第64話 命名の夜
三章はここまでです。
この後は間章を挟めつつ、あまり間を置かずに四章を始めたいと思います。
「昇級おめでと、お二人さん」
サルビアンの街の宿屋の食堂。その奥まったところのテーブルで、アネッサがジョッキを片手にそう言った。
同じ卓につくアレクセイとソフィーリアの手の中には、鈍く輝く冒険者の証がある。そこには一人前の冒険者であることを示す、二ツ星の紋様が刻まれていた。
図らずも≪アガディン大墳墓≫で起こっていた冒険者行方不明事件を解決したアレクセイたちは、その対価として、それまでの一ツ星から二ツ星への昇級を果たしたのである。もっとも、それはアレクセイたちが自ら望んだことではないのだが。
「あんたらついこの間冒険者になったばかりなんだろう?それでもう星二つなんてスピード出世じゃないか」
「我々としては、あまり目立ちたくはないのだがな」
ただでさえ、巨体に漆黒の全身鎧を纏ったアレクセイは目立つのである。壁に立てかけた自慢の大盾もことさら人目を引いており、今も食堂のあちこちから視線を向けられているのを感じる。
そうであるから、冒険者として名を上げることは本意ではないのだ。そのつもりで冒険者になったわけではないし、こんなことで変に目を付けられるのも面倒だ。
とはいえ、先の迷宮での一件は仕方のないことだとも思う。亡霊の少女マユとミオにまつわる一連の出来事を、見逃すことなどできるはずもなかった。
(ある程度、覚悟はしておいた方がいいかもしれんな)
薄々思ってはいたが、どうやらこの時代において、アレクセイたちが穏便に旅を続けることは難しそうだ。人ならぬアンデットである以上、ある程度の騒動は仕方がない面もある。だが自分や妻の性格からして、目の前の悪事や他人の不幸を見過ごすことはできないだろう。人々の安寧を守護する騎士と神官戦士ならば、それは当然のことである。
(だが線引きは必要だ。我々は、この時代の人間ではないのだから)
力を持つからこそ、己を戒めねばならない。
それにアレクセイたちの腕は、それほど長くはないのだ。足元に転がる全ての事を解決できるなどというのは思い上がりである。
「あっ!食べましたわ!ほらあなた、見てくださいな!」
「ソフィーリア、あのだな……」
アレクセイが実に真面目に思索に耽っていた傍で、ソフィーリアが華やいだ声を上げた。自分に肉の顔があれば、眉根を寄せてため息をついていたことだろう。
さっさと冒険者の証をしまった彼女が何をしていたかといえば、先ほどからテーブルの下のスライムにパンを分け与えていたのである。
大墳墓から付いてきた、あのスライムだ。今はミオを模した姿ではなく、もとの丸い球状の身体に戻っている。かつて幽霊スライムと呼ばれたこの魔物は、今はアレクセイたちの管理下にあった。というか、ギルドの登録上ではエルサの使い魔となっていた。
「"魔物遣い"は特殊な職だからね。戦士であるあんたたちの使い魔にしちまうと、色々と面倒なことを説明しなきゃならないんだよ」
ギルドで手続きを終えたアネッサはそのように語ったのである。なんでもエルサの"霊魂遣い"なる職業は非常に珍しいらしく、実際のところギルドもその詳細を把握してはいないのだという。それゆえに、少々強引な説を唱えても「そういうものか」で通ってしまうのだそうだ。
対して戦士はこの上なく分かりやすい職業であるから、そんな人間がこれまた珍しい"獣遣い"の技能を有しているとなると、かえって事細かな説明を必要とするそうである。アレクセイにしてみれば、冒険者ギルドなる組織は大雑把なのか細かいのかよく分からなくなるところである。
ただ当のエルサがそれを嫌がっているわけではないのだから、アレクセイにしてみれば文句を言うところもない。
強いて言うならスライムを正式に自分のペットにできなかったソフィーリアが、僅かに頬を膨らませたくらいである。現にかつてミオと融合していたこの魔物は、エルサに一番なついているようでもある。それを妻が不満に思っていないよう、アレクセイは神に祈るばかりだ。
なのでここぞとばかりにスライムを可愛がっていたソフィーリアは、スライムが自分の手から物を食べてくれたことにいたくお喜びのようだ。するとそんな彼女が内緒話をするように、こちらに顔を寄せてくる。
「どうした?」
「これで、私たちが物を食べられないことも、少しは解決できるのではありませんか?」
思わぬ妻の言葉に、アレクセイはびっくりして彼女の顔を眺める。ソフィーリアは可愛らしく片目を瞑るとそれに答えてみせた。
(なるほど、その手があったか)
