表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
77/135

第66話 白竜の娘

 最初に動いたのは、娘の方であった。


 突如姿を現した巨漢の黒騎士への驚きから立ち返ると、すぐさま川岸に置いてあった剣へと手を伸ばしたのである。そうして彼女がこちらに切っ先を突きつけて、ようやっとアレクセイも我に返ることができた。


(フェリシアが、なぜここに……)


 それでもアレクセイは、自分の中の驚きをすぐに呑み込むことができないでいた。アンデットになって意識的に感情を動かすようにはしていたが、これはそんな必要がないほどの衝撃であった。


 なにせもう決して会うことのない相手との対面なのである。妻のソフィーリアと今は亡き息子のウィルを除けば、唯一家族と呼べる存在であったのだ。


(そうだ。彼女がフェリシアであるはずはない。ここは五百年後で、ヴォルデンはもうないのだから)


 アレクセイはそのことを強く意識することにした。すると昂っていた感情が一気に落ち着くのを感じた。これもアンデットの特性であろうか。


(しかし見れば見るほど、彼女とよく似ている)


 剣を構え厳しい視線を向ける娘の姿を、アレクセイはまじまじと見つめた。


 フェリシアはアレクセイの妹であった。とても美しい娘で、自身と同じ銀の髪をしていた。目の前の娘もそれは同じで、どういうわけかフェリシアのように腰の上まである髪の長さまで同じであった。妻のソフィーリアはそれを見て「銀の川が流れているようだ」と言っていたものだ。


 そして驚くべきは彼女の紫の瞳である。エルサやラリーでも持っていなかったヴォルデン人の証を、この娘は持っていた。


 その輝きはソフィーリアが憑依した時のエルサのそれと同じだ。ぱっちりと大きな瞳も、優しそうに少し下がった(まなじり)もフェリシアそっくりである。記憶の中の妹のものと、まるで変わらなかった。


 ただ今は、その顔にアレクセイも見たことのないような警戒の色を強く滲ませている。


「……剣を収められよ。私は、君を害する者ではない」


 アレクセイは娘に対して手を上げて、自分に敵意がないことを示して見せた。だがそれでも彼女の態度は変わらない。

 確かに足音もなくこんな巨漢の男が忍び寄ってくれば、年頃の娘ならば警戒して当然であろう。


 とそこで彼女がいまだに一糸纏わぬ姿であったことを思い出した。今しがたはついまじまじとその姿を凝視してしまったが、騎士としてはもちろん伴侶ある身としてもあるまじき行いであった。


「失礼をした。まずは衣服を着替えられるがいい」


 アレクセイはそれだけ言うと娘からの応答を待たずに後ろを向いた。


 だがここから立ち去るつもりはない。自分たちは滅びたという故郷のことを調べるためにここまでやってきたのだ。そこで偶然にもヴォルデン人の末裔らしき妹そっくりの娘に出くわしたのだから、話を聞かねば旅をしてきた意味もない。


 少し間をおいてから、背後から衣すれの音が聞こえてきた。そうしてしばし時間が経った後、着替え終わった娘が立ち去る気配がないのを感じて、アレクセイはゆっくりと向き直った。


「君は冒険者……いや、もしや騎士であるのか?」


 そして着替え終わった娘の姿を見て、アレクセイは思わず呟いた。


 着替え終わった娘の姿は、明らかに戦う者のそれであった。比較的軽装ではあるが、それでも彼女は金属製の鎧を纏っていた。精緻な紋様が刻み込まれた胸甲は、どことなくソフィーリアの神官戦士の鎧を思わせる。下半身は丈の短いズボンを履いて、露出した脚を太ももの中ほどまであるロングブーツで包んでいた。


 それだけならば、前で戦う冒険者の装束とも言えるだろう。だがアレクセイが彼女を騎士ではと思ったのは、それらの装備の上から緋色のサーコートを着込んでいたからである。そこに描かれているのはエルサから教えてもらった帝国の紋章であるし、そもそもサーコートを着ることを許されるのは騎士の身分の人間のみだけだ。


 娘はいまだ髪の毛から水を滴らせながらも、油断なく剣を構え続けている。


「貴方は一体、何者なんですか?」


 細身の剣をアレクセイに突きつけながら、娘はそう問いかけた。少し低めな、けれど柔らかなその声までが妹のフェリシアと瓜二つであった。


 アレクセイはまずは娘の警戒を解くべく、自らの名を名乗ろうとした。と、その時である。それまで感じていた、魂の表面を炙るかのような感覚が一層強くなった。そして同時に娘の背後の水面から、何かが姿を現わさんとしたのである。


(む、これは……ッ!)


