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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第三章 一ツ星の夫婦
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第63話 大墳墓で得たモノ

「その前に、其方はいかなる者であるのかな?ご老人」


 謎の老人を前に、アレクセイは一歩進み出るとそう問いかけた。

 突然姿を現した老爺を前に、アネッサやカインなどは大層驚いているようだ。特に熟練の戦士であるアネッサなどは、直前までその気配に気づかなかったことで警戒を強めているらしい。


 それはアレクセイも同じではあったが、しかし傍らの妻の様子を見れば心配する必要はないのではと思えた。彼女は武器を構えるのでもなく、至極のほほんとした表情で老人を見つめているのである。


(どうやら見知った顔らしいな)


 ここまで慌ただしくて、アレクセイたちと別れてからのソフィーリアらの話をまだ聞いていない。あるいはその中で知り合った相手かもしれない。

 しかしどう見ても、目の前の老人は人間ではないだろう。


 老人は白くなった顎髭を撫でながら、愉快に笑った。


「ほっほ!これはまた実に立派な騎士様じゃな。ワシの名はエドという。そこの嬢様たちとは、少し前に顔を合わせていての。そこにおるスライムの、まぁ世話係みたいなもんじゃて」


 ということは、この老人もまたこの迷宮に住まう存在ということなのか。確かに人外ではあるようだが、さりとて魔物のようには見えないし、それに属するような悪しき気配も感じられない。まるで石や木のような、不自然なほどに自然な存在感しか、アレクセイには感じられなかったのである。


 アレクセイは気を取り直すと、エドと名乗る老人に再び問いかける。


「ご老人は先ほど我らに頼みがあると申されたが、それはどのようなものであるかな?」


「おう、それじゃそれじゃ。ワシがおんしらに頼みたいのは、ほれ、そいつのことじゃよ」


 エド老人はそう言うと、しわがれた指をある方向へ指し示した。その先にいたのは、ミオと同じ姿を象ったままの、幽霊(ゴースト)スライムである。


「この子、ですか?」


「うむ。おんしらはそ奴に憑りついていた魂を解放してくれたんじゃろう?ついでに、狂気に侵された我らが主もな」


 老人の言う主というのは、おそらく迷宮主(ダンジョンマスター)であった魔術師の老人のことであろう。どこで知ったのかは分からないが、彼は事のだいたいの顛末を把握しているらしい。


「まずはそのことに、礼を言いたい。本当にありがとうのぅ」


「ふむ。察するに、ご老人もこの迷宮に属する存在なのだろう?ならば礼を言われるというのも、奇異に思うのだがな」


 エド老人は訝しむアレクセイの方を向くと、さもありなんといった風に頷いた。


「同じことをそちらの綺麗なお嬢さんからも言われたのう。じゃがワシにも不思議とな、怒りなどは湧いてこんのじゃよ。我が主は迷宮の呪いに囚われておる。たとえ死すとも、いずれは復活することじゃろう。じゃがそれには長い時間がかかる。ならばその間くらいは、ゆっくり眠らせてやりたいんじゃよ。なにせここは、死者が眠る場所だからの」


 エド老人はそう言ってアレクセイの疑問に答えた。

 先ほどアネッサから、「迷宮に住む魔物はみな等しく人間に対して牙を剥いてくる」と教えられたばかりであるからして、答えを聞いてなおこの老人の存在は不可思議なものに思える。


 が、今はそのことは脇に置いておくべきだろう。

 アレクセイがこれ以上口を挟むつもりがないのを見て、老人は自身の望みとやらを話始めた。


「ワシの望みというのはな、そ奴をここから連れ出してやってほしいんじゃよ」


 老人の口から放たれた思いもしない言葉に、アレクセイらの間に再び驚きが走った。それには構わず、老人は話を続ける。


「見ての通り、あの娘と長い間合わさっていたせいか、こ奴は他のスライムどもとは随分違う風になってもうた。ワシの言うことは変わらず聞くがの、この(なり)では迷宮では少々目立ちすぎる。戦う力などたかが知れておるから、いずれ誰かにやられてしまうじゃろう」


 そしてこの老人もまた、それを不憫に感じているようだ。そこで腕が立ち、かつ()()()()()()を持つ自分たちに話を持ちかけることにしたらしい。

 どうやらエド老人は、アレクセイたちがアンデットであることに気づいているような口振りである。アレクセイは兜を巡らしてソフィーリアの方を見やったが、夫の視線を受けた彼女は小さく首を振った。


 確かに、不死の魔物でありながら人の冒険者を偽っている自分たちならば、このスライムを人社会の中で扱うこともそう難しいことではない。木を隠すのなら森の中というか、自分たちに比べたら力の弱いスライムなどさしたる問題にはならないだろう。


