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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
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第70話 白竜の鱗亭

「誰だか知らないけど、助かったよ。一応礼は言っとくよ」


 金髪の娘はぶっきらぼうにそう言った。先ほどまで真っ青であった顔色も、幾分か血の気が戻ってきている。


「うむ。ただまぁ、あまり騎士に対してあのような口を利くものではないな。命がいくつあっても足りんぞ」


 アレクセイは彼女の言葉に頷きつつ、そのように忠告した。騎士たる者が往来で若い娘に斬りかかるのは論外だが、彼女の態度が問題であったのも事実である。首を刎ねられるほどのことではないにせよ、鞭打たれても文句は言えない状況であったのだ。どうやら娘とあの騎士は知り合いであるらしいが、必ずしもそれがいい方向に働くとは限らない。


「そうだよ、リーデル。あたしなんかのために、あんたが危険な目に合う必要はないんだよ」


 娘と同じようにあの騎士に絡まれていた老婆が、リーデルと呼ばれた娘をそのようにたしなめる。もともとは彼女が最初に騎士たちに捉まっていたようだが、目の前の娘はそれを横から助けたに過ぎない。


 だがいかにも気の強そうな娘は、心外だとばかりに老婆に言葉を返した。


「何言ってんのさ!ばっちゃんがそんな風に言うことなんてないよ!もとはと言えばレックスの奴が悪いんだ。いくらあいつのことで気が立ってるからって、ばっちゃんにまであんな態度とるなんて!」


 どうやらこの老婆もまたあの騎士の関係者らしい。

 さてどうしたものかとアレクセイが考えあぐねていると、いつの間にか傍まで寄ってきていたソフィーリアが顔を寄せてきた。アレクセイは娘たちに聞かれないよう、腰を落として妻の声に耳を傾けてみる。


「どうした?ソフィーリアよ」


「あなた、いきなり前に出ていかれるものですから、私驚いてしまいました」


「む、すまん」


 アレクセイとしてはそう言って首を垂れしかない。いかにもヴォルデン人の末裔らしき騎士が、平民の娘と悶着を起こしていたのだ。それで白昼堂々と剣を抜くものだから、つい飛び出してしまったのである。


 もっとも、アレクセイが彼らに害されることなどあるはずもないことは、妻とて分かっていることだろう。なので彼女が心配しているのは、もっと別のことだと思われた。


 アンデットであるアレクセイたちは、そもそもが世を忍んで旅をしている身分である。そんな状況の中でなんとか故郷の情報を集めようとしているのだから、ここで貴族に目を付けられるというのはまったくもって良い話ではない。ここまで収穫はほとんどないとはいえ、折角ヴォルデンの手掛かりになるかもしれない街に辿り着いたというのに、それは自ら可能性の芽を摘むようなものである。


 アレクセイは娘を助けたことを後悔はしていなかったが、自らの迂闊な行動をいくらか恥じた。だがソフィーリアはそんな夫を見て一転、にっこりと表情を改めた。


「ですがあなたが彼女を救ったおかげで、丁度いい接点ができました。ここは彼女らに協力してもらうことにしましょう」


「む、ソフィーリア?」


 訝しむアレクセイをよそに、ソフィーリアは娘と老婆に向き直ると、行儀のよい笑顔を浮かべながら切り出した。


「先ほどは危ないところでしたね。この街の騎士さまは随分と乱暴なことをなさるみたいで、お怪我がないようで何よりでした。ところで貴方は、やはりこの街の方なのですか?」


「あ、あぁ、うん。そうだけど……?」


 ソフィーリアの鉄壁の微笑みを前に、娘はなぜかたじろぎつつ言葉を返した。

 向かい合う二人の身長を比べれば、エルサと同じくらいしかないソフィーリアの方が圧倒的に小さい。彼女の本来の姿は目の前の娘をも上回る長身なのだが、現在はヴォルデン人ならぬ一般的な少女くらいの背丈しかない。