 川の中から出現したそれを見たアレクセイは、思わず腰の剣に手を伸ばしていた。


 それは純白の鱗を持った、一頭の竜であったのだ。


 大きさは、竜としてはまだ小さいほうであろう。それでもそこらの荷馬車よりも大きく、今は折りたたまれた翼を広げれば、人間を数人ばかり乗せて飛ぶことなど造作もないはずだ。鋭い牙が並ぶ顎には、これまた大きな魚が咥えられている。どうやら今まで河に潜ってこれを捕まえていたらしい。


 だがそれよりも驚くべきことは、竜がまるで娘を守るかのように彼女の横に並び立ったことであった。フェリシアによく似た娘は、アレクセイから目を外すことなくその頭に手をやっている。


「……その竜は、君の眷属なのか?」


 アレクセイは剣の柄から手を放して、彼女に問いかけた。


 ここで彼女が竜をけしかけてきたとしても、問題にはならないだろう。見たところまだ成竜ではなさそうだし、かつて"竜狩り"と呼ばれたアレクセイが手こずるとは思えない。


 ただ気になるのは、その金色の瞳に見据えられると異様なまでの熱さを感じるということだ。これはあの≪ミリア坑道≫で、ソフィーリアの≪聖炎≫を受けたときに感じたものとよく似ていた。


「……私のことは、忘れなさい」


 アレクセイに敵対の意志がないことを信じたのか、娘はそう言うとひらりと身を翻して白竜の背に飛び乗った。


「待て!君に聞きたいことがあるのだ!」


 アレクセイが引き留める間もなく、娘を乗せた竜は天高く飛び上がった。そして最後に眼下で見上げることしかできないこちらをちらりと見て、白竜に乗った娘は遥か向こうに飛び去ってしまったのである。


 そうしてアレクセイはただ呆然と、青い空を見つめることしかできなかった。






「まぁ!フェリシアさんが!?」


 その日の夜のことである。

 ミューの餌探しを終えて少女たちの元に帰ってきたアレクセイは、そのとき見たものを妻たちに伝えることにした。


 当然ながら、アレクセイの妹のことを良く知るソフィーリアはひどく驚いた様子である。対象的にエルサなどは落ち着いていて、思案気に顎に指を当てている。


「うむ。顔といい声といい、彼女にそっくりであった。無論フェリシア当人でないことは理解しているつもりだが、あそこまで似ているとな」


「人の気配など、まるで気が付きませんでした。この身体になって、そういったことには以前よりも敏感になっていると思っていたのですが」


 それはアレクセイも同じことである。戦士ではないエルサは除外するとしても、自分とソフィーリアの二人が揃ってその存在に気が付かないなど極めて稀なことである。


「騎士のような格好をしていたし、見たところ剣術の心得もあるようだった。それに白竜を従えていたとあれば、まぁ只の町娘などではあるまいよ」


 白竜は以前遭遇した黒竜と同じく、火竜の亜種とされる魔物である。火竜よりも強力な吐息(ブレス)を吐き、強靭なスタミナや強い力は原種を上回ることから、一般的には上位種とされていた。何より黒竜よりもさらに数が少ないため、その存在自体が稀なのだ。


 そしてその美しい鱗は、古くから狩人や騎士たちから求められることが多かった。またその多くを返り討ちにする程度には、強力な魔物であったのだ。それをあのように使役できるということは、何がしかの特別な力の持ち主かもしれない。


「そうですね。"竜遣い(ドラゴンテイマー)"は昔から貴重な存在でしたし、気になりますわ。なにより、紫の瞳だったということは、まず間違いなく私たちと祖を同じくする者のはずです」