「それにおんしらはこ奴の事情を知っておる。特にそこの嬢ちゃんなら、そう邪険に扱うこともないと思っての」


 老人はスライムの横に並ぶエルサに視線を移すと、少々意地の悪い笑みを浮かべた。

 どうやらエルサはマユたち姉妹の件に関して思うところがあるようであったから、彼の推察も間違いではないだろう。


 それにアレクセイとしても、マユの件を思えば捨て置くのは不憫に思えた。カインの話でこの迷宮のスライムの習性については聞き及んでいたから、この魔物が人を襲うような心配はしていない。仮にそのようなことがあったとしても、その力を思えばアレクセイたちならばどうとでもなる。


 個人的に異論はない。

 なのでアレクセイは視線をもう一度、ソフィーリアへと向けた。すると彼女は思いもよらぬ輝いた瞳でスライムの方を見つめていた。夫の視線に気づいたソフィーリアは、これまたなかなか見ないようないい顔で頷いている。


(あぁ、そういえば彼女はスライムのような魔物、というか小動物がいたくお気に入りのようであったな)


 カインの召喚したスライムを眺めてははしゃいでいた様子を思い出し、アレクセイは内心で苦笑した。旅の身空ではペットを飼うことなどできはしないが、思いもよらぬ形で彼女の望みが叶うことになりそうだ。


 最後にアレクセイがアネッサの方へと向き直れば、彼女はやれやれといった表情で首を振っている。どうやら冒険者ギルドの人間としても、スライムの件については見逃してくれるらしい。聞いてみれば、細かい手続きなどは彼女の口利きでギルドの方でやってくれるそうだ。


 話が纏まったのを見て、エルサが嬉しそうな顔でスライムの手を握っている。当の本人は相変わらずの仏頂面であったが、エド老人曰く時間が経てば少しずつ人らしく変わっていくかもしれないとのことであった。


「ちょっと待って!そうと聞いたら僕も黙ってはいられないんだけど!?」


 お目当てのスライムが自分から遠ざかりつつあるのを感じたのか、カインが非難の声を上げる。だがそれはアネッサが押し留めた。


「あたしは門外漢だからよく分かんないけどさ。あんたがやってるのはスライムの研究なんでしょ?人の魂と混ざり合っちゃったスライムなんて、それほんとにスライムって言えるの?」


 アネッサの言葉に思わぬ虚を突かれたのか、カインは一瞬固まると腕を組んでうんうんと唸り始めた。魔術師の学術的好奇心は目を見張るものがあるが、得てしてそれは限定的だ。それが自分の研究の対象か否かは、非常に判断の難しいところなのであろう。


 カインがそうして黙り込んでいる間に、アレクセイたちはさっさと話を進めることにした。


「こちらの意見は固まった。ご老人の要望通り、このスライムは我々が預かろう」


「おぉ、そいつはよかった。これでワシも胸のつかえがとれたわい。そうそう、おんしらに渡したいものがあったんじゃった」


 老人はそう言うと懐からあるものを取り出した。それはアレクセイの拳ほどもある魔石であり、その表面は通常の魔石の紫色ではなく、黒曜石の如き真っ黒な色合いをしていた。


「これは?」


「おんしらは冒険者の癖して、本当に欲のない連中じゃて。こいつはおんしらが去った後の、迷宮主の間で拾っての。おそらく、あの娘とレディオン様を狂わせたものじゃよ。ま、主様の方はもとからちぃとばかり気が触れておったがの」


 老人の確信めいた言葉にアレクセイたちが聞き返すと、どうやら彼はこの黒い魔石がマユをおかしくさせた原因であると考えているらしい。老人はこの迷宮の魔力の流れを把握しているようで、ある日この魔石が現れた日から、迷宮内に怨霊が増え始めたのだという。そしてそれは元からいた幽霊(ゴースト)たちではなく、迷宮で死した冒険者のものであったそうだ。いくら未練が深かろうとも、迷宮(ここ)では生半可なことでは魂が悪霊になったりはしないのだと、老人は言う。


「確かに、そうでなければ迷宮など亡くなった冒険者の方の魂で一杯になりそうですものね」


 頷くソフィーリアの意見に、アレクセイもまた同意する。だとすればなぜこの魔石はここに現れたのか、自然発生したのか、それとも……。


 アレクセイはそこまで考えてから、思考を打ち切ることにした。このようなことはいち一ツ星(ひとつぼし)冒険者の考えることではない。アレクセイが魔石をアネッサへと渡すと、受け取った彼女はいかにも嫌そうな顔をした。