 だというのに、ソフィーリアの小さな身体からはなにか不可視の壁のようなものが出て、娘を威圧しているようであった。ソフィーリアはそんな笑顔を保ったまま「そうなのですか」と頷いた。


「私たちは見ての通り冒険者なのですが、つい最近この街に着いたばかりなのです。ですがこの街の方々はその、あまり余所者を好いてはいらっしゃらないのですね。私たちはただ聞きたいことがあるだけだというのに、皆さんからはひどい応対をされるばかりで……」


「そ、そうなんだ」


 ソフィーリアが悲し気に目を伏せてため息をつくと、娘もまた釣られたように相槌を打った。


「ええ。きちんと対価はお支払すると伝えてはいるのですが……"火を分け与えられたなら、薪を差し出しなさい。さもなくば篝火は消え去らん"と申しますのに」


 ソフィーリアが頬に手を当てて困ったように吐息を漏らす。

 金髪の娘は「こいつは突然何を言っているのだ?」と言わんばかりの顔をしていたのだが、それを聞いていた後ろの老婆が、はっとしたように目を見開いたことにアレクセイは気が付いた。


「あ、貴方は……」


「ん、どうしたのばっちゃん?」


「……リーデル、そのお嬢さんの言う通りさね。危ないところを救われたんだ、恩には奉公で報いなきゃね。この街の人間がみんな恩知らずと思われるのは、婆も嫌だからね」


 老婆はそう言うと首から掛けていた飾り物を握りしめ、ソフィーリアに一礼した。老婆の手の中にあるものを見て、アレクセイもまた納得した。それと共に、この街にもまだ自身の知るヴォルデンの教えを守る人間がいることに安堵したのである。


(同じ老人でも、あのヒルデなる者とは大違いだな)


 アレクセイは内心で苦笑せざるをえない。リーデルはいまいち分かっていなさそうな様子であったが、素直に老婆の言うことに従ってアレクセイたちを案内し始めた。彼女の家はこの街で宿屋を営んでいるらしく、いまだ今夜の寝床を確保していないアレクセイたちを、自身の家に招いてくれるというのである。


 リーデルのあとをついて歩きながら、エルサがソフィーリアへと顔を寄せた。


「ソフィーリアさん、先ほどリーデルさんに言われた言葉は、どういうものなのですか?」


「あれはヴォルデンで信仰されていたゾーラ教の教えなのです。他者に何かよいことをされたら、その分だけ相手に返しなさい、そうすればいいことの輪は続いていきますよ、というものなのですが。あの方は篝火を模した首飾りをしていたでしょう?それでもしやと思い至ったのです」


 銀の髪を持つとはいえ、エルサは北部ならぬ地で生を受けた人間であるので、知らなくても当然であろう。この時代では基本的に太陽教なる宗教が信奉されており、五百年前のように大陸の各地に多くの宗教が存在するというような状況ではないという。


 だが信仰というものはそう易々と消えるようなものではない。たとえ巨大な国や偉大な王がいたとしても、極論を言えばそれらは日々を生きる民には関係のない事柄なのだ。だが信仰は、日常の中にまで息づいているものである。いくら時が経とうとも、簡単に消えるようなものではない。


 もっとも先の言葉をリーデルは知らないようであったから、今では年かさの人間くらいにしか伝えられていないようではあるが。


「さ、着いたよ。ここがあたしのウチ、"白竜の鱗亭"だよ」


 そう言ってリーデルが指さしたのは、さほど大きくはない一軒の宿屋であった。木造の三階建ての建物は、この街ではよくある造りだ。それなりに年季は入っているようであったが、まぁよくある街の宿屋といった外観である。だからアレクセイとソフィーリアは、彼女が口にした宿の名前そのものに耳を奪われていた。


「白竜の……」


「鱗亭だと?」


 そう言って"白竜の聖女"と"竜鱗の騎士"は、互いに顔を見合わせたのであった。






「おいリーデル!お前ただの使いにどんだけ時間をかけてやがる!」


 娘に連れられて宿の中に入るなり、奥からそんな声が投げかけられた。見ればこれまたいかにもヴォルデン人らしい筋骨隆々の大男が、厳めしい顔をさらに歪めて厨房から顔を出していた。壮年の顔立ちは全く似てはいないが、気の強そうな緑の瞳はどことなくリーデルの面影がある。


