表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
86/135

第75話 ヴァート湿原

「いつも思うのだが、迷宮とは本当に不思議なものなのだな」


 辺りを見回しながら、アレクセイはそんな感想を漏らした。


 土竜の穴ぐら(モウルズホール)に訪れた翌日のこと。バルダーの街の迷宮である≪ヴァート湿原≫に足を踏み入れた一行は、眼前に広がる光景に大きな驚きを受けていた。


 そこには、実に広々とした湿原地帯が広がっていたのである。


 背の低い草に覆われた大地がどこまでも延々と続いており、所々に大小の水たまりがあることがここからでも分かる。またそこには川も流れており、思い出したようにむき出しの岩が顔を覗かせていたりもする。奇妙に曲がりくねった木々もあちこちに生えていて、時折それらが密集して小規模な藪を形成していたりもしていた。


「確かに、水底の奥にこのような世界が広がっていれば、昔の人たちも大いに驚いたことでしょうね」


 アレクセイの横でソフィーリアもまたそう述べては、周囲に視線を向けている。


 ヴァート湿原へは、大きな池に飛び込むかたちで入ることになった。"白竜の鱗亭"の主人の話では、バルダーの村に初めに現れた迷宮への入り口は井戸の底であったということだから、恐らくはそれを使いやすいよう改修して、あのような形になったのであろう。おかげで重装かつ巨体のアレクセイでも、難なく迷宮に入ることができた。


「うむ。鎧を着たまま泉に飛び込むというのは初めてだったが、意外に気持ちがよいものなのだな」


 通常であれば、鎧を着たまま水に浸かるということはない。無論騎士たちの間では鎧を身に着けたまま泳ぐ方法も伝えられてはいるのだが、進んでそれを行う者はいなかった。それは生前のアレクセイも同様であった。


 アンデットの身であれば溺れることなどあるはずもないので思い切って飛び込んでみたのだが、存外にあれも悪くはないとアレクセイは感じたものである。


「ん~~……ふぅ。それにしても、やはり空が見えている方が、気持ちが晴れるというものですわね」


 湿原の上方に広がる大空を見上げながら、ソフィーリアがそんなことを言った。


 アレクセイたちが最初に目にした迷宮は≪廃墟都市マジュラ≫であり、その次は≪ミリア坑道≫なる地下道である。そしてつい先日潜ったのが≪アガディン大墳墓≫と、実に陰鬱な雰囲気の迷宮ばかりであった。


 ここの空にも雲がかかってはいるが、マジュラのそれとは違い空全体を覆いつくしているわけではない。青い空が垣間見えるだけで、随分と雰囲気が変わるというものだ。


「おい貴様ら!いつまでそうやっているのだ!任務の最中だということを忘れるなよ!」


 アレクセイたちが湿原の空気を味わっていると、向こうからそんな声が飛んできた。無論その主は騎士のレックスである。先日とは異なる部分鎧を着込み、腰に長剣を吊っているその姿は、一見すると冒険者のようにも見える。


「あの騎士殿もこの街の出身というからな。当然潜ったこともあるのだろう」


 アレクセイの隣に立つクレアが、同じようにレックスへと視線を向けながらそう呟いた。


 昨夜晩餐を共にしたときに、彼女の方から共に行動することを提案され、アレクセイらはそれを了承していた。


 隠し事の多いアレクセイたちではあるが、余人と行動を共にすることを臆することもない。魔術師のカインや教官のアネッサとあれだけ一緒にいたのだから今更であろう。


 もしクレアがいるうちにフリアエと対面しても、彼女であれば理を持って話せば納得してもらえるのでは、という思いもあった。


「さて、では騎士殿が癇癪を起こす前に、私たちも行くとしようか」


「うむ」


 こうしてアレクセイたちはクレアを臨時の一党(パーティ)に加え、ヴァート湿原の奥へと進むことにしたのである。


 総勢三十五人の冒険者たちはそれぞれが小規模の一党に別れると、等間隔に距離をとって迷宮の中を進んでいた。


 なにせ湿原というからには、この迷宮の地面の多くはぬかるんでいるのだ。人数が多ければ行軍の速さは人それぞれであり、連なって歩くには些か適さない地形なのである。


 幸いなことに見通しはよく、起伏はあれどなだらかなものばかりなので、互いを見失うことはない。これならば上空から白竜が襲い掛かってきたとしても、すぐさま対応できるだろう。


 それにこうしていれば、それぞれが普通の冒険者の一党に見えなくもない。いかにも討伐隊然として進むことは、相手にこちらの存在を気取られる可能性もあった。


 一同は指揮官のレックスを中心に円形に散開すると、なんでもない風を装いつつ、迷宮の最奥へと歩みを進めていった。


「しかしこうして見ると、ますます普通の湿原地帯にしか見えんな。少なくとも≪迷宮(ダンジョン)≫とはとても呼べん」


 魔物の気配を探りつつ、アレクセイは誰に言うでもなく言葉を零した。そしてそれに答えたのはやはりクレアである。


「まぁアレクセイ殿の言うことも分かるよ。私もこれまでいくつかの迷宮に潜ったけれど、()()()()()ものは返って少ないくらいだったかな」


「ふむ……ではなぜ人々はこれらを迷宮(ダンジョン)と呼ぶのだろう?」


≪廃墟都市マジュラ≫も≪ミリア坑道≫も複雑な構造をしてはいたが、どちらも本来は生活のための空間であり、迷宮とは言い難い。≪大墳墓≫などは一見するとそれらしいが、その造りに侵入者を迷わせるような意図は別段見られなかった。