 紫の瞳は当時でもヴォルデン人のみが持つ身体的特徴であった。アレクセイやソフィーリアも当然そうであるし、妹のフェリシアであっても例外ではない。そのことからも、あの娘がエルサやラリーよりも遥かに濃くヴォルデンの血を引いているであろうことが窺えた。


「それにしても、フェリシアさんですか……他人とは分かっていても、私も一目お会いしたかったものですわ」


「そうだな。私もその一点だけは、嬉しく思っている。この見知らぬ時代に合って、久方ぶりに故郷を感じられたのだからな」


 アレクセイが自身の妹と最後に会ったのは、魔王討伐の遠征に出るしばらく前のことであった。


 普段は王都にて生活しているアレクセイとは異なり、彼女は故郷の村で日々を暮らしていた。アレクセイよりも前に婚儀を上げていたフェリシアは、当時で既に三人の子を持つ母であった。そうして夫とその家族と共に、生まれ育った場所に根を張っていたのである。


 王都で共に暮らそうと何度も声を掛けたものだが、彼女は首を横に振るばかりであったのだ。

 フェリシアは生まれ育った寒村以外の生活を望まなかった。四騎士に任ぜられたアレクセイの影響もあって暮らしぶりは豊かになったが、それでも見知った土地を離れることをよしとしなかったのだ。


 そうしてどこか切なげな表情で微笑むフェリシアの顔を見ると、若い時分に村を出たアレクセイはなんとも言えない気持ちになったものである。


 そして魔王の脅威が王国に迫る以前に妻と共に里帰りしたアレクセイは、故郷でしばしの間彼女ら一家との情愛を育んでいたのだ。それが、妹と会った最後の記憶である。


「というか、アレクセイさんって平民の出だったんですね」


 話を聞いていたエルサが何かに納得したように頷いた。そういえば彼女と出会ってそこそこの時間が経っていたが、あまり互いの身の上について話したことはなかった。


 滅びたヴォルデンについて調べたいというのは、完全に自分たちの都合である。詳しく話そうとしないのでつい忘れがちだが、彼女はもともとアレクセイたちの「力」を目的に旅を共にしているのだ。それは北の最果てにあるという難攻不落の迷宮を攻略するためである。


 だからなのか、エルサはあまり立ち入ったことを聞かずに、これまでアレクセイたちの故郷調査に協力してくれていた。なのでこちらもまた多くを語らずに、エルサとの交流を深めつつもどこか一線を引いて接してきたのである。


「君には話す機会もなかったし、また必ずしもその必要はなかったからな。遥か過去のことなど、興味はないだろうと思っていたしな」


「……ないことはないですけど、その、あまり深く聞くのはお二人に悪いかなって思って」


 どうやらエルサは自分が過去について尋ねれば、アレクセイたちに否応なく当時の記憶を蘇らせることになって、嫌な思いをさせるかもしれないと遠慮していたようだ。


 彼女との出会いは必ずしも友好的なものではなかったが、やはり本質的には優しい娘なのだろう。それはここまでの旅路の中でも、十分に理解できていた。


「むしろ聞いてくれた方が嬉しいかもしれません。あなただって、ヴォルデンの血を引いているかもしれないのですもの。覚えてくれる方は、一人でも多い方がいいですわ」


 ソフィーリアはそう言って優し気にエルサの髪を撫でた。かつてのアレクセイと同じ、銀色の髪である。瞳の色は紫ならぬ蒼であっても、彼女もまたヴォルデンの血族なのだ。


 彼女を撫でる妻の横顔は、昼間と違って随分と大人びて見える。無論実年齢を鑑みれば、アレクセイの妻であり一児の母でもあるソフィーリアは立派な成人女性だ。だがここ最近の彼女の振る舞いはむしろ見た目の年齢通りに思えていた。


 だがこういう風にエルサに接しているソフィーリアを見ると、可愛らしいという感情はいっかな湧いてはこない。


(やはり君は美しいのだな、ソフィーリアよ)


 ふとそんな言葉が脳裏に浮かび、アレクセイは内心で苦笑しながら首を振った。今は妻のことではなく、フェリシアと故郷のことを語るべきだろう。


「では折角だ、少し話すことにしようか。私と妻と妹と、そして今は滅びた故郷のことを」


 そうしてアレクセイはぽつりぽつりと、昔のことを語り始めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