「うっさいよ!お客さんの前でデカい声出すんじゃないよクソ親父!」


 自身もまた大音声を張り上げて、リーデルはそちらへと向かっていく。そうして厨房に入ると一度顔を出し、アレクセイたちにその辺に座るように言うとまた顔を引っ込めた。客はアレクセイたちの他には一人だけであったので、そちらからは離れた位置に陣取り、腰を下ろすことにした。そうしてひと心地つくと、宿の中を見回してみる。


「ほう、外から見たときは分からなかったが、中はどことなくヴォルデンを思わせる造りなのだな」


 雲が厚いがゆえに陽の光の弱いヴォルデンでは、せめて家の中だけでも明るくしようと、壁や家具を白や灰色に揃える傾向がある。この白竜の鱗亭もそれに倣ってか、内装を白色に統一していた。また卓や椅子もがっしりとした木製で、巨体であるアレクセイでも安心して座れる造りである。寒さの厳しい北とは違い暖炉は至って標準的なものであったが、それ以外は実に北部的といってもよい宿屋であった。


「わ、なんだかこういうのって、お洒落ですよね」


 エルサにはこういった造りは珍しいようで、きょろきょろと宿のあちこちに視線を向けている。確かに、白に統一された壁や天井というものは、より清潔感が溢れて見えることだろう。少なくともこれらはラゾーナやサルビアンでは見られなかった内装である。これがここ独自のものなのかバルダーの一般的な装飾なのかは分からないが、より故郷を感じられるこの宿をアレクセイたちは好ましく思っていた。


 そうしてしばし待っていると、やがて厨房からリーデルと宿屋の主人であろう父親が出てきた。どうやら彼に事情を説明していたらしい。リーデルは何やら頭を押さえており、主人は(いわお)のような顔を申し訳なさげに歪めていた。そうしてこちらまでやってくると、娘の頭を掴んで共に腰を折ったのである。


「あんた達にはウチのが世話になったみたいだな。不出来な奴だが、こんなんでも大事な娘だ。礼を言わせてくれ」


 いかにも荒くれじみた見た目に反して、この父親は礼節を弁えているらしい。この街の門兵やギルドの受付もこのくらいであれば、アレクセイたちもバルダーにもう少しいい印象を持てたはずなのだが。


「なに、大事にならずに何よりだ。とはいえ、もう少し娘らしくしとやかであれば、父君も安心できただろうにな」


 アレクセイが気安い感じでそう言えば、頭を上げた主人も口の端を歪めて笑った。


「ちげぇねぇ。男親だからか、俺に似ちまってな。顔はそうでもねぇが、口は悪くなっちまった。おかげで嫁の貰い手がつかねぇくらいだが……危うく永遠にその機会が来なくなるとこだったぜ」


「うっさいってば!」


 リーデルはそう言って父親の腕を叩いたが、丸太のように太い腕を僅かに揺らす程度であった。


「さて、娘からざっと事情は聞いた。なんでもこの街の古い話を集めているそうだな?それならあんたら今夜はウチに泊っていってくれ。これでも腐っても酒場の親父だ。噂や言い伝えはいろいろと知ってるから、あんたらの欲しい話もあるかもしれん」


 これは思わぬ僥倖もあったものだ。確かに宿屋といえば、市井ではもっとも話の集まる場所のひとつである。宿は旅人が集う施設だが、それと同時に彼らにその地の話を聞かせる役割もある。それにこれだけヴォルデン風の内装をしている宿屋ならば、北の風習や歴史などについても伝わっている可能性は十分にあるだろう。


