表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
80/135

第69話 堕落の街の騎士

 結局アレクセイたちは、話を聞くことなくヒルデの自宅を後にした。


 金になると分かると態度を豹変させた老婆によからぬものを感じたこともあるが、そもそもこのバルダーの街は広い。彼女以外にもかつてのヴォルデンについて知る人間がいるだろうと踏んで、他の者から話を聞いて周ることにした。


 だがそんなアレクセイたちの考えは、実に甘いものであったと思い知らされることになったのである。


「あ?この街の古い歴史が知りたいだぁ?そんならまずは出すもん出してもらおうかぁ?」


「ご先祖さまの話?知らないねぇ……それよりこいつを買っておくれよ?」


「お!冒険者さん、亜竜の素材があるなら高値で買うよ!……なに、昔のことについて知りたいだって?ケッ!持ち込みじゃねぇなら帰りな帰りな!」


 等々、けんもほろろである。

 街の住人たちはみな、初めはいかにも歴戦の冒険者に見えるアレクセイを見て愛想よくするのだが、目的がかつての故郷の情報収集と見るや、一様に態度がつれなくなるのである。


 別にアレクセイたちも、情報に金を払わないつもりではない。アレクセイたちが生きていた五百年前であっても、古い歴史や言い伝えにはそれだけの価値があった。知識のしもべである魔術師などであれば、それらに値千金の価値を見出す者もいたことだろう。


 それに今のアレクセイたちは決して貧乏所帯というわけではないのだ。冒険都市ラゾーナやサルビアンの街での活躍によってそこそこの金を手にしたので、街に入る際の入場料にだいぶ持っていかれはしたが、二ツ星冒険者としては十分な額の金が手もとに残っている。


 自分たちの故郷のことがかかっているのだから、なんとなれば金に糸目をつけるつもりはないのだ。


「そうは言ってもあの様子ではな……そもそも金を払ったところで、ロクな話を聞ける気がせん」


 アレクセイは民家の壁に寄りかかりながら、腕を組んでそう唸った。街での情報収集を一旦打ち切った一行は、大通りの脇に寄って小休止としていた。アンデットであるアレクセイやソフィーリアは疲れとは無縁であるが、エルサはぐったりと石段に腰かけている。若くとも冒険者である彼女がこの程度で疲労するはずもないので、おそらくは気疲れであろう。


 横に座るソフィーリアも浮かない顔だ。もっともアレクセイとて、ヴォルデン人の末裔らしき人々の強い拝金主義をこれだけ見せられれば、気持ちが萎えないはずもない。


 バルダーの街の住人たちを数多く見たことで、彼らが故郷ヴォルデンの血を引いているであろうことは、ほとんど確信に近いものとなっていた。少なくとも身体的特徴は、北部人の血族でなければありえないものばかりである。だがその精神性は、かつて騎士の国と謳われたヴォルデン王国の民の在り様とはかけ離れたものであった。


「無論ヴォルデンの民とて、銅貨をないがしろにしていたわけではありません。それにゾーラの教えとしても、商人が金を稼ぐことを非難するようなこともありませんでした。ですがこれは……」


 平時では民と接することも多い聖職者のソフィーリアが、そう言いながらため息をついた。金のために兵士になったアレクセイにしても、さすがにこれは行き過ぎではないかと思う。

 人が生きていくために金が必要なことはいつの時代も同じだが、この街の住人たちのそれは些かひどく感じられるのである。


 街を周っている間にも、商人たちと喧々諤々のやり取りをする冒険者たちの姿があちこちで見られたのだ。やはりここの人間たちのやり方は、この時代の人間からしても問題があるのだろう。


「故郷の手がかりに辿り着けて、少々浮足立っていたのかもしれん。ひとまず宿をとって、そこで少しばかり策を練るとしよう」


 アレクセイはそう提案して、一同を立たせた。ここでこうしていても仕方がない。大人しく金を払って話を集めるなり他の方法を探すなり、対策を考え直す必要があるだろう。


 そうして宿屋に向かうべく大通りを歩き始めたアレクセイたちであったが、前方に人だまりができているのに気が付くと、その足を止めることになった。なぜなら人垣の向こうには馬に乗った騎士風の男たちと、その前に仁王立ちする若い娘の姿が見えたからである。