しつこいようだが、アレクセイたちはアンデットであるがゆえに食事ができない。人の世に紛れて暮らすにはそれは小さくない問題であるし、そのことはサルビアンに来た当初も話し合っていた。
しかしまさかこのような方法で問題の解決を図ろうとは。全ての状況でこの方法が取れるわけではなかろうが、少なくとも食事を残す不自然さのいくらかは解消できるはずだ。
現にスライムはテーブルの下から触手のように体の一部を伸ばすと、ソフィーリアが手に持つジョッキに差し込んでいる。固形物だけではなく水分の方もいけるらしい。
(この様を見ても何も感じないのは、アンデット化しているせいだと思いたくはないな)
どんなに無害と分かっていても、魔物は魔物である。以前なら、スライムと食卓を共にしようとはアレクセイも思うまい。だが今は欠片の嫌悪感も感じないのだ。それが哀れな亡霊たちの顛末を知っているからか、愛する妻がこのスライムを可愛がっているからかは分からない。
「ふむ、確かにこうやって見ると、なかなか愛い奴ではないか」
アレクセイは巨体を屈めて卓の下を覗き込むと、一心不乱といった様子でエールを飲むスライムの体を指で弾いた。
「ま!あなたったら!スーちゃんに変なことをしないでくださいまし」
すると目敏くそれに気づいたソフィーリアが夫の腰を叩く。アレクセイは笑って軽く謝ったのだが、次いで「スーちゃん?」と我ながら素っ頓狂な声を出してしまった。見ればアネッサやエルサもきょとんとしている。
「あの、ソフィーリアさん。それは、もしかしてこの子の名前ですか?」
苦笑いを浮かべながらエルサがそのように言う。もしそうなのだとしたら、あまりに安直なのではないか。スライムだから「スーちゃん」というのは、あまりにひねりに掛ける。
だが妻はとてもいい笑みでそれに頷いてみせたのである。
「まさかミオさんの名前を、そのまま使うわけにもいかないでしょう?変に凝った名前にしてもあれですし、私は呼びやすい方がいいと思います」
それに可愛いでしょう?とはソフィーリアの弁である。まぁアレクセイとしては別段名前などなんでもよかったので、彼女がそれがいいなら文句はなかった。
が、ソフィーリアの意見に「否」と唱えたのは、意外にもエルサであった。
「私は逆に、この子がミオさんの依り代であったことを残すようなものがいいと思います。それがこの子の個性ですし、また彼女たちが生きた証にもなるのではないでしょうか」
そう言って真っ向からソフィーリアと対立したのである。
少女二人が静かに見つめ合う中でも、当のスライムは我関せずだ。もっともこの魔物にそこまでの自我があるのかは、誰にもわからない。
アレクセイはそれらを一旦放っておくと、呆れた顔でジョッキを傾けているアネッサへと向き直った。サルビアンの街の人間である彼女から、この先の道行について聞いておかなければならないからだ。
「あんたたちは東の方を目指してるって言ってたよね」
炒った豆をぼりぼりとかみ砕きながら、アネッサはそう言って一枚の地図を取り出した。それはここサルビアンの街から、東部州へと至る道が記された地図であった。
アレクセイたちの当座の目的地は、大陸東部にあるというバルダーという街である。ラゾーナで出会った行商人のラリー曰く、そこには銀の髪を持つ人々が数多く住むという。銀髪はヴォルデン人を含む大陸北部の人間しか持ちえない身体的特徴である。そこに行けば今は亡き故国について、何か分かるかもしれないと踏んでいるからである。
(五百年の時が経っているとはいえ、されど五百年だ。この世界には千年を生きるエルフとているだろうに)
アレクセイがどうしても腑に落ちないのはそこである。隆盛跋扈は世の常だが、あれほどの権勢を誇ったヴォルデン王国の名前すら残っていないということに、どうにも納得できないでいた。
(まぁいい。彼の地に行けば、何かしらは分かるだろうさ。それに……)
アレクセイは東への説明を続けるアネッサの後ろ、アレクセイの大盾とともに壁に立てかけられた大剣を見つめた。
それはかつて、アレクセイの前に"竜鱗"の位を授かっていた男の愛剣であった。アレクセイを教え、導き、王国の騎士として叙してくれた相手でもある。
そんな男の形見がここにあるのだから、かつてヴォルデンという国がこの世界にあったということは、紛れもない事実なのだ。人々の記憶から消えても、決して揺るがないものもある。
そんな感傷に浸っていたアレクセイを引き戻したのは、自分を呼ぶ愛する妻の声であった。
「あなた、あなたったら!」