「え~、あたしかい?」


「ここの異変を解決したことで、勘弁して頂きたいものだな」


「言うねぇ」


 口ではそう文句を言いつつ、アネッサがそれを付き返してくることはなかった。彼女ならば、あとは冒険者ギルドの方でうまいこと調べてくれることだろう。


「さて、役目は終わったことじゃし、ワシは帰るとするかの」


 アレクセイたちの様子を微笑みながらいていたエド老人は、そう言うと踵を返して歩き始めた。


「あっ!お爺さん!」


 思わずといった風にエルサが呼び止めると、エド老人は一度だけこちらを振り返った。


「二百年ぶりの楽しい時間じゃったよ、お嬢ちゃん。おんしらみたいな冒険者がおってくれて、本当によかったわい。どうかそ奴を、よろしくのぅ」


 アレクセイがふと見てみれば、エルサの傍らに立ち尽くしていたスライムが、また手を振っている。その顔にはやはりなんの表情も浮かんではいなかったが、アレクセイはその瞳に僅かに揺れる何かを見出した気がした。


 それが老人と別れる寂しさなのかは分からない。けれどもアレクセイには、スライムが声なき声で老人に「行ってきます」と告げているように思えてならなかったのである。






「ふぃ~、なんだか随分と長いこと潜っていた気がするね!」


 迷宮の出入口、大樹に開いた巨大な洞から顔を出したアネッサが、そう言って腰に手をやっている。

 エド老人と別れたアレクセイたちは、その後も一路迷宮の出口目指して足を進めていたのである。やはり魔物の妨害に合うこともなく、こうして無事に迷宮の外までたどり着くことができた。


≪アガディン大墳墓≫に入ったのは昼に入るいくらか前のことだったはずだが、今は東の空から太陽が僅かに顔を覗かせていた。ということは少なくとも丸一日か、あるいはそれ以上の間迷宮にいたのだろう。


 アレクセイもなんとなく明星を眺めていると、最後に大樹から抜け出てきたカインが「さて」と声を上げた。


「それじゃあ僕は、この辺で失礼しようかな」


「あら、街まで戻られないのですか?」


「うんうん、どうやら迎えがすぐそこまで来ているみたいでね。急ぎの仕事を抜け出してきたのが悪かったみたいだ。ま、でもその甲斐はあったさ」


 カインはそう言って未練がましい視線をスライムへと送っている。あれからしばらくの間もカインは頭を悩ませていたようだが、最終的にはスライムを諦める方向で気持ちを固めたようだ。学術的興味はあるけれど、自身の研究テーマとは違う、とのことであった。それでもじっとりとした目をスライムに向けているあたり、いくらか心残りはあるのだろう。


 もっとも、当人は毛ほども気にする様子はなく、初めて見たであろう迷宮の外の光景に瞳を輝かせているようだ。もちろん、これはアレクセイの主観ではあるのだが。


「それと、はいコレ。約束の古竜塔の紹介状と、今回の護衛依頼の成功報酬さ」


 目的の紹介状は、羊皮紙の巻物である。しっかりと封蝋で止められているあたり、迷宮に潜る前に用意してきたのであろう。すると、アレクセイが受け取った成功報酬の入った革袋を見ていたアネッサが非難の声を上げた。


「おいおい、ちょっとこいつは少なすぎるんじゃないかい?」


 確かにアレクセイの手の上からは、いくらも重さが感じられない。しかしカインは少しも悪びれることもなく、あっけらかんと言い放った。


「僕が雇ったのはあくまで"一ツ星冒険者"のアレクセイくんたちさ。彼らがどんなに強かろうと、払われる対価はそれで決まりさ。それがギルドの掟だろう?」


 それを言われては、ギルド所属のスキルトレーナーであるアネッサには何も言えぬだろう。それにアレクセイとしても、別段金目的で今回の護衛を引き受けたわけではない。もう一方の書状さえあればそれで事足りた。


「なに、私に文句はないよ。そして貴殿にも世話になったな。こちらも面白いものを見れたし、いい刺激となった。貴殿の研究が花咲くことを、楽しみに待っているとしよう」


 アレクセイがまっすぐにカインを見てそう言うと、目の前の男にしては珍しい真面目な声色で「こちらこそさ」と答えた。そしてすぐに相好を崩すと、出会ったときのようにヘラヘラとした笑みを浮かべながら、ソフィーリアたちにも別れの挨拶をしている。


「それじゃあ僕はもう行くよ。君たちの旅路にも、幸あらんことを!」


 そうして魔術師カインは、こちらを振り返ることもなくさっさと稜線の向こうに消えていった。それを見送っていたアレクセイたちもまた、サルビアンの街に戻るため、≪アガディンの大墳墓≫を後にしたのであった。





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