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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
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第72話 竜狩り

「さぁ来いッ!闇に穢れし神の末裔よ!俺が貴様に、ここで終止符を打ってくれる!!」


 岩の隙間から飛び出した白い何かが、目の前の巨大なるものに向けて大音声で叫ぶ。


 それは白銀の甲冑を纏った、ひとりの騎士であった。

 重厚な鎧で僅かにも肌を晒すことなく巨大な大盾を携え、その手には光が輝く大剣が握られていた。


「「ガァァァァァァァァァ!!」」


 尋常ならざる威圧感を伴った咆哮が響き渡る。

 その主、騎士の聖剣の切っ先が向けられた先にいたのは、一頭の巨大な竜であった。


 黒より黒い、闇のような色合いの鱗。怒りと憎しみしか感じられない、炎よりも真っ赤な瞳。牙のひとつひとつが人の胴回りほどもある、恐ろし気な(あぎと)。凶悪なまでに殺意を伴った造形をしている、巨大な爪。


 頭の先から尻尾の末にいたるまで、その身体の全てに邪悪な意思を滾らせた、まさに暴竜であった。

 だがこの怪物は、竜にあって竜にあらず。




 邪神竜グロズヌイ。




 遥か太古のことばで"恐怖"を意味するそれは、分かたれた古の神の四肢が竜の姿をとったものであり、まさしく神話の時代の存在であった。そして天上の神々が光と闇の陣営に別れて戦った際、混沌の側に与したものの最後の生き残りでもある。


 およそ人が及ぶところではないのは明らか。


 だがその胸には、一本の巨大な"槍"が深々と突き刺さっていた。竜より遥かに小さき存在であるはずの者が、先の戦いでグロズヌイの身体に埋め込んだものである。


 その痛みが、彼の竜の怒りを増大させたのだろう。

 邪神竜がその顎を大きく開けると、その喉奥には"黒"が入り混じった炎が揺れていた。


 "黒炎"


 それは本来、神の力のひとつであるはずの"炎"が、ねっとりとした闇を供ったものである。


 何かを温めたり、癒したりというものではない。

 ただ命を焼き尽くすためだけに存在するその炎が、白き騎士に向かって放たれた。黒炎は大地を()()()()()()()瞬く間に広がると、目の前の小さな人間を包み込んだ。


 騎士は咄嗟に盾を構えたようだが、たかだか鋼の石が形を変えただけの物に、何が防げるというのか。邪神竜グロズヌイはまるでそれをあざ笑うかのように喉の奥を鳴らした。


 いや、実際に笑ったのだろう。

 神の一端でもあるこの闇竜は、そうして常命の者たちが崩おれていくのを何よりの楽しみとしていたのだから。


 だが、そうはならない。

 なぜなら、邪神竜と対峙した人間もまた、人の中の英雄であったからである。燃え盛る闇の炎の中から、朗々たる声が響く。


「全ての命あるものの敵よ!!我が剣の、大いなる神の威光を見よ!!」


 眩いばかりの光が、暗く重い炎を吹き飛ばした。するとそこには、堂々と聖剣を掲げて立つ白き騎士の姿があったのである。騎士はそのまま、輝く剣をグロズヌイへと向け振り下ろした。


 剣から放たれた白き閃光が、闇と炎を切り裂いて邪神竜へと迫る。そしてそれは不意を打たれた邪神竜の顔面を直撃した。


「ガァァァァァァッァ!!」


 邪神竜の絶叫が空間に木霊する。


 だがそれは痛みからくるものではなく、矮小たる存在に顔をはたかれたことに対する、純然たる怒りによるものであった。この程度の攻撃は、肉を得た神たるグロズヌイにとってさしたる痛痒にはなり得ないのだ。


