレクセイはそちらを見ることもなく、フリアエを拾うべく急ぐ。
そこでは丁度レックスが、彼女の懐から聖竜の鱗を抜き取ったところであった。その顔は火傷で酷く爛れていたが、目的を果たした達成感からか歪んだ笑みが浮かべられている。
「はは、やった!遂に取り戻したぞっ!……あづっ!?」
だがレックスが鱗を手にすると、またすぐにそこから白い光が溢れ出した。同時に熱も帯び始めたのだろう、レックスは今度こそ苦痛に顔を顰めると、思わずといったように鱗を放り出してしまった。
輝く神竜の鱗が宙を舞う。それを追ってアレクセイも反射的に手を伸ばした。そして指先が触れた瞬間に、それを拒否するかのような閃光が瞬いた。するとそれは直接的な衝撃となって、なんとアレクセイの右手を籠手ごと弾き飛ばしたのである。
「何っ!?」
驚くアレクセイであったが、ただ驚いてもいられない。その背後にデーモンが迫っていたからである。
一旦籠手と鱗のことは捨て置いて、アレクセイはフリアエを抱き上げた。その身体はまだ温かいが、しかし依然として動くことはない。アンデットの能力である≪生命探知≫で見てみれば、いまだに彼女の命の灯が消えてはいないことは分かる。だが予断を許さぬ状況であることには変わりないだろう。
「邪魔を、するな!」
大斧を振りかぶったデーモンの顔面を、聖竜の大盾でもって張り倒す。強烈な一撃をもらったデーモンは地響きを上げて倒れ込んだ。
この場にいるデーモンは、全てが三つの目を持つものどもである。伝承によるとデーモンは、目の数が多くなるほどに強くなるとされている。アレクセイがこの時代に蘇って最初に遭遇した個体は四ツ目であり、その力は今の魔物より明らかに強かった。思いもよらぬ敵とはいえ、デーモンとして見ればさほど手強い相手ではない。もっともそれはアレクセイだからこそ言えることではあるのだが。
続けて斬り込んできた二刀を持つデーモンの攻撃を防ぐと、その巨体を盾でもって押し返す。そうして相手の態勢が崩れたところに、アレクセイは蹴りを叩きこんだ。堅牢な聖竜の足甲によるそれは、魔物の身体を吹き飛ばした。デーモンはアレクセイよりなお大きいが、それでも半身ほどの違いしかない。やはり現れた悪魔が三つ目だったのは幸いであった。
更にアレクセイはフリアエを小脇に抱えたまま、もう一体のデーモンのもとへと飛ぶ。そこでは杖を構えた相手が魔法を放とうとしているところであった。自身の敵ではないといっても、遠距離攻撃持ちは厄介だ。こいつだけは早々に潰しておかなければならない。
エルサたちに狙いを定めていたデーモンは、急速接近してくる黒騎士の方へと照準を変えた。そうしてその杖の先から、黒い光を纏った雷光が放たれる。人間の時よりも遥かに強力な魔法の雷は、盾を構えて走るアレクセイへと命中した。しかしそれで足を緩めるということはない。アレクセイは一気に相手の懐に飛び込むと、その身体に盾を押し付けた。
「吹き飛べ」
そうして一気に闘気を放出する。至近距離から戦技を浴びたデーモンは、木々をなぎ倒して向こうまで飛んでいく。即死かどうかは分からないが、あれならば即時戻ってくるということもあるまい。
「整いましたわ、あなたっ!お戻りを!!」
「応!!」
ソフィーリアは立ち上がってからこちらに向けてそう言うと、再び白竜へと向き直った。
「ごめんなさい、貴方の身体を、しばしお借りしますね」
するとソフィーリアの身体が吸い込まれるように竜の中へ消えていったのである。そしてその身体が一度ビクンと跳ねると、ゆっくりと瞼が開けられていく。元は金色だった竜の瞳は、今は真紅の色へと変化していた。
「ひゃあっ!こ、こっち来ないで~~!!」
クレアを背負いながら悲鳴を上げるエルサの背後には、もう一体のデーモンがいた。だがその手の戦鎚が振り下ろされたのは彼女ではなく、悪魔の足元を駆けるネッドに対してであった。霊狼は素早い身のこなしでそれを躱すと、牙を相手の脛へと突き立てた。だがいかに低位とはいえ、伝説の魔物であるデーモンに大狼の攻撃が通じる筈もない。邪魔くさそうに振り回された手を跳躍で避けると、ネッドは悔し気に牙を剥いた。
だが囮としては十分であろう。エルサがなんとか白竜の元へと辿り着くと、竜は身を屈めて口を開いた。
『さぁエルサさん、クレアさんと一緒に私の上へ』
「え、えっと、ソフィーリアさん、なんですよね?すごい、憑依ですかこれ?」
『詳しい説明は後です』
間近に見る白竜の迫力に慄きつつも、その瞳が輝いて見えるのは冒険者だからか、あるいは霊魂遣いという職業柄か。彼女は感心しつつも手を止めることなく白竜の上へとよじ登った。そしていつの間にか用意していたロープで、自分とクレアを竜と固定する。僅かな時間で彼女なりにアレクセイたちのやろうとしていることを読み取ったのだろう。やはり聡い娘である。
「アレクセイさん、後ろです!!」
その彼女が警告を発したのと同時に、アレクセイは背後に向けて盾を投げうった。そうして高速回転する大盾が、すぐ後ろに迫っていたデーモンの腕を斬り飛ばした。更についでとばかりにレッサーデーモンを数匹ばかり両断する。それらをいなせば、エルサたちの元へはもうすぐだ。神竜の鱗を奪還できなかったのは痛いが、フリアエの身には代えられない。
そうやってデーモンを蹴散らして逃走しようとするアレクセイたちを、レックスが悔し気な顔で睨んでいる。だが彼は眼前に転がる神竜の鱗に目をやると、おそるおそる手を伸ばした。
「くそっ!せめて鱗だけでも……うわっ!?」
そのときである。
鱗を拾おうと屈みこんだレックスの尻を、何者かが突き飛ばしたのだ。騎士は無様に転がるとそこらの泥に頭から突っ込んだ。
「ぶっ!な、なんだお前は!?」
「あれ!?ミューちゃん!?」
その主はスライムのミューであった。今までどこにいたのか、この水玉はレックスの背後から体当たりをかましたのである。そうして相手が驚いている間に、なんと神竜の鱗をぱくりと呑み込んでしまったのである。半透明の身体の奥に、小盾ほどの鱗が揺蕩っているのが見える。
「き、貴様ぁ!それを返せ!」
すぐさま我に返ったレックスが剣を振り下ろすが、ミューはそれをたやすく避けるとぽよんぽよんと跳ねて
いってしまう。向かう先はもちろん白竜とエルサの方だ。
「でかした!」
それを見てアレクセイは喝采を上げた。後は一目散にこの場を離れるのみだ。自身と白竜の間に立ちふさがっていた最後のレッサーデーモンどもを張り倒すと、アレクセイは妻に向かって叫ぶ。
「ソフィーリア、飛べッ!!」
アレクセイの声を受けてソフィーリアが憑依した白竜が翼を広げる。そうして力強く羽ばたくと、その巨体がふわりと浮き上がった。アレクセイもまた飛び始めた彼女のもと目掛けて大地を蹴る。跳躍したアレクセイの両肩を、白竜の前脚がガッシリと掴む。丁度そこに先ほど投げた盾が帰ってきたので、アレクセイは宙づりの状態でそれを掴んだ。
「急いでこの場から逃げましょう!」
そう言うエルサの胸にはぐったりとしたクレアが抱えられていた。彼女により止血程度はされたのだろうが、いまだ顔色はよくない。それにもっと治療が必要なのは、アレクセイの腕の中にいるフリアエも同じだ。ちなみに鱗を呑み込んだままのミューは、いつの間にかエルサの背にくっ付いている。
「だがソフィーリア、後ろから追手が来ているぞ」
アレクセイが兜を動かすと、地上から数体のレッサーデーモンが飛んできているのが見えた。彼らは本家のデーモンより遥かに弱い代わりに、空を往く翼を持っている。竜は空の王者だが、傷ついた身体で自分たちを抱えていれば、追いつかれる可能性はある。
『エルサさん、しっかりと捕まっていてくださいね!』
それを見たソフィーリアは言うや否や、急速旋回するとデーモンたちの方へと向きを変えた。そして大きく顎を開くと、そこから白く輝く炎が吐き出したのである。頭の近くでそれを見るアレクセイには、そのブレスがあの神竜の鱗が発した光と同じ類のものに感じられていた。聖なる竜の息吹はレッサーデーモンたちを呑み込むと、彼らを一瞬で灰塵へと変えたのである。
「すごい……」
「ソフィーリア、今のうちだ。全速力でここを離れるんだ」
『ええ、あなた』
アレクセイがそう言うと、竜は愛する妻の声で答えたのだった。