「なんだって!?もう一度言ってごらんよ!!」


 やじ馬たちの先で、娘が大音声で叫ぶ。娘の背後には、うずくまる老婆の姿がある。どうやら男たちとその老人の間に、娘が割って入ったかっこうであるようだった。


 娘もまたこの街の住人なのだろう。そこらの冒険者と比べれば遥かに背が高く、普通の町娘だろうに身体つきはしっかりしている。くすんだ金髪を無造作にひとまとめにして肩口から前に垂らしている。美人ではあるのだろうが、気の強そうな濃紺の瞳には、激情の炎が渦巻いているように見えた。


「だから我々はそのババァから話を聞こうとしていただけだ!それを横からしゃしゃり出おってからに、関係のない者が口を挟むな!」


 馬上で苛立たし気に声を荒げている若い男もまた、この街の人間なのだろう。短く刈り込んだ銀髪はその怒りを現わすかのように逆立っており、鍛え上げられているであろう巨体を金属鎧に包んでいる。また河原で出会ったフェリシア似の娘と同じように、その身には帝国の意匠が施された赤いサーコードを纏っている。どうやら男は正式な帝国の騎士であるらしく、背後に連れているのは部下たちのようであった。


 騎士の言葉に若い娘は柳眉を逆立てて声を上げた。


「あんた、それがガキの頃から世話してくれたお年寄りに言う言葉なの!?騎士になって恩義も礼儀も忘れちまったってのかい!?」


「ええい、知った風な口を聞くな!貴様とて古い馴染みだからとて容赦はせんぞ!?」


 彼らの会話を聞いてアレクセイはなんとなく両者の関係に思い至ったが、それでどうするということもない。ただどうにもその場を離れる気になれず、ひとまず傍観することにした。そうする間にも、両者の言い争いは白熱していく。


「ええ、どうするってんだ!あたしもしょっ引くっての?いいさ、やってごらんよ!鞭で打とうってんなら好きにすればいい!あたしは逃げも隠れもしないよ!」


「リーデルもうお止め、あたしは大丈夫だからさ……」


 老婆が袖を引くものの、リーデルと呼ばれた娘は激しやすい性格なのか、耳に入っていない様子であった。


「あんた、昔はそんな奴じゃなかった。騎士になってからおかしくなっちまったんだ!そんなんだからフリアエにも愛想をつかされちまうんだよ!」


 その言葉を聞いて、頭に血が上っているらしい彼女とは反対に、騎士の男は幾分冷静さを取り戻したようであった。


「フンッ、そういえば貴様も奴とは馴染みの仲であったな。まさかバルダーの民たる貴様が、領主である伯爵様に牙を剥いた犯罪者を匿っているというようなことはあるまい?」


 男の言葉に娘は一瞬ハッとなったが、すぐに顔色を取り戻すと馬上の騎士を睨み返した。


「さぁ、知らないね。仮に知っていたとしても、あんたなんかに教えるもんか。"負け犬レックス"なんかにはね!」


 あてつけのように彼女がその名を呼ぶのを聞いて、騎士の表情がピシリと凍り付く。と同時に周囲の観衆からひそひそと囁く声が聞こえてきた。


「あぁ、誰かと思えばありゃプロカスんとこの倅かい。騎士になったんか」


「何?お前知らなかったのか」


「こいつは最近この街に帰ってきたからな。ここの住人なら知らねぇ奴はいねぇぞ、なんせ"出戻りレックス"だからな」


 どうやら声を潜めて話しているのはバルダーの人間たちらしい。その声色からは嘲笑が感じられる。居丈高な騎士の男はあまり街の住人たちに好かれてはいないようだ。見たところまだ若いし、年かさの人間ほど彼を低く見ているようである。


 だが相手は曲りなりにも騎士である。騎士とは武を修めた者であり、基本的には貴族に連なるものだ。仮に出自が平民であるにせよ、為政者の側である以上、本来なら民は最低限でも敬意を表さなければならない。そしてそれらの人間の中には鷹揚にして、気位が高いものも多いのである。


 それをこのように衆目の前で笑いものにしたらどうなるか。


 しばし顔を伏せて肩を震わせていた騎士は、ゆっくりとその面を上げた。そこには限界にまで張りつめられた激情があった。騎士の男は剣の柄に手をやると、迷うことなく中身を抜いた。白昼の街中での抜刀に、群衆からざわめく声が漏れる。


「貴様ら、好き放題言ってくれおって……帝国騎士たるこの俺を愚弄したのだ。覚悟はできているのだろうな」


 押し殺したような騎士の声に、観衆は蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。だが男はそれを追おうとはせず、血走った目で眼下の娘を見下ろした。逃げる機を失ったのか、それとも騎士の異様な雰囲気に当てられたのか、娘は呆けたように相手を見上げている。見れば顔面蒼白となっており、先ほどまでの勢いはとうに消えてしまっていた。