 とはいえ羽虫が顔の周りを飛び回るというのは、邪神竜であってもうっとおしいもの。


 グロズヌイはその身より巨大な翼を広げると、宙へと浮かばんとした。

 漆黒の翼が開かれた様は、あたかも夜の闇が空を覆ったかのようなものである。もとより邪神竜の一時の住処でしかないこの山の火口は、巨大な身を持つ神の末裔には狭すぎた。


 人が決して至れぬ大空より蹂躙する。


 至極単純なそれこそが、人が竜に敵わぬ一番の理由であった。


 そしてなればこそ、人はそれを克服しようとするのだ。


「今だッ!!」


 大音声で騎士が叫ぶ。すると火口の更に上、岩場の淵に、灰色の空を背景にして一人の人間が現れた。いや、それは"人間"ではなかった。


 なぜなら大弓を構えるその男の耳が、長く尖っていたからである。


「はぁっ!!」


 悠久の時を生きる森人(エルフ)が、勇ましい声と共に一矢を放った。矢は七色の光を纏って、吸い込まれるように邪神竜の片翼を貫いた。


「グギャァァァァァ!?」


 今度の絶叫は、心の底から叫ばれたものであった。

 大いなる祝福を受けた魔法の矢によって翼を射貫かれた邪神竜は、なす術もなく飛ぶ力を奪われ、無様にも地面へと滑落したのである。


 神の末裔が、地に落ちる。


 数万年の時を生きてなお経験し得なかった事態に、グロズヌイは大いなる混乱と恥辱にまみれていた。そして弱き者たちが、その隙を見逃すはずもない。


「ほいりゃあああああ!!」


 奇妙な掛け声とともに何処からか躍り出たのは、人よりなお小さい鉱人(ドワーフ)の戦士であった。だがその肩に担がれているのは、その者の数倍はあろうかという戦鎚である。


 鉱人は自身より遥かに巨大な戦鎚を軽々と持って飛び上がると、まるでコマのように空中でくるくると回転し始めた。


 大道芸だと、笑うことなかれ。


 恐るべき速さにまで達した回転の遠心力を利用し、鉱人は戦鎚を邪神竜の前足へと叩きつけた。それはこの世のどんな鉱物よりも硬いはずの鱗を、一撃で打ち砕くほどの威力であった。


 だが鉱人の戦鎚による攻撃は、これで終わりではなかった。


 戦鎚の金槌の部分から白い蒸気が吹きあがると、鱗を砕いていた突起が勢いよく射出されたのである。そして打ち出された"巨大な釘"は、グロズヌイの右前足を大地へと縫い付けた。


 邪神竜の絶叫が、再び火口内に響き渡る。


 そしてまるでそれを合図にしたかのように、今度は文字通りの"巨人"が姿を現した。人間の白騎士も人としては規格外の大きさだが、この巨人はそれとは比較にならない。


 巨人は邪神竜の前足、釘によって地面に縫い付けられたものとは反対側の足に組みつくと、やおら呪文を唱え始めたのである。するとグロズヌイの片足はまるで石に変わったかのように動かなくなった。邪神竜と同じく神代の時代の末裔である巨人の、封印の術であった。


 ならばその巨人を黒炎をもって焼き尽くしてやろうと、邪神竜は牙を覗かせたのだが、果たしてそこから闇の息吹(ブレス)が吐き出されることはなかった。なぜなら無数の稲妻と白き炎の玉が、闇竜の身体を打ち据えたからである。


 それを放ったのは、邪神竜から遠く離れた位置に立つ、二人の人間であった。

 一人は鍔の広い巨大な帽子を被った、白髭の老人。そしてもう一人は白い法衣を靡かせた、美しい娘であった。彼らは尋常ならざる魔力と法力にて、次々と雷や炎を邪神竜へと浴びせていった。


 そうして僅かずつではあるが、グロズヌイの身体に傷が刻まれていく。そうするうちに老人の放った強力な魔法の稲妻が、邪神竜の尻尾の付け根の鱗を打ち砕いた。


 竜の尾は力の源。そこに生じた致命的な間隙を、やはり小さき者たちは見逃さなかった。


 影から飛び出した一人の剣士が、手にした剣を一閃させる。異国よりやって来た黒髪の剣士によって、グロズヌイの尾は根元から切り落とされたのである。


「アレクセイ!!」


 剣士が叫ぶ。


「応ッ!!」


 それに答えた"白騎士"アレクセイは、鎧の重量をものともせずに高らかに跳躍した。狙うは邪神竜の喉元、グロズヌイの命の源である"逆鱗"であった。


「おおおおおおおおおおおおおおッ!!」


「グガァァァァァァァl!!」


 雄たけびを上げて突き出された聖剣の刃が、吸い込まれるように竜の喉元へと埋まっていく。


 この一撃が勝敗を決した。

 剣が抜かれアレクセイが地面と降り立つと同時に、巨大な邪神竜の身体が横たえられたのである。そうして神代の時代から生き続けていた竜は、呪詛の言葉を吐いて息絶えた。


 小さき者たちの勝利である。


 このときより、"大盾のアレクセイ"は人々より"竜狩り"と呼ばれるようになる。






「それが我々と、神竜との戦いだ」


 宿屋の一室にて。

 その言葉で、アレクセイは長い過去語りを締めくくった。


 リーデルからこの街に"神竜の鱗"があったことを聞かされたアレクセイは、それが何かを知らぬエルサのためにかつての話を聞かせていたのである。


「しかしよもや、あの邪神竜の話すら後世に伝わっていなかったとはな」


 その脅威を良く知っていたアレクセイらにしてみれば信じられない話ではある。


 邪神竜グロズヌイは、かつてこのリーヴ大陸全土を恐怖に陥れた厄災であった。それはあの魔王が北の果てより現れるよりも前の出来事であり、人間同士で争っていた当時の国々を恐怖させたほどの存在であった。