「申し出をありがたく受け取ろう。我らもこの街の人々には少々難儀していてな。貴殿のような者がいて大いに助かった」


「貴殿なんて大したもんじゃあないがな。ただまぁ、最近のバルダーは色々と、な」


 主人はそう言って顔をしかめると、傍らの娘の方を見やった。リーデルもまた不満げな顔で俯いている。アレクセイはそれを見て思うところがないでもなかったが、ここで口に出すようなことはしない。詳しい事情を主人から聞いてみなければ、どのような判断を下すこともできないだろう。


「ま、詳しいことは飯の後だな。今日は客も少ないし、ちと早ぇが飯にしてくれねぇか?そうすりゃその後にいくらでも話を聞かせてやるぜ?」


 主人がそう言うのであれば、アレクセイたちには是非もない。大人しく彼の言うことに従うことにした。


 そうしていくらか早い夕餉を取ることにしたのだが、いざ迎えてみれば皿が出てくるわ出てくるわ。近くを流れる大河で獲れたものであろう大小様々な魚の料理に、豚や羊、鶏を使った肉料理の数々。付け合わせの野菜やつまみも実に豊富で、まさに豪勢としかいいようのないもてなしである。


 アレクセイたちはラゾーナとサルビアンの迷宮でそれなりの稼ぎを得ていたが、この街で無駄に消費したせいで、あまり贅を尽くせるほどの蓄えはない。それでも旅には問題ない程度の金は手元に残っていたが、さすがにこれらの代金を支払えば尽きてしまうことだろう。


 特に財布を預かるエルサは頬を引きつらせていたのだが、そんな自分たちの心配を主人は笑い飛ばしてみせた。


「まさか娘の命の恩人から銅貨を毟ろうなんざ思っちゃいねぇよ!ウチの娘は出来は悪ぃがこんな料理よりかは価値はあるってんだ。遠慮なく食ってくれ。それにあんたそんな身体してんだから、普通の奴が食べる量じゃ物足りねぇだろ?」


「う、うむ。ありがたい限りだ」


 アレクセイはぎこちなく頷いた。不死であるアレクセイは食事を必要としないのだが、分厚い鎧を纏っていれば普通の人間にはそんなことは分かるはずもない。

 こういう時はこれまでならエルサのみに頼らざるをえなかったのだが、今はそうではない。サルビアンでの騒動で、アレクセイは心強い味方を得たのである。


「ほう、この魚料理は絶品だな」


 兜の隙間から焼き魚の切り身をねじ込んで、アレクセイはそう声を上げた。些か棒読みに聞こえるかもしれないが、主人が気づいた様子はない。見ればエルサははらはらとした顔で、妻は笑いを堪えるかのような表情でこちらを見つめていた。


 肉の身体を持たないアレクセイが、なぜこうして食事ができるのか。それは、鎧の内側にスライムのミューを仕込んでいるからであった。


さまよう鎧(リビングメイル)≫であるアレクセイの身体は鎧そのものであり、その内側はがらん胴である。なので食べ物を口に入れるふりをしても、常ならそれは鎧の中にべちゃりと落ちてしまう。それでアレクセイが何か感じるわけでもないのだが、何より汚いし、飲み物であれば隙間からだばだばと溢れてしまうことだろう。


 だが決まった形をもたないスライムのミューであれば、そこに収まることが可能なのだ。この街に入る前に一度試してみたのだが、鎧の中にミューを入れたとて、アレクセイに影響があるわけではないと分かった。となれば僅かな異物感を除いて、これは使える手ではないかと思い至ったのである。

 些か不格好ではあるが、全く物を食わないよりは自然に見えるだろう。それにミューはなかなかに大食漢のようだから、こういう場合には特に役に立った。


 こうしてアレクセイはエルサとともに、白竜の鱗亭の料理に舌鼓を打つことになった。もっともアレクセイは実際に食べているわけではないので、味のほどはわからない。だがようやっとバルダーの街について聞くことができるのだと思えば、不思議と食事の手が進むというものであった。


(……少しばかり、ソフィーリアのの料理が恋しく感じるな)


 アレクセイはそんなことを思いつつ、川魚のパイを体内のミューへと分け与えたのであった。



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