「む、うむ?なんだ、ソフィーリアよ」
記憶の彼方から戻ってみれば、そこにはまるで本当の年相応の少女のように頬を膨らませるソフィーリアの姿があった。その隣でエルサも、彼女にしては珍しく同じような顔でこちらへと詰め寄っている。
「もう!先ほどからずっとお呼びしてましたのに!……それより、スライムの名前ですが、私とエルサさんで候補を絞りました!でもいつまでたっても決まりそうもないので、ここはあなたに決めていただきたいんです!」
言いつつも、ソフィーリアは自分の案が採用されるに決まっているといった表情だ。一方のエルサも、ここは譲れぬとばかりに胸の前で拳を握りしめている。
困り果てたアレクセイはアネッサの方へと視線を移した。だが駆け出しを導くはずの教官殿は、素知らぬ顔で酒とつまみを楽しんでいた。先ほどの旅の道筋の説明の間に、アレクセイが上の空であったことへのお返しだろうか。
「では、あなた決めてくださいますか?」
愛する妻が、とびきりの笑顔で迫る。
「どうか賢明なご判断をお願いします、アレクセイさん!」
妙に生真面目な表情で、エルサが瞳を燃やしている。
かつての大英雄が困難な選択を迫られている中、当のスライムはテーブルの下で、至極のんびりと料理を呑み込んでいたのであった。
アレクセイたちが≪アガディンの大墳墓≫を脱し、サルビアンの街への帰路に着いていた頃のことである。
小高い丘の上に、彼らを見送る三つの人影があった。だが実際に見送っているのはそのうちの一人のみで、他の二人はさも興味なさげにそれらを遠目に眺めていた。やがて満足したのか、熱心に視線を送り続けていた一つが振り返った。
魔術師のカインである。
「それほどご執心であるなら、連れ帰って来ればよろしかったのでは?」
さして興味もなさそうに、残る影の内の背の低い方がそう言った。まだ若い、女の声である。カイン以外の二人は全身を真っ黒なローブで覆っており、その姿を伺い知ることはできない。
「いやいや、別に僕はあれにそれほどの未練はないんだよ。アネッサくんの言った通り、あれは僕の目指すところとは違うからね」
「それでも貴重な研究サンプルになるのではないですか?貴方なら冒険者ギルドの教官如き、容易く殺せるはず」
女の物騒な物言いに、カインは大きくため息をつくと額に手を当てた。
「全く、どうして君らはこうも考え方が乱暴なのかねぇ。魔術師なら魔術師らしく、まずは口と頭を使うべきとは思わないのかい?」
するとじっと黙っていた背の高い方のローブの者が、あざ笑うかのように声を漏らした。こちらは男の声であり、次いで喋る声は落ち着いていながらも、若者のそれであった。
「そもそも粘液などという下等生物に、なぜそこまで入れ込むのか分かりませんな。"千識のクァイバーン"と呼ばれた貴方なら、もっと高みへと至れるというのに」
「そのダサい呼び名はよしてくれないか。それに君も魔術師の端くれなら、他人の研究テーマを貶めてはいけないよ。どんなに些細な事であろうとも、もしかしたらそれがこの世の真理へと繋がっているのかもしれないのだからねぇ」
真の名を呼ばれたカインはさも嫌そうな顔をして若者を諭したが、ふと何かを思い出したのか彼らに問いかけた。
「そういえばここの迷宮で起きたアレは、君たちの仕業なのかい?」
カインの問いに答えたのは男の方である。この若い魔術師は、フードで人相を隠してなお分かるほどに喜びの情を顔に浮かべながら、文字通り嬉々として語った。
「もちろんです!霊魂の狂化は"賢者様"の研究テーマの一つでして、いやぁ実に面白いものが見れました!成果も上々ですし、きっとお喜びになられます!」
そのおかげでカインは大変な目にあったわけだが、そのことはこの若者にはさして重要なことではないらしい。彼らはその"賢者様"から自身の手足となるよう厳命されているはずだが、突然迷宮に行くと言い出したカインを恨んでのことだろうか。
流石に気まずさを感じたのか、女の方が口を挟んできた。
「貴方ならばどうとでも切り抜けるだろうとは思っていましたが、しかし我々も軽率ではありました。なのでこれからは何かなさる場合は、事前に一言だけでもお願い致します」
若い女性にそこまで言われて腰を折られては、カインといえどもこれ以上は何も言えなかった。もともと勝手をしたのはこちらであるし、実際のところそれで何か被害を被ったわけでもない。
(でもまぁ、彼女には悪いことをしたねぇ)
そうしてカインは、一時の間ともに迷宮を歩いた少女のことを考えながら、ローブの者たちの後を付いていくのだった。