 その強大さゆえに、各国が一時的に戦を止め、協力してこれの討伐することにしたのだ。

 絶大な力を持つ邪神竜に、大軍をもってしてあたるのは愚策である。だから各国は各々の陣営から勇者を選出し、グロズヌイを滅ぼすための刺客とした。そうしてヴォルデンから選ばれたのが、アレクセイとソフィーリアであった。


「魔王登場以前の話は、ほとんど失われていますから……それくらい魔王の存在が、当時の人々にとって脅威だったのだと思います」


「そういえばこの時代では四大神の名すら、一般的には忘れられているようですものね」


 ソフィーリアもそのように言って渋い顔をする。

 彼女が気にしていない素振りをしていたので敢えて触れてこなかったが、五百年後の現代では炎神ゾーラの名前すら伝わってはいないのである。


 人々が信奉しているのは太陽神ソラリスなる唯一神であり、その他に神などいないとされているのだ。

 この世界を作ったのは火、風、地、水の四大神だと()()()()()アレクセイからすれば滑稽にも思える話だが、ことさら彼らの教義を否定しようとは思わない。いち宗教団体が他の神を貶めようとするのは、ままよくあることだからだ。


「神の名は神のもの。私たちがどうこうできるものではありませんから」


 以前このことをソフィーリアに訊ねてみたら、そのような答えが返ってきたものである。神官戦士として直に神の御力に触れる彼女からすれば、いくら人々が口で否定しようとも、その存在を疑う余地はないということらしい。


「邪神竜も四大神の名も伝わっていないのなら、まぁ彼らがヴォルデンのことを知らぬのも仕方のないことかもしれんな」


「ですがこの街の人々においては、その限りではなかったということでしょう。少なくとも最近まで、神竜の鱗がここにあったのですから」


 宿屋の主人から詳しく話を聞いたところ、バルダーの街では古くからその鱗が村の宝として奉られていたらしい。それは人々の心のよりどころでもあったようで、どんなに生活が貧しくともそれを余所に売り払うような者はいなかったのだそうだ。


 ではなぜ北の難民の村でしかなかったこの地に、そのような物があるのか。


 アレクセイは邪神竜グロズヌイを倒した際、ヴォルデン騎士の竜狩りの習慣として、その鱗を一枚持ち帰った。そしてそれをある場所に寄贈したのである。自分はここまで立派になったのだと、亡き両親に示したいがために。


「まさかこの街の人々が、クリサルイの村の末裔だったとはな」


 絞り出すような声で、アレクセイは呟いた。

 それは自身が生まれ育った村の名であった。アレクセイは自らの勇者の証を持って、故郷へと凱旋したのである。既にアレクセイの生家はなかったため、鱗は村唯一の教会に預けられることになった。


 神竜の遺物を田舎の寒村に置くなど不用心極まりないと、反対する者も少なくなかった。だが最終的には王がこれを認め、またソフィーリアらによって厳重な守りの術が掛けられたため、アレクセイの要望は無事叶えられることになったのだが。


「そ、それを盗んだ人がいるってことですよね……」


 少しばかり怯えたような表情になりながら、エルサがそう零す。その視線は片膝を上げて床に座り込む、巨漢の黒騎士へと向けられている。久方ぶりにアレクセイから溢れる、"恐怖(フィアー)"の気に当てられているようだ。


「あなた」


 見かねたソフィーリアが窘める。


「む、すまん」


 アレクセイの全身からうっすらと立ち上っていた黒い煙が消える。すると部屋全体を包まんとしていた嫌な気配もすっかりと消え失せた。


 アレクセイの胸中は複雑であった。


 故郷クリサルイの子孫がこうして生き残っていたことは、素直に嬉しく思う。だがこの街に来て出会った幾人かの人物は、およそヴォルデン人の末裔に似つかわしくない者たちであった。それだけで全体を推し量ることなどもちろんできないが、リーデルやその父親から話を聞いて、この街の人々が健やかに暮らしているとは言い難いと感じていた。


 何より気にかかるのは、街の名士の家の者が、伯爵の館から"神竜の鱗"を盗み出したという話である。

 聞けばこの地を治めるゴデスラス伯爵は、北部とは縁もゆかりもない一族だという。そのような者の館になぜヴォルデンの至宝とも言うべき鱗があったのか。


 なんにせよこうなったからには、見過ごすことなどできるはずもないだろう。


 さてではどうするかをアレクセイたちが話し合っていると、不意に部屋の扉が控えめにノックされた。席を立ったエルサが扉を開ける。するとそこにはこの宿屋の娘、リーデルが立ち尽くしていた。


 そして彼女は意思の強そうな目でこちらを見据えると、奇妙なことを言い出したのである。


「アンタたちにお願いがあるんだ。あの子を……フリアエを捕まえてほしいんだ」


 そう言う彼女の手は、一枚の紙をきつく握りしめていたのである。

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