「リーデル、丁度いい。貴様の首を晒せば、あいつも出てくるかもな」


「レ、レックス、あんた……」


 娘が震える声で何かを言う前に、騎士はその剣を振り上げた。天高く上げられた剣と馬に乗った騎士の影が、娘の姿を覆い隠す。そして騎士は引きつったような笑みを浮かべると、馬上から勢いよく剣を振り下ろしたのである。


「っ!!」


 空を焼き切るような勢いで走った刃が、娘の首を落とそうとする、その刹那。


「この国の騎士は、私情で民を裁くことを許されているのか?」


 娘に向かって振り下ろされた刃は、アレクセイの籠手に包まれた大きな手によって捕まれ動きを止めていた。

 突如現れた巨漢の黒騎士の姿に、娘はもちろん馬上の騎士もまた驚愕している様子であった。


「な!?き、貴様!どこから湧いて出た!?」


「いやなに、たまさかこの場を通りかかってな。事情が分からぬ内は手出しすまいと思っていたのだが、流石に見ておれんのでな」


 こうしてアレクセイが掴んでいるうちは、騎士は僅かなりとも剣を動かすことは適わない。この若者もなかなかの手練れに思えるが、アレクセイの膂力の前にはどうすることもできないだろう。


 叩けば埃の出る身であるアレクセイが、このような形で国家の権力者たる騎士に接するというのは、決して好ましい状況ではない。


 だがアレクセイはヴォルデンの騎士として、か弱き民が傷つけられる様を傍観し続けることはできなかったのだ。いくらかは娘の自業自得とはいえ、流石にその場で斬られるほどのことではないだろう。それに彼らとてヴォルデンの血族であるのだ。尚更アレクセイが見て見ぬふりをすることはできるはずもない。


「貴様っ!冒険者風情が離さんか!」


「無礼は重々承知している。だがどうかこの場は引いてもらえぬだろうか。騎士が街中で娘を斬るというのも、聞こえがよいことではないだろう」


 アレクセイはできるだけ相手を刺激しないよう、務めて冷静に言葉を続けた。ここで目の前の若者をのすことは簡単だが、いかなアレクセイとて公権力に易々と喧嘩を売るような真似はしたくない。特にこの騎士は怒りやすい性格であるらしい。


(激しやすいのもヴォルデン人の性ではあるが……こんなところまでもが残っていなくてもよいだろうに)


 この若者といい背後の娘といい、短気は損気とはよく言ったものである。とはいえ騎士もそう簡単に引く気はないらしい。


 そうしてアレクセイたちがしばし膠着状態に陥っていると、向こうから馬車の一団が近づいてきた。二頭の騎手に護衛された、やたらと豪勢な馬車である。それは通りの真ん中でにらみ合うアレクセイたちのすぐ傍で止まると、不意に馬車の窓が開け放たれた。


「お前はこんなところで何をしておるのだ、レックスよ」


「こ、これは伯爵閣下!」


 どうやらそれは騎士の主である貴族であるようだ。アレクセイからでは顔は見えないが、壮年の男である。伯爵と呼ばれた男は騎士とその剣を掴むアレクセイ、そしてその後ろの娘の姿を見ると、呆れたように大きな息を吐いた。そしてさも面倒そうに手を振る。


「またお前は短気を起こしておるのか……大事の前だというのに、一体何をやっておるのだ。もうよい、そんな娘など捨て置いてさっさと来るのだ。客人を待たせてはならん」


 伯爵はそれだけ言って窓を閉めると、何事もなかったかのように馬車は進んで行ってしまう。どうやら街の中心にある自身の館へと向かっているようだ。


「は、伯爵閣下!お待ちを!ええい、いつまで掴んでいるのだ!早く離さんか!」


 アレクセイが手を放すと、騎士はさっと剣を引いて腰の鞘へとしまった。そして憎々し気にこちらを睨みつけると、マントを翻して馬車を追いかけていってしまった。そして後には呆然とした娘と老婆、そしてなんともいえない心持ちとなったアレクセイが残ったのである。


(民が民なら騎士も騎士か。一体、ヴォルデンはどうなってしまったというのだ……)


 アレクセイが悄然と空を見上げると、そこだけは五百年前となんら変わりのない、灰色の空が広がっていたのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