 そしてこの≪湿原≫に至ってはもはや自然の一部分でしかない。少なくとも人の手が入っていないことは明らかだろう。


 アレクセイがかねてより抱いていた疑問に、しかしクレアはあっさりと答えを返してきたのである。


「おや、ご存じないのかな?世界で最初に発見されたのが≪迷宮(ラビリンス)≫の形をしていたんだよ。それゆえに、あの七色に輝く光の先に広がっている全ての空間は迷宮(ダンジョン)と呼ばれるようになったのさ」


「はじまりの迷宮か……ふむ、些か興味があるな」


「そうかい?私は少し前にあそこに潜ったんだが、あれは実に面白い迷宮で……」


 アレクセイがクレアの話に耳を傾けた、その時である。


「鎧トカゲが出たぞー!!」


 こちらの随分前を進んでいた他の冒険者たちから、そんな声が上がったのだ。


 声のする方へ頭を向けてみれば、彼らの進む先の丘の向こうから、魔物の群れが姿を現わしてきたのである。十数体の巨大なトカゲらしき魔物が、怒涛の勢いでこちらへと押し寄せてきていた。先ほど声を上げた冒険者の一党が、真っ黒な波と化した魔物たちに呑み込まれていく。


「数が多いな。あれでは騎士殿の所まで達してしまうね」


 クレアの言う通り、もとより冒険者たちは防御の陣形を組んでいたわけではない。案の定前方の冒険者たちの間をすり抜けた魔物たちが、中央のレックスらの方へと向かっていく。アレクセイたちは等級の低さを理由に最後尾の位置を歩かされていたので、魔物たちがここまでやってくるには時間がかかる。


「気に入らぬ男だがあれでもこの任務の依頼者だ。助けぬわけにはいくまい」


 言うや否やアレクセイは妻にエルサとミューを頼むと、レックスたちに加勢すべく走り出した。

 重厚な鎧を着ているとは思えない走りを見せるアレクセイの横には、クレアがぴったりと張り付いてきている。


(ほぅ……)


 アレクセイとて別に全速力というわけではない。人前につき怪しまれないよう力を抑えてはいるのだが、それでも相応の速さで駆けているだ。そこに実に涼しい顔で追従してくるのだから、やはりクレアもまた只者ではないだろう。


 そうこうしているうちに、魔物と戦うレックスの元に到着する。


 自ら剣を振って戦う騎士は、流石に尊大な態度をとるだけあってなかなかの腕前の様である。帝国とギルドの規定によりレックスは兵を連れてきてはおらず、彼は数名の冒険者を護衛としていた。

 その中でもレックスの実力は最も高いものであったようで、一人で三体の魔物を相手取っていた。


「これが鎧トカゲか。実に名前のままだな」


 それは、見るからに硬そうな鱗に全身を覆われた大トカゲであった。四本の足で地面を踏みしめて歩く姿は、普通のトカゲと変わらない。だがその体長は目算でも三メートルはあり、小さいが鋭い牙の並んだ口もまた大きい。あれに噛みつかれれば只ではすまないだろう。


 こちらに押し寄せてきたときはそれなりの速さで走っていたようだが、本来は鈍重な魔物なのだろう。噛みつき攻撃や太い尾による攻撃も見切るのは容易く、対峙するレックスに痛痒を与えるには至っていないようである。だが名前に相応しい防御力は兼ね揃えているようで、レックスもまた致命傷を与えかねているらしい。


「む!貴様か、無礼な冒険者め!ちょうどいい、同じ鎧同士だ、こいつらは貴様に預けるぞ!」


 そう言って騎士はさっさと後ろに引いてしまう。

 まぁ加勢に来たわけなのでそれでもいいのだが、それにしても"同じ"とはどういう言い草だろう。思い入れの深いこの(からだ)を、トカゲ風情と一緒にしてもらっては困るというものである。


「まぁいい。それではこの迷宮の尖兵の力、見せてもらおうではないか!」


 アレクセイは剣を抜くと仁王立ちとなり、三体の鎧トカゲと対峙した。魔物らはアレクセイを強敵と見たのか、いきなり襲い掛かってくるようなことはしない。別に知性があるわけでもなかろうが、間合いを計るかのようにこちらと距離を取っている。


「来ないのなら、こちらから行くぞ!」


 アレクセイは地を蹴ると、最も手近な一体へと肉薄した。そして反応できずにいる相手の脳天目掛けて、大上段から剣を振り下ろした。アレクセイの振るう無骨な大剣が、、鎧トカゲの頭部を覆う鱗にぶち当たる。


「……む?」


 しかし剣は鱗に食い込んでそれ以上進まず、トカゲの頭を両断することはなかった。見れば先ほどまでこげ茶色だった鱗が白く変色している。原理は分らぬが、どうやらこの現象によって鱗の硬度を増しているらしい。


「おおおおおおおおっ!」


 だがアレクセイはそれには構わずに剣を押し込んだ。巨漢の黒騎士の膂力を一心に受けた刀身が鱗を容易く打ち砕くと、予定通り魔物の頭をかち割ったのである。


「……ふむ。面白い鱗をしているな。このような亜竜は見たことがない」


 どしゃりと力なく倒れる鎧トカゲを見下ろして、アレクセイはそんな感想を抱いた。それを見ていたクレアが、呆れるように言ったのである。


「やぁ、すごい力だねぇ。こいつの鱗は瞬間的に鋼鉄以上の硬さを持つから、並みの戦士にはしんどい相手でね。普通は魔法で弱らせてから倒すのさ。ほら、あんな感じにね」


 クレアの指さす方向を見てみれば、そこでは冒険者の魔術師が放った雷が魔物に炸裂するところであった。鎧トカゲがひるんだ所を、すかさず他の冒険者たちが手に持つ武器でもってめった刺しにしている。鱗は白くなってはおらず、それに彼らは鱗のない部分を攻撃している様子であった。


「こいつは眼とか、あとは腹のあたりも鱗がないからね。そこが狙い目だって話なのだけれど……」


「まぁ硬いことは硬いがな。言うほどではない」


≪アガディン大墳墓≫で戦った玉ねぎゴーレムと比べれば何ほどのことでもない。あちらはより頑丈なオリハルコン製であったし、それすらも斬り伏せたアレクセイにしてみれば鎧トカゲの鱗は問題にはならなかった。


 ただ衝撃を受けた瞬間に硬度を増すという性質は、なかなか面白い。あれを使えば、さぞや面白い防具が作れることだろう。


 アレクセイは久方ぶりにそんな"防具好き"の面を覗かせながらも、戦いの手を緩めることはなかった。


 もう一匹の鎧トカゲも、飛び掛かってきたところを大盾で押しとどめると、その頭を殴りつけた。相手は衝撃でひっくり返ると無防備に腹部を晒したので、すかさずそこを斬る付けてみる。


 今度は鱗に阻まれることもなく、アレクセイの剣は魔物の腹を真っ二つに斬り裂いた。腹は随分と柔らかいようであったので、これならば普通の冒険者の武器でも致命傷を与えるのは難しいことではないだろう。


 これは敵わぬと見たのか、残る一体が慌ててその場から逃げ去ろうとする。

 アレクセイはこれを追おうと身を乗り出しかけたのだが、それよりも前に自信の脇から影が飛び出した。


 クレアである。


 剣を鞘に収めたままひた走る彼女は、あっという間に鎧トカゲを追い抜くとその眼前に躍り出た。


 そうして彼女が魔物の進路に立ちふさがると、相手も足を止めざるを得ない。鎧トカゲはクレアの存在を認めると、彼女を排除すべく大口を開けて飛び掛かったのである。


 黒髪の女剣士は右手を剣の柄に添えたまま、動こうともしなかった。


 その刹那。


 クレアの身体が一瞬ぶれた。


 するとその後、彼女は身体を逸らして、飛んでくる鎧トカゲの巨体をひらりと躱したのである。目標を失った魔物の身体が、湿地の草むらに勢いよく落下する。


 だが鎧トカゲに起き上がる気配はない。見れば頭の方から魔物の血が流れ出ていた。


 そしてクレアは魔物の方を見ようともせず、すたすたとこちらへと戻ってくる。そこに浮かんでいるどこか気恥ずかし気な笑顔を見ながら、アレクセイは先ほどの彼女の剣技にいたく感銘を受けていた。


(あの若さで、よくもここまで練り上げたものだ)


 全くもって感心する他ない。

 クレアはあの一瞬で懐の剣を抜くと、鎧トカゲの頭を斬りつけ、再び鞘へと仕舞い込んだのである。その刃は違うことなく()()()()()()()を切断し、その先の頭蓋にまで至ったのだ。およそ普通の冒険者にできる芸当ではない。むしろ普通の人間では、それら一連の動きを見切ることさえ難しいだろう。


(確か彼女は、未だ二十歳にもなってはいないと言っていたな)


 昨晩の夕食時に、そのような話を乙女らとしていたのを覚えている。それが事実であるなら、まさに驚嘆すべき腕前だ。


「見事だ、クレア君。そちらこそこのような魔物は敵ではあるまいに」


「……うぅん、どうも」


 アレクセイがそのように彼女の剣技を称賛すると、クレアは頬を僅かに染めてそこを指で掻いた。こうしていると確かに、彼女はいまだ年若い乙女に見える。


「あぁ、いや、私はまだまだ二ツ星だからね。精進しなきゃだよ」


「うむ。それは私も同じだな」


 思い出したように手を振る娘の姿に、アレクセイは大真面目に同意する。目の前の黒騎士も同じ二ツ星であることに気が付いたのか、クレアは「まいったね」と言って涼やかな笑い声を上げたのